「エコ」のビジネスを知る~市民科学談話会に参加して

投稿者: | 2011年2月21日

「エコ」のビジネスを知る~市民科学談話会「環境の仕事とは?」に参加して

瀬野豪志
昨年末、友人同士の忘年会で「エコってどう思う?」という話になった。といっても「今年の重大ニュース」のようなもので、「エコ・アクション・ポイントのシロクマってどう?」みたいな話もあったのだが、昨年は「エコカー」や「エコポイント」のキャンペーンを見聞きしていたから、あらためて「エコって何だっけ?」という心理が働いていたようだ。
どうやら「環境の仕事」にビジネスの発想が入ってきたおかげで、うまいインセンティブによって「エコ」が可能になってきたようではあるが、消費者の感覚としては、ひとつの大転換期を迎えたわけである。いつごろからか「エコ」という表現は、商品やサービスのいたるところで目にするようになり、わたしたちの消費行動を促すようになっている。これまでは、個人にも「省エネ」や「ゴミの減量」が求められてきたし、どちらかといえば消費を抑制することが「エコ」につながるかのようであった。だから正直なところ、「エコポイント」や「エコカー」の言葉を聞くたびに、「お得だし、エコらしいから」と乗じやすい反面、「エコってこういうことだっけ?」と心配になる。個人としてはポイントがつくのはいいが、環境の全体としては「エコ」になっているのだろうか、だまされてるんじゃないか?と。前述の忘年会に出席していたある人物は、「アレ(エコ)はもうかるんでしょうね」と断定する。どうせ買うならエコな買い物がいいとは思いながらも、「エコ」に貢献した気分にはなれないような、本当のところは分からないという気分を表現するしかないわけである。
年が明け、「環境の仕事とは?」の談話会に参加して、環境コンサルティングの視点から「環境の仕事」の事情を知ることができた。率直に感じたのは、「エコ」のキャンペーンがあれだけ目につく一方で、専門的な「環境の仕事」が知られていないところで動いているように思われたということである。忘年会で話題になる「エコ」は、すぐに地球規模の「大気汚染」や「温暖化」などをイメージさせるが、かえって実際の「環境の仕事」には想像が及ばないことになっているのではないだろうか。環境の仕事は、地域のフィールドでの測定調査だけでなく、自然科学の方法を駆使する仕事でもあり、大気汚染や水質汚濁については、さまざまな計算モデルが検討されているようである。しかし、なんらかの有効なモデルが確立されたとしても、法的に規制されている物質はどれだけあるのか、どの物質を測定するのか、どの地域で検証するのかというところに話を戻すと、「なんでそうなっているのか」という具体的な問いかけが多く出てくるように思えるし、テクノロジーのあり方やその不確実性によって生まれてくる新しい問題にも左右されるのではないだろうか。今後、環境の仕事が専門的になっていくとしても、「なぜそれがエコにつながるのですか」「なぜ規制を変更するのですか」というコミュニケーションが「エコ」の理解には必要であるように思える。
また、「エコ」への動きは多様化しており、環境コンサルティングのビジネス面にも深く関係しているようである。特に、金融機関から依頼されている仕事があるという点が非常に興味深かった。コンサルティングのビジネスとして、これが一番儲かる仕事だという。この仕事は、不動産の土壌汚染のような環境に与えるリスクを金融機関が査定するようになったためであるが、こうした金融機関による査定は、融資を受ける側からすれば「エコ」への圧力として強く働くことになる。つまり、あらゆる「開発」のプロセスで、これも「エコ」への圧力として効いてくるわけで、これまでの努力とは異なる形で「エコ」が進むのではないかと思われた。
現在の「エコ」は、見えないビジネスが介在しているがゆえに、なかなか本当のところは分からない。「エコ」だとされる消費行動を繰り返すだけでは妙な気分やポイントが得られるだけで終わり、また個人的な「エコ」への努力だけでは心もとない。しかし、「環境の仕事」の立場からビジネスの全体的な構造を知らされると、「エコ」へ向かわせる現実的なパワーの存在がわかる。わたしたちは、「エコ」な製品やサービスを選択するだけでなく、「エコ」のビジネスの動きを知ることも可能であり、とりわけ、環境コンサルティングのような立場から環境問題の構造との関係を知ることは、たいへん重要であるように思う。今後、ますます「エコ」がビジネスになっていくのであれば、「環境の仕事」の事情を知ることは「エコ」のモヤモヤした気分から脱することにつながるはずである。むしろ、「エコ」へのビジネスの事情を知ることによって、「公害」から「環境」へ、そして「エコ」へのイメージの変化を読み取れるようになり、「環境」をめぐる国際的な利害対立や地域の「公害」に立ち戻って考えることができるのではないだろうか。■

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