携帯電話と脳腫瘍 大規模疫学「インターフォン研究」のゆくえ

投稿者: | 2006年3月30日

携帯電話と脳腫瘍 大規模疫学「インターフォン研究」のゆくえ
上田昌文(市民科学研究室・電磁波プロジェクト)
pdfはこちらから→emf_019.pdf
●大規模疫学の必要性
携帯電話を長期間使用すると脳腫瘍を発症するのかという問題は、携帯電話が普及し始めた当初からの世界的な関心事だ。10年前ならごく限られた人しか浴びなかった強さのマイクロ波を、現在世界全体で8億人を超す人々が頭部に浴び続けるという未曾有の経験を私たちはしているが、今のところ脳腫瘍などの重篤な病気を少なからざる人々が患うようになったという話は聞かない。これまで携帯電話電磁波の人体影響を探るための動物実験研究が相当件数なされてきたが、疾病の発症を決定的に示すデータは得られていないように思える。しかしながら、DDTやアスベストといった事例で明らかなように、広範の人々が曝露する因子については、「影響あり」と科学的に因果関係が証明される時点ですでに被害が拡大してしまっているという事態が起こりえる。そこで、病気の発症のメカニズムが完全に解明されなくても、まだ隠れたままであるようにみえる影響を検出する手法として疫学を用いることになる。しかし、事象の因果を統計的に推理していく手法には、「サンプルが偏りなく十分な数だけ収集されるのか」「少集団からの推計が全体の傾向を的確に反映できるのか」「顕在化していない別の因子が影響するかもしれないことをどう排除していくのか」といった原理的な課題が、明快な立証の前に常に立ちはだかることになる。人体実験ができない以上、ヒトへの影響を直接調べるには疫学しかないが、その確証度をどうやって上げていくのか?
その解決法の一つは、各国共通のプロトコル(検証手順)に則って実施する大規模疫学研究だろう。携帯電話電磁波と脳腫瘍との関連を調べるために数年前から進められ、2004年に結果が出始めた「インターフォン研究」がそれに相当する。これは、ヨーロッパを中心に13か国(オーストリア、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、イスラエル、イタリア、日本、ニュージーランド、ノルウェー、スウェーデン、英国)が連携し、WHO(世界保健機関)に属するIARC(国際がん研究機関)によって指揮された共同研究だ。携帯電話の利用の有無、利用量と脳腫瘍などとの関連を調査している。現在までに公表された結果の概要は表1のとおりである。『どよう便り』第82号(2004年12月)でお伝えしたスウェーデンのカロリンスカ研究所の研究(「携帯電話の10年以上の使用者でいつも頭部の同じ側で通話する人では、使用側面側の聴神経腫の発症が3.9倍に有意に増加する」ことを明らかにした)は、その第二報であった。
●インターフォン研究の手法
インターフォン研究で対象とする疾患は、神経膠腫(glioma:ここではGと略記)、 髄膜腫(meningioma:M)、神経鞘腫(neurinoma:N)といった脳腫瘍、聴神経鞘腫(acoustic neurinoma:A)という発症のまれな腫瘍をはじめとする耳・首など頭部の腫瘍、白血病ならびにリンパ腫である。用いられる疫学手法は「症例対照研究」(ケースコントロール・スタディ)であり、対象とする疾患の患者(症例群)とその疾患に罹っていない健康な人(対照群)を、その疾病の有無を除く他の条件に関しては差が生じないようにして可能な限り多く拾い、各々の群の中で原因とおぼしき因子を曝露した曝露群とそうでない非曝露群(この場合は「携帯使用者」という曝露群と、「携帯非使用者」という非曝露群)の分布がどれくらい違っているかを比較して、その因子が疾病の原因とみなせるかどうかを探る手法である(「タバコ(曝露因子)と肺がん(疾病)」の場合を想定してほしい)。したがって、過去にこの因子を多く曝露したとみなせる人々をきちんと拾えているかどうかが、リスクを計量する上で決定的に重要になる。
インターフォン研究では、携帯電話から出るマイクロ波の曝露について、曝露群を「通常的使用者」、非曝露群を「非使用者」とする区分けを定めているが、その「通常使用」とは「1週間で少なくとも1回は通話するという頻度で、半年かそれ以上の期間使用すること」としている(この点については後述のように批判も多い)。13カ国のトータルで2,800 人規模の神経膠腫患者、2,400人規模の髄膜腫患者を調べ上げ、脳腫瘍に関する過去最大規模の疫学調査となることを目標にしている。
●批判的検討
いくつかの電磁波関連のニュースをみていると、最近発表された英国とドイツからの報告を受けて、インターフォン研究の結果の解釈をめぐって議論がさかんになされていることがわかる(残念ながら日本では論文の結果ですら報道されることがほとんどなかった)。ここではいくつかのウェッブ上の文献1を手がかりに、インターフォン研究の論文を批判的に読み解くのに必要な留意点をまとめてみよう。
(1)一般の報道では、論文が言及している個々の発見事項を丁寧に紹介することはせず、総論的な結論だけを伝えることが多い。ドイツの報告でも確かに結論は「携帯電話の通常の使用者において神経膠腫と髄膜腫の全般的なリスクの増加は見出せなかった」となるが、同時に「10年以上の携帯電話使用者では神経膠腫のリスクが2.2倍になる」と述べており、ことに「女性の通常の使用者では重度の神経膠腫のリスクが1.96倍になる」とも述べている。これらは決して無視し得ない結果であり、この論文を「腫瘍リスクと関連なし」と扱うべきでないことは明白だろう。
(2)インターフォン研究では、症例群のうちの携帯電話非使用者、そして対照群の中にコードレス電話を使用している人々を入れてしまっている。以前、別の研究((5)で言及するハーデルらの論文2)において、コードレス電話を使用すると神経膠腫や髄膜腫のリスクが増加することが示されているのだから、コードレス電話使用者を携帯電話非使用者としてしまうと、リスクの過小評価につながる恐れがある。
(3)インターフォン研究は、「携帯電話の通常使用者」を「1週間で少なくとも1回通話する頻度で、半年かそれ以上の期間使用していること」と定義している。「携帯電話をそれなりに普通に使う人」としてこの定義は適当であろうか? この定義では使用頻度のかなり低い人たちまで「通常使用者」に入れてしまうので、高い頻度の使用者にあらわれるかもしれないリスクが埋もれてしまうのではないか。たとえばドイツの研究では神経膠腫の発症者の14%と髄膜腫の発症者の6%が5年以上の「通常使用」に相当しており、10年以上ではその割合はそれぞれ3%と1%とかなり少数になっている。この「通常使用」のとらえ方が適切かどうかを判断するには、タバコと肺がんにあてはめて考えてみるとよいだろう。「1週間に1回以上の頻度で6ヶ月以上の喫煙」を「通常喫煙」と定義するなら全体のたった12人(3%)しか占めない「10年以上の喫煙者」において、肺がんリスクの増加を的確に検出することは相当難しくなるのではないか。
(4)ドイツの論文を読むと、対照群の候補となった人の30.5%がこの研究への参加を断っている。症例群のうち神経膠腫の症例数は4.8%、髄膜腫は4.9%となっているが、仮に、対象群(被検者)となることを拒んだ人に比べて、実際に参加した人の方が携帯電話使用率が高いことがあるとすると、どちらの病気のリスクも低く見積もられてしまうことになる。対象群となる人々を適正に選んだとは言えず、「選択バイアス」が生じている可能性がある。
(5)インターフォン研究で今まで発表された報告の大半は、総論として「脳腫瘍との関連はなし」と結論付けている。一方、やはりここ数年間にいくつか成果を公表しているハーデルらの疫学研究では、インターフォン研究とは対照的に、最新のものほど「関連あり」を強く示唆する結果となっている。例えば(2)で言及した最新論文では、プール分析3を行っているのだが、1429人の症例群(参加率87.8%)、2162人の対照群(参加率88.7%)という大きな規模と高い参加率を実現している。そこでの聴神経鞘腫と髄膜腫のリスクは表2のとおりである。
(6)英国の研究では症例群(神経膠腫患者)の51%を分析できたとあるが、分析できなかった30%に相当する症例は最も重度の神経膠腫がほとんどである。「すでに死亡していたり、症状が重かったりしてインタビューができなかった」とあり、そのため著者たちが認めているとおり、「参加者の中では軽症の神経膠腫の患者の割合が高くなってしまった」。著者たちはそうした事実がバイアスとなる可能性はないとしているが、その根拠は明確でない。
(7)インターフォン研究が症例対照研究であることは、Alasdair Philips(英国のNGO「Powerwatch」の代表)が指摘する次のような限界を持つことにもなる。「重症の神経膠腫を患うと、診断が下されてから間もなく死亡にいたることが少なくない。したがって、”後ろ向き”(発症した患者の過去をさかのぼって原因を探る)ばかりでなく、”前向き”(注目している条件にあてはまる人がこれから発症するかどうかを探る)の研究が必要であろう。また、患者の記憶に頼って「曝露量」を決めようとするのでなく(これに頼ると疫学の検出力がどうしても落ちる)、携帯電話事業者が管理する契約者の使用量データを疫学研究に生かせるように、事業者から提供させるようにすべきだろう。」
以上のような不備を克服しつつ、今後の研究の焦点は「携帯電話電磁波によって脳腫瘍を発症する可能性があるとするなら、その潜伏期間は10年もしくはそれ以上なのか」という疑問に対する答を、いかに的確に検出し正確に評価するかになろう。ここ1,2年で集中的に続報が公表される思われるインターフォン研究に、引き続き注目したい。
1 Powerwatch(英)http://www.powerwatch.org.uk/,EMFacts Consultancy http://www.emfacts.com/, Microwave News(米)http://www.microwavenews.com/ 等
2 Hardell et al., Case-control study of the association between the use of cellular and cordless telephones and malignant brain tumors diagnosed during 2000-2003; Environ Res. 2006 Feb;100(2):232-41.
Hardell et al., Pooled analysis of two case-control studies on the use of cellular and cordless telephones and the risk of benign brain tumors diagnosed during 1997-2003; International Journal of Oncology 28: 508-518, 2006.
3 これまでの複数の疫学研究で得られた生データを一つに束ねて再解析する手法

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