防災のチェック、緊急避難・救助の訓練を普段から重ねておこう

投稿者: | 2008年3月1日

巻頭言
防災のチェック、緊急避難・救助の訓練を普段から重ねておこう
 2月23日に行われた第25回市民科学講座「東京直下型地震 あなたはどう備えるか」がとても有意義だったので、その簡単な報告をしたい。
 「事前体験調査隊になってください」との呼びかけに応じて集ったのは12名。東京・池袋にある防災館の見学からスタートした。防災館は無料でほぼ年中無休の施設であり、予約さえ入れれば参加者の都合を勘案して体験プログラムを組んでくれる(職員による丁寧なガイダンスがつく)。当日は「煙」「地震」「消火」の3つを体験したが、体験中の万一の事故に配慮していくぶん手加減してはいるものの、発生する煙の中を腰をかがめて誘導灯を頼りに避難路を見出すことがどれだけ困難か、あるいは震度6の横揺れで無防備な家具類がいかに無惨に転倒・飛散するか、そしてどんな地域や居住区にも備えてあるはずの消火器・消火栓にこれまでほとんど注意を払わずにいて、その扱いにも慣れていなかったこと――などを思い知らされるには十分だろう。だがじつは、一番衝撃的だったのは、消防庁が製作した『マグニチュード7 東京直下 私の証言』という3-D(立体映像用)眼鏡をかけてみる20分ほどの映画だった。表題のとおりの地震が東京を襲ったときの状況をいくつかの日常の場面別にひたすら映し出すのだが、これは実際に起こった地震の記録映像かと思わせるほどのリアルな演出に、立体視の効果が相まって、観ている者の身体が震え、悲鳴を上げんばかりの迫力なのだ(TV放送で流れてお茶の間で大画面でみたりすると、大騒ぎになりそうなほど、と言えばよいだろうか)。これは全国放送は無理だとしても、学校や地域で誰もが簡単にみることができるようになるとよいのだが。
 次に、2グループに分かれ、豊島区と文京区の地図を手がかりに、春一番の強風が吹きすさぶ中、「地震が起こったら…」を意識しながら街を観察し練り歩いた。これまで気づきもしなかったことがいくつも目に入ってきた。例えば、阪神淡路大震災以後に、高速道路の耐震を補強するために、道路の側面の繋ぎ目に特殊なブロックでワイヤーがかけられていたりするのだが、それが中途のままになっているところが目につく。看板や電柱(や柱上の変圧器)などは、地震の際に倒壊したり落下したりする恐れがありそうだ。皆が避難場所に向かう際に多くの人が殺到してパニックを起こしかねないような複雑な細い路地が少なくない。……これらを収めた写真をみながら、後に「調査隊」で議論をした。震災を意識して自分の住む地域を地元の人々と一緒にくまなく歩き回る機会は、今後ぜひ欲しいなと思った。
 最後は、「安全に、できるだけ多くの瀕死の重傷者の命を救う」ことを目標に、CERT(Community Emergency Response Team)のトレーニングプログラムを体験した。プロとしての訓練を受けた4人のトレーナーの指導で、重傷者の探索・トリアージ(選別、初期応急手当)、瓦礫からの救出(てこの原理を使い支柱で安全確保して)、負傷者搬送の3つを実施した。驚いたのは、暗い部屋で瓦礫に埋もれている複数の人(負傷者を演じる人と人形を使う)を懐中電灯で探し当て、その重傷度を判別して応急処置を施すという訓練では、それが模擬体験だとわかっていても、暗い中でうめき声などを聞いてしまうと非常に焦ってしまい、何をどうすべきかがわからなくなってしまう、という自分を発見したことだ。この情けなさは体験してみないと痛感できない。人ひとりを搬送することもチームでの力の合わせ方を心得ていないと非常に困難であり、そして、てこの原理を生かして瓦礫などを持ち上げて被害者を救出するのも、井桁(いげた)をうまく組んで重い物体を確実に崩れないように支えること自体が決して簡単でない。実際に瓦礫に埋もれた人に向き合うことになれば、今の自分がいかに無力か、想像するだにため息が出る。
 簡単な疑似体験だったが、地震の被害と混乱の事態をいくらかでも肌身に感じ、訓練を繰り返し受けることなくして危機への的確な対応はあり得ない、と確信できたことは大きな収穫だった。
 これからは機会あるごとに、地震対策や危機管理のための学習や体験を自ら重ねていきたい。そして、多くの人にもそれを呼びかけたい。■

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