「子どもの大学」

投稿者: | 2007年3月1日

写図表あり
csij-journal 003 Kinder-Uni.pdf
「子どもの大学」
齋藤芳子
(名古屋大学高等教育研究センター助手)
 初夏の毎週火曜日17時15分,ドイツのチュービンゲン大学で一番大きい講義室は,好奇心いっぱいの子ども数百人で埋め尽くされます.講義室に保護者はいません.子どもたちは「子どもの大学(Kinder-Uni)」の開講を待っているのです.大学というからにはもちろん,学生証を持っています.そして,講義開始予定時刻から15分間,待ちぼうけを食らうのです.なぜなら,それがドイツの大学の流儀だからです.この”クム・テンポーレ(Cum Tempore)”の洗礼を受けたら,いよいよ講義が始まります.講義のテーマは「なぜ~なのか?」という疑問文のかたちで表されています.模型や映像を観たり,歴史物語りを聞いたりしながら,子どもはすっかり学生気分になって,面白いとき,賛意を表したいときには,机を拳で鳴らしてみせます.これもまた,ドイツの学生の流儀なのです.講義が終われば,学生証をもって学生食堂へ直行,ほんものの大学生に混じって食事をします.学生証があれば,無料で食事ができるのです.
図1  「子どもの大学」 の講義の様子(ウェブサイトより)
「子どもの大学」の発案者はチュービンゲン大学広報室の職員であるザイフェルト氏でした.彼は,仕事を通じて知り合ったジャーナリスト2人との雑談のなかで「好奇心いっぱいの子どもと大学教授を一緒にしたらどうなると思う?」と問われ,大勢の子どもが大学生のように教授から講義を受ける様子を思い描いて,それを実行に移したのです.2002年のことでした.幸いにして学長の支持がえられ,すんなりと実施に漕ぎつけたと言います.
それから毎年,春から夏にかけての毎週火曜夕方に,大学でも一番大きい700人も入れる講義室を使って,8歳から12歳の子どもを対象にした計8回の講義が行われています.参加する子どもの数は多いときには1300人,少ないときでも300人は超えるといいます(ちなみに一番少なかったのは,2006年サッカーワールドカップでドイツにとって大事な試合があった日だそうです).各回のテーマは興味を引くような疑問文で表され,毎回ちがう大学教員が担当しています.2002年のテーマは表のようなものでした.この疑問文形式のテーマと講師役を決めているのは,ザイフェルト氏と2人のジャーナリスト,そしてチュービンゲン大学の研究教育担当副学長の4名からなる組織委員会です.こんなテーマをぜひ取り上げたい,と講師役を探すこともあれば,ふだんのプレスリリースなどの様子から,ぜひこの教員を講師にしたいと思ってテーマを編み出すこともあるといいます.
表 チュービンゲン大学「子どもの大学」第1学期(2002年)の講義テーマ
第1回 なぜ恐竜は滅びたのか
第2回 なぜ火山は火を吐くのか
第3回 なぜ貧乏人と金持ちがいるのか
第4回 なぜ私たちはジョークを聞いて笑うのか
第5回 なぜ人は死ななくてはならないのか
第6回 なぜサルから人間が生まれたのか
第7回 なぜイスラム教徒は絨毯の上で祈るのか
第8回 なぜ学校はつまらないのか
子どもが大学生気分を味わえるような仕掛けも随所に施されています.ザイフェルト氏はこれを「ロールプレイイング」と呼んでいます.保護者が講義室に入れないのも,学生証の発行も,”クム・テンポーレ”も,学生食堂での食事も,みなロールプレイイングなのです.というのも,大学という学問の場を広く知ってほしい,とくにこれから大学に進学するかどうかを決めることになる子どもにPRしたい,というザイフェルト氏の大学広報室職員としての思いがあったからです.だから,子どもの知的好奇心を刺激することが第一に考えられていて,科学教育とか大学の社会貢献とかはそれほど重視されていません.
じつは「子どもの大学」の企画運営は,大学広報室の本来のお仕事―広報誌の刊行や公開講座の企画運営など―とは別扱いの,おまけの仕事に過ぎません.それでも参加費無料で成り立っているのは,ジャーナリスト2人が所属する地元新聞社の後援があるためです.「子どもの大学」の広報は,大学広報室のウェブサイトと地元新聞紙に載せるだけです.講義ではとくにテキストを配布することはありませんし,講義中はザイフェルト氏と2名のジャーナリスト,さらに2名の広報室員が講義室にいて,子どもが騒がしくなったら静かにさせるだけです.学生食堂での食事代は新聞社がもってくれています.
「子どもの大学」は,始まってすぐにマスメディアの注目を集めました.あまりに多くの問合せがあるので,ジャーナリスト2人が2002年の講義をもとに書籍を刊行したほどです.この書籍は世界12カ国語に翻訳されていて,日本語版もあります.また,ドイツ語版のみですが講義の様子を記録したDVDも発売されています.その結果,いまではヨーロッパ中,とくにドイツ語圏の国々において,同じような取り組みがたくさん行われています.2005年12月にはザイフェルト氏の新しい試みの成功に対して,欧州委員会よりEUデカルト賞・科学コミュニケーション部門が授与されました.このように「子どもの大学」の存在が有名になった今,講師に名乗りをあげる教員は引きもきらず,ザイフェルト氏らが選抜を行わなければならないほどです.「子どもの大学」で講師を務めることは,大学教員にとっては謝金もなければ昇進の糧にもならない仕事なのですが, とても名誉なことであり,そして最上の楽しみなのだそうです.そんな講師たちのために,ザイフェルト氏は,大人数の子どもの関心をひきつけ,講義を成功させるための秘訣を「講師のためのティップス集」として提供してもいます.
 その一方で,ザイフェルト氏は2つの新しい活動を始めました.1つは,「子どもと研究者の日」で,子どもが研究者と触れ合えるよう,たくさんのワークショップを用意しています.「子どもの大学」で好奇心が芽生え,大学生気分を味わった子どもたちに,さらに,大学のふだんの研究活動の様子を知ってもらおうというわけです.もう1つは,「大人の大学」.こちらは有料ですが,「子どもの大学」の大人向けのような講義を夏休み期間中に行うことにしました.「子どもの大学」に付き添ってくる親たちは講義室に入れなかったわけですが,子どもから講義の様子を聞き,自分たちも講義を受けたいという要望が多かったのだそうです.
図2  「子どもの大学」 の講義の様子(ウェブサイトより)
 こうして見てみると,チュービンゲン大学の「子どもの大学」やそれに付随する活動は,いろいろと示唆に富んでいます.たとえば,講義という形式は一方通行だと批判されがちなのですが,ロールプレイイングというアイディアによって魅力あるものに変えているという上手さがあります.また,それぞれの活動は対象を絞っているので,子どもが対象なら子どもの興味を上手く引きだせるような問いのたてかた(「なぜ」で始まる疑問文形式)にすることができます.しかも,お金はほとんどかけずに実施しています.一方では大学の外の組織(新聞社)と一緒に活動することで,自由な運営を可能にしてもいます.「子どもの大学」に入れなかった親たちの要望に応えているあたりにも,大学側の柔軟さがうかがえます.
一市民として,大学生の役を演じることも,新たな活動をともに切り拓く仲間になることも,できる時代になりました.この報告を読んでくださった方が,「自分なりの大学との関わり方」に思いを馳せていただけたら,嬉しく思います.■
参考資料
・ 「子どもの大学」 ウェブサイト
(URL http://www.uni-tuebingen.de/uni/qvo/kinderuni-2006/kinderuni.html).
・ Ulrich Janssen,Ulla Steuernagel, “Die Kinde-Uni”, Deutsche Verlags-Anstalt GmbH (2003).
・ ウルリヒ・ヤンセン,ウラ・シュトイアナーゲル編,畦上司訳,『子ども大学講座 第1学期』,主婦の友社(2004).
本報告は,平成17年度科学技術振興機構社会技術研究開発事業21世紀の科学技術リテラシープログラムより助成を受けて実施している,『基礎科学のための市民的パトロネージの形成』プロジェクトの成果に基づいています.

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