◆図書・文献紹介◆求む!原稿

投稿者: | 2003年4月19日

◆図書・文献紹介◆求む!原稿
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●田中 登編著『小松茂美 人と学問-古筆学六十年』(思文閣出版、2002 年)
2002年11月26日夕刻、突然、日本の古筆学の創始者・小松茂美氏から上記の本が送られてきた。小松氏については人伝には聞いていたがよく知らなかった。その晩、本書を一気に読み始めた。というよりも吸い取られるように読み込んでいた。一通り読み終えたら明け方であった。
とにかく驚いたの一言である。翌日から数日は完全に体調を崩し仕事にならなかった。なにに驚いたのかというと、小松氏の学問精神にである。私には古筆学なるものを解説する資格も教養もないが、小松氏が青年時代から古筆学なるものに虜になり独学しつつ、古筆学なる学問がまだ成立していない段階からその道の先人に執拗に食い下がり質問責めと人間的交流を深めながら、小松氏独自の古筆学を作り上げるまでの人生を描いている。決してアカデミズムの人間には成就できない偉業であると、編者は絶賛している。
本書は第三部構成で、第一部「小松古筆学 六十年の奇蹟」、第二部「小松茂美 人と学問」、第三部「小松茂美履歴・研究業績」である。第一部で編者の田中氏は、古筆学の成立過程を冷静に解説しつつ、青年時代から現在まで小松氏が爆発的な情熱を傾けてきた様子を描いている。学問としての古筆学の成立は小松氏の研究過程そのものであることが知れる。小松氏もそれを十分に認識されており、今後は後進のために「古筆学方法論」の執筆を準備されている。第二部は、小松氏の膨大な著作の一つひとつが刊行されるたびに、メディアに掲載された多数の書評家の作品論である。どれをとっても「驚くべき作品」であると絶賛する。第三部は文字通り古筆学成立過程を如実に示す小松氏の膨大な研究業績のオンパレードである。
私が興味を引くのは、小松氏がこの世界に入ることになったそもそもの動機である。広島の厳島神社に奉納された「平家納経」に魅せられたことに始まる。編著者の田中氏は、小松氏が古筆学の学問を確立したことは、「それはまことに不思議な、いわば現代の奇跡ともいうべき事柄」であり、「こうした偉業がなるまでの、それこそ壮絶としかいいようのない、小松茂美の人生ドラマ」があったと述べている。
これを読むと一本の道を脇目も振らずまっしぐらに走り続けてきた小松氏の学問人生の努力と感性はまさに天才の名に値する。その偉業は『小松茂美著作集』全33巻(旺文社、1995年11月~ 2001年3月)で知れる。
これに対して私はどのように答えるべきなのだろうか。いまはただ、大きな衝撃を受けているとだけでしか言いようがない。いつか機会があれば、直接、お目にかかってその学問人生の一端でもお聞きしたいと思っている。■猪野修治
●イグナシオ・ラモス『マルコス ここは世界の片隅なのか-グラーバリゼーションをめぐる対話』(湯川順夫訳、現代企画室、2002年)
著者イグナシオ・ラモスはフランスのル・モンド・ディプロマティーク(Le Monddiplomatiqe)総編集長。マルコスは、訳者・湯川順夫氏の紹介によると、「メキシコ・チアバス州で1994年に武装蜂起した先住民族組織EZLN(サバティスタ民族解放軍)に属する、先住民族出身の副司令官でスポークスマン。メキシコ政府は実在する誰某であると特定しているが、人前では常に覆面をして顔を隠し、その半生の不明の人物」である。また、近々、マルコスの著作『ラカンドンの密林のドン・ドゥリード:サバティスタの寓話』、『サバティスタの夢』が、現代企画室から刊行されるという。
本書は著者のイグナチオがメキシコ南部チアパス州南東部に広がるラカンドン密林にあるEZLNの根拠地にいるマルコス副司令官を訪ねた会見禄(スペイン語)をフランス語訳した『反乱する尊厳』からの日本語訳である。
周知のように、ラテンアメリカには無数の先住民が住む。これらの先住民は自らの文化・習慣・風俗・言語・人権を国家権力によって襲撃・強奪・排除されてきた長い歴史を持っている。これに立ち向かうためには密林の中に先住民の根拠地を作り武装闘争を余儀なくされるのは当然である。先住民の排除と攻撃は国家権力が左翼であろうと右翼であろうと関係なく強行されてきた。先住民排除と攻撃を繰り返してきた前政権が選挙によって敗北した後、新政権についたフォックス大統領に対して、マルコス副司令官をはじめとするサバティスタ民族解放軍が対等な話し合いを要求したのである。そのために、武装蜂起をゆるめ、密林から出てメキシコ現政権の中心都市に大行進をすることを予告しながら、新政権とも真摯な対話を要求する内容である。
ラテンアメリカ民族解放闘争にはうとく関心を向けて来なかった。その理由は彼らの抑圧された政治状況は奥が深く一筋縄では理解できないと思っていたからである。
しかし、訳者の湯川氏に勧められるべく、きちんと読んでみると、マルコスらの政治的民族解放を求める見解は実にわかりやすく当たり前のことを述べていて、その見識に尊敬の念を禁じ得なかったばかりか感動的である。丸い地球になぜ、先住民族だけが隔離され攻撃されるのか、先住民族も混血も白人にも、ともに対等の人権を要求しているのである。
本書に集録された多くの資料は、メキシコ先住民連帯関西グループの翻訳によるが、いずれも先住民族の尊厳をもとめるわかりやすい文章である。まさに、彼らの声明は「反乱する尊厳」に値する内容である。最近は米軍のイラク攻撃が時間の問題となっている。米国一極支配のグロバリゼーションの端的な実例である。
しかし事態はもっと深刻である。本書を読むことで、得体が知れなく世界中をわがものと闊歩するグローバリゼーションなる思想の実体は、先住民族の存在そのものを抹殺することであることをはっきり証明している。■猪野修治
●レオン・トロツキー『バルカン戦争』(清水昭雄訳、湯川順夫解説、柘植書房新社、2002年11月7日、定価6500円+税)全646頁
2度にわたるバルカン戦争(1912-13年)に戦争特派員としてバルカンに赴いたトロツキーは、みずから面会したバルカン諸国の政治家、将校、兵士、負傷者、捕虜たちの口をつうじて、戦争サディズム、戦場の兵士の心理、短期間のうちに殺人鬼と化し堕落、戦争後のコレラの蔓延……。そして、こんにち、なおバルカン問題の根底にある民族問題解決の道筋を語る。(本書の帯より)
アイザック・ドイッチャーが『武装せる預言者・トロツキー』で絶賛した古典的名著である。それは、革命前のロシアの自由主義的急進主義的な新聞に特有な、堂々たるジャーナリズム的スタイルでかかれている。どの論文も、背景となる知識の確実さ、豊富な印象と地方色、描写と分析のすばらしさ、さらに、想像力ゆたかな、溌剌した言葉にすぐれた貴重な論文であった。これらの評論は、いまでもなおいぜんとして1914年以前のバルカンの、非常に貴重な記録である。評論家トロツキーはまた、自分で物を見、ありとあらゆる職業の人間と会見し、読者に真新しい話題を提供することに熱中している。元気溌剌なジャーナリストでもあった。■猪野修治
●ボール・アリエス、クリスチャン・テラス『ジョゼ・ボヴェ-あるフランス農民の反逆』(杉村昌昭訳、柘植書房新社、2002年10月22日、定価1700円+税)全473頁
グローバルに考え、ローカルに行動する。南仏の小都市で建設中のマクドナルド店は、なぜ、どのように、「解体」されたのか? 反グローバリゼーションを象徴する人物。彼はまた、「ただ自らの大義に忠実に生きているだけ」と、語る。たたかうことは喜びである(本書の帯より)。ジョゼ・ボヴェは今年10月来日し全国の労働者から熱烈な歓迎を受ける。遺伝子組み換え作物反対に取り組むフランス農民運動家の世界へのメッセージである。■猪野修治
●高橋敏夫『嫌悪のレッスン』(三一書房、1994)
なんとも息苦しい。少しも解放感というものがなく言葉というものにリアリティを感じることがない。何をしていても閉塞感が、身体の底に沈んでいくようである。このような閉塞感がただよう時代に、批評家、高橋敏夫が、注目する感情が嫌悪という感情である。
高橋によれば、「嫌悪とは「怒り」に重なる部分をもちながら怒りそのものではなく、怒りを包み込み、一層ひろく遍在的な感情」であるという。怒りが瞬間的な感情的であるのに対して嫌悪は怒りよりもさらに持続的で包括的な感情なのである。
今はやりの言葉で言うならば、「持続可能な感情」とでもいおうか。(なお誤解のないようにことわっておきたいが、ここでいう嫌悪という感情は、小林よしのりの「ゴーマニズム」のような感情に連なるものでは決してない。むしろ「ゴーマニズム」に対する嫌悪といった方がよい。)
さて嫌悪という感情に注目していた者には、先駆者がいる。おそらく文学者では、埴谷雄高である。埴谷は、文学作品『死霊』で「自同律の不快」という言葉で世界に対する異様なといってよい異和感について述べていた。それらは文学作品という形で述べられたものだったが、高橋はそれをここで批評にしたのである。
高橋は最初のマニフェストともいえる部分でこう述べている。
「すべてのはじまりに嫌悪がある。われわれの感覚が、思考が、感情が動き始めるのは、それまでの感覚、思考、感情への嫌悪のゆえである。物語が始まるのは、前の物語への嫌悪からである。政治が始動するのは、以前の政治への嫌悪なくしてありえない。そして、、、もまた。すべてのはじまりに嫌悪がある。―1990年代はそれを顕在化する。
「敗北」の時代である1990年代は、嫌悪をそして嫌悪をのみあからさまにする。
いつも「敗北」の時代がそうであったように。
しかし、嫌悪は「敗北」の時代の行き止まりではない。
「敗北」の時代を、秩序への帰順としての「敗北」に清算しないためにこそ、嫌悪はある。昨日と今日を嫌悪し、明日をも嫌悪せざるを得ない人に嫌悪のレッスンによる嫌悪の連帯を。」
最初の「すべてのはじまりに嫌悪がある。」という言葉は、サルトルの「すべての根源に拒否がある。」という言葉をも想起させる言葉である。かつて「怒れる世代」といわれた68年世代のかなりの部分が、学生運動を性急に闘った後、今やこの社会の「責任世代」となり、権威に抵抗する者をシニカルに嘲笑する側にまわるようになっていることを知っている者は、嫌悪という感情の重要性に思い至らないわけにはいかない。繰り返し言おう。嫌悪は怒りよりもねばり強い。
この批評集で取り上げられているのはすべて嫌悪に関係する者たちである。
本書では、世界に対する「不快」を常に表現し続けた中上健次、わずかな仲間への愛情が周囲への嫌悪としてあらわれ暗い輝きを放っていた「嫌悪するミュージシャン」尾崎豊、日常への慣習や常識への絶えざる異和がそのまま作品となっている小川洋子、『ああ播磨灘』で国技である相撲界の常識をことごとく踏み破ってしまう力士を登場させた「嫌悪する漫画家」さだやす圭、嫌悪から発した神経的闘争を闘った文学者、芥川龍之介、そしてその存在そのものが我々の社会秩序にむけられた巨大な嫌悪である怪獣ゴジラなどが言及されている。
高橋は、第一章の「いま、嫌悪とはなにか―90年代の「大きな肯定」への闘争」という節で1945~1967 年までを「敵対的否定から競合的否定への時代」1968~ 1975年までを「自己否定あるいは自己嫌悪の時代」と位置づけている。
高橋は、1945~1955年までを敵対的な否定の時代ととらえる。ここでいう敵対的な否定とは、否定する者と否定される者が、はっきり区別されている否定ということである。
この場合、否定される者や物とは、戦前の天皇制国家であり、それを支えた諸制度、支持者達だったとする。そして1955~1967年は、競合的な否定の時代と位置づけられる。
競合的な否定とは、「近代化」をめぐる体制側と反体制側のつばぜり合いのことを意味している。保守と革新が「近代化」という同じ方向に向かってお互いを否定しあうという時期だったということである。1968~1975年までの「自己否定あるいは自己嫌悪の時代」の「自己否定」とは、いうまでもなく全共闘運動の過程で生まれ、全共闘運動の重要な思想となったものである。
この「自己否定の時代」は嫌悪の時代だったと高橋は言う。
自分を含む世界に対する「嫌だ」「不快だ」「吐き気をもよおす」といった気分が、蔓延しており、この時期、高橋自身「不断の吐き気」を感じていたのだという。
ところが、ポストモダンといわれる1980年代が始まると時代の気分が大きく変化し始めたことを1980年前後の「不思議、大好き。」(西武百貨店)「好きだからあげる」(丸井)
「いいなあ、あれ」(ヤマハ)「すこし愛してながーく愛して」(サントリー)「気持ちんよかーー」(パスタイム)などのコピーを例に取りながら、指摘する。つまり「否定」よりも「肯定」の気分を表現する言葉が、多くなりはじめたということである。それらの「肯定」は最初は、「小さな肯定」だったが、1989年頃、すなわち昭和天皇死去の頃にはもう「小さな肯定」ではすまないほどの現状に対する「大きな肯定」となる。嫌悪などという感情は、人間として非本来な感情とまで見なされるにいたっていたというわけである。
そして1990年代には、「歴史のおわり」によってもたらされた「大きな肯定」によって「嫌悪の消失」という事態はいっそう進行していった。ところが高橋は次のようにもいう。
「しかしながら同時に嫌悪は増大している。特に90年代に入って嫌悪は急速に増大している。」これは一体どうしたことなのだろうか。明らかに矛盾しているのではないか。
「そうではない」と高橋はいう。「常識を背負った多数者が、身内だと感じれば、許し、異論をかたる少数者だとみなせばあからさまな嫌悪のまなざしをむける。これが嫌悪の消失と嫌悪の増大の正体だったのです。」つまり現在の体制秩序、集団あるいは制度の内部では、嫌悪の消失が生じ、制度の外や周縁部分では嫌悪が増大しており、嫌悪の消失と嫌悪の増大とは、矛盾するのではなく、おなじ事態の別のあらわれ方をしたものだったというのである。
そして重要なのはその次の部分に書かれた以下の言葉である。
「90年代に「いまとここ」を少しでも動かそうとするなら嫌悪する少数者にならざるをえないことは是非言っておきたいのです。そして孤立しがちとはいえ、嫌悪する少数者もまた連帯するということも。」
そう―この批評集は、嫌悪する少数者の連帯ということが主題の本だったのである。
(したがってここでの嫌悪は、多数者が少数者にむける嫌悪、たとえば外国人労働者に対する嫌悪などとは、明確に区別されなくてはならない。)
そのことは、第四章「国家に向けられた嫌悪」での次の言葉にさらに鮮明に表現されているといっていいだろう。
「依然として国家は嫌悪を抑圧する暴力装置である。国家は、そこにとらえられた人々に嫌悪をわけへだてなく供給するとともにたえず嫌悪を見張り、嫌悪をつぶし、嫌悪の結合を分断しようとする。「日本」「民族」「大国の責任ある市民」「一丸となったサポーター」「制服のよく似合う子供」といったスローガンを掲げつつ、国家は、常に嫌悪を憎悪している。国家は憎悪装置である。だが、嫌悪は憎悪より大きくねばり強い。嫌悪のまえについに国家は死滅するしかないということもまた依然として正しい。はるか彼方に約束された国家の死滅を嫌悪はいまとここで準備するだろう。国家を嫌悪する嫌悪とは、嫌悪の最もありふれた、だが先鋭なポリティックスである。」
この言葉は、ナショナリズムとグローバリゼーションという怪物が、地球上を徘徊する今日にあってこそ記憶するに値する言葉であるように私には思われる。
国家が嫌悪を見張り、嫌悪をつぶし、嫌悪の結合を分断するというのならば、「嫌悪する市民」同士の国境を越えた連帯は、これからの市民運動にとってますます重要課題である。
この嫌悪を批評にした高橋敏夫は、もちろん嫌悪のかたまりの様な人である。
あとがきで「「あまのじゃく」はやがて「隅の少年」となり、破壊するマオ思想の遅れてきた実践者となりその壊滅ののち惰眠をむさぼりつつ文の闘争にたずさわり、斜めに走った後退線の上をじりじりじりじり退きながら、ついに日々の嫌悪を、そして嫌悪だけを自覚する者となった。嫌悪はその後退線のどん詰まりに突如姿を現したように見えたのであるが、もちろんそんなはずはなかった。「あまのじゃく」にとって世界は嫌悪の薄い膜で包まれていたはずだからである。」と書いている。
もうこの嫌悪にふれないのは、もったいないというほかはない。
昨日と今日を嫌悪し、明日をも嫌悪せざるを得ない人にはぜひ御一読いただきたい本である。■山口直樹

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