サイエンスショップ国際会議参加報告

投稿者: | 2001年3月10日

平川秀幸

京都に移ってそろそろ一年。周りの風景も、はじめはどこか「観光地のもの」でしたが、最近は自分の所の風景に落ち着きつつあるのを感じます。けれどちょっと驚いてしまうのは、京都の冬の天気。なんと「通り雪」やら「天気雪」があるんですよ。さっきまで晴れていたのに、何か風花が舞っているなぁと思っていると、ふぁーと吹雪。それでいて30分もすると元の天気に戻ります。ウチは洛中から一山東に越えた山科という地区なので、余計に寒いのですが、東京ではついぞ体験したことのない天気模様は新鮮です。

さて、そんな京都の冬がまだ本格的だった一月の末、5泊6日の短期でベルギーに行って来ました。目的は、ブリュッセル近郊のルーヴェン市の欧州アイルランド研究所で開かれたサイエンス・ショップ国際会議「生きている知識:研究への市民のアクセスのためのパートナーシップを構築する(Living Knowledge: Building Partnership for Public Access to Research)」に参加するためでした。ルーヴェンはベルギービールの古くからの産地として有名な街で、街全体の佇まいも、ヨーロッパらしく中世の面影を色濃く残している綺麗なところした。
サイエンス・ショップは、法律分野でいえば「法律相談所」に相当する「科学相談所」です。1970年代にオランダのいくつかの大学で始まったもので、アメリカにもコミュニティ・ベイスト・リサーチ(CBR地域立脚型研究)と呼ばれる同様の活動があります。いずれも地域住民が抱える問題の解決に向けて、専門的アドバイスや専門家の紹介、住民と共同での研究調査の実施などを行うものです。担い手は、ヨーロッパ系は大学が多く、アメリカ、カナダはNGOが多いそうです。大学で行われている場合は、教員が指導者になって、実働は大学院生が中心のようです。今回の会議では「サイエンス・ショップは、市民社会が経験する懸念に応えて、独立で、市民参加に基づく研究サポートを提供する」という定義が用いられてました。現在ではサイエンス・ショップやCBRを名乗る活動組織は、イギリスやカナダ、ドイツ、デンマーク、オーストリアなど欧米諸国の他、南アフリカやお隣の韓国など世界各国に広がっています。

今回の会議は、個々のグループがこれまで蓄えてきた知恵やノウハウを共有するために、サイエンス・ショップとCBRの国際的なネットワークを作ろうという呼びかけとして開かれたもので、オランダやドイツ、イギリスなど欧州各国の他、アメリカ、カナダ、イスラエル、日本(私)などから総勢120名あまりが参加しました。とくに会議の前夜25日と会議終了後27日午後には、欧州連合内のネットワークを、欧州委員会の科学技術政策部門である第12総局から助成金を得て立ち上げるための準備会合もあり、26、27日の会議本番にも総局の代表者が二方参加していました。(ちなみに第12総局では「欧州参加型テクノロジーアセスメント(EUROpTA)」というプロジェクトのもとで、コンセンサス会議など市民参加による技術評価の手法に関する研究も進められています。)
参加者は、実際にサイエンス・ショップをやっている人、これから始めようとしている人、サイエンス・ショップについての研究をしている人など色々でしたが、大きく分けると大学の研究者や学生とNGOが半々くらいでした。「コニチハ」と声をかけてきたアメリカ人のお兄ちゃんなどは、元は軍隊にいて三沢基地にも一時期駐留していたこともあるそうなのですが、あるきっかけでサイエンス・ショップを知り、自分も科学を学ぼうと一念発起して大学に入ったそうです。

さて、会議の中身ですが、まず1日目の25日午前中は、ルーヴェン・カソリック大学文学部の大講堂で開会講演が開かれ、先の欧州委員会の人も含め、四人がスピーチをしました。ちなみにスピーチを聴きながら参加者名簿を見ていたら、僕を含めてSTS仲間6人で訳して、ちょうど会議直前に出版された本の著者ライデスドルフ氏の名前が!!その本は「科学計量学」という分野のもので、サイエンス・ショップとは全然関係ないものなのですが、よーく思い出してみると彼はずっと昔にその手の論文を書いてたのです。それで休み時間に声をかけると(彼も僕を見て驚いてましたが)、なんと彼はオランダでのサイエンス・ショップの創始者の一人だったと言うじゃありませんか。奇遇なものです。

その後、本会場の欧州アイルランド研究所(おそらく築200-300年)に移動してランチ。午後は、一組20分ずつ、二会場での報告会があり、それと並行して三会場でポスター・セッションもありました。ちなみにサイエンス・ショップは自然科学だけではなく、社会学や経済学など社会科学系のものもあります。たとえばイギリスのリバプール大学他3大学共同で進めているコミュニティ・ラーニング・プロジェクトでは、学生が主体になって社会調査を地域の住民や行政の人たちと進めており、報告会ではその経験やメソッドをまとめたビデオ教材の紹介がありました。ちょうどウチの大学は社会科学系の学部なので、これは役立つと思い、このビデオ教材は後日送ってもらうことにしました。(今はもう手元にあります。)ちなみにこのプロジェクトでは学部生もメンバーに含まれているようです。サイエンス・ショップやCBR一般についていえることですが、大学で行われている場合には、学生の教育の一部としてそれらの活動への参加が勧められているそうです。たとえば学位論文のテーマにサイエンス・ショップで取り組んでいる問題を選ぶということもあるそうです。昨年3月にアメリカのCBRの状況を調べるために、マサチューセッツ州アマーストにあるロカ研究所というCBRの情報・国際ネットワークセンターを尋ねた時にも聞いた話ですが、アメリカでは、CBRを大学で行う目的の一つは、学生の「市民精神」の涵養があるんだそうです。つまり専門家である前に常に市民として生きなさいということですね。このあたり、さすがアメリカだなぁと感心したものですが、これはアメリカに限らないようです。

会議終了後は、僕は出席しませんでしたがバンケット(晩餐会)がありました。会議を申し込むときにどうしようか迷ったのですが、確か8000円くらいで結構高かったのです。それで、きっと、とくに学生など若い人は参加しない人も結構多いだろう、そしたら一緒に飲み屋でビールでも・・と思っていたのですが、すっかりアテが外れてしまいました。けっこうみんなリッチだったんですね。しょうがないのでその夜は、せっかくベルギーに来たので、やはりムール貝その他フランス料理系(ルーヴェンはフラマン系)の魚介が食べたいと思い、宿泊先のあるブリュッセルの街のレストランに行きました。(美味かった……!)

さて会議二日目は、朝9時から午後1時半までのプログラムで、まずはワークショップから始まりました。六つのテーマから申込時に予約してあった二つのテーマに、それぞれ1時間半ずつ参加。前半は、サイエンス・ショップのパフォーマンスはどうやって評価できるかをテーマにしたセッションで、話を聞くだけでなく、小グループに分かれての討論などもあったりして、なかなか楽しめました。
そのなかでとくに印象に残った話題は、僕が加わっていたグループの討論で出てきた次のことでした。サイエンス・ショップの活動を実践する時には、クライアントの住民の人たちが、どんなことをどんなふうに問題にし、どんな解決を望んでいるかを請負側がちゃんと理解し、さらにそれを自分たちの専門分野の科学的問題に翻訳するという作業が不可欠なのですが、その際の注意点として「文化的多様性」というのが挙げられました。これは確か、カナダかアメリカからの参加者からの発案でしたが、そういう国々では、この問題ってすごく大きいのですよね。とくに面白かったのは、全体の討論の中でも出てきた話で、たとえばインディアンの部族の人々がクライアントになった場合の「文化的考慮」です。今でもとくに部族単位で暮らしているインディアンの人たちは、自然観・世界観が伝統的でアミニズム的で、問題のたて方や理解の仕方は、いろいろな点で普通の科学とは相容れないものが含まれているんだそうです。

けれどそれを、「科学的な見方が正しいんだ」といって、無理矢理科学的問題に翻訳したり、クライアントの考え方を否定したりすると、そもそも一番大切な人間同士の信頼関係から崩れてしまい、作業が失敗してしまいます。このため、科学者のほうも住民の人たちの世界観や知識を真剣に学び、住民の人たちと同じように世界を理解できるように努めるそうなのです。会場からは「そんなことできるのか」という質問もありましたが、実際にそういう作業に携わっている参加者からは、「私も医者だから最初はとても苦労したし、今も悩みは尽きないが、なんとかやっている」との返事がありました。 二つ目のセッションのテーマは「サイエンス・ショップの始め方」ということで、オランダ、フランスの試みの比較や、近年オランダ外務省の助成金を得てグローニンゲン大学が進めているルーマニアでのサイエンス・ショップ開店の紹介がありました。このセッションの討論では、サイエンス・ショップの財源について質問してみたところ、全般的にはそれほど安定したものではないという話を聞きました。グローニンゲン大学でも資金は、学部が教員に支給する研究費を充てており、当然ながら学部内政治の影響下にあるそうです。ただ、カナダでは社会・人文科学リサーチカウンシルが「コミュニティ・大学協同プログラム」では、カウンシルから20億円の予算がついているそうで、懐事情はケースバイケースのようです。

ワークショップの後は閉会講演。終了予定を若干オーバーして、1時半過ぎに会議が終了しました。その後は、さきほどのライデスドルフ氏に昼食を誘われたのですが、残念ながらその日は、夕方6時半パリ発の飛行機で帰らなければならなかったので、すぐに駅へ向かいました。その後、ブリュッセル南駅で超特急TGVに乗り換え、一路パリへ。本当はもう少しゆっくりしたかったのですが、出発前に「29日(帰国翌日)は入試担当があるかもしれませんから」と大学から言われていたので、帰らねばならなかったのです。受験生の数次第ってところもあるので、最終的に担当が決まったのが、なんと会議の二日前、つまりもうベルギー入りしてから。おまけに事務に「担当の有無が決まったら連絡下さい」といってあったのに連絡なしで、最終的に「担当なし」という結果を知ったのは、入試当日の朝。おもわず「バカヤロー」といいたくなりましたが、まぁ受験生数次第のことゆえ仕方ないですから、我慢しました。まぁ、もちろん(んー、やっぱりまだ愚痴を言いたくなるなぁ)「入試担当予定者から外してください」と最初から言えてれば良かったのですが、ちょっとできない事情がありました。実はウチの大学、僕がいる現代社会学部ができるまで海外出張する教員がほとんどいなくて(ウチの学部は毎月誰かが海外にいる)、海外出張の手続きがすごーーーく時間がかかってめんどくさいのです。二月くらい前に申請しないと、「個人旅行」扱い(つまり事故があっても労災対象外)になってしまうのです。(かといって申請が通っても旅費補助があるわけじゃありません。)今回の会議は12月初めくらいに案内があり、年末年始を挟んだこともあって、完全に期限遅れ。このため、入試担当から外れるための「公式の理由」が作れなくなってしまったわけです。

なにはともあれ、今回の会議は、いろいろ刺激のある経験でした。ブリュッセルで食べた本場「ベルギーワッフル」は超巨大で驚かされましたし、ルーヴェンの居酒屋で飲んだビールも美味しかった~。冬のベルギーは、朝は雨、昼過ぎまで曇り、午後から夜は晴天というめまぐるしい気候ですが、今度は、ゆっくり夏にでも行ってみたいと思っています。今回の会議で知った欧州委員会のプロジェクトについても調査してみたいですしね。その時は、どなたか一緒に行きませんか?

 

 

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