プロジェクト報告◆科学技術総合学習プロジェクト② ワークショップ「二十一世紀の預言」

投稿者: | 2002年4月18日

プロジェクト報告◆科学技術総合学習プロジェクト②
ワークショップ「二十一世紀の預言」
科学技術総合学習プロジェクト 小林一朗
doyou52_kobayashi.pdf
総合学習プロジェクトでは小中学校の「総合的な学習」で、科学技術について参加型・体験型で学ぶことのできる授業を実施することを目的に活動してきた。機会ある毎に積極的に先生方と会い、科学技術について学ぶ意義について説明し、また私たちが授業作りのおいてどのような手伝いができるか紹介してきた。何か新しいことにチャレンジする時よくあるように、もう一歩のところまで進むものの、予想した以上に学校の現場に入りこむことは難しいかった。実際には先生方は総合学習の授業づくりのサポートを欲しているのだが、現在膨大な申し出が殺到しているようで、いったい誰と付き合えばよいのか選びかねているようである。ビジネスチャンスとして総合学習を捉える業者もあるので、普通に宣伝しただけでは膨大なダイレクトメールの山に私たちのプロジェクトも埋もれてしまう。
総合学習の場で授業を行うことは実現していないのだが、元々当プロジェクトは総合学習に限らずに外部での出張授業を行うことを考えていたので、オファーに応じて授業やワークショップ(以降、WSと略す)を行っている。今回は当プロジェクトメンバーで作成し、これまでに5回行っている「二十一世紀の預言」を紹介したい。なお、このワークショップは土曜講座他のみなさんのアドバイス、協力により出来上がったことへのお礼をはじめに申し上げておきたい。
1901年の1月2日と3日の報知新聞に「二十世紀の預言」と題された未来予測が掲載された。マルコーニの無線通信の開発、エジソンによる白熱電球の発見など科学技術の成果が世界を灯し始めた丁度その時代だ。「預言」からは当時の人々が科学技術に対し、どのような期待をもっていたのかを感じることができる。記事にはその後100年の間に実現すると予測した数々のテーマが挙げられていた。「預言」のいくつかを下記に挙げる。
・自動車の世(自動車が安く誰でも買えるようになり、軍用も自動車か自転車になり、馬はペットになる)
・7日間世界一周(世界一周が7日間でできるようになり、誰もが普通に海外旅行をするようになる)
「預言」の正確さ、いや予測を大きく超えた実現に驚く。その一方、次のような的外れな「預言」もある。
・幼稚園の廃止(遺伝で知識が伝わるようになり、幼児教育が無くなる)
・暴風を防ぐ(気象の進歩で一ヶ月前に異変を予測しあらかじめ雨を降らせて被害が無くせるようになり、地震だけはのこるが建物や道路の被害はなくせる)
今から見れば馬鹿げた過信をしたものだ、と思うかも知れないが、ここでは個々の予測を批判することよりも、時間が経過したことで分かったことを大切にしたい。予測の正確さを云々するのもいいが、むしろ「預言」の背景に当時どのような社会環境があったのか、その環境は人々どのような期待を抱かせたのか、その結果はどうなったか、など一連の流れを理解し、当時の感覚を推し量りながら、功罪合わせた知見を現代に活かすことが重要なのだと思う。
さて、WS「二十一世紀の預言」とは一言でいえば100年前の「二十世紀の預言」の現代版をやってみようというものである。人々は自分が生きている時代に権威的な考え方を無意識に受け入れてしまう。科学技術も権威のひとつだ。100年後をそれぞれが予想してみることで、個々の発想の背景にどのような常識、社会環境があるのか自ら触れてみる。そうは言っても自分の常識に内在する課題に気づくことは困難なので、サポートするツールとして「二十世紀の預言」を使おうというものなのである。WSという手法を使うことで、半ば遊びながら自分の考え方がどのような傾向をもっているのか認識することが狙いだ。
WSのプログラムは具体的には次のような流れになっている。
1. 「二十一世紀の預言」づくり
「二十世紀の預言」に倣い、21世紀中に実現できそうなことや起こりそうなことを予想し、発表する。(5人から7人のグループで実施)
2. 100年前の「預言」と現在との比較
100年前の予想例「二十世紀の預言」を読み、個々を達成度順などに分類し、それぞれの特徴についてディスカッションする。
3. 映像を見る
NHKで放送された「世紀を越えて」のプロローグを編集したものを見る。100年間の様々な出来事、特に科学技術、産業、戦争、環境問題についての映像が豊富な映像である。この映像を見ることで「預言」された時代の変遷が具体的に、ビジュアルで理解できる。映像は直感的な理解することのサポートとなるのである。
4. 「二十一世紀の預言」を分類、評価する
ディスカッションしながら個々の予想を分類する。例えば、達成できそうかどうか、達成することが好ましいかどうか、など。
以上を2時間半くらいの時間で行う。
WSは詰め込み型の学習と異なり、成果は参加者一人ひとり、それぞれ違ったものになる。科学技術についての知識の差が予想の違いとして反映される。ここでは予想の正確さや多様さを競うものではなく、自分が出した予想を通じ、自分の考え方の癖や社会的な常識が抱えている問題、科学技術の普遍的性質について自分なりの理解が深まれば目的は達成している。受験テクニックの詰め込みとは異なる体系の学び方だ。出来のよいWSは時間を忘れてしまうほど楽しいものだが、ただ楽しいだけでは不十分だ。WSではその人が持っている知識から得られる以上のものは得られない。補完するためには知識が重要である。楽しいWSによって「もっと知りたい!」と学ぶことに積極的になれれば理想的だろう。
「二十一世紀の預言」は、WSのフォローとしてレクチャーを加えている。質疑応答しながら100年前の当時の様々な発見や情勢について説明したり、国や企業、大学の研究者からの未来予測アンケート結果を紹介している。このアンケートはそれなりにしっかりと取られているのだが、その内容には驚いてしまうものもある。ひどい例ではバイオテクノロジーで人間を小型化し、食べる量を減らすことで食糧危機に対応しようとか、地雷のみを分解するバクテリアを開発しようとか、脳機能の研究により犯罪を防止するとか。WSをやってみると科学技術の問題にさほど詳しくない人でも、実現できないもの、実現によって次の問題を生んでしまうものをそれなりには理解することができるのだが、専門家は堂々と二十世紀の初頭の考えを踏襲していることが驚きである。すべてがこのような予測ばかりではないものの、アンケートに答えた人たちは今後の科学技術政策に影響力のある人たちなのだから困ってしまう。地雷除去バクテリアの開発に国費が投じられるようになってしまっては目も当てられない。やることは他にあるはずだと思うのだが。
WSは受ける側はもちろんファシリテーターもなかなか楽しい。今まで工学系の大学、土曜講座のメンバー、環境教育NPOなどでやってきたが、それぞれ特徴があった。私自身がアウトサイダー的な考えを持つようになったから余計に感じるのかも知れないのだが、知識のある人ほど発想が固い。いつの間にか常識という枠組みにはまってしまうような印象を受ける。下手に知識がない方が柔軟な発想をするように感じるのは気のせいだろうか。
WS作成者が思ってもいなかった考え方が参加者によって提示されることもある。そういったリアクションがWSの面白いところだ。総合学習の場でもっとWS的な手法が取り入れられれば先生の、大人の予測を子どもたちの発想が凌駕することもあると思うのだが。アンチ総合学習の先生は、こうした学び方の面白さを知らなかったり、認められなかったりで却って可愛そうである。もっと自由になってよいのに。
これからも機会があれば「二十一世紀の預言」を行いたい。できれば次の発展形のプログラムを作ってみたいと考えている。科学技術が作り出す利益と被害の偏りや思想面について触れるようなWSを。しかし、いかんいかん、また総合学習から離れてしまうような気が……■

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