公開トークサロン 「私って健康ですか?」

投稿者: | 2006年3月8日

公開トークサロン 「私って健康ですか?」
written by 和田雄志(未来工学研究所 主席研究員)
■日時:2 月5 日(日)午後1 時~ 5 時
■場所:月島ブロードメディア・スタジオ
■話題提供者:川嶋 朗(青山自然医療クリニック所長)     
       鈴木賀世子(ベビーコム代表)
       柄本三代子(東京国際大学人間社会学部専任講師)
       斎藤清二(富山大学教授・保健管理センター長)
PDF版はこちら→bio_008.pdf
 JST からの委託研究「生活者の視点に立った科学知の再編集と実践的活用」の活動の一環として、( 財) 未来工学研究所では、市民科学研究室の協力を得て公開トークサロンを開催しました。その内容についてまとめましたので、今回ご紹介いたします。
 「健康」は、現代人の最大関心事の一つです。世の中には様々の健康・医療情報が氾濫している反面、本当に知りたい情報はどこにあるのか( ないのか)、そもそも「健康」とは何のか、など根本的な問いかけがなされる時代です。このトークサロンでは、医師、生活者、社会学者という異なる分野の方々に参加いただき、健康をめぐる様々の話題について、あれこれ自由に語っていただきました。そこに共通しているのは、自分自身の体験や身体感覚が出発点となっていることです。
■医者も患者、治療の前にまずお話を
(青山自然医療クリニック:川嶋朗)
●患者であることが原点
 川嶋です。青山で自然医療クリニックを開設しています。「自然医療」とはアメリカのアンドリュー・ワイル博士の命名で、狭義には、自然にあるもの、たとえば水とか空気とかを利用した医療のことです。統合医療とか呼ばれることもあります。患者さんのためになるなら、西洋医療だけでなく補完・代替医療など何でもやればいいじゃないかということで、2年半前に、東京女子医大内の独立した小さなクリニックとしてスタートしました。今日は開設までの経緯をお話したいと思います。
 本日は「医者も患者」というお題ですが、僕は2つの不治の病をかかえています。まず、足に腫瘍があります。こどもの頃から足が痛かったのですが、医者あるいは白衣が嫌いで、ずっと親にも隠していました。(白衣は医者になった今でも嫌いで、着ていませんが)。しかし、とうとう親にばれてしまい、東京中の大学や病院に行きましたが、切らないと原因はわからないといわれました。しかし、当時、私はテレビ時代劇のレギュラー子役(主役)をやっていて、スケジュール的に手術は出来ませんでした。結局どこに行っても直らないので、中学3年の時に、「それなら自分で治そう」ということで医者になることを決めました。
●さまざまの出会いと自然療法への歩み
 その頃、母が長らく慢性関節リューマチを患っていまして、夜に痛くて泣いていました。ある時、鍼治療を受けてから、すやすやと眠るようになり、鍼はあなどれないなと思うようになりました。
 その後、北海道大学に進学しました。テニス部の練習が終わった夕方、向かいの部室から明かりが漏れていたのでふと見ると、麻酔科のドクターが市民を相手に鍼のセミナーをやっているんですね。私自身も興味があったので、ついに北大医学部に東洋医学研究会という学生サークルを作ってしまいました(これは現在もあります)。先生に鍼の指導を受けながら、ある日、北大病院のすぐそばにおかしな雰囲気の店があり、なんとなく入ってみたら、それが漢方薬局でした。店の主人に鍼サークルをやっていることを告げると、漢方の古典があるので読んでいいといわれ、生薬を自分でなめたり調合したりすることができました。そんなことで、漢方も鍼も、大学時代に学ぶ素地をもって卒業したわけです。ある意味では、西洋医学よりも経歴は長いといえます。
 東京に戻ってからは、東京女子医大の腎センターで最先端西洋医学に邁進しましたが、一方で、鍼や漢方を患者さんへのサービスとして実施していました。
 患者さんの中に、ひどい便秘の女の子がいました。あらゆる薬や治療法を試しても便が出なかったんですが、消化器の先生から「先生、鍼ができるのならやってみたら」といわれ、鍼をやってみると、なんと15 分後に排便しました。これは面白いということで、東京女子医大の漢方医学研究会で症例を発表しました。漢方の研究会で鍼の話を初めてしたのです。実は医者は、漢方薬は出せるけれども鍼は打てない。一方、鍼灸師には漢方の処方はできないんです。日本の東洋医学のおかしなところです。
 その後、西洋医学への情熱さめやらず、今度はアメリカのハーバード大学へ留学しました。ある日、テクニシャン(助手)が熱を出したんで「オリエンタルマジック」ということで鍼を打ったら、一発で治っちゃたんです。みんな面白がってましたね。
 そのうち近くのマサチューセッツ工科大学(MIT)からセミナーをやれという依頼が来たんです。当時、遺伝子の研究をやっていたのでそれかと思ったら、鍼の話をやれ、というのですね。もちろん最初は断りましたが、断りきれずに受けてしまってから、実は鍼の専門用語をしらないことに気がついたんです。あわてて車をニューヨークまで飛ばし、紀伊国屋書店でなんとか専門書を見つけました。
 セミナー当日は、終わったとたん聴衆に囲まれてしまいました。ある人がいきなり手を出して「俺の脈を見ろ」というんですね(笑)。脈を見て「あなたは肝臓が弱いですね」といったら、「なんでわかるんだ?」と。脈の説明をしたところ、「こんなに面白いことをどうして日本人はやらないんだ?」といわれてしまい、そこで私に心境の変化が生じてしまいました。本来は日本へ帰らないつもりでしたが、こんなにすごい人たちが興味を示してくれるのなら、日本に帰ってこの道に進もうと思いました。
●第二の発病
 帰国して、東洋医学の方向へ進もうとしていくつかの大学にアプローチしましたが断られたので、再び腎センターに戻りました。ところが1995 年4月19 日に、突然耳が聞こえなくなったんです。花粉症あるいは中耳炎と思い放っておきましたが、同僚から突発性難聴ではと指摘され、いろんな治療をやりました。でも結局治らず、1ヶ月して耳鼻科の教授から「もう治りませんから、あきらめてください」というんです。私は唖然としてしまいました。
 私の耳は、いろんな治療家がこぞって治そうとしても治らないんです。そこで気功をやろうかと思い立ちました。でも、3,000 も流派があることがわかって困っていたところ、なんと腎センターの所長が外来で気功をやっているっていうんです。所長は人工臓器の世界的権威ですよ。ありえないことですよ(笑)。そこで所長に、自分にも気功を教えて欲しいといったら、ある団体を紹介されました。高い研修費を払って生駒山での合宿に出ました。そこでは気功の結果、目が見えない人が見えたり、車椅子の人が立ち上がるようなことが起こったんです。最後の日に気を出す試験があったんですが、私もなんとそれに受かってしまったんです。気功師になっちゃったんですね(笑)。
 東京に戻り、膝に痛みがあった人工透析の患者さんに気功を試すと、治ってしまうんですね。人工透析医学会で発表したところ、フロアから「それはプラセボ(思い込み)じゃないの?」といわれたんです。私は「プラセボにせよ、タダだし、苦痛はないし、治るんだからいいんじゃないんですか」といったら、黙ってしまいました。その後、東洋医学研究所に呼ばれて勉強を始めましたが、教授から「西洋医学を捨てたまえ。君の西洋医学は出来すぎて邪魔だ。そんなことやっていると漢方が伸びない」といわれ、僕の行き方と合わないことがわかりました。
●自然医療クリニックがスタート
 そこで女子医大の恩師に相談して、青山にある女子医大の附属病院の活用策として、美容外科を中心とした女性医療コースとともに自然医療外来をオープンさせることになりました。当初は、採算がとれるかどうか危ぶまれましたが、赤字にはならないことを条件に小さく始めたところ、予約で一杯になってしまいました。実態は、自然医療のほうが診療収支がいいんです。
 そういうわけで、足の腫瘍は私を医者にしくれた足ですし、私の耳は気功に思いつかせてくれました。私の耳は誰も治せないとても便利な耳です(笑)。いろんな怪しげな人が来るんですが、私の耳は絶対に治せないんですね。いずれ、私は消費者に害がないように、「代替医療G メン」を組織してやってみたいですね(笑)。
 病気は決して悪いものではないんです。人は百パーセント死ぬんですね。動脈硬化で死ぬ確率を薬で下げても、ガンで死ぬ確率が上がるだけなんです。要はどういう生き方、死に方をしたいのか、ということなんです。
 私のクリニックでは、初診は1時間、再診は30 分間診ます。その結果、1日13 人しか見れません。現在の制度ではこれに保険は適用できないんです。診察費は多少高いですが、外来予約待ちが200 人います。患者としては、40 ~ 50 代の女性と、50 ~ 60 代の男性が多くなっています。男女ともガン患者が多く、女性では精神的問題が多くなっています(スライドでクリニックの紹介あり)。時間がオーバーしているので、ひとまずここで(拍手)。
■お産は病気じゃない、悩みを共有すれば強みに
(ベビーコム:鈴木賀世子)
●自分の高齢妊娠がきっかけ
 私は、妊娠・出産・育児情報のベビーコムというサイトを運営しています。本業はデザイナーで、仕事人間そのものでした。37 歳になって、子どもでもそろそろ産んでおこうかなあ、と思うようになりました。1年少しで妊娠し、喜んで医者に行ったんですが、ぜんぜんおめでたいことじゃないことがわかりました。高齢出産ということで、まずリスクを指摘されたんですね。ダウン症の子どもが生まれる確率も指摘されました。
 すごくショックでした。同時に反論するほどの知識もなく、しょげて帰ってきたわけです。そして実は、流産してしまいました。後になって、私の年齢では流産率が高いということわかりましたが、本当に落ち込みました。自分の卵巣の年齢を意識させられました。
 ちょうどその頃、アメリカでクリントン政権のゴア副大統領が情報ハイウェイ計画、デジタル革命を推進していることを知って、ひらめいたんです。自分が妊娠・出産・育児の情報をすぐに手に入れられなかったから、「これだ!」と思ったんです。本業がデザインなので新しいことに敏感なものですから、当時インターネットは見たこともなかったんですが、これと出産・育児情報をどうつなげるかをあれこれ考え、今のベビーコムの原型を考えました。
 私のような生活者でも情報発信者になれるということと、世界各地のコンピュータがつながるということがベースにあり、ウェブ・コミュニケーションで、同じような立場の人とどこかでつながり、そして医療者も参加できるようなコミュニティを作りたいという思いがありました。
●ウェブ・コミュニティの誕生
 
 友人がお産関係の仕事をしていたので、まずは、出産がメインのサイトとして立ち上げました。育児情報は、お母さんたちのサークル活動における育児情報とリンクしながら載せていきました。コミュニティ機能(VOICE)は、悩みの共有、意見交換の場として、会員登録して自由に書き込んでもらうという形で始めました。1996 年に書き込みサイトをオープンしましたが、当時から一日300 名くらいの書き込みがありました。
 今の利用状況ですが、一日のアクセス数が8,000 人、9万ページビュー、月間アクセス数が23 万人となっています。投稿件数は1日100 件くらいです。会員のプロフィールは、女性が96 パーセント、中心年齢が33 歳~38 歳と高いのが特色です。主婦(産休中含む)が50%、ワーキングマザーが40%となっています。不妊治療中の方も増えてきています。地域的には首都圏が60%くらいですね。
●自分に合ったお産情報を
 そのうちに、自分を含め出産年齢が高くなっていることがいいのかどうか、悩み始めたんです。そこで2004年に小学館から『卵子(らんこ)story』という本を企画・出版しました。外国語版も出ています。というのは、卵子のライフサイクルが、現代女性のライフスタイルに合ってないことに気がついたからです。
 20 代では卵子も健康ですが、30 代になると卵子がものすごく老化しているんです。つまり、24 歳~ 34 歳くらいまでが卵子のピークであるのに、女性の仕事のピークと重なっているんですね。その折り合いをどうつけるかがポイントです。下り坂の卵子ちゃんはくたびれてしまっていて、精子がきても妊娠できなんですね。
 人の平均寿命は25 年ほど延びていますが、卵子の寿命50 年はほとんど変わっていないんです。以前は、女性は何人も子どもを産んで授乳もするので、その間月経はなく、生涯月経回数は40 ~ 50 回ほどでした。ところが今は初産の年齢が遅れ、出産回数が減っており、初経の年齢が早まっています。その結果、400 ~ 500 回の月経を経験しているんですね。そのところをもっと知ってほしい。そこで「卵子」ちゃんのストーリーを本にしたわけです。
 現実に、出産適齢期を過ぎ始めた女性がベビーコムの主なユーザです。彼女らは自分に合ったお産情報を求めてやってくるんです。中でも、産院リスト情報、体験談に熱心です。産院を比較検討したい人は多いんですが、産院からの情報発信として、各産院の帝王切開率、破水後の対応など細かい具体的な情報ニーズが出てきています。他には、医療消費者が作る第三者の評価情報には興味が高くなっています。ただし、お産の仕組みなど基礎情報に対する関心が少ないのは、インターネットの特質なんでしょうか。
 高齢出産ですと、羊水検査や出生前診断などへの関心が高くなっています。メンバーには様々の出産・育児体験者や予定者、医療関係者もいます。異なる立場の人がいるということで、相互の助け合いの中で、自分の行動を決定していくことが出来ます。そして掲示板は、皆さんの「心のより所」になっています。しかし、それはあくまでも仮想空間であり、リアルな世界とは大きな壁があります。
●リアルなふれあいを求めて
 2年前からインターネットだけの取り組みに限界を感じ、b-studio を運営しはじめました。これは育児経験者やお母さんがサポート役をする教室のようなもので、今はベビーヨガ、ベビーマッサージ、マタニティーヨガ、アフターヨガといったエクササイズ系のものと、ワークショップ形式のものを運営しています。どのお母さんたちもプロフェッショナルではないのですが、自分の育児体験を次世代に引き継いでいきたいと思っているのです。これらは好評で、年間で延べ1,000 名くらいが参加しています。ベビーコムは、インターネットから始めたわけですが、その活動を現在はリアルな世界にも活かしてゆくことを模索しております(拍手)。
■健康の語られ方、健康言説の時代
(東京国際大学:柄本三代子)
●健康の効用とは
 最近、食料品売り場に行くと、あらゆる食品にPOP(店頭広告)が付いています。POP の決め手はテレビで放送されたことで、食品のどの成分が身体にいいのかが示されています。私自身もともと身体に関心がありましたが、1999 年にふと、みのもんた氏の「思いっきりテレビ」の人気の原因を分析することを思いついた。似たような番組はたくさんあり、とっくに飽きられているかと思いきや、相変わらず同じパタンが繰り返されています。
 大学では「消費の社会学」で講義をしていますが、例えばペットボトル入り緑茶の違いを学生に研究させています。メーカーでは、たくさんある緑茶に、少しずつの技術改良などで差異をつけようとする手法がとられています。そして、物を売る時には、「健康」は欲望創出手段として一番有効な手段なんで
す。すでに健康であっても、常に「健康な身体をめざさなければいけない時代」になってきていますから。そこで科学イメージ、科学言説が重要になってきます。そこには必ず、権威付けをする大学の教授、専門家などが登場してきます。みの氏は、話を多少膨らましたり尾ひれをつけたりしているだけなんです。
 さて、ここにいろんな納豆があります。私ならビタミンK2 入りの骨元気納豆を選んでしまいます。特定保健用食品(いわゆるトクホ)では健康強調表示(ヘルスクレーム)が可能であり、567 商品に表示許可が出ています。市場規模はどんどん膨らんでいます。それらには「体脂肪が気になる方に」「血糖値が気になる方に」などと記されていますが、誰に向かって言っているのか、効用があるのかないのか実ははっきりしない。「生活習慣病」とか「未病」とかいった言葉も発明され、これらの食品が有効と喧伝されてしまっています。
 アミノ酸を強調している飲料も、ただの飲み物にすぎないのに、体脂肪、お肌、二日酔い対策といったメッセージが出てきます。でも、科学的な説明がまったくない。消費者は「的確な誤読」をさせられているんです。スポーツ飲料のCM にイノシトールカルニチンといった言葉は出てきますが、その効用はまったく説明されないんです。
 食品・機能・リスクの関係は、結局、次の2つのパタンになります。すなわち、
・食品X に含まれる成分Y が、リスクZ を軽減する
・食品X に含まれる成分Y が、リスクZ を招く
●ファーストフード店の食育って何?
 マクドナルドを食べ続けるとどうなるかということで、「スーパーサイズ・ミー」という映画が作られまし
た。他方、ファーストフードの悪いイメージを払拭したいということで、いろんな動きがあります。ルーマニアのファーストフード店では、ファーストフードを食べると、心と身体のシェイプアップにいい、といった驚くべきことが書かれています。子どもの食育も応援しているようです。
 今、日本では、食育基本法や健康増進法のもとで、健康に努力したり、食育につとめることを義務付けられています。このように健康にがんじがらめになった状態で、我々は日々暮らしているわけであります(拍手)。
■医者と患者とで新しい物語を創ろう
(富山大学:斎藤清二)
●健康によい、とはどういうことか
 私は内科医で、富山大学の健康管理センターというところに勤めています。
 以前、医者仲間で、おなかの調子がよくなるにはどうしたらいいのかについて議論をしたことがあります。ある先生が「私は寝る前に食事をすると調子がいい」といわれるんですね。「それは、常識とはずいぶんかけ離れた発言ですね」と申し上げると、「寝ている間に消化管がよく働き、調子がいいんです。ラットの実験でも証明されています」と言われるんです。確かにラットのデータでは、そのような結果が出たようなのですが、よく考えると、ラットは夜行性ですから当然の結果なのです。人間は夜行性ではないので、ラットで証明されたことを人間にそのままあてはめるのには無理があります。
 つまり、専門家がすべてよく知っているわけではないんです。それでは、健康に良いかどうか、をどうやって確かめたらいいのでしょう。
 一般的には、できるだけたくさんの人からランダムにデータを集めて、それを統計的に解析する無作為割付試験、すなわちRCT(Randomized Controled Test)という手法があります。しかし、これは大変手間がかかるのであまりやられていません。評価の指標で一番文句がないのは、寿命が延びることですが、これも検証は容易ではありません。
 最近は、科学的根拠(エビデンス)に基づいた医療、すなわちEBM(Evidence Based Medicine)が「はやり」となっています。そのエビデンスについて、質の高いものから低いものへと並べると、臨床疫学的な研究(RCT)>症例研究>動物実験>教科書の記載>権威者の見解>個人的な経験、といった順になります。すなわち、権威者の見解が必ずしもあてにならないことから、エビデンス重視の考えが出てきています。
●医者の判断、患者の好み
 ある学生が、「寝る前に食べたほうがいいのか、食べないほうがいいのか、どっちなんでしょうか?」と
聞いてくるんです。すると別の学生が「好きにしてみたら」という。これは一見無責任な答えのようですが、patient’s preference、すなわち「患者の好み」といって、大切な考え方なんです。EBM では、エビデンス、患者さんの好み、医者の臨床能力、の3つが大事なものです。
 私は質問してきた学生に対して「寝る前に食べることを1週間続け、そのあとに、
寝る前に食べないことを1週間続けてみて、あなたにとってどちらが調子がいいかを判断してみたら」といいました。重要なのは、医者と患者の関係です。患者の勝手にしろというのでなく、「一緒に考えましょう」となると、患者の受け止め方はかなり違ってきます。これを「N of 1 試験」といいます。
 RCT のような確率論、一般論でなく、目の前の患者さんをどうするかが大切なのです。しかし、これは他の患者さんには適用できません。東洋医学のやり方はこれに近いんです。何よりも目の前の患者さんと対話をすることが重要なんです。でも現状はどうか。例えば高血圧の薬を飲んで、脳卒中で死なないのは30 人に1人の確率、つまり30 人中29 人は薬を飲んでも影響がない、ということなんですが、それでもその薬は再現性があるということで「有効」とされているんです。
●医者と患者の対話
 慢性的に下痢でお腹が痛くなるという女子学生が来ました。一般的には過敏性腸症候群といいます。
 いろいろ症状や話をきいたあと、「今の状況をどう思いますか?」と聞いてみました。
「ストレスのせいとか言われても納得できません。」
「下痢の為に安心していろいろなことが出来ないこと自体が、ストレスになっているのではないです?」
「そうです。その通りです。」
「そんな状況で、1年間よくがんばってきましたね。」
すると、患者さんに泣きだされました。
「それなりの状態で、大学生活を楽しく過ごしてみたらいかがでしょうか」
その後も下痢はありましたが、患者さんはそのことを次第に気にしなくなっていきました。
 すこし一般的に考えて見ましょう。
 お腹の調子が悪くなる人は、世界中どこの都市でも5人に1人はいます。「体質」といっていいでしょうね。不快な気分は、身体に影響を与えます。一般的には胃腸の働きが亢進したり、知覚閾値が低下したり(痛みに対する感度が上がる)します。これにうまく対応できないと、さらにいやな気分になる。悪循環です。これを「心身相関的悪循環」といいます。ここでは最初のきっかけはどこかへ行ってしまうんです。したがって、原因を探すよりも、この悪循環のサイクルを断てばいいわけです。そうなると、治療方法は一つとは限りません。
●人を落ち込ませる方法
 ここで、この仮説を利用して、人を落ち込ませる方法を教えましょう(笑)。
 症状を過小評価する「おおげさだ、そんなはずはない」、 突き放す「単なるストレスです」、 不安をあおる「手遅れになったら大変だ」、 悲観的な説明をする「一生治らないもしれないよ」、 過剰に生活を制限する「酒飲むからだめなんだよ」、 実行不可能なアドバイスをする「気にするな。病を受け入れなさい。自発的に努力しなさい」など。これらをやられると確実に落ち込みます。
 だから、相手が悪くならないようにするには、これらと反対のことをすればいいんです。すなわち、 相手の訴えを共感的に傾聴、 適切な説明、 目標を現実的に設定、継続的に援助、 最小限の検査・投薬、といったことが重要となってきます。
● NBM とは
 そこで私が重視したいのは、NBM =ナラティブ・ベースト・メディシンです。NBM とは、患者と医者の間で交わされる対話を治療の重要な一部であるとみなし、患者の病と、病に対する患者の対処行動を、患者の人生及び日常生活の中で展開される大きな物語の一部とみなす医療です。そこでは、患者は物語の対象ではなく主体であること、物語は多様であり、単一の見方はしないことなどがポイントとなってきます。
 このようなNBM は一見、EBM と対立する概念に見えますが、両者は、補完関係にあるといえましょう。
 今回のトークサロンでは、常に生活者が直接的にかかわる「健康」というテーマに対して、そのコンセプト自体がきわめて相対的かつアイマイであること、専門家である医師と患者という構図が必ずしも絶対的・固定的な関係ではないこと、患者や生活者の知の(世代間あるいは横断的な)継承の必要性、などがメンバー共通の了解事項となりました。トークサロンの話の続きは、近くのもんじゃ屋さんで、寒さを忘れ、鉄板を囲んで熱く語られました(「めんたいチーズもんじゃ」が美味でした)。
■パネルディスカッション
柄本 トークロンという形式はとても面白かったです。
川嶋 医療を良くするには、トップダウンでなくボトムアップで変えていくしかありません。
鈴木 世の中にはこういうお医者様がいるのかと思いました。特定の医療施設に患者が集中してしまいます。妊婦さんは不安を抱えており、特に斎藤先生のお話はとても参考になりました。
斉藤 医者自身も専門家であると同時に生活者であるといえます。メディアからの健康情報をけしからんとするのでなく、一般市民も結構、新しい物語を作って楽しんでいるんですね。広い意味での健康観を育成していくうえで重要な視点ですね。
上田 医者と患者が一対一で対処せざるを得ないとき、どうすれば対話を重視する医師を見つけられるでしょうか。医師に頼らず、患者側だけで何が出来るんでしょうか。健康情報はいろんなチャネルから入ってきます。具体的な行動選択にどうつなげていけばいいのでしょうか。
川嶋 いい医者を見つけるには、自分の足で稼ぐしかありません。ダメな医者をみつける方法が2 つあります。 風邪を引いたときに風呂に入っていいかどうかをきちんと説明できない医者、個人の開業医でゴルフ自慢をする医者はやめたほうがいいです( 笑)。患者が自分のために医者を選べばいいんです。
斉藤 医者がいることで患者の数が増えるのはおかしい。現状では、患者さんが自分で判断するのを医者が邪魔しているみたいです。医師と患者さんの体験( 物語) を共有・交流する場において、うまくファシリテートできる人が欲しい。専門家による啓蒙型のインターネットはダメなんです。それを医者以外の方にやってほしいんです。
鈴木 インターネットサイトでの対話を見ると、専門家であると同時に生活者である、という立場は良く見受けられます。医師であると同時に母でもあるとか。
斉藤 ソーシャルネットワークサービス(SNS) では、様々の分野からのコミュニティメンバー参加により、きわめて有効な議論が交わされることも多いんです。その時にもファシリテータが必要ですね。
柄本 巷間言われるほど、一般市民も馬鹿ではないと思います。逆に、発信者サイドがかならずしも科学的であるとは限らないですよ。自分の身体のことは自分が一番良く知っているんです。自分の子育ての経験もそうです。じいちゃん、ばあちゃんがやっている日常的な賢さの方に目を向けて見たいんです。
上田 社会学は全体の状況を見せてくれるが、具体的な行動選択にはなかなか役にたっていないのでは?
斉藤 専門家は、「種明かし」を常にしていく必要があります。情報を受け取る人たちをエンパワーしていく必要があります。生活知や臨床知は言葉にしにくい、明示化しにくいんです。そして明示化した途端に、「科学の手先」と言われてしまいます。構造自体を明示化して、それを各自が行動に取り入れて
暗黙知にしていくしかないんです。それを一気にやらずに、少しずつ伝えていく必要があるんです。
和田 QOL といった時に、医者は「生命」を扱うが、自分の「生活」と「生活」は自分自身でないとわからないところがありますよね。
柄本 ただ、生活知ならすべて良いということでなく、常に「なぜ?」という疑問を持つスタンスが重要だと思います。
斉藤 医者に対しては、まず、それにはエビデンスがありますかと問うてください。エビデンスがない時は、医者の語る「物語」と考えてみてください。

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