特別レポート あと少しの、夢を-現代留学事情-

投稿者: | 2003年4月19日

特別レポート
あと少しの、夢を-現代留学事情-
塩出浩和(城西国際大学留学生別科専任講師)
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●アメリカに行ったヴェロニカのこと
中国南部のもとポルトガル植民地マカオ出身のある在米留学生の話である。彼女は今年二十九歳、独身で、名をヴェロニカ・カタモポラスという。
マカオの高等学校を卒業して、カピオラニ・コミュニティー・カレッジ(日本の短期大学に相当)からハワイ大学に進み、心理学と教育学を学んだ。学部在学中にグリーンカード(アメリカ永住権取得者に与えられる)をもらい、現在は同大大学院で修士論文を書きながら、公立小学校のカウンセラーとして働いている。小学校からの給料はフルタイム・スタッフと同等である。
グリーンカードはくじ引きで当たった。収入は月に二千三百ドルほどで、ダイヤモンド・ヘッドのすぐ裏手に住んでいる。オーナーの家の一部を借りているがバスルーム、キッチン付で、ベッドルームも広い。日本の金持ちたちが別荘を買うカハラに隣接している。公共バスの便も良い。しかし、モペッド(原動機付自転車)を持っているので、移動にはこれを使う。ハワイ大学本部のあるマノア・キャンパスまで約十分、ワイキキの東端までなら三分ほどである。
年に一度数週間ほど、東京、香港経由でマカオの家族のもとに帰る。将来、マカオに住むかアメリカに住むかはまだ決めていない。どちらでも、良い仕事がある方に住むつもりでいる。母語である広東語のほかに、英語、標準中国語(マンダリン)そして少しのポルトガル語ができるので、就職の心配はしていない。
ひいおじいちゃんの代にギリシャ系とポルトガル系の祖先を持つ(中国人なのにギリシャの姓なのはこのため)とはいえ、外見は典型的な漢族である。おそらくは、一九九九年のマカオの中国返還という事情もあり、十数年前に留学を決意し、いくつかの夢を抱き、TOEFLを受験し、奨学金をアメリカの企業から受け、それなりの努力をし、そして今、ほぼ当初の夢を実現しつつある。
●日本への留学生
現在日本に留学・就学している者の過半数は中華人民共和国からの学生である。わたくしの奉職する大学の留学生について見ると、その約八割が中国からである。留学生たちの夢はさまざまだが、彼らの志望動機を聞くと、わが国の学術研究水準の高さや日本文化への興味などに勝って、しばしば日本の経済力と消費水準の高さが大きな誘引となっていることがわかる。皮肉にも、彼ら中国からの留学生の場合、その夢を最初に破るのは日中両国の経済力の差であり、その当然の帰結である物価の差である。しかしやっかいなのは、ただ単に商品やサービスの価格が高いことだけが問題なのではないということである。中国では通常無料かまたは極めて低額で提供されるものが、中国人の感覚からすると「不合理なほど高価」なのである。しかも、それらは嗜好品でも遊興のための財やサービスでもなく、生活と勉強に必須のものである。
このように留学生が感じる最大のものは授業料をはじめとする学納金とアパート賃貸料や光熱費など居住に関わる諸費用、そして食費、最後に交通費であろう。中国の大学はごく一部を除いて国公立であり、その入学定員数が高級中学(日本の高等学校にあたる)卒業者数に比べて非常に少ないので、入学選抜を通過することはとても難しい。しかし、入学が許可されれば、授業料は無料かまたはあったとしても極めて低額の名目的なものが徴収されるだけである。原則的に宿舎はキャンパス内に無料で提供される。文具購入費なども支給されることが多い。食事も大学内の学生食堂で三食無料かまたはそれに近い価格で供される。学内に住むわけだから通学のための交通費の負担はない。
日本の多くの私立大学では、留学生の授業料を三割引にしている。しかしそれでも、中国から来日する学生たちの親の平均収入数年分に相当する。国公立大学の学納金も決して安くはない。留学生の側から見ると、これだけ高額の金銭を大学に納めているのだから、食・住の面で大学は手厚い配慮をしてくれると期待してしまう。必修授業のための教科書購入までが自己負担で一科目あたり数千円もかかってしまうということなどは、彼らにとって驚天動地なのである。
最近の中国人留学生の社会的背景は極めて多様化している。一方で、年収三万ドルを超える新興の個人企業経営者階層や外資系企業で働く専門職員を親に持つ学生も、まだ割合は低いが確実に増加している。彼らは、一人部屋をキャンパス近くに借り、アルバイトはせず、しばしば車まで持っている。ただし、大多数の中国人留学生は、両親や親戚の援助でやっとのこと初年度学納金の送金と片道航空券の購入を済ませて、小額の現金と身の回りの品のみをもって来日する。
●日本に来た孫君のこと
中国東北地方から来た孫新華君の例を挙げよう。彼の出身家庭は中国のこの地方の中規模都市に住む労働者世帯としては収入の多いほうであった。高級中学を卒業した後、競争の激しい中国の大学に入るほどの学力はなかったので、地元の会社で事務職員として二年働いた。日本の歴史や伝統文化には格別の興味はなかったが、遠い親戚に、十年前に日本に留学し、修士課程まで出て帰国した若者があり、彼が経済的にとても豊かな生活をしているので、「日本留学」という夢が次第に彼の心を占めるようになった。
近くの大都市で、ある日本の私立大学の「留学説明会」があるというので参加したら、その場でその大学の担当者と面接があり、意外に簡単に、「留学生別科」という課程に合格してしまった。日本語を学習したことはそれまで全くなかったのである。大学担当者の説明によると別科修了者はほぼ全員その大学の学部に入学できるという。母国に在っては夢のまた夢であった「学士」に五年でなれるのである。日本留学帰りの若者たちについてのうわさでは、日本から持ち帰ったお金で家を立て、新しい事業も始められるらしい。
孫君は初年度学納金と航空券に充てるため日本円で百六十万円ほどの借金をして、期待に胸を膨らませて日本に来た。成田空港に降り立ったときの所持金は十八万円ほどだった。この金額は中国人熟練労働者の半年の給料より多い。いくら日本の物価が高いとは言え、留学生活を始めるのに十分な額だと思われた。「すぐに中古車ぐらい買えるかもしれない・・・、バイトは簡単に見つかると聞いているし・・・。」
留学生の現実に孫君が直面するのにそれほど長い時間はかからなかった。先ずは住む場所である。最初の一週間は大学が借り上げているアパートに滞在していいと言われた。しかしその間に自分で別のアパートを契約しなければならない。この契約に「敷金」と「保証人」が必要だということを「不動産屋」という人から初めて聞いた。同郷の先輩が通訳してくれたのでここまでのことは何とかわかった。しかし、問題はこの敷金と保証人である。敷金は賃料の二ヵ月分必要だという。キャンパス近くのアパートの相場は四万円だから、八万円の敷金となる。これならぎりぎりなんとかなりそうだ。ところが、問題は保証人である。留学生の先輩は保証人になる資格がないという。孫君には「日本人で年収四百万円以上の人」という不動産屋の条件に合う知人などいない。大体、日本人の友人は皆無である。大学の事務の人に相談したら、敷金・保証人不要のアパートもあるというのでさっそく、「マンスリー・ライオンパレス22」という別の不動産屋に行ってみた。ここの人はニコニコしてとても親切だったが、家賃六ヵ月分一括前払いだという。
途方にくれた孫君を助けたのは別の同郷の先輩だった。彼のアパートは2DKという間取りで四人の中国人留学生が住んでいた。一部屋に二人ずつである。一部屋に三人寝る空間はないが、先輩がどこかから古い二段ベッドを調達してきた。その上段を使わせてもらうこととなったのである。光熱費込みで月一万八千円の負担でいいという。この同郷の先輩は来日前に会ったことはないが、とても力になってくれる。異国で頼りになるのは同胞だと骨身にしみて感じた。
●希望の新学期と試練
孫君の新学期が始まった。期待に胸を膨らませて授業に出た。先生は美人でやさしい。日本人の先生は中国の先生ほど厳しくない。「あ・い・う・え・お」から始めたが、最初の三日間で「こんにちは」「さようなら」そして「わたしはソンです」まで言えるようになった。嬉しくて仕方がなかった。二十人いるクラスのみんなは、二人の韓国人とひとりのフィリピン人を除いて全員中国人だ。すぐに友達になることができた。日本という外国で初めて「上海人」や「福建人」という同胞にも会った。ただし、彼ら同士は集まるとすぐ自分たちの方言で話すので、孫君には全く聞き取れなかった。
順調な日本語学習の滑り出しだが、実は初日に大問題が起こった。先生が、明日までに大学の「生協書店」というところで教科書を買ってくるように、と言ったのである。「生活協同組合」ならおそらく中国に子供の頃まであった人民公社と同じで無料または廉価で必要資材を供給してくれるはずである。しかし。行ってみて驚いてしまった。その教科書は定価が二千三百円で、「一割引」にしてくれるという。「それなら、二百三十円となり何とか払える」と孫君は考えた。しかし、一割引とは中国語の「一折」(定価の一割で売る)のことではなく「九折」(定価の九割で売る)のことだという。教科書にこんなに大金を払っていたら中国から持ってきた日本円はすぐに底をついてしまう。孫君は「美人の先生」の顔を思い出して、泣く泣く買ったが、その日の昼食は抜くことにした。
やはり、すぐにアルバイトを始めよう。そう思った孫君は大学の掲示板にあるバイト紹介を先輩に解読してもらい、電話をかけてもらった。しかし、どこも「日本語を話せない人はだめ」、「外国人は採用しない」と答える。一週間しても仕事が見つからない孫君に別の中国人の先輩が「いいバイト」を紹介してくれた。やはり頼りになるのは同胞である。学生食堂の「昼の定食」四百二十円も払えなくなる日が近づいていた孫君にとって、まさに地獄に仏の情報だった。
ところが、仕事の内容を聞いてしり込みしてしまった。週に五日、夜の十時から翌朝五時まで。食品工場での肉体労働である。大学からは「バイトは一日四時間まで」と言われている。中国では学校の規則など破ったことがない孫君だったが、背に腹は替えられない。今月中に食費にも事欠くのは明白だったからだ。この仕事なら日本語が話せなくてもできるという。なによりも他にバイトの口はない。
さっそく、この食品工場で働くことにした。幸い毎晩八時四十五分にアパートの近くまで工場のバスが迎えに来てくれる。このバスで翌朝六時半頃に部屋に帰ることができる。何しろ、時給八百四十円もくれるし、バイト仲間も皆中国人留学生だった。近くの別の大学に通学する学生が多かったが、母国語で話すのは気楽だし、夜食を出してくれるのが何よりありがたかった。「時給八百四十円で百時間働けば八万四千円にもなる・・・」こう皮算用をすると、日本に来て良かった、という思いが込み上げてくる。「故郷の国家幹部の月給より多い」と孫君は思ったのである。これで毎月親元に送金し、借金を返すことができる。
バイトを始めて最初の一週間は何とか大学の授業には出ることができた。別科の授業は月曜から金曜までで、朝の九時から午後の三時までである。毎朝夜勤明けでアパートに帰って二時間寝てからクラスに出た。ところが、第二週目からどうにも朝九時という大学の始業時間に間に合わなくなった。一時限目は毎日遅刻するようになってしまった。孫君の大学では通常一時限目にその日学習する課の文法事項を説明する。朝遅刻するようになった孫君はだんだん授業についていけなくなった。担任の先生に「どうしたの」と聞かれたが、学校に知らせずにアルバイトをしていたので、「環境が変わって体調が悪い」と答えた。
別科の授業が九ヵ月済んだところで、その大学の学部に入学するための試験があった。出席率は八十五パーセントで別科卒業基準をクリアしたが、第二学期はずっと授業中眠っていたこともあり、志望学部の日本人の先生との面接では、ほとんど何も日本語で答えられなかった。うまくなったのは日本語よりも、クラスメートたちが話すのを毎日聞いていた上海語と福建語であった。孫君の学部入試の結果は「不合格」であった。
今、孫君は日本語ができなくても年間四十五万円の学費を払えば二年間のビザ手続きをしてくれる専門学校に行くか、帰国するかを決めかねて悩んでいる。日本で大学卒業の学位を取り、貯金もして故郷に帰るという「夢」はどうやら実現しそうにない。そればかりか、まだ、借金さえ返し終わっていない。
●来日留学生の夢とその障害
日本に留学する多くの中国人も、ヴェロニカと同じように「夢」をもって来ているのだろう。留学生たちにとって日本は夢の国である。彼らは、自らの将来を日本という国に託した。恋人と別れて来日した者も、在学中の学校を中途退学した者も、キャリアを中断した者も、さらには孫君のように親戚に多額の借金をしてきた者も多い。彼らの夢を引き受けたこの国は、その夢のいくらかでも叶えるための援けができるのだろうか。いくつかの社会的な要因や制度的な側面から検討してみよう。
ヴェロニカが就職できたのは学部卒業後一年間の就業許可をアメリカ合衆国移民局からもらったためである。この許可は原則的に、アメリカの大学(学部でも大学院でもよい)を卒業するすべての外国人留学生に与えられる。雇い主があらかじめ決まっていなくても良い。この一年間に、アメリカでいくつかの職業を経験し、その後フルタイムで働くか、大学院の修士課程や博士課程に進むか、あるいは帰国するかを決めることができる。
一方、日本に留学する外国人たちの中で、日本の大学を卒業して、すぐにフルタイムの仕事をさがしあて、正式の就業ビザをもらって会社や官庁で働く機会を得る者の数は極めて限られている。日本の就業ビザは就職する会社が決まっていないと出ない。所謂不法滞在者となり不正規に就労するか、形だけ大学院に進学しアルバイトに精を出すか、または帰国するかを迫られるのが実態である。大学院修了者にとっても事情は大同小異だ。
永住権についてはどうだろう。日本には、くじ引きで永住権を取る機会もないし、帰化もかなり難しい。日本人と結婚するなどした一部の者のみがずっと日本で生活することができる。このため日本に滞在するためだけに不本意な結婚をしたり、同居の実体のない偽装結婚をしたりする者が後を断たない。
しかし、最近の留学生の実態を見ると学部卒業までたどりつく前に上述の孫君のように挫折する場合が多い。甘い見通しをもって来日する留学生本人にも責任はあるが、正確な情報を留学希望者に伝える努力を怠っている日本側にも落ち度があると言わざるを得ない。政府の「留学生十万人計画」をサポートする日本側の奨学金などの制度もここ数年は改善するどころか、後退している。地域社会も留学生を受け入れる準備に欠ける。外国人には部屋を貸さないという大家さんがまだ多い。
「留学生十万人」など今の日本社会にはまだ贅沢な、過分の幻想・願望である、という想いはわたくしだけのものではない。留学生教育に現場で関わる多くの教員が共有する考えである。希望は棄てたくないが、圧倒的な現実の前に立ち尽くしている。
日本という国は、あとほんの少しの夢を留学生に頒けることができるのだろうか。
(本稿は事実に基づいているが、個人名や企業名は仮名を使用し、複数の実在の留学生がモデルとなっている。また、必ずしもわたくしの勤務する大学の実例ではないことをお断りしておく。)■

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