写図表あり
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精神障害の深層--それは環境とどう関連するか
チャールズ・W・シュミット(『環境健康展望』2007年8月)
Environmental Connections: A Deeper Look into Mental Illness
Charles W. Schmidt
Environmental Health Perspectives Volume 115, Number 8, August 2007
(翻訳:上田昌文+杉野実)
多数の患者を入院させ、障害による生産性の巨額の損失をもたらし、自殺のリスクをおおいに高めている精神障害は、社会が直面するもっとも重大な脅威のひとつである。この潜在的にリスクな状態は、遺伝と環境の複合によって生じることが、科学者には以前からわかっていた。遺伝学的研究は、精神障害の複雑な生物学的基礎をあきらかにし、特定遺伝子が特定個人に、鬱病や統合失調症になりやすい傾向をもたらしていることを示した。
いまでは疫学と分子生物学が手をたずさえるようになったおかげで、精神障害の原因論における環境の役割はより明確になった。精神科治療の改善をすすめる非営利団体「治療助言センター」の会長E・フラー・トリー氏などは、精神障害は環境保健の領域にはいりつつあるといっているくらいである。氏はまた、その領域から治療法のあらたな進歩がすぐにあらわれるであろうともいう。
「20世紀医学のもっとも偉大な進歩は、伝染病の特定とワクチンによるその予防、衛生設備と栄養の改善、そして環境汚染のリスク削減によって達成されました」と、コロンビア大学医学センターの臨床精神医学・疫学準教授アラン・ブラウン氏はいう。「(精神障害の)環境的リスク要因が確認されれば、そのリスクと発症率を低下させる予防的措置がわかるであろうと、期待していいのです。」
■遺伝子以外のすべて
精神障害の領域で科学者が定義する「環境」の範囲はひろく、ときには遺伝子以外のすべてのものを含むとさえいわれるほどである。病原体や汚染物質など、個人に影響をおよぼす物理的な外部要因を環境的脅威としてきた、伝統的な環境保健のとらえ方では収まりがつかない。精神衛生への環境的脅威には、そういう伝統的な要因や、医薬品・違法薬物や栄養失調のほか、個人の身体的・社会的知覚に影響する心理的条件までが、含まれることになる。
あらゆる状況、たとえば性的虐待や犯罪被害、対人関係の破綻などが、心理的ストレスをうみだしうる。専門家らは、そういう状況が喪失やリスクの感情などのより原初的な反応をひきおこし、個人を特定の精神状態にみちびくとみている。「純粋な喪失感は抑鬱障害につながるかもしれないし、純粋なリスク感は不安障害につながるかもしれません」と、ハーバード大学医学部保健政策教授ロナルド・ケスラー氏は説明する。「喪失感とリスク感の両方があれば、鬱と不安が同時に生じるかもしれません。」心理的・生理的ストレス要因は、単独で、あるいは複合して、遺伝的な脆弱性とも相互作用をおこして、脳内の物質を、そして個人の精神衛生を変化させるのかもしれない。
精神病における環境的要因をしめす証拠はいくつもある。一方が統合失調症にかかった一卵性双生児でも、他方がかかるリスク率は50パーセントであり、このことは環境の影響が存在することを示している。鬱病その他の精神障害においても、同様のことが観察されている。
精神障害はあまりにとらえどころがないので、科学者らはずっとその根本原因をとらえようとしていたと、コロンビア大学メイルマン公衆衛生学部の疫学科長エズラ・サッサー氏はいう。はっきりと目にみえる症状がある癌や心臓病とはちがって、精神障害は、個人によってことなる漠然とした行動をうみだす。「精神障害は主に思考・行動・感情で定義されます」と氏はいう。「診断の基礎となる生物学的手段がないのです。」
研究者も臨床医も、1994年にアメリカ精神医学会により発表された『精神障害診断 統計便覧』に記載された行動症状にもとづいて、診断をおこなっている。しかし同書に記載された297の症状には類似するものが多く、患者はしばしば複数の病気を併発しているとみなされるので、リスク要因との関連づけは容易ではない。たとえば統合失調症はよく鬱病を併発する。曝露と発病とをより明確に関連づけられないかぎり、環境要因がいかにして、またなぜ、ある精神状態をひきおこすのかを、決めることはできない。
肥満ストレス
『ネイチャー医学』2007 年7月号掲載のマウス動物実験は、ストレスのくりかえしと高脂肪・高糖分の食餌との組み合わせが、神経ペプチドY(NPY)の放出を促進し、それがさらに腹部脂肪を増強させることを示している。NPYは、食欲刺激因子であり生長因子でもあり、既存の脂肪細胞を拡大するだけでなく、あらたな脂肪細胞や、それを支援する血球の生成をも促進する。一部のマウスは毎日1時間冷水中にたたされ、別のマウスは10 分間攻撃的なアルファ雄にさらされた。ストレスにあっても通常の食餌をとっていたマウスの体重はほとんどかわらなかった。しかし高脂肪・高糖分食をとりながらストレスにあっていたマウスでは、最初の2週間で、通常食マウスの2倍の相当する腹部脂肪の蓄積がみられた。冷水への曝露は、NPYの放出を増加させただけでなく、貧弱な食餌と組み合わされたときには、腹部脂肪におけるNPYの発現を顕著に増加させた。この研究は肥満とメタボリック症候群におけるNPYの役割を最初に示したものである。
■生物学研究を一瞥すると
しかしいまやそれも変わりつつある。2002年8月2日『サイエンス』に発表された将来性のある研究において、ロンドン王立大学とウィスコンシン大学マディソン校の兼任心理学教授であるアブシャロム・カプシ、テリー・モフィット両氏は、遺伝子型と精神障害とが環境を通じて関連するという最初の証拠を提示した。これにより両氏は、精神障害における環境の役割に関する、よりすすんだ研究のための基礎を築いた。両氏が発見したのは、脳内伝達物質の代謝酵素を暗号化するモノアミン酸化酵素A遺伝子に変異のある子供では、治療をあやまれば反社会性人格障害が発症する可能性があるということである。この発見は、環境リスク要因が精神障害を発症させる可能性に対して遺伝子型が影響することを示しているだけでなく、あやまった治療をやめることによって、一部の子供に暴力や犯罪をおこさせる生物学的経路に介入することができるかもしれないことをも示している。
脳細胞の細胞間伝達に関与するセロトニン運搬遺伝子が変異している若者は、失業や失恋など感情的ストレス状況により重度の鬱病にかかりやすい、ということを翌2003年7月18日の『サイエンス』掲載論文は示した。皮肉なことには、すでに世界中で数百万人の患者が抑鬱・不安その他の感情障害のために、セロトニン代謝に作用する薬剤を処方されているが、その代謝の機構はまだよくわかっていないのである。カプシ、モフィット両氏の発見は、今日なお研究されているその機構にせまるてがかりを与えるものである。だが両氏の研究も、遺伝子変異に対応して脳機能がどう変化するのかは示していない。
その欠陥をうめたのは、機能磁気共鳴画像をもちいて、遺伝子が変異している個人においては、恐怖をおこす脳の部分である扁桃体に活動過多がみられることを示した、国立精神衛生研究所部長ダニエル・ワインバーガー氏の研究である。その変異を持った人々は世界を脅威に満ちたものとみやすい、と氏は言う。だから、生活のなかでの日常的なストレスが、鬱病をおこすところにまで増幅されるのであろう、というのである。
スタンフォード大学医学部の精神医学教授ダグラス・レビンソン氏は、セロトニン運搬遺伝子の変異とその鬱病における役割に関する、増加しつつある諸文献を、「精神障害に関する遺伝・環境研究からあらわれた、最初の本当におもしろいストーリーだ」と表現する。だが氏は、そういう発見がさらなる検証に耐えるものになるかどうかは、まだわからないともつけ加える。それどころか、「そういう相互作用は、われわれの現在の知識から想像されるのよりも、もっと複雑なのかもしれません。」
実際に、セロトニン運搬遺伝子以外のおおくの遺伝子が、鬱病と関係づけられている。たとえば『アメリカ精神科学雑誌』2007年2月号でレビンソン氏は、15q染色体上に位置する遺伝子群が、セロトニンとは無関係な経路を通じて、鬱病に関連するのではないかと報告した。おそらく複数の外部因子が、複数の遺伝子と相互作用をして、それぞれ部分的ないし全体的な寄与をなしているのであろうことが、最終分析では示されたと氏は言う。それだけでなく、ある種の環境的曝露は、個人の遺伝的資質とは無関係に精神障害を惹起できるほど、充分に強力であろうともいう。
スタンフォード大学医学部精神医学準教授ビクター・キャリオン氏は、おそろしい経験のあとで無気力をもたらす心的外傷後ストレス障害(PTSD)についても、以上のことがあてはまるのではないかとみている。「ほとんどの種類の心的外傷において、経験者の30から50パーセントがPTSDを発症し...そしてこのことは、遺伝的脆弱性も関係していることを示しています」と氏は認める。「しかし誘拐・拷問・性的虐待のような深刻な心的外傷になると、発症率は100パーセント近くにあがります。このことは、(心的外傷の)深刻さによっては、環境要因が発症率を倍増させることを示しています。」
キャリオン氏は『小児科学』2007年3月号で、PTSDは、ステロイドホルモンの一種コルチソルの脳への過剰な集中に、関連しているかもしれないと示唆した。コルチソルはストレス下で自然に放出されるが、高ストレス下で生成される水準のコルチソルは、記憶・感情に関与する海馬を含む神経組織を破壊する。PTSDに罹患した子供において海馬が縮小しているのは、コルチソルによる細胞死のせいではないかと、氏は主張している。PTDSは脳を敏感にして、外傷的事件の記憶をいきいきとおもいださせるが、そういうことの生物学的基礎も明かになるのではないかと氏は言う。
遺伝的な内気
メリーランド大学の研究者らは『心理科学』2005年12月号に、セロトニン運搬遺伝子に特定の変異がみられる子供は、母親が低度の社会的支援しか受けていないときには内気になりやすいと発表した。しかし母親が充分な社会的支援を受けていれば、この変異をもつ子供が内気になる可能性がますリスクはまったくない。形態的に短くなっているその種の遺伝子により生成される蛋白質は、ある種のストレス(不安など)への感受性を強めることが知られている。『心理科学の動向』2007年7月号に掲載された追跡調査は、生まれつき内気な子供の母親が、子供に対して充分に養育的ではないために、子供の不安や内気をさらに増しているかもしれないと報告している。
アレルギーと笑い
『心療内科学研究』2007年6月号に発表された研究によると、母親が笑えば、その母乳中にはメラトニンが増え、育てている乳児のアレルギー反応が緩和されるという。笑いは、血中の天然キラー細胞を活性化させ、唾液中の遊離基を増加させ、そしてアトピー湿疹の患者において、アレルギー的なみみず腫れ(もりあがった、痒いできもの)反応を軽減させることが知られている。この研究では、天然ゴムとイエダニに軽微なアレルギーをもつ48人の乳児を対象とした。母親の半分はアトピー患者であった。母親がチャプリンの映画をみたときには、母乳中のメラトニン濃度が、その8時間後まで、天気予報をみていた母親に比べて相当に上昇していた。皮膚をつつく検査をしたところ、メラトニンが豊富な母乳を飲んだ乳児では、みみず腫れ反応が軽減されていた。
■重要な事例:統合失調症
精神障害への環境的寄与のなかでも、幻覚・妄想・偏執をもたらし、アメリカでの青少年の自殺の半分近くの原因になっている統合失調症ほど、理解しにくいものはない。遺伝的要因はリスクをおおいに高める。近親に投合失調症の患者がいれば、自分もそれに罹患するリスクは、おおまかにいって10倍高くなる。
だが環境的脅威もその役割をはたしている。統合失調症を環境的要因に関連づけるもっとも説得力のある証拠のなかには、出生時の状況に関するものが含まれる。たとえば都市での出生が統合失調症に関連していることは、はやくも1930年代に、シカゴ市中心部で生まれた子供の発症率が高いことを示した古典的な研究のなかで、ファリスとダンハムにより報告されている。同様の発見は多くの国で何度もくりかえされており、そういう調査をしている研究者らは、都市での出生は統合失調症のリスクをざっと50パーセント上昇させるとみている。その他のリスク要因は大きく変動するが、そのなかには出生時期が冬と春であること、妊娠中の母親の心理的ストレス、妊娠合併症が含まれる。
ブラウン氏が示唆するところによれば、これらの要因の少なくとも一部に共通するのは病原体への曝露の増加であり、それというのも、そういう暴露は都心では多いであろうし、人々が病気になりやすい寒中にも多いであろうからである。風疹・トキソプラズマ・インフルエンザなど、微生物への感染と統合失調症とを関連づけた研究もある。『一般精神医学資料』2004年8月号に掲載されたブラウン・サッサー両氏らの研究は、子宮内でのインフルエンザへの感染が統合失調症のリスクを増加させることを示している。ブラウン氏はまた、子供が統合失調症になった母親の血漿中ではインターロイキン8などの炎症性サイトカインの濃度が高くなっていることもまた、関与しているかもしれないと示唆している。
「統合失調症におけるサイトカインの乱れが、感染とどう関連しているのかを、いま調べています」と氏は言う。
一方サッサー氏は、統合失調症が妊娠中の母体の飢餓により惹起されるかもしれないという、もうひとつの興味深い可能性にも焦点をあてている。『アメリカ医学会雑誌』2006年8月2日号掲載の研究は、ナチスの封鎖による第二時世界大戦中の西オランダでの飢餓と、1959年から61年にかけて毛沢東の破滅的な「大躍進」政策による中国での飢餓という、二つの歴史的事件にさらされた集団をとりあげたものである。両集団からの証拠は、母体の飢餓は統合失調症のリスクを倍増させることを示している。
サッサー氏はいま、ワシントン大学医学・遺伝学教授メリー・クレア・キング氏とともに、栄養失調が、脳の正常な発達に必要な遺伝子の、後天的な無力化ないしエピジェネティックな変化を起こすかどうかを研究している。ひとつの可能性は、飢餓などのときにおこる葉酸の不足が、デオキシリボ核酸の修復を阻害するか、あるいはそのメチル化を変更するかすることである。両氏は、アベルディン大学のデビッド・シンクレア氏や、交通大学の何琳氏らともくんで、このメカニズムないしはありうる他のメカニズムを調査する、中国での新たな研究を始めようとしている。
統合失調症の原因としてはすでに排除された、重要な潜在的環境要因がひとつある。たとえば母親が言葉では子供への愛を言うが、実際には嫌悪のうちに背をむける、などというように、「二重束縛(ダブルバインド)」に子供をさらしたりする家族機能の不全が主要なリスク要因であると、科学者らは考えてきた。だがこうした家族機能の不全は強調されなくなってきていて、アールス大学基礎精神医学研究所の精神疫学者プレベン・ボー・モーテンセン氏によると、最近の証拠は、「家族機能不全」は病気を悪化させはするものの、病気の原因となることはおそらくないことを示しているという。
親の抑鬱と保健費用
『小児科学』2007年4月号掲載の論文は、少なくとも一方の親に鬱病がみられる子供は、高額の保健サービスを利用する可能性が高いことを示した、今日まででもっとも大規模な研究である。研究者らは、7万人近くの、生後3か月であった子供の保健サービス利用のありかたを、17年にわたって観察した。鬱病のある親から生まれた10代の少年少女は、健康診断の利用が5パーセント少なかったものの、救急救命室や、精神科・眼科・整形外科・脳血管外科・皮膚科・アレルギー科などの、専門診療科をたずねることが多かった。親に鬱病のある乳児では、そうでない乳児に比べて、病時外来の利用は14パーセント多く、救急救命室の利用は18パーセント多かった。親の鬱病をもっと診療すれば、救急救命室やその他の高額な保健サービスの利用が減ったであろうし、児童検診時に母親を検診することが有益であることは、すでに証明されている。
酵素と自閉症
『小児思春期医学資料』2007年4月号掲載の研究は、子供の自閉症発病と、母親における酵素グルタチオンS転写酵素の遺伝的多型とのあいだに、正の相関関係がみられることを示した。この種の酵素は、過酸化脂質など内因性化合物の無毒化や、非生分解性物質の代謝に関与している。研究者らは、自閉症スペクトラム障害の発病例をもつ49家族の成員137名について、グルタチオン遺伝的多型の頻度を測定した。自閉症の子供がいる母親では、グルタチオンS転写酵素P1*Aハプロタイプ染色体をもつ可能性が2.7倍も高かった。この結果は、ハプロタイプ染色体が「母親の妊娠中に、胎児における自閉症遺伝的多型に寄与するかもしれない」ことを示唆している。
■予防の機会
統合失調症に関する最近の発見は、これまで難しいとされてきたその予防への期待をもたせていると、サッサー氏はいう。「それはおおきな夢です。もし葉酸の補充がリスクを下げることがわかれば、それは公衆衛生に重要な意義をもちます。特定の(毒物や)病原体への曝露を減らすことで、発病を防げるというばあいも同様です。そういう経路の働き方を特定できるのなら、わくわくする可能性がいくつもあるのです。」
だが環境的介入が有用であるのは、一次的段階においてだけではない。精神障害の初期段階で環境的脅威を除去する二次的介入も、ときには既存障害の進行を逆転させうることを、科学者らは示している。
メイン医学センターの臨床研究医ウィリアム・マクファーレン氏は、軽度の幻覚や集中困難など、精神病の初期症状を示す若者を診察している。そういう人々は治療されなければ、極端な妄想や偏執に特徴づけられる、完全な統合失調症に移行しうる。しかし氏の患者らは、集中的な個人・家族カウンセリング療法と学校・職場での広範な支援、および低用量の抗精神病薬を併用して、精神の不安定性をたかめるストレス要因を、特定し制御することを学んでいる。彼らは病気への脆弱性を克服して、正常な生活を送れるようになるであろうと氏は言う。
マクファーレン氏の療法により、脆弱性をもつ患者が統合失調症を発病するリスクを半減させることができることを、未発表の予備的データが示している。氏の統合失調症予防計画はメイン州ポートランドで2000年以降実施されているが、全米の4拠点を新たに加えることを目的として、この事業は2007年4月に、ロバート・ウッド・ジョンソン財団より1240万ドルを寄贈された。
同様にカリフォルニア大学ロサンゼルス校心理学教授シェリー・E・テイラー氏も、積極的で低ストレスの家庭環境が、セロトニン運搬遺伝子に変異をもつ子供の鬱病のリスクを下げることを発見している。より具体的にいえば『生物学的精神医学』2006年10月1日号掲載の氏の研究は、遺伝子変異が子供に対してもつ影響が、対立と怒りに特徴づけられる冷淡で非協力的な家庭環境により増幅されうるのに対して、温和で養育的な環境によっては緩和されうることを示した。
興味深いことに、環境に立脚した精神障害への介入は、精神医学をもはるかにこえる保健上の利益をもたらしうる。諸研究は一貫して、多数の他の健康問題のリスクを高めることを示している。たとえば『一般精神医学資料』2007年2月号で、インディアナ大学・パーデュー大学心理学准教授ジェス・スチュワート氏は、鬱病が、おそらく血栓の生長を促進することによって、心臓病のリスクを高めると報告している。もうひとつの最近の研究は、反社会性人格障害の患者などにみられる、子供に対する過度の怒りと敵意を、肺機能障害に関連づけている。スミス大学のベニータ・ジャクソン氏らによるこの研究は『保健心理学』2007年5月号に掲載された。
アルコール中毒と脳の大きさ
おそらく加齢とともにエタノールが脳を過度に縮小させるため、アルコール中毒患者はそうでないものよりも脳が小さくなりがちである。『生物学的精神医学』電子版で2007
年2月15日に発表された研究によると、アルコール中毒患者の脳の大きさは、その親の飲酒にも、本人の依存が始まる前からさえ影響を受けるという。研究者らは、アルコール中毒で治療を受けた人々に対して、磁気共鳴画像を用いて、生涯で最大になる脳の容量をしめす頭蓋骨内容量(ICV)を計測した。親もアルコール中毒である成人アルコール中毒患者のICVは、そうでない成人アルコール中毒患者に比べて平均して4パーセントも小さかった。前者においては知能指数もまた、後者に比べて平均6点近くも低かった。この研究では女性のICVは、父親の飲酒よりも母親の飲酒により多く影響されているようにみえたが、そういう効果は男性ではみられなかった。アルコール中毒患者の子供においてアルコール中毒のリスクが大きくなることは、脳の発育低減に関連する、遺伝的ないし環境的影響、またはその両者に起因するのではないかと、著者らは示唆している。
■精神障害は趨勢はわからない?
精神衛生の環境論的研究が進歩しているとしても解決されていない問題がひとつある。精神障害は増えているのであろうか。それはわからないと専門家もいう。各国で精神衛生データが収集される方法はまちまちなので、国際趨勢比較はほとんど不可能であると、ケスラー氏はいう。「データによればナイジェリアに精神病者はほとんどいませんが、ナイジェリアで精神病のことを語る人がほとんどいないとすれば、そういう情報をどうやって確認すればいいのでしょうか」と氏は問う。「日本についても同様です。記録されている精神病の率は非常に低いのに、自殺率は非常に高いのです。だから、データに入ってこない何事かが、起こっていると言わざるをえません。」
アメリカでの趨勢をとらえることでさえ、精神障害に対する態度が時代によって違うので容易ではなかった。ケスラー氏はいま、1950年代以降アメリカ人が、感情調査にどのように反応してきたかを調べている。鬱病はおおいに増加するだろうと氏は予想している。世界保健機構も同意見であって、鬱病は2020年までに、あらゆる年齢層の男女において、障害期間調整後の生存年数でみれば、世界で二番めに被害が大きい病気になると予測している。過去には鬱病のような状態は重大な烙印と意識されていたので、鬱病とみなされた患者の数の増加速度は、いかなる程度であれ、人々が自分の気分についてすすんではなすようになったことを示すものにすぎないであろう、とケスラー氏はつけ加える。
精神障害の発病率のデータはアメリカにもほとんど存在しないとトリー氏はいう。連邦司法統計局の2007年の数字によると、3分の1が精神障害といわれる浮浪者や、半分が精神障害といわれる受刑者が増えているが、それがもっともはっきりした精神衛生問題の激化の兆候であるとも氏は言う。
氏によると最善の発病率データは北欧諸国にあり、そこでは、市民に関する個人情報を記録する全国データベースに接続された、詳細な精神医療の受診記録を研究者が保管していると、トリー氏はいう。この種の体系のもっとも包括的なものはデンマークにある。だがそのデンマークでさえ、データはなんら決定的な傾向を示していないとモーテンセン氏はいう。「たとえば統合失調症をみると、1990年代初めまでは減少しているようにみえ、それからまた増えて、その後は変わっていないようにみえます。でもこうした変化はむしろ、診断の道具に関係するものだと思います。」すなわち診断の増加は、実際の発病の増加よりも、診断基準の変化を反映しているというのだ。
結局のところ、精神障害の生物学的研究のもっとも積極的な成果は、恥辱の烙印がとりのぞかれたことであろう。レビンソン氏によると、精神障害者は歴史を通じて医療の脇に追いやられてきて、もっとも不運なものは施設に収容され、またあるものは一般社会で生きようと闘ってきた。そして病気がなんら明確な生物学的問題とは関連づけられなかったため、病気になったのは患者が悪いのだとしばしば非難されてきた。
しかしいまでは、とりわけ、たとえば脳の構造変化のような、精神障害の生理学的指標が現れ始めたので、そのような烙印は消えつつある。精神障害が生物学的現象として認識されるにつれて、適切な治療に向けて、そして同様に重要なこととして、多くの人が発病することで生じるコストを低減させるべく環境を改善することに向けて、しっかり努力していこうという機運が高まるだろうと望みたい。■