放射線リスク言説を検討する~霜田求さんを囲んで~
はじめに
2015年8月の市民科学講座(「霜田求さんとともに考える 遺伝子検査ってどこが問題なんですか?」)へのご登壇に際して、霜田求氏(京都女子大学現代社会学部教授)から送っていただいた論文は、福島原発事故後に噴出した放射線健康リスクをめぐる様々な言説をうまく類型化し、批判的に検討した出色の論文でした。後に『生命と科学技術の倫理学 デジタル時代の身体・脳・心・社会』(丸善2016年1月)の中の1篇として収めることになったこの論文を市民研・低線量被曝研究会の仲間で読み、霜田氏を囲んでの談話会に臨むことになりました。ここに掲げるのは、その8月8日に実施された談話会での、議論の記録です。読者の皆さんには、この本の霜田論文を読まれた上で、談話会記録を読んでいただければと思います。
当日は、霜田求氏による「リスクをめぐる言説と対立構図―その批判的検討」、上田昌文による「”放射線健康影響に関する専門家フォーラム”の実践から」、柿原泰による「放射線健康影響問題を歴史的に捉え直す」の発表を、実技応答を交えながら行いました。ここでは霜田氏の発表を受けてのやりとりのみを掲載し、その後の部分は割愛させていただきます。機会を改めて報告できればと思います。
出席者:霜田求(話題提供者)、柿原泰、吉田由布子、瀬川嘉之、上田昌文(以上、低線量被曝研究会)、西田進(市民研会員) ほか参加者1名
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(霜田)私はもともと哲学・倫理が専門でヘーゲルやハーバーマスなどドイツ近現代の社会哲学・倫理学や、生命倫理・環境倫理などの応用倫理なんかをやってきました。1998年に熊本学園大学に着任し3年間いたのですが、そのときにちょうど原田正純さんがその大学に移ってこられて水俣学プロジェクトが立ち上がり、私も参加することになりました。水俣現地に行ったり、原田さんと一緒に患者さんにお会いしたりして、強烈な印象を受けながら自分に何ができるのだろうかといろいろ考えました。その当時、ダイオキシンや環境ホルモン問題が非常に盛んだったので、そこで語られるリスクについて考えようと思い、私のような文系の人間でも対応できることがあるのではないかと思って、検討し始めたわけです。
そのときにリスク論といえば中西準子さんでしたが、彼女のリスク論を読んでいると何かおかしいと感じ、そのことを言葉にしようといろいろ考えました。ダイオキシン・環境ホルモン問題と同じ構造が水俣にもあったのだということが資料を読んでいてわかったのです。1956年に水俣病公式発見があり、その後59年にチッソ水俣工場の排水に含まれるメチル水銀が原因であると熊本大学が発表したのですが、因果関係が証明されない以上排水は止められない、ということになりました。そこで、リスクをめぐる議論、とりわけ因果関係の特定、疫学的あるいは病理学的なレベルでの関係について、一般の人も理解できるような形で論点を整理する作業を進めました。それを「水俣病事件の教訓と環境リスク論」という論文にまとめました(熊本学園大学『社会関係研究』第9巻第1号(2002年11月))。『水俣学研究序説』(藤原書店、2004)という本にも収録されています。
そこで考えていたことが福島にも当てはまるのではないか、二度あることは三度ある、これは何とかしないといけないと思ったわけです。つまり水俣やダイオキシン・環境ホルモンの教訓は何も活かされていない。同じことが繰り返され、かつそれが堂々とまかり通ってしまう。これは重大な問題であり、明確にする必要がある。そこで福島原発事故に関する膨大な資料の一部を読み解く作業を約1年ぐらいかけて行い、まとめました。科学技術の倫理をテーマとする科研グループで論文集を丸善から出版することになり、そこに収録される予定です。
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