遊星より愛をこめて ~幻の「第12話」をもとめて

投稿者: | 2000年7月10日

遊星より愛をこめて ~幻の「第12話」をもとめて

牧史郎

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●拝啓「科学と社会を”おたく”する土曜講座」様

はじめまして。私はアニメ・特撮研究家の牧史郎といいます(研究家といってもただの「おたく」です)。21世紀を目前に控えた2000年の今日、いまだに「おたく」というだけで忌み嫌われているこの私が、何故この「どよう便り」という硬派な(?)研究雑誌に拙文を載せる羽目になったのか、自分でも不思議であります。それは幸か不幸か、この「土曜講座」という研究会の代表者である上田氏とふとした事から知り合い、氏の「おたく度」に共感したという事が大きかったと思います。

聞けば氏は、科学系の一流大学を卒業され、現在では優秀なフリーランスの研究者だそうですが、それとは別に相当の「音楽おたく」で(特にクラシック系)、そのクラシックに対する異常なマニアぶりは、さすがの私も舌を巻きました。又、これほど膨大な情報を入手して一体何に使おうというのか、と思う程科学系はもとより、内外問わずあらゆる社会問題を含めた「情報収集のおたく」でもありました(でも、その情報網羅力を駆使して、なにやら難しい研究論文を書く事をなりわいとしていらっしゃるのですから、私などに比べたらずっと生産的な「おたく」なのだと思います)。

ともかく、こちらはアニメや特撮の話題、相手は音楽や科学の話題と、全く話が噛み合っていないのに、お互い好きな事をべらべらしゃべり合ったあげく、どこか共感できるものがあったというのは、やはりお互いの「おたく」たる所以でしょうね。

そうこうしているうちに、「あの話を書いてみませんか?」との上田氏からの原稿依頼がありました。「どよう便り」のような雑誌には似つかわしくない内容だと思い断ろうと思いましたが、やはり上田氏から紹介された氏の友人の田代氏(彼も私に負けじ劣らじのアニメ・特撮マニアでした)の勧めもありましたし、「おたく」の上田さんが代表をやっているグループですから…。それによくよく「どよう便り」の何号分かを読ませて頂いた処(正直言って私の頭では良く判らなかったですけど)、どの人もとっても優秀な論客なんだと思うのと同時に、要するにこのグループは「科学と社会を”おたく”する土曜講座」だ、と思ったら少し気が楽になって「あの話」を書いてみることにしました。

私は科学の事などまるで判らないし、社会問題や市民運動といった事にも全く縁の無い人間ですので、一人の「おたくのつぶやき」として、お話をさせて頂くことにします。

●来たぞ我等の「ウルトラマン世代」

今回のお話は、前回の予告でもお知らせしたように、「ウルトラマン」や「怪獣」にまつわる「あるお話」です。

所謂我々アニメ・特撮おたくの話題にのぼるヒーローやキャラクターは様々で、世代によってもかなり違いますが、我々の世代はおたくでなくても「ウルトラマン世代」と呼ばれることがある位(個人的には1958、9 年~1965、6 年生まれ位の世代だと思っています)、その手の話をすれば必ずといっていい程ウルトラマンあるいはウルトラ怪獣の名が出てきます。シリーズの全ての怪獣の名前はもちろん、身長、体重、必殺技、放映日、各エピソードの監督、脚本、特技監督名などまで言える人。更につわ者になると、その怪獣のシルエットを見ただけで名前が判ったり、目を閉じて怪獣のミニ人形を手で触って名前を当てると2
いうマニアまで存在します(先日、「TVチャンピオン」という番組の怪獣マニア・クイズで、そのような「つわ者」達の戦いぶりを拝見いたしました)。「ウルトラ」はそれだけ恐ろしく影響力のあるシリーズと言えるのでしょう。

実際「ウルトラマン世代」でそれらの影響を受けたのは、個人のみならず著名人にも多く、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の監督・庵野秀明氏(1960年生/氏は「帰ってきたウルトラマン」という8㎜映画を作り、自ら素顔でウルトラマンを演じた)やプロレスラーの前田日明氏(1958年生/ウルトラマンを倒したゼットンに復讐するという思いが、格闘技への道を開かせた)、俳優の京本政樹氏(1959年生/ヒーロー研究家としても有名で、美大出の彼はウルトラマンの変身用の小道具の複製を自前で制作したり、最近では初代仮面ライダー(近年“せがた三四郎”で再ブレイクした藤岡弘演じる)のサイクロン号を、8年の歳月と500万円の経費を掛けて完全に復元させた)など数知れません。

最初のウルトラシリーズである「ウルトラQ」(1966年放映)から数えると今年は34年目。途中の中断はあっても、30年以上支持され続けているシリーズは、「サザエさん」と「水戸黄門」(いずれも1969年スタート)、そしてこの「ウルトラマン」くらいなものでしょう(「仮面ライダー」(1971年スタート)も、TVシリーズとしては今年20年ぶりに「仮面ライダークウガ」としてリメイクされたので、通算すると来年で30周年ということになります)。最近ではビデオによる旧作の普及や、1980年放映の「ウルトラマン80」以来15年ぶりに復活したTVシリーズ(外国製ウルトラマン「ウルトラマングレート」(1990年オーストラリア制作)、「ウルトラマンパワード」(1992年アメリカ制作)は除く)、平成ウルトラマン三部作(ウルトラマンティガ、ウルトラマンダイナ、ウルトラマンガイアと続く)の放送、そして世代交代も進み、それらを親子二代で楽しむという時代に入り、世代を越えて支持されるヒーローとなっています。

●我が愛しの「ウルトラ怪獣」

古今東西、ありとあらゆるドラマは、主人公以上に周りの脇役、あるいは悪役が魅力的に描かれている時に厚みを増すと言われますが、「ウルトラ」の人気も同じことが言えます。ウルトラマンやセブン、エース、タロウ、レオ、ゾフィ、80、ティガ、ダイナ、ガイアなどヒーローの魅力以上に「怪獣」の魅力が重要なわけです。私自身もそうでしたが、子どもにとって未知なる恐怖、力の象徴である「怪獣」の魅力は底知れぬものがあると思います。アメリカでは1930年代の「キングコング」から、1990年代の「ジェラシック・パーク」まで、怪獣映画はほとんどヒットを飛ばしてきましたが、やはり子どもの集客数が多く、怪獣の人気が高いのは万国共通なのでしょう。

言うまでもなく「ウルトラ」には多数の怪獣が登場します。この「ウルトラ怪獣」の中でも、特に人気のある怪獣、あるいは宇宙人が集中しているのは最初の3作品、つまり「ウルトラQ」(1966.1~7 放映)「ウルトラマン」(1966.7~1967.4放映)「ウルトラセブン」(1967.10 ~1968.9放映)という事が言えます。理由はいろいろ考えられますが、まずこの3作品は、本放送時の視聴率が他のシリーズに比べて極めて高かった事。いずれも平均視聴率30%台、「ウルトラマン」などは40%を越えていた事もありました。そして3作品とも日曜日の午後7時というゴールデンタイムの放送という時間帯も良かったのでしょうし、1966年当時、民放局としては日本最大のネットワーク数を誇る(約30局ネット)TBSによる全国放送というのも大きかったと思います。視聴率1%に占める人口の割合が百万人と言われていますが、ゴールデンタイムによる全国同時放送だった「ウルトラ」は、ほとんど日本中の子どもたちの大半が、地域差もなく同じ時間帯で、毎週毎週それこそTVの宗教番組の福音の如く送られて来る怪獣達の洗礼を受けていたと言っても過言ではないでしょう。

次に再放送の回数の多い事。最近はビデオソフトでほとんどのウルトラ作品が好きな時に観れるようになりましたが、それまではTVの再放送を待つ以外、再度観る方法がなかったわけです。それでも東京地区に限っては、1年に1回とか2年に1回とかの割合で再放送されていましたので、地方も含めると一体どれだけの回数の再放送がなされていたか、調べようもない程です。

あとはヒーローや怪獣、宇宙人のデザインがビジュアル的に個性的で、シャープで洗練されていた事。その後のウルトラ怪獣のデザインの基本となるものが、この3作品で既に確立されてしまったような感すらあります。勿論この初期の3作品の後に続く「帰ってきたウルトラマン」(1971.4~1972.3放映)「ウルトラマンA」(1972.4~1973.3放映)「ウルトラマンタロウ」(1973.4~1974.3放映)「ウルトラマンレオ」(1974.4~1975.3放映)「ウルトラマン80」(1980.4~1981.3放映)、そしてここ数年の「ティガ」(1996.9~1997.8放映)「ダイナ」 (1997.9~1998.8)「ガイア」(1998.9~1999.8放映)などに登場する怪獣や宇宙人もそれぞれに魅力あるものも多いのですけど、やはり最初の3作品に登場するバルタン星人、レッドキング、カネゴン、ダダ、ピグモン、ゼットン、エレキング、ケムール人、メフィラス星人等(前回の予告用チラシ参照)の圧倒的な個性、インパクトには及ばないような気がします。

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