大川小事故検証委員会はなぜ混迷を続けるのか
林 衛(富山大学人間発達科学部/ジャーナリスト/市民科学研究室会員)
pdfはこちらから→csijnewsletter_022_hayashi_20140115.pdf
東日本大震災でも最悪の被害をもたらした石巻市立大川小学校の被災原因を究明するための検証委員会が2013 年2 月に組織され,専門家による調査がスタートしたのだが,検証作業は混迷を続けている。現地での聞き取り,第4 回以降から第8 回までの検証委員会傍聴などをもとに,混迷の原因を考察してみたい。
情報収集におくれをとる検証委員会
2011 年3 月11 日,東北地方太平洋沖地震の揺れを感じた50 分後,宮城県石巻市立大川小学校校庭に待機した児童のほとんどが教職員とともに大津波に襲われ命を失った(犠牲となったのは大川小児童74名,同教員10 名,迎えにきていた大川中生徒3 名。人数が把握できていない大川地区住人の犠牲者もいる)。小学校にいて助かった児童は4 名,教員は1 名であった。学制発布以来最悪級の学校管理下での遭難事件だ。学校管理下では,児童・生徒は教員の指示を離れた行動を自由に選べない。学校組織,教員には,児童・生徒の安全を守る義務,責任,役割があるのだ。
地震発生後,津波到達前に裏山に登れば助かったのに,倒木があるので断念し津波にのまれた,といった報道に接し,登れるくらいの緩斜面ならば安定しているだろうに,ほんとうに(あるいはどうして)そんな判断がされたのだろうか,疑問が感じられた。2011 年夏に現地を訪問,津波到達によると思われる倒木はあるものの,それ以外に裏山への避難を心配させるような異変はみられず,疑問は解消されるどころか,深まっていった。
事実を徹底的に重視する遺族は,震災発生直後から詳細な情報収集をしてきている。それに対し,情報収集が追いついていない状況のまま,自らの経験や理論をもとにした一般論を中心に報告をまとめようとする検証委員会の専門家たちとのあいだに溝がある。目的意識と事実認識の質と量いずれにおいても,落差は大きい。混迷の原因をひとことでいえば,こうまとめられる。
核心部分が後回しにされてきた
なぜ裏山への避難がされなかったか,それが最大の問題である。「外堀から埋める」(室崎益輝検証委員会委員長)とされ,肝心な要点への斬り込みが遅れ,レベルの低い検証がなされているという事実は,当事者から少し離れていると,にわかには信じがたいだろう。しかし,12 月22 日に開催された第8 回検証委員会の時点で,室崎委員長自身が,「少なくとも(石巻市)教育委員会による調査のレベルは越えなければならないだろうし,越えているはずだ」と述べるに留まっているのである。
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