写図表あり
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科学技術のグレイゾーンリスクと生活者
上田昌文 (市民科学研究室・代表)
市民科学研究室の上田は、東京大学先端科学技術研究センター「安全・安心と科学技術」プロジェクト・ジャーナリストコース」の「リスク社会と報道」シリーズの第4回 「グレーゾーンの科学」において、「電磁波リスク等の評価と生活者の科学」と題して講演し、熱心な参加者と議論する機会を得ました(2006年10月14日)。ここの掲載するのは、その講演の記録を一部加筆訂正したものです。
■ 目次 ■
【1】生活者と科学技術のかかわり
(1)生活者としての選択/(2)全体の流れや文脈の捉え方/(3)かかわりの類型化
(4)科学技術における生活者の位置づけ/(5)必要とされる科学技術リテラシー
【2】市民科学研究室の取り組み
(1)テーマ紹介/(2)研究事例の具体的な紹介
【3】生活とのかかわりから見た科学技術リスク
(1)対策の幅とリスク因子/(2)グレーゾーン・リスク
(3)トップダウン型規制の難しさ/(4)ユビキタス社会での市民の不安
【4】「電磁波プロジェクト」とは
(1)盗難防止ゲート/(2)IHクッキングヒーター/(3)1日のトータル被爆量
(4)携帯電話/(5)東京タワー/(6)疫学データ
【5】まとめ
(1)「科学的バイアス」の存在/(2)問題解決に向けて
【6】質疑応答
今日の話は、試行錯誤しているところを見ていただこうという感じが強い内容です。最初の1時間は私が話しますが、そのあとの30分はぜひ議論したいと思っております。
皆さんのお手元に資料が二種類ございます。一つは今日の話の流れです。もう一つが電磁波問題に特化した資料で、細かいところをあとで確認していただくためのものです。
いま科学技術振興機構から助成金をいただいて、生活者と科学技術のかかわりをどんなふうに捉えて、生活者の側から専門知にどうアクセスできるか、どう評価できるかという研究をしています。その中で、私の頭の中に少しずつ築かれてきた図式や概念を紹介しつつ、皆さんに判断していただこうと思っています。
【1】生活者と科学技術のかかわり
(1)生活者としての選択
リスクの問題を生活者の立場から考える場合、生活者と科学技術がどう関わっているか、いろいろな角度から押さえていかなければなりません。私が考えると、基本的な要素が二つあると思います。一つは、生活者自身がいろいろな価値観を持って、いろいろな行動を選択しているという事実です。選択の根拠は利益だったり、目的だったり、価値だったり、いろいろあります。非常に個人的なものもあれば、公のものもありますが、その緊張関係の中で科学技術に関わる選択をしているのが現実です。もちろん個人が置かれた状況もあります。時代や地域、その人自身の年齢にも関係してきます。その中で、結局自分は何を優先して生きているのか、というミクロな選択をしています。それがいっぱい集まって流動する中でマクロが形成され、またそれに影響を受ける形で進んでいくわけです。
まずリスクの問題として、今日話すグレーゾーン・リスクとは対極にあるような、リスクが確定している問題を考えてみます。
喫煙リスクがあります。皆さんの中にも喫煙される方がいると思います。これは疫学的に健康に障害をもたらすことがかなりはっきりわかっています。国も、喫煙を身体にいいとか問題ないとはもう言えません。ところが現実として、例えばたばこの製造販売を禁止するかというと、そこまではいきません。なぜでしょう。個人で喫煙している方が禁煙に踏み切る場合もありますし、私の友達にもいますが、たばこの楽しみを捨てるぐらいだったら寿命が縮んでもいいという選択をする人さえいます。科学的データとしてはかなりはっきりしているのに、個人の選択肢として幅がある、という問題もあります。
私がいま調べていることで、母乳と粉ミルクの問題があります。女性には特に気になる問題ですが、日本では粉ミルクが使われるようになって、まだそんなに日が経っておりません。もちろん戦後のことです。世界的に見てもそうです。母乳はいいという話はいろいろ聞かされますが、現実の選択として子供に粉ミルクをやらざるを得ないということは、いろいろな状況から生じます。
最近、ほとんど粉ミルクだけで育った赤ちゃんと、完全に母乳で育った赤ちゃんを科学的に比較することができるようになってきています。その結果、健康面での粉ミルクのリスクが、いくつかの病気に関して見えてきたということがあります。そういうデータを突きつけられて「じゃあ、あなたはどうしますか」という問題があります。粉ミルク生産は大きな産業にもなっていますし、日本だけではなく第三世界、いわゆる発展途上国の子供たちに粉ミルクをあげることを世界の大きなメーカーが仕掛けたものですから、そのことによって昔からいろいろな問題を抱えていることでもあるんですね。
そういうことで、母親個人の選択に見えることが、実は社会的な趨勢によって決められた選択かもしれない。あるいは赤ちゃんの側から見れば、わずか一年ほどのあいだに飲まされた粉ミルクを母乳と比較すると、将来的なリスクに関して大きな差が出ることがあり得るわけです。それを赤ちゃん自身は選択できません。そういうややこしい問題が一方で起こってくるわけです。
(2)全体の流れや文脈の捉え方
もう一つ、生活者と科学技術との関わりを決める要素は、科学技術自身がいろいろな展開の仕方を持っていることに関連しています。これは皆さんの常識になっていると思いますが、研究開発から始まって、商品化、市場化、あるいはどこにそういう科学技術を適用するかという話が政策として出る場合もあります。それから教育や知識の普及ということで、私たちの中に浸透してくる場合もあります。最終的にはそういういろいろな過程を経て生活の中に組み込まれてくるわけです。
科学技術ですから、普及、一般化すれば、それによっていままでできなかったことができるようになります。言ってみれば人間の持つ機能を拡張したり、自然への操作性を大きくしたりすることを通して、私たちが自然や人間自身を変えていくことに大きく寄与しているわけです。それがいいことなのか。結局、私たちにある面でリスクをもたらすことが起こってくる、という流れになっているわけです。本来は、そういう全体の流れや様相を私たち自身が一人ひとりつかんで、その中でミクロ的な選択をどうするかを見ていく必要がありますが、なかなかそこまで行けません。
例えば「科学リテラシー」という言葉が使われます。これは科学の読み解き能力ですが、そこで言われている主だった意味は、いま研究開発されて出てきた新しい知識をどうしたら一般の人が理解できるか、ということです。つまり科学をいかに易しく解説し、的確につかませるかに重点が置かれます。私がいま言ったような、研究開発から始まって人間や自然の変容に至り着くような流れを「リテラシー」という概念で理解していこうという形では捉えられていません。その辺にも一つ問題があります。
それから、何がリスクで、どういう対策を立てていったらいいかというときに、語られる文脈があるわけですが、その文脈を捉えることが大事です。
皆さん、お砂糖のとり過ぎを気にされる方が結構いると思います。20年ぐらい前から「砂糖をとり過ぎると身体によくない」ということが頭に入ってきていると思います。現実に日本人の砂糖の消費はどんどん減っていますが、それが健康にどう影響するか、これはかなり微妙な問題です。
砂糖メーカーはどう言っているか。ときどき新聞広告や吊り革の広告に「人間には砂糖が必要です」と載ったりします。エネルギーは糖分からとっていますから当然必要だと言うわけです。大脳は大変たくさんの糖を消費しています。だから砂糖は要ると言うわけです。「ふうん、そうなのか」と思いつつ、「でも砂糖をとり過ぎると身体に悪いしな」と私たちは判断しているのですが、実はこれは文脈がありまして、いろいろ考えてみたら面白い問題です。
例えば二百年前の人類を振り返ってみたら、砂糖は一切とっていません。ほんの一部の人が高級な嗜好品や薬として使っていたという事実はありますが、長いあいだ人類は糖分というものを砂糖という形でとらずに生きてきたわけです。そういうことを考えると、私たちがいま砂糖をかなり消費している事実はいったいなにゆえなのか、という問いが成り立ちます。砂糖が大事だとか、砂糖が身体に悪いと語られる文脈は何なのか、と考えればいいわけです。そういう捉え方が要るのではないかということを示唆したいと思います。
私がいま言いましたように、生活者の行動の選択、価値観、科学技術の展開の様相が絡まり合って、生活者はどのように科学技術に関わっているかという形が決まってくると思います。
(3)かかわりの類型化
[生活者と科学技術のかかわりを]非常に粗っぽくまとめてみます。
一点目は、私たちにとって科学技術は必要不可欠だから、それを受け入れて使っているという面があります。
二点目は、いまの生活をさらによりよくするために科学技術を使うという面があります。あとで紹介しますが、生殖医療はその典型です。子供をもてないことに対して、従来は技術の力を使って子供をもつことは考えられもしなかった。ところがいまはある程度できるようになっている。つまり自分の個的な欲望を、技術を使って満たすことが、いろいろな面で可能になってきているということです。そういうものとしての科学技術があります。
三点目は、今日の主題であるリスクです。リスクを生んでしまったときにどうしたらいいかという問題が起こっています。
四点目は、よく理科教育などで強調されることですが、生活の中の楽しみとしての科学技術があります。例えばノーベル賞の発表がここ一、二週間続いていますが、ノーベル賞を受賞した最新の研究、その中身は一般の人には当然難しい。けれども、多少なりともその中身が「最新の研究はこんなふうになっているんだ」とわかると、それはそれなりに有意義だし、面白いし、人生が膨らむところがありますね。そういう、知識や理解が増進するという意味での楽しみもあるわけです。これらの面があることはご承知だと思います。
(4)科学技術における生活者の位置づけ
「生活者」が、こういうものの中でどのように位置づけられてきたかを見てみます。一面的な記述になりますが、私の立場から言えばかなり受動的な位置づけがされていたという気がします。
一つは、理科教育では当然「教えを受ける者」です。二つ目に、技術に関しては「受容する者」、消費者であったりユーザであったりするということですね。三つ目に、科学メディアでは「読者」「視聴者」であるという位置づけになってきています。
ところが、今日取り上げるようなリスクの問題を、少しでもいい方向に前進させようとするならば、こういう受動的な位置づけの中に生活者を押し込めておいていいのか、という問題が出てくるわけです。
科学技術に特化した問題ではありませんが、例えば環境行政などの面を考えてみると、市民をどのように意思決定へ参加させていくかが能動的位置づけとして大きなテーマになっています。それから、私たちのところが一例ですが、市民自身によって調査研究することが起こってきています。それから、NPOが市民を代表して専門家との中継ぎをして、いろんな活動をしていくケースももちろんあります。
また、商品やサービス、メディアに対して、生活者の側から評価していくということがあります。例えば商品テストが典型です。皆さんが商品を買うときに商品テストをどれぐらい参考にされているかわかりませんが、日本は商品テストの規模が非常に小さくて、イギリスやアメリカに比べると、一桁から二桁、利用者が違います。それは、まずやっているところそのものが小さい。日本は「国民生活センター」と各都道府県にある消費生活センターぐらいです。あとはよくご存じの『暮らしの手帖』があります。『暮らしの手帖』は、長年の方針として非常に厳密な商品テストを繰り返していましたが、最近はそれがなくなってしまいました。いずれにしても、そういう限られたところが、かなり限られた品目に関してやっているだけでした。
皆さんは、その商品テストの結果をどこで見られるか知っていますか。実はインターネット上で公開されています。でも、私がインタビューしてみると、利用者そのものが少ないという現実があります。せっかくお金をかけてやっていても活かされていません。欠陥が明らかになり、クレームが社会的な問題になってから初めてその商品に目が行くことはありますが、事前にそういう商品テストでチェックしていくことも不可能ではありません。
それから、大学や行政が地域の住民と結びついて、いろいろな連携の活動が起こってきています。そういうことを考えますと、生活者の位置づけを単に受動的な位置づけにしておくことはおかしい。そこから転換しつつあると言えると思います。
(5)必要とされる科学技術リテラシー
リスクに絡んでは、いろいろなリテラシーやコミュニケーションが語られなければいけなくなってきます。そこで、どんなリテラシー、コミュニケーションが必要だろうかということをざっと見てみます。
一点目に、商品の使いこなしがあります。これがうまくいかないと、思わぬ事故に遭ったりすることは皆さんも経験していると思います。私は一回だけ、みのもんたの「おもいッきりテレビ」に出演したことがあります。「日本では使用説明書をちゃんと読まないために重大な事故が起こってしまうという例が結構ある。なぜそういう事故が起こるかを解説してくれ」と言われました。例えば、使用説明書と言えるかどうかわかりませんが、ペットボトルのジュースの飲み残しがあったとします。ふたをして、夏に暑いところに置いておくと爆発するんです。なぜかわかりますよね。中で発酵して炭酸ガスが発生するからです。そういう事故や、電子レンジの事故、電気カーペットの低温やけどなどをいくつか紹介してくれということでやったわけですが、そういう使いこなしに関しても、ある種のリテラシーが要るのは事実ですね。
二点目として、商品やサービスを選択するときに、何を選んだらいいのかということでもリテラシーは必要です。
三点目は、リスクがいったん見えてきたときに、どう対処したらいいかということも起こります。
四点目は、かなり次元の違う話になります。例えばいま研究開発されているものに対して、皆さんが「あれはちょっと変じゃないの、そんなことまでする必要があるの」と思ったときに、どのように意見が言えるかを考えてみてほしいということです。例えば、日本は基本的には軍事にかかわる研究をしてはいけないことになっています。だけれども人工衛星を飛ばして情報収集するときに、高精度の光学センサーなどを開発する研究はどうなっていくんでしょう。それはきわどいですね。かなり軍事に転用される可能性が高い。いまはそうしたものの研究開発に大きなお金が流れていますが、一般市民は全く文句を言えないというか、どう文句をつけたらいいのかよくわからない。そういう立場に置かれているのではないかなという気がします。この種のことは非常に多い。
あるいは遺伝子組み換え作物があります。日本はお米の国ですから、遺伝子組み換えのイネをつくろうじゃないかという話があります。中には、例えば花粉症の人口が増えたので、花粉症を予防する薬剤としての機能を持った米を開発しようと言われています。「何か気持ち悪いな」という気がする人が多いと思いますが、そういう開発をすると決められたときに、どうしますか。消費者として黙って見ていますか。私たちの税金がそれに使われている事実があるときにどうするか、という問題です。
五点目には、先ほど言いました、発展している研究の内容を理解するという狭義のリテラシーの問題があります。
六点目は、専門家との意思疎通が必要になるケースがあります。典型的には医者と患者の関係です。病気になったらすぐ体験するわけですが、医者が診断をくだす。それはどういう根拠なのか知りたいので説明をしてくれということで、医者がこれから行なう治療に関しての「説明と同意」(インフォームド・コンセント)をすると言われます。しかし、それがどこまで実質中身のあるものになっているのかどうか。医療の場合は典型的ですが、そういうことがいろいろな科学技術に関して起こり得るということです。
最後に、何か問題を解決しようとするときには、専門知を市民の側から活用していかなければいけないことが起こってきます。例えば自分の居住区に廃棄物の処分場ができるとしましょう。そのときに、どういうごみが持ち込まれて、どういう環境汚染をもたらすものであるかということは、そんな簡単にデータが公開されるものでもありません。それをどうやって調べたらいいのかということが問題になります。住民がなんとか頑張って専門家を呼んでいろいろ議論をし、行政とやりとりをしている中で、少しずつそういうデータが明らかになってくるというケースをずっと繰り返しています。そういうことのために、専門知の活用のいいやり方があるのではないかなということです。
これらの意味で、リテラシーやコミュニケーションがいろいろな局面で必要になることは理解していただけると思います。
【2】市民科学研究室の取り組み
(1)テーマ紹介
私たちの研究テーマのいくつかを具体的に紹介します。
一つ目は、後ほど話す携帯電話です。例えば小中学生に携帯電話を持たせるべきか、皆さんはどう判断をくだしますか。実は先ほど言ったリテラシーやコミュニケーションのいろいろな要素がここに関わってきます。
二つ目は不妊治療です。私たちが調べたところでは、不妊治療を受ける人にとっては経済的にも精神的にも肉体的にも非常に負担が大きい。なぜこんなに大きな問題が放置されているのだろうかという問題があります。
三つ目には、先ほど言いましたように、食べ物の問題があります。
四つ目はオール電化です。今日は電磁波絡みで紹介しますが、例えばIHクッキングヒーターを使ったオール電化が本当にエコなのか、経済的なのか、これは計算してみないとわからないんですね。オール電化にした人は皆さん、計算してから本当に納得してやっているんでしょうか。
それから五つ目に、ナノテクの化粧品があります。例えば非常に効果の高い日焼け止めで、ナノ粒子を使っているものが出てきています。こういうものがちゃんと表示されているかというと、実はされていません。専門レベルでは、ナノ粒子がどう身体に影響するかということは、まさに今日テーマにしているグレーゾーン・リスクです。まだはっきりわかっていません。けれども商品としては先行的に市場に出ているという現実になっています。こういうものをどう理解したらいいかということです。
六つ目は医療被曝の問題です。これもちょっとやっています。あとでグラフを見せますが、日本は他の国と比べて、X線検査の頻度やCTの導入件数が突出して多いんです。なぜここまで放射線による診断にこだわるんだろうかと思いたくなるぐらい多い。そのことによってリスクが確実に生じていると私は見ています。そういうことを、治療を受ける側はどこまで認識しているのだろうか。医者は放射線リスクについてきちんと説明できるのだろうかという問題です。
これらを理科教育に引きつけて、私たちの理科教育はどこまで役に立つのかなという観点で考えてみますと、残念ながらちょっと苦しい感じがします。
携帯電話は、いま中学生の半分ぐらいが持っていますが、リスクの問題云々よりも、もう現実が先行している感じです。不妊治療は、いま夫婦の10組に1組が不妊だと言われていますので、当然教育で論じられていい問題だと私は思いますが、教育で論ずるのはなかなか難しいですね。それから食べ物の問題は、家庭科では食べ物をつくるという栄養の観点が見られますが、リスクという観点から触れられることはほとんどないと思います。
オール電化は、元をたどっていくと原子力絡みの問題になりかねないので、なかなか扱いが難しいです。ナノテク化粧品については、カーボンナノチューブやフラーレンの紹介が中学生の教科書にもちょっと出てきますが、リスクのことなどはもちろん触れるすべもありません。それから医療被曝ですが、放射線リスクは、放射線そのものも単位やいろんなものを理解することが難しいという事情もあって、ほとんど扱われていません。そういうことで、いろいろ問題がありそうだという気がします。
(2)研究事例の具体的な紹介
先ほど言いましたような私たちがやっていることを紹介します。
「放射線リスク」 放射線はたとえ低線量でも閾値はなく、低い割合なりに被曝のリスクが生じるというのが一般の考え方になりつつあります。高木学校のブックレット『受ける? 受けない? エックス線 CT検査』(2006年)によると、国際的に認められている基準から推定して計算してみると、日本は海外と比べて被曝の度合いが大きく、X線の被曝によって発がんするだろうと思われる人の数が年間7,500人ぐらいいるのではないかという計算になります。CTの導入もほかの国と比べると非常に多く、不思議な現象です。
「食品」 食材について個々にデータをとっていろいろ調べています。私たちがリスクを考えるときには当然知っていなくてはいけない事実がいろいろありますが、意外と知られていないことが多いことに気づいています。
例えば先ほど砂糖について言いましたが、砂糖は減っているけれども、それ以外の形の糖の消費は若干伸びています。皆さんも炭酸飲料を飲もうとすると、後ろに「果糖ぶどう糖液糖」と書いてあるのをよく目にすると思います。あれは実はでんぷんから人工的につくった糖分(異性化糖)です。そういうものの消費は若干伸びています。
発泡酒の中に入っている糖もあります。糖アルコールといいますが、そういうものを知らず知らずのうちに糖としてとっています。その辺の消費を考えると、糖分全体として私たちの身体にどうとられているか、調べてみる価値のあることです。
油についても、植物油が健康的だというイメージでずっと言われてきましたが、最近は厚生労働省もこれを間違いだと認めて、とる油の種類、α-リノレイン酸やリノール酸などの割合が重要だとするチェンジが起こっています。そういう感じですが、日本人の脂質の消費量はこの50年で3倍になっていて、これが健康にかかわる大きなファクターであることは間違いないと思います。
牛乳も論争のテーマの一つです。私たちが牛乳をたくさん飲むことは本当に大丈夫なのだろうかという疑問が成り立ちます。
お米は、ピーク時の昭和35年ぐらいに比べると、残念ながら消費が半分に減っています。白米の中には意外なことに、お茶碗1杯分にコップ3分の1の牛乳に相当するタンパク質が含まれています。ですから、日本人の伝統食を見直してみると、かなり合理的にできているんだということがわかってきます。わかったからといって、私たちの食生活をそんなふうに変えていけるかどうかはまた別問題ですが。
大豆の自給率は4%です。直接口にする大豆の中に遺伝子組み換え大豆を使っている例は少ないんですが、油としては、当たり前のごとく入っています。面白いことに、中国はいま世界の大豆総輸入量の3分の1を占める大豆輸入大国になっていて、そういう事情が日本にどう影響するかも考えてなくてはならなくなっています。
それやこれやで食のことを研究していますが、子供たちの写真が映っています。私たちがいままで大事にしてきた基本的な食材をもう一回見直して、子供たち自身が、なぜこうやったらおいしくなるかを理解し、しかもリスクの少ない形で食を自分たちの手でつくる技術を身につけられるようにと思って、このような試みをしています。
そのときに、ただ単にレシピ通りにつくれということでは全く面白くないので、科学実験として位置づけて、なぜ、どうやったら、お米がおいしく炊けるんでしょうか、炊くときにどういうファクターが絡んでいるんでしょうかということを子供たちに実感させていって、例えば土鍋があれば自分でおいしく炊ける技術を身につける。いま、そういう方向でプログラムを組んでいます。4種類ぐらいのプログラムを開発していまして、ご飯つくりや、野菜の甘さを生かしたクッキーつくりをしました。今度は出汁(だし)についてやろうと思っています。そういうプログラムを組んで、子供たちに理科の実験として楽しみながら、最終的には技術を身につけてもらおうと狙っています。
「不妊治療」 先ほど言いました不妊治療の話です。私たち自身が255名の人に対してやったアンケートです。これ[グラフ「検査と費用にかかった総額」(略)]を見たらわかるように、不妊治療のために50万~100万(22%)、100万円~300万円(18%)、300万円以上(6%)と、50万円以上かけている人が半数ぐらいいるということです。それから、転院を繰り返す人が稀でないということがはっきりしています[グラフ「受けた最も高度な治療とクリニックの変更回数」(略)]。苦しい治療であるにもかかわらず、なぜ一カ所ですんなりいかないのだろうかということが問われるわけです。
それで、255名に詳細なアンケートを書いてもらって調べますと、いろいろなことが見えてきます。これはアンケートをとること自身が難しい中身です。いまの日本では、子供が産めない、産みにくい身体であることを事実として非常に語りにくい、公にしにくいことですから、不妊治療を受けたときの中身を細かく聞いていくことは大変です。私たちはベビーコム[http://www.babycom.gr.jp/]という子育て支援のグループと一緒にやりましたので、そこを通して幸いにも意見を収集することができました。
【3】生活とのかかわりから見た科学技術リスク
ここでまとめに入りたいと思います。では、科学技術のリスクとは何か、ということです。生活者の立場から見ると「持続可能性」と「健康」と「安心安全」という三つのキーワードで捉えられると思います。科学技術が生活へ組み込まれれば組み込まれるほど、これらの価値観がいろいろなところで損なわれる可能性が出てきます。その損なわれ方を定量化できるかどうかが問題になる。そう見たらいいのではないかなと思っています。
学問的に言うと、例えば「持続可能性」には環境科学的なアプローチが成り立ちます。当然、環境負荷というものが定義され、生活が劣化していくことの程度や確率をあらわすことになります。「健康」に関しては医学的・疫学的アプローチが成り立っていて、疾病とか障害の程度が発生する確率、あるいは治癒の確率を通して定量化していこうとするわけです。「安心安全」は工学的アプローチや心理面も絡むかもしれません。こういうことで、事故の程度、発生確率を見ていこうとするわけですね。
これらが絡んで、科学技術では「いまリスクはこの程度だ」という言い方がなされているのではないかなと思います。
(1)対策の幅とリスク因子
リスクの程度や中身を捉えようということですが、それだけでは駄目で、どう対策をしていくかが問われます。
実にいろいろなレベルで対策のとり方があります。問題によって、どれを適用していくかが問われるわけですが、特に行政にかかわる人たちは問題の性格を考え、いままでうまくいった例と、今後の手段の組み合わせを考えていかなくてはいけません。そういうことがリスク・マネジメントに関してすごく重要になってきます。
対策は、定量的なものと定性的なものを見ていきます。数値的なガイドラインは定量的な把握の典型です。ところが、それではうまく抑えきれないものもあり、予防的な対応が必要になってくる面があります。さらに言うなら、予防的かどうかもよくわからないけれど、何かあったらまずいので、いつも話し合い、調べ、やりとりしながら対応していきましょう、ということも一方であります。ここでは「漸進的相互学習」と名前をつけました。要するにわけのわからないリスクに対しては、確定的なことがなかなか言えないので、こうやってみたらこの結果はこう見える、こうやってみたら人々はこう感じたということを、相互に情報を介しながら、科学技術を進める側と受け取る側とのコミュニケーションで調整していかなければいけないということがあるわけです。
それと同様の性格を持ちますが、専門家によって一気に決める場合と、コミュニケーションをとりながらやる場合、一方では、個人が生活の中でみずから判断できる部分がある場合など、リスク対策にはいろいろな幅があると思います。当然国レベル、コミュニティレベル、個人レベルもあります。この幅のある中で、いろいろな種類のリスクをどこにどう位置づけ、どの辺に対策のやりとりをつくっていくかが問われると思います。
次に、対策を左右するいくつかのファクターがあります。
一つは、今日の一番大きな主題である専門家が下した判断の確定度です(科学的証拠)。これが非常にはっきりしていたり、仮説的であったり、未確定であったり、場合によっては問題そのものが未認知であったりするということが起こります。
それから、広い意味での経済性があります。いったんつくってしまったものを壊すとか、生活からそれを取り除くということは、いろいろな意味でコストかかかるし、非常にやりにくいことです。あるいは既得権益が生まれていて、その権益で動いている人たちがたくさんいればいるほど、それをやめてしまうこと、引き戻してしまうことはやりにくくなります。そういう面を全部通して、経済性やコストが絡んでいます(広義の経済性)。それから当然、慣れ親しんでいるということもあります(利便性)。
そういうものがみんな絡んでくるわけです。だから、コスト・ベネフィットとか言いつつも、具体的にそれを満足させるようなものをつくっていくのはなかなか困難だということになります。
リスクの因子を捉えるときには科学的にやっていかなくてはいけませんが、「科学的」ということが持っている限界があるので、そのときにどうするかが問われます。例えばリスクの因子が特定されていない場合も当然あります。特定されていても曝露量が計算しにくいこともあります。計量できるものもあれば、十分計量できないものもあれば、計量できないのではないかと思えるのにあえて数値化しているものがあったり、計量しにくいものはあらかじめ除外して考えていたり、いろいろなケースがあります。
電磁波リスクなどでよく言われますが、「なにか身体の具合が悪い」というときの「なにか」をどう捉えたらいいのか、という問題があるんですね。私たちもアンケートで、頭痛や睡眠障害があるとの回答を受け取ることがあります。もちろんそれは電磁波が原因だと断定はできません。けれども、何らかの異変や異常が感じられるような状況があったときに、そういうものを何らかの形で定量化したり、統計的にまとめてみたりすること―確かにそれをどこまで信用できるかという問題をいつも抱えますが―でしか捉えられない場合があるのです。疾病の把握にはそういう側面があるということです。
それから環境中の発がん因子です。皆さん、発がん因子は比較的はっきりしていると思っているかもしれませんが、遺伝的素因と絡むと、話がややこしくなります。例えば、ある子供は小児白血病になりやすい因子を持っていて、ある子供は持っていないときに、高圧線のもとで同じような被曝の環境であったにもかかわらず、一方は発症し、一方は発症しないということが起こった。その場合にいったい何を原因と見做すのか。遺伝的素因が悪いのか、高圧線から来る電磁波が悪いのか、という話になったときにどうするのか、ということです。
生活習慣病をもたらす因子も定量的につかまえることが非常に難しいですね。食べ過ぎや飲み過ぎという個人の問題と病気の因果関係はもちろんあるでしょうが、どこからどこまでがそうなのか、ということはなかなかつかまえにくい現実があります。そういうことで、リスク因子といっても、そう単純ではないということです。
(2)グレーゾーン・リスク
何をもってグレーゾーンというのか、いろいろな定義の仕方、捉え方があると思います。私なりにその性格をいろいろ考えてみました。
一つは、ダメージはそんな大きくないかもしれないが、ひょっとしたら深刻かもしれないという感じが残っているものが結構あります。
二つ目は、ダメージが判明するまでに長い時間がかかるものです。その技術を利用しているメリットがあるからミクロ的選択が先に行って、ダメージがあとからわかるケースがあります。初めはなんとなくリスクがありそうだけど、対処が放置されているという感じが強いものです。
三つ目は、曝露が非常に広域的で恒常的なので、トータルの曝露量はある程度大きいはずだけれど、個人に即してみると曝露量がつかみにくいということがあります。電磁波はその典型です。規制をするときに、トータル曝露量を考慮しているかどうかが問題になります。
例えば皆さんが食事をとっていて、その食材の中にダイオキシンが含まれているということがあったとしましょう。もちろんダイオキシンは規制されています。許容量も決まっています(「一日摂取許容量」)。これはトータル曝露量という観点がまだ出ているほうですが、そうでない因子もたくさんあります。すなわち、私たちがそれをトータルでどれだけとっているかを知らないまま、動物実験でマウスにガッと食べさせて、この量を食べたらマウスが半分死ぬという値をつくり、その値で線引きをする、そして、人間がそれを摂取する場合は10倍なり100倍なりに薄まるようにしましょうという形で規制値をつくる。安全係数をそうやって使って規制しているものも多いのです。
四つ目、自然の生態系や身体に備わった修復能力は確かにありますが、リスクがそれを超える可能性がないとはいえない。自然の中で私たちの身体が適応してきたものに人工的なものを持ち込んだときにどうなるか、という不安を感じさせる要素があります。
よく言われるのは人工放射能です。自然の放射能は存在していて、私たちの身体はもちろんそれに適応しています。DNAの修復機構には非常に精密なものがあって、多少の放射線を受けてもそれを回復するという形になっています。でも、その修復能のぎりぎりのところはどこなのか。それが低線量放射線の規制をかけるときに当然問題になるわけです。人工のものが多くなればなるほど、適応の限界を超えるだろうということは予想されます。その微妙なあたりにグレーゾーン・リスクがあるのではないかという話です。
五つ目、リスク因子とダメージや病気との因果関係が一対一対応ではなく、多くの因子でそういう病気になり得るケースが想定できるといった場合には、ほかの因子の影響を排除できないために非常に調べにくい、ということがあります。
六つ目は、何よりもダメージ発生の生物学的メカニズムが明らかになっていないものです。今日は典型的な例を出しますが、もしこの上に4ミリガウスを超えるような高圧線が走っていて、ここに子供たちがたくさんいて生活していたら、その子供のうちごくわずかに、小児白血病の発症率が2倍ぐらい上がるというデータがあります。しかし、発症率がどういう仕組みで上がるのかというメカニズムはほとんどわかっていません。
ということで、リスク因子のことをよく調べてみると、いろんな意味でグレーな部分が残っているものが多いのです。
(3)トップダウン型規制の難しさ
規制の話に戻ります。トップダウン型の規制というのは、いろいろな意味で問題があります。数字を決めて一斉にやらざるを得ない側面はもちろんありますが、それだけでOKとか、それでやっていけると思うことが一種の罠になっているということです。
科学者はよく「科学的根拠は何か」「その数値の科学的根拠は何か」と聞きます。要するに、病気になるなら、そのメカニズムがあるはずだろうと問うわけです。科学的に全員が合意できることに基づいて規制を決めなくてはいけないということが、一種の不文律になっています。すると、知られざる点や不確定な点はできるだけ扱わないでおこう、初めから考えないでおこうという態度に傾きがちになるんですね。結果的には、疑わしいものは「いいじゃないか、気にしないでおこう」とか、「それが黒だと見ることはできませんから、結果的に白として扱いましょう」ということになるわけです。いままでは、こういう論理がかなりありました。確かに科学的合理性の尊重は大事ですが、だからといって、不確定なものは科学的合理性がないと見做すのは変であり、むしろその隙間、ギャップが大事なんだと言いたいわけです。
リスクの確定はできていないんだけれど、対応はしなくてはいけないことが現場ではいくらでも起こります。そういう場合にどうしたらいいかということをあとで皆さんにも問います。私はこういう仕事をしているので、電話がかかってきて「実はこういうことで困っているんですが、どうしたらいいですか」と聞かれて、「いや、どうしようもないんですよね」と言うだけでは済まされない場合があります。あとで電磁波の例で見ていきます。
それから、いったん規制値を決めたとしても、それを完璧にみんなに守らせていくことそのものが難しい場合もあります。農薬に関してもそうです。中国から輸入される食品の農薬が問題になったのはつい二、三年前からですが、ずいぶん前から輸入されていたはずです。なぜそんなにチェックが甘かったのかということが問われて然るべきですが、やはりいろいろな意味で徹底することは難しいんですね。
次の写真をちょっと見てください。
これは2週間ほど前に私のところに相談に来られた方の住まいですが、右側に見えるのはKDDIの携帯基地局アンテナです。相談に来た方は14階建てのマンションの最上階に住んでいて、隣の10階建てマンションの上、自宅の窓から距離10メートルのところに携帯基地局アンテナが立ちました。これは法律的には全く問題ありません。低いほうのマンションのオーナーとKDDIの契約でいつでも建てることができます。
いきなりこういうものが建って、初めは避雷針かと思ったが、聞いてみると違った。「あれは大丈夫なんですか。私は非常に気になるんだけど」と相談に来られました。この方はとても勉強熱心で、インターネットも使っていろいろ調べられたんですね。すると、携帯基地局に関して、弱い電波ではあるけれども身体に影響があるかもしれないと書かれているサイトもあるわけです。私たちのところもそういうことを書いていないとは言えません。その方は非常に気にされて、小学校4年生の子供もいる。分譲マンションだし、買い換えるわけにもいかない。これをこれからずっと浴び続けなければいけないというのも気になる。どうにかしてくれとKDDIと交渉しました。
それで、いろいろ説明も受けたんですが、KDDIの人に「電波防護指針というのがありまして、私たちの出している電波は、その電波防護指針で決められた何千分の一です。確かにこれだけ接近した携帯基地局の例は東京でもさすがに少ないですけれども(というのは認めたらしいんですが)、あなたのところで測ったとしても、おそらく何百分の一です。全く問題はありません」と言われたわけです。
しかしその人が調べると、非常に微弱な電波でも何か影響があるというデータがある。でもそれはKDDIからは問題にされないということで、その人は相談に来られました。皆さんなら、これはどうしますか。はなから気になりませんか。それとも、いつも電波が出るとなったら気持ちが悪いですか。引っ越しますか。どこから交渉を切り出していったらいいか、ということです。
実は日本中で、こういうトラブルの累計は100件を超えます。マンションの住民全体が一致して反対した例もあります。非常に稀ですが自治体で鉄塔タイプの携帯基地局を撤去させた例もあります。こういうトラブルを減らしていくにはどうしたらいいか、どういうリスク・コミュニケーションが要るのか、想像してみてほしいのです。
(4)ユビキタス社会での市民の不安
ユビキタス社会と言われていて、これから電波を使った機器やシステムがいろいろなところに出てきます。あなたの目の前にできたらどうするか。住民はたいてい、「携帯電話事業者に『なんとか対応してくれ、あなたは安心だと言うなら、私を本当に安心させてくれ』と言うけれど、非常に邪険に扱われる」と、口を揃えて言うわけです。これはどこにシステム的な不備があるのか考えてみるべき問題だと思います。
最近こちらに相談に来られた例が3件あります。いま墨田区に600メートル規模の新東京タワーを計画しています。気にしている住民の方はやはりいるんです。地元の商店街などは町の活性化になると歓迎しています。だけれども600メートルのところからデジタル地上波をがんがん流すということで何か影響はないのかなと気にしている人も当然います。
また、葛飾区には非常に立派な高層マンション街がありますが、そこの住民の方がこのあいだ相談に来られました。衛星放送S社というところから電波を送信するための巨大なパラボラ型のアンテナを12基ダダダッとつける計画が持ち上がったんですね。景観も悪くなるしマンションの資産価値も下がるから、なんとかしてくれと交渉しているんですが、埒があかない。そういうことで相談に来られました。先ほど言った、携帯基地局のアンテナで困っているのは荒川区の個人の方です。
これらの事態が起こったときにどう対処するか、私も正直に言って半分困っています。決定的に良い手立てはないんです。ないんですが、科学的なデータをもとにやっていかなくてはいけな。ですから、私たちがどこまで科学的なデータで処理できるかが常に問われているわけです。
【4】「電磁波プロジェクト」とは
ここで電磁波プロジェクトの話をしたいと思います。市民からのリクエストに応えつつ、実測を通した具体的なデータを用いて、いままであまり明らかにされていなかったことを明らかにして、少しでも前進させていこうというのがわれわれの立場です。
いままでやってきたのは、東京タワーの調査、盗難防止ゲートの調査、携帯電話と携帯基地局の電磁波リスクの調査、そしてIHクッキングヒーターの調査です。その例を紹介します。
(1)盗難防止ゲート
盗難防止ゲートは、主に50Hzの周波数を使っていますが、それより高い周波数も使っています。それで測ってみると、このど真ん中のところでは、1000ミリガウスを超えるものがあるということで、皆さんの家電製品の強いものの10倍とか100倍ぐらいです。さすがにこれはまずいだろうということで申し入れをして、いま改善の方向にあります。やはり測ってみないとわからないんですね。
(2)IHクッキングヒーター
IHクッキングヒーターについては、ものものしい計測器で電磁波を測っていくわけです。国民生活センターが測ったデータによると、通常の家電製品から出るのと同じ50Hzという周波数の電磁波については、国際非電離放射線防護委員会(ICNIRP)の基準値100マイクロテスラ(μT)に対して、IHの実測値は、その基準値をずっと下まわるので問題なし、という結論が出てきます。
IHクッキングヒーターは特殊な機械なので、少し高い周波数をもった電磁波も出ます。20kHzや40kHz、80kHzとか出てきます。そういう周波数の[電磁波]規制値はうんと下がって6.25μTですが、これも測ってみたら超えなかったということで、メーカーが安心材料に使っているデータでもあります。
ところが、私たちは疑問を持ったので、17~18人のご家庭を訪ねてさっきのものものしい機械で測らせてもらいました。いろいろ計算しているうちに、業務用のIHクッキングヒーターがあるということがわかりました。それはどうも基準値を超えそうだと予測できたので、精密に測らなくてはいけないと思って、つい最近、別の機械を使ってやり直しました。
専門測定業者を使って特殊なアンテナで周波数をつかまえなくてはいけないんですが、これで業務用のIHクッキングヒーターから出る電磁波を測りました。業務用IHでは、例えばカレーを40人分つくる大きな鍋を使うのが普通ですが、小さい鍋を使うケースももちろんありますので、家庭で使う大きさの鍋で測ってみました。先ほど言った高いほうの周波数(20~80kHz)でどうなるかを精密に測りました。
距離32センチ、ちょうど人の身体が立つ位置です。周波数=26.71、53.07、79.56kHzで、電磁波はそれぞれ12.1、0.07、0.58μTという値になっています。この12.1μTというのは規制値の6.25μTの約2倍です。基準値を超えていることがわかりました。どう考えても、メーカーが事前にチェックして、普通に使う環境で基準値を超えないようにしなくてはいけないのですが、それを超えています。それがいま、給食センター、保育園、学校の給食室にどんどん導入をされています。これはさすがに問題だということで、私たちは今、メーカーにこのデータを示して交渉をしています。
このように、測ってみないとわからないことが結構あることが見えてきます。もちろん基準値を超えたからいきなり身体に影響が出るということはたぶんないでしょう。けれども、やはり問題だということは言えると思います。
(3)1日のトータル被曝量
トータル被曝量を捉えるのには小さいメーターを使います。優れもので、一つ40万円ぐらいします[写真(略)]。これを私たちは、16人につけてもらって24時間計測をしてもらいました。するとトータルの被曝量がある程度わかります。これは国立環境研究所からお借りしました。私たちが自分で買うことはとてもできません。非常に残念なことに、これを貸してくださった国立環境研究所の兜真徳先生が今週10月10日にがんで亡くなられました。その方のご厚意でお借りすることができて、以下のようなデータを集めることができたのです。
トータル曝露量をグラフ化するとこんなふうになってきます。
例えばグラフ1は、IHクッキングヒーターを使っている人の家庭で測ったものですが、密度の濃いところがIHを使っている時間帯の被曝量です。瞬間的にぴくぴくっと上がるのは、あとから調べてみると携帯電話でした。携帯電話は瞬間的に低い周波数のものも出します。基本的にはマイクロ波を使うんですが、先ほどのメーターでは低い周波数のものを拾えます。携帯電話は瞬間的だけれども曝露量が高いということか、あるいはこのマイクロ波のためにメーターが誤作動しているか、ということになります。このあたりは再度調べてみなければなりません。
次に、電気ストーブを抱え込むようにして、そばで電磁波を浴びると、グラフ2のようになります。
グラフ3は、ぎざぎざになっているところがホットカーペットで、ぴくんぴくんと瞬間的に高くなるのはやはり携帯電話です。
グラフ4は面白い例で、家電製品があまりない家です。ただし瞬間的に高いところは地下鉄に乗ったときです。実はこの測定者は私なんですね(笑い)。私の家に、実は家電製品はあまりなくて、いい対照になるかなと思ってやってみたら、本当にそうでした。
グラフ5が業務用IHクッキングヒーターの使用者です。左側の数字を見てください。10~70μTとなっていますでしょう。ほかのグラフは1~7ですけれども、10倍目盛りが大きいんです。IHを使うと、どうしてもこういう被曝量になってしまうわけです。
それから、グラフ6も業務用IHの例です。短い時間ですけれども、ほか[の時間帯]と比べると圧倒的に大きいことがわかると思います。
グラフ7はグラフ6を拡大したものです。月曜日の日中はずっと赤い線が上がっていますね。午後6時にいきなり下がっています。何かというと、この人は保育園に勤めている方なんですが、ここで保育園を離れて車に乗りました。では、これ[一定の高さでずっと上がっているところ]は何か、ということになりますが、実は高圧線です。高圧線は、この場合、3ミリガウス程度、つまり約0.3μTでずっと環境中に存在しているということがはっきり見えます。そういうものも加味して考えなくてはいけない。つまり24時間で換算すると、それなりに効いてくるということを言いたいわけです。
(4)携帯電話
種類は違いますが、携帯電話に関しても私たちはアンケート調査をやりました。ただ、携帯電話の電磁波の曝露量を測るのは至難のわざです。先ほどのメーターでは周波数をつかまえられないし、人によって携帯電話の使い方がかなり違うし、身体との距離の問題もあるということで大変です。ですから、それは諦めて、アンケートによって「どんなふうに感じますか」ということをつかまえてみようと思いました。
3年前のデータですが1,278人にアンケートに答えてもらいました。可能な限り無作為抽出に近くなるようにやりましたが、若干偏りはあるかもしれません。
通話時間は、全体の平均値では1日9.9分。ただし30分以上の人も全体の7%以上います。私たちは、料金が安くなっていますから通話時間は増えるかもしれないという予測をこの時点でしました。
送信メールの平均は、一日12.6通。中高生の平均は20通。一日50通以上の人は十代に集中していて、多い人は250~300通という人がいます。
料金については回答者の7割以上が1万円以上です。高校生、大学生には2万円以上が30人いました。ほかの年代に比べて若干高いんですね。16~29歳あたりがやはり携帯にお金をよく使っていることが見えてきます。
それで、私たちは何を調べたかというと、これはある意味では非常に問題のあるデータと言えるんですが、こういう漠然としたところからしか入っていけないことを理解してほしいと思います。
「何か症状を感じるか」「何か異変を感じるか」というところから聞きました。異変の種類としては、例えばチクチク感、疲労感、何か寝苦しい、そういうことを含めていろいろ聞きました。それで、何か普段に症状を感じている人と感じていない人の割合はこうなるわけです。だからといって断定できません。あくまでこのデータでしか言えないことですが、私たちがとったデータでは、要するに携帯電話利用者で症状を訴える人が非利用者の約2.4倍いたということです。
疲労ということで調べてみますと、普段疲労を訴える人の割合は2倍ぐらいいました。頭痛に関しても2倍ぐらいになっています。そういうデータをどう解釈するか、難しい問題ではあるんですが、言いたいことはこういうことです。
これで決定的なデータと言うつもりは全くありません。そうではなくて、いかに調べにくいものであったとしても、広範囲の人にできるだけいろいろなことを聞いて推測する手がかりをつくっていかないと、一歩も二歩も踏み出しようがないと私は言いたいんです。本来でしたら、携帯電話事業者が私たちのとったようなアンケートをもっとやってくれてもいいと思っていますが、なかなかそうはいきません。
先ほど言いましたリテラシーやコミュニケーションを増やしていくという意味で、例えば子供たちに電波とか電気製品、電磁波のことを理解してもらうために、学園祭でブースをつくって実際に測ってもらったりしています。
これは実験教室です[写真(略)]が、子供たちを相手に「電波ってどんなもの?」と聞くんですね。うまくやると非常に反応がよくて、「家庭で使っている電波って何がある?」と聞くと、すぐ「携帯!」と出てきます。「テレビ」「ラジオ」と言う子もいます。「ほかには?」と言うと、みんな黙るんです。家庭で普通に使っている電波に何があるか、わかりますか。なかなか勘のいい子がいて「リモコン」と言うんです。確かにそうです。リモコンは赤外線なんですね。子供の反応が非常に面白かったということで紹介しましたが、こういうことをしながら、私たちの身の回りにある電波を理解していく、ということをやっています。
実際に仕事を進めるときには、いろんなグループと連携してやらざるを得ません。計測器一つにしても非常に高価なものが多いので、うまく話をつけて借りるなどしているわけです。
(5)東京タワー
東京タワーを例に具体的なデータの話をします。皆さんご存じのように、東京タワーはテレビとFMで合計23局をいま発信しています。まさかこんなのが身体に影響があるなんて思わないでしょう。私もそんなことを考えていませんでしたが、海外の研究ではそういうことを調べた例もあります。
先ほどと色は似ていますが、全く違うメーターがあります[写真(略)]。これを使って私たちは東京タワーの周り255箇所で計測しました。1回測るのに6分ぐらいかかります。歩き回る時間と計測の時間を言うと、調べるのに延べ半年ぐらいかかりました。青い点で書いてあるのが測った地点です。
赤い同心円は、半径2キロ、4キロです。港区は非常に特殊で、民家が多いわけではなく、大使館や非常に高級な住宅があったりするところです。
大使館はとにかく気にするだろうかなと思って、私たちは極力大使館の前で測りました。ところが、持っているのはあのメーターでしょう。本当に大変なことになりました。計測をしたのが2001年です。9.11の年なんです。だから、あれを持っているだけで警察が集まってきたことも何回かあって、本当に厄介でしたが、頑張って測りました。
アンテナの指向性について言いますと、東京タワーは関東一円に電波を出していますが、港区から北のほうに向かって出している電波が強いんですね。ですから、そういうことを考慮しなくてはいけないということで、私たちは電波の強さの分布を測って明らかにしようと思いました。
非常に面白い事実です。こういうのを話していると長くなってだめなんですが、下の地図の濃いピンク色の点がありますね。これはほぼ一直線ですが、そのデータをプロットすると上のグラフになります。面白いことに、距離、あるいは距離の二乗に反比例する形で減っていくという単純なものではありません。波というのは建物や道路にぶつかるので、地上波と空中の波の位相が強め合って強くなる点が生じます。それゆえに、こういうぎざぎざ型になります。どこの方向を見てもだいたいそうでした。こういうことから、私たちは波の性質をだんだん勉強していって、計算もできるようになったんですが、そういうことをやるわけです。
これが全部の地点のプロットです。港区にはいろいろな高い建物がありますから、東京タワーの見え方によって電波の強さが当然変わってきます。見え方のことも考慮しながら、三種類に分けてプロットした点です。
真ん中の黒く塗った点に注目してください。10μW/㎠という強さを超えるところです。それで全体をプロットすると、次のようになります。-20dBと書いてあるところが10μW/㎠だと思ってください。それを超えるところが400メートル以内で十数箇所存在するということです。
これを、各国規制値のデータと重ねます。わかりやすいように線を引くと、面白いことに国によって規制値が全然違います。日本では電波の周波数帯の規制値が200~1000μW/㎠です。先ほど私は10μW/㎠と言いましたが、下から2番目に表示されているイタリアがちょうど10です。だから、イタリアの規制値を超えてしまうところが東京タワーの周囲400メートル以内で十数箇所存在していることが明らかです。これが身体にどうなんだということは、こういう規制値が出てきたら当然気になりますね。
携帯電話の電波の規制をしている国もあります。例えばパリでの携帯電波基地局の規制です。皆さんの持っている携帯は、900MHz帯のもの、あるいは1.5GHzと2GHzのものです。フランスでは携帯電波の周波数に応じて、24時間平均で1.0μW/㎠を超えないように規制しています。普通の住環境であれば、1.0を超える強さの携帯電波基地局は存在しません。先ほどのアンテナから10メートル離れたマンションで私が測ってみると、一番近いベランダで0.6でした。だから、パリの規制値も超えないわけです。だいたいそれぐらいの規制値だと思ってください。
もう一つの問題は、東京タワーは、従来出していたアナログ波と、デジタル地上波の両方を出しています。2011年に全部デジタルに切り替わり、新東京タワーに移行しようとしています。そのデジタルの波が加わっていることをどうやってつかまえられるか。私たちはいまちょっと苦労しています。
(6)疫学データ
次に示すのが疫学のデータです。あまり細かく話をしている余裕はありませんが、小児白血病で比べています。対象地域内最大電波強度は8μW/㎠とか1.3、5.7、20といろいろありますが、ある中心部と周辺部で比較するわけです。そこで小児白血病の発症率を比べると1.8倍、2倍、1.8倍云々と書かれています。ところが、よく調べてみると解析の仕方に反論があったり、地域を拡大してみると有意でなくなったり、いろいろ問題があって、いかにこういう疫学のデータがとりにくいかということが浮き彫りになるんですね。はっきりしたことはわかりません。
私たちも港区の保健所に行ってデータをいっぱい集めて調べました。古い藁半紙で刷ったようなものしか残っていなかったんですが、小児白血病の死亡データを拾いました。がん登録がないからということで発症データはありません。これしか比較しようがありませんでした。
次のグラフは全国の小児白血病の死亡率の変化です。1980年代からぐんぐん死亡率が減っているのがわかります。これは化学療法が発達して、小児白血病が不治の病ではなくなったという意味です。
港区と比べると、港区でいかに子供の数が減っているかがわかると思います。いま1万人ちょっとしかいません。ただ最近、学校がどんどんできて増えているという話は聞きました。それで、小児白血病死亡者数は多くて年に3人とか4人、そんなレベルです。全国平均と比べてみて何がわかるというわけではないのですが、平均値としては、全国平均よりも小児白血病の死亡率は下回りました。これでは何もはっきりしたことは言えません。
こういうことをもっと精密にやるにはどうしたらいいかを考えざるを得ませんが、やれることとしてはこのあたりなんです。
電磁波の問題に関しては、のちほど皆さんとも議論したいんですが、先ほど言いましたようなグレーゾーン・リスクであることをふまえてどうやって一歩でも二歩でも前進させていけるかという立場から私は考えています。自衛的措置、身近な環境の中で改善できるもの、自治体と一緒にやれること、あるいは事業者との交渉でやれること、そして政府レベルや国際機関レベルで取り組まなくてはいけないこと、いろいろあると思います。けれども、これらがいろいろな理由によって阻まれたり、コミュニケーションがとりにくかったりするのが現状です。そういう中で一歩でも二歩でも前進させたいと考えているわけです。
【5】まとめ
(1)「科学的バイアス」の存在
最後にまとめておきます。私としては、この辺で皆さんに問題を投げかけたいところです。科学技術のことをずっとやっていて痛感させられるのは、技術開発する人あるいはそれを支援するシステムをつくっている人は、当然国の力を高めるんだということで科学技術を考えるし、私たちの生活をよりよく便利にしていくんだということで開発しています。だから本来は、「持続可能性」「健康と暮らしやすさ」「社会的公正」といった基本的理念にはみんな合意しているはずです。しかし実はこれが損なわれているケースがいろいろあります。そのときに本来コミュニケーションをとっていない者同士が、基本的理念のところで確認し合ったり、何が問題であるかを話し合ったりすることができない。それが一点です。
それからもう一つは、私の造語ですけれども、「科学のバイアス」というものがあるのではないかということです。要するに科学者は、誤った肯定は避けたい。例えば電磁波リスクについて、不確かなデータである限り、こうです、とは絶対に言いません。そうすると、積もり積もって誤った否定を生む可能性が出てくるわけです。ひょっとしたらリスクはあるかもしれないし、いまのうち手を打っておけばよかったのに、ということです。
それからもう一つ、開発やイノベーションが行なわれるほど、世の中に複雑な状況がどんどん生じます。それをどう使ったらよいか、わっと普及したときにどうするか。現実に、使った結果どうなるかという予測の力が追いつかず、脇に追いやられてしまうということが起こります。アスベストは非常にいい例ですが、そういう傾向があります。
実は研究者内部で、「これ、ひょっとしたらいろいろ問題を抱えるかもしれないね」「そんなはっきりしたことは言えないよね」と思いつつ開発しているという現実もあると思います。それが何かはっきりしたものとして出てきて数値を決めると、共有されていた曖昧さや暫定的な感じは捨象されてしまい、確実性に転じてしまう傾向があるのではないかと思っています。この曖昧さや暫定的な感じをどうやってみんなが共有して、コミュニケーションでコントロールしていくか、まだ見えていないんですね。
これは冒頭の話にも関わりますが、科学的確定性を求めようすればするほど、何か一つの正解があるのではないかという感じに囚われてしまいます。すると、その正解を得てリスクを制御する、ということになりますから、初めからほかの予防手段を講じられたかもしれないのに、自然にそれが排除される感じになってしまいます。
そういういろんな傾向があるのではないかと私は思っています。それらを総称して「科学バイアス」と言ってもいいのではないでしょうか。
(2)問題解決に向けて
これはリスクの問題に限りませんが、問題解決についての私たちの立場です。解決のための鍵となるのは、とにかく政策形成へできるだけ市民が参加していくこと。「専門知」という何かすごく高い壁に包まれたものがあるのではなく、それは接近可能なんだ、利用できるんだということで、いろいろな方法を明らかにしていくことが必要です。それから全体的には、「人民のための科学」という方向に科学の性格を少しずつ変えていくことだと私は思っています。そのために、専門知に関わるいろいろなフェーズを知ること、自分の意見をつくったり判断したりすること、評価すること、そして調査研究したり、行動を起こして生活を変えること、これらの連動をスムーズにつくっていくことが必要ではないかと思っています。
例えば環境行政では、いろいろな新しい工夫や試みがあります。こういうものが一挙に何かを解決してくれることはありませんが、底上げをしていくという意味では、試してみる価値のあるもの、ほかの科学技術の領域に応用してみる価値のあるものがいろいろあると思います。例えば、市民が共同でお金を出し合って、共同市民発電所みたいなものをつくったとしましょう。
私たちは、電気というのは巨大な発電所からそのまま送られてきて電気料金を払えばそれで得られるものだというイメージがしみついています。自分で発電する、地域で発電するという発想はおそらく持ったことがなかったですね。ところがこういうふうに転換すると、エネルギーの使い方やエネルギーを使うことによって生じるリスクに対するセンスが非常に高まってきます。リスクの解決ではありませんが、幅広く見て予防的なものをおのずと形成していくという意味で、いろいろな手段が使えるのではないかなと思います。ほかにも参加型テクノロジー・アセスメントということで、いろいろな手法が試みられたり開発されたりしています。
最後ですが、私たちはいまJST(科学技術振興機構)のお金を使いながら、生活者の科学(Living Science)の立場から、いまある科学をいろいろ評価していくシステムをつくろうとしています。まず評価に必要な問題設定、入口(LSディレクトリー)をつくって、それから判断するための情報の所在を示し(LSライブラリー)、即座に解決できないけれど、ほかの問題事例でうまくいったものを参照しながら、何かやっていけるような入口をつくるということでLSイニシアチブと呼んでいます。例えばネットを利用して専門家とのやりとりができるようなものを構築しようと動いています。
ちょっと手を広げ過ぎた話になったかもしれませんが、以上です。
【6】質疑応答
司会 どうもありがとうございました。では質疑応答に移ります。ご質問がありましたら挙手をしてください。いかがでしょうか。
質問者1 大変面白いお話をありがとうございました。ジャーナリズムの側からすると、基本的にあらゆるリスクについて語らなければいけませんが、どのリスクを優先的に話すべきかというのがわれわれには一番の問題です。
例えば昨今、北朝鮮の話が出ています。しかし、北朝鮮の核によってわれわれが死ぬ確率よりも、帰りに自動車で轢かれる確率のほうが比較にならないぐらい高いですね。では、『日経ビジネス』の巻頭に、「自動車がいま危ない」と特集を組むかというと、組まないわけです。今度はタイミングの問題、すなわちニュースの問題となります。
そう考えたときに、例えば電磁波やIHの問題で、快楽性とリスクのセット、合理性とリスクのセットは比較的わかりやすい話だと思います。快楽性とリスクというのは、具体的に言うと、たばこが典型だと思います。たばこは完全に自分の快楽のために吸うものです。これだけ情報があるわけですから、いま吸っている人は確信犯です。例えば台風のときにサーフィンに行く人もいますが、この人もリスクがある程度わかってやっている。
一方で、完全にはあり得ないかもしれませんが、だれもが認識できる程度の合理性とリスクの話もあります。先ほどおっしゃったアスベストの問題がそうだと思います。アスベストはだれがどう見ても危ないもので、これは使わないほうがいいでしょう。一番の問題がIHで、IHがいま普及している理由の一つが、火事や子供のやけどなどのリスクが低減するということです。その合理性の部分と、いまおっしゃった電磁波のリスクの問題があるわけです。
疑似的かもしれませんが、合理性のあったように見えた牛乳もそうだと思います。昨今、『食の裏側』でしたか[『食品の裏側』(2005)、『牛乳には危険がいっぱい?』(2003)か。いずれも東洋経済新報社刊]、本をきっかけに牛乳の消費量が劇的に落ちて、小学校の給食で逆に牛乳を飲ませるな、という問題がニュースになるぐらいです。このあたり、先生がおっしゃるとおり、検証の難しい問題が、ある一方向に断定的に動いている。食品問題でいうと、かつての『食べてはいけない』が典型だと思うんですが、間違いなくメディアがその後押しをしているケースが多い。現実としてわれわれは商売としてのジャーナリズムと、どう伝えるかというジャーナリズムの狭間で非常に揺れることがあります。こちらの質問も広がってしまいましたが、そのあたりで先生のご意見やご感想をお伺いしたいなと思います。
上田 そうですね、いまおっしゃったことに全部当てはまる答えはもちろんないですし、異論がある方もいると思いますが、IHの問題で具体的に一つ考えてみます。
新しい技術というのは「こういうメリットがあるよ」とうたって、消費者がそれを信じて購入して広まっていくケースが多いんです。どういうデメリットがあるか初めから知られることはまずありません。でも、そのときに本当にメリットだけなのかという観点を持てば、ある程度調べることはできます。ただし調べたとしても、おっしゃるようにはっきりしたリスクとして見えてこないこともあります。むしろそのほうが多いと思います。
IHの電磁波だって、先ほど言いましたように被曝の度合いは人によってずいぶん違うし、電車に乗った人のほうが[リスクが]多いんじゃないかと反論されることもあります。それはおっしゃった車の問題とそっくりです。私たちもこういう仕事をしていますが、たばこをがんがん吸っている人と電磁波のことを比べたら、電磁波はもう何の問題もない。それだけをとってみればその通りです。しかし、そういう問題ではないという面もあるんですよ。
リスクというのは、その人の生活に即して見る場合と、社会全体でどれぐらいの割合で受け入れられているかということの両方が効いてきます。一方で切ってしまうことはできない。その両方が絡んでいる中で、どの辺に位置づけるかということは常に問われている。車がその典型です。皆さん、車のメリットは重々わかっていると思いますが、圧倒的多数の人がここまでたくさん車が増える理由はあったのかと感じると思います。つまり車のデメリットは、健康問題だけではなくて、事故も含めていろいろあります。ではどこでバランスをとったらいいかということが問われるわけです。
大事なのは、どこでバランスをとったらいいか、利用者の側と開発者の側で常に言い合えるような場をつくっていくことです。そういう場がなかったら、まずそれをつくるように誘導していくことが、ジャーナリズムの役目として私は必要なことだと思います。
例えばマスコミが私たちのIHのデータを使ってセンセーショナルに報道したとします。それ自身は悪くないと思いますけれども、「じゃ、私、IHはもう捨てよう!」みたいな人が出たとします。それを私たちに責任をとってくれと言われても、できません。ではどうしたらいいかというと、メーカーが開発したときに気づかなかったデータなのか、知っていてやったのか、基準値を超えているとしたら、どうやっていくのか、変えるのかどうかということを交渉し、消費者と一緒に考えていくことを誘導してほしいのです。
だから、何か答えがあって、パンと当てはめたらきれいにリスクが解消されるという発想そのものが安易なんです。時間がかかるし、やり方もいろいろで大変ですが、それを重ねていくしかない。確かに個人の価値観がすごく左右するので、私は先ほどおっしゃったように、台風の中でサーフィンをする人がいてもいいと思います。それを否定する理由は何もないでしょう。だけども、やることのリスクはみんなが認知していて、それを知るための情報も与えられていることが望ましいと思います。いまの時点では、そのぐらいしか私は言えません。
質問者2 各国の電磁波の規制の特徴について、日本では電波防護指針というのがあり、携帯電話もそれを採用しています。現状で特に問題があることは見受けられませんでしたが、ほかの国で16歳未満の子供に対して使わないようにするという勧告があります。これは、日本やアメリカではまず出ない勧告だと思いますが、これが出た社会的、または政治的、技術的な背景は何でしょうか。
上田 必ずしも明確ではありませんが、一つは、携帯電話の疫学研究や動物実験が比較的盛んになされている国で、そういう勧告が出る傾向がある気がしています。もう一つは、専門家をどう組織して規制値を決めていくかということのオープンさ、手続きの問題も影響しているように思います。
イギリスの場合が典型ですが、スチュワート委員会が形成されました。人文系の学者、哲学者、学校の先生や、もちろん電磁波の専門家、医学の専門家も入れた委員会です。そこで2000年につくられた「スチュワート・レポート」の中で「16歳以下はできるだけ携帯電話の使用を控えましょう」という勧告が出ました。その背景には、携帯電話の電磁波の強さであれば、体に障害が出るということはまず考えられないでしょう。だけれども、子供の感受性が非常に高いというほかのデータがいろいろ出ているので、ひょっとしたら電磁波も影響を与えるかもしれない。子供の使用に関しては、大人と全く同じにするわけにもいかないので、どこで線引きするかというと、16歳。そんな流れがありました。
だから、正確な科学データや技術的な裏付けがあるわけではありませんが、いま言ったような決めるときの手続き上の問題と、子供と大人を比較するような視点が、いくつかの国では子供への使用規制を考える上であったのではないかという気はします。それぐらいしか私もはっきりしたことは言えません。
質問者2 私が思ったのは、判断するリテラシーを持っている存在として16歳以下は認められていないのかなというのが一つです(上田 それもありますね)。あと、これらの国では携帯電話が基本的に自国産業になっていない。そういう違いがあったのかなと思います。
上田 影響しているかもしれませんね。ノキアがすごくシェアが大きいですからね。
質問者3 今日は面白い話を聞かせていただいてありがとうございます。携帯電話の電磁波ではペースメーカーへの影響についていろいろなデータが出て、解釈に変遷があります。二年ぐらい前から名古屋市営地下鉄が、車内で一切携帯電話がつながらないように先行的な取り組みというか、かなり極端な対応をとった印象があります。その後も、名古屋へ行くと、地下鉄だけはいまだに携帯が使えなくてすごく不便だなと思っております。
一方で、JRでみんなが優先席のそばで電源を切っているかといったら切っていない現実もあり、しかし病院でPHSではなく携帯を使ってもいいのではないかという話もあります。すごく解釈が分かれます。先ほどのお話のように、よくわからないものにどう対応すればいいのかという問題ですが、この名古屋の対応について先生はどのようにお考えでしょうか。
上田 基本的な問題がありまして、ペースメーカーを使っている人たちが携帯電話電磁波によって、いままでどれぐらいトラブルとか不利益を被ったかという調査がまだありません。私もいろいろ調べましたが、患者団体みたいなものが形成されているわけではありません。単発的にペースメーカーをつくっている会社に問い合わせがあったりするようですが、統計もないし、ちゃんと調べたということも聞いていない。もちろん実験によって、いま国は22センチと言っていますが、接近させた場合に機種によっていろいろ障害が起こるケースがあることはわかっています。
もう一つはややこしいことに、そういうことが起こるケースはだいたい満員電車です。非常に接近して使用している場合です。そういうときに障害が起こったとしても、誰の影響で電波が来てペースメーカーが止まったのかということはなかなか特定できないという事情もあり、障害を被った人も訴えにくいんです。わかりますか。つまり、ウッと心臓が苦しくなったとしても、何のせいでこうなったのかがよくわからない。
僕は3人ほどに聞きましたが、ペースメーカーを使っている人は、優先席の前でもみんな携帯を使っているから、人がいないときに乗るか、電車に乗らないか、それしかない。何か起こったら怖いから乗らない選択をするという、だんだん追い詰められている現実があります。
ただ実際、接近して起こるかどうかというのも、よくわからないんですよ。つまり22センチはあくまで実験値であって、実際の状況で何件起こったという統計がない以上、はっきりしたことが言えません。
だから名古屋の地下鉄は、そういうデータをもって判断したのではなく、例えばペースメーカーを持っている人が非常に強く抗議をするとか、そういう声を反映して一斉に決めてしまったのだと思います。
おっしゃるとおり名古屋市営地下鉄と、阪急電鉄の両端の車両、そこだけはいま携帯禁止区域になっています。私自身は携帯使用禁止車両があってもいいという立場です。いまのルールはあってないようなものです。そういう携帯電話禁止車両があることによって、ペースメーカーを使う人が安心して乗れる環境をつくることはいいことだと思います。だから進めてほしいと思いますが、現状、はっきりした科学的データ、トラブルデータに基づいて決めていくということはできていません。
質問者4 私もこういうリスクの問題に関心があって、私なりにいろいろ勉強しています。今日の話とのかかわりで、ある時期から気づいたことがあります。例えば子供の感染症の罹患率、小児死亡率と言われているものや、生活習慣病でも、私が見ている限りで、いま一番気になる相関は、所得との関わりです。それが一番大きいような気がします。日本国内でも、英語圏でも比較的そういうデータがあります。
もう一つ興味深かったのは、国別に見ると、二講目で出てくると思いますが、平等さの度合いを示すジニ係数との相関が非常に見られることです。つまり、所得格差が小さい平等な国ほど健康な傾向があると見られているわけです。その辺と科学技術との関わりで、もし何かご意見があればお聞かせください。
上田 それは非常に興味深いものです。なぜその統計がないかということ自体も非常に深い問題だと思います。私は確実に所得と健康との相関はあると思っています。低所得者層の状況というのは、食の問題でかなり明らかです。例えば加工食品で安い材料を長いあいだ使い続けたとします。そうすると、栄養とかバランスよりもまず食べることが優先ですから、安い加工食品を買って生活を切り詰めて何が悪い、ということになるじゃないですか。いろいろな面に関してそういう傾向が出ていて、僕は、統計をとればかなり出てくるんじゃないか、という気がしています。
では、どうしたらいいかという問題は難しいでしょう。つまり、所得で区切ると、低所得者層にリスクが高いとわかったけれど、因果関係としては、高いリスクを生むのが低所得だと断定できるかというと、それは難しいですね。そこら辺の議論の仕方は相当工夫しないといけないだろうという気がしています。
このあいだ、阪大の学生が母親を殺した事件がありました[2006.7.5]。彼はパチンコ依存症でした。驚いたことに、日本の基幹産業である自動車に動くお金よりもパチンコで動くお金のほうが多いんですね。いかに庶民と言われる人たちの多くがパチンコに熱中しているかということです。なけなしの金を注ぎ込んでやっている人たちがむちゃくちゃ多いんです。見ればわかるように、どんな町にもパチンコ屋があります。
これは一例ですが、そこまで庶民の生活を食っているパチンコという存在は、いまおっしゃったような所得との関連をいろいろ調べてみると、何かあるはずです。生活がある意味で依存症的になり、破壊されていくことのリスクは、いろいろな面で効いているはずなんですね。そういう社会的な広がりを持たせたリスクの捉え方や見方はどこかで必要です。気になりますが、どう定式化していったらいいか、はっきり言って私はよくわかりません。
質問者5 今日、初めて来ました。いまのお話で思い出したことがありました。いま高レベル放射性廃棄物の最終処分で深地層に埋める実験を北海道の幌延でずっとやっております。あれはいま受け入れ先を探していますよね。これまでにどこが手を挙げたかを一回調べたことがあったのですが、ほとんどが市町村合併するところばかりでした。
個人レベルでの低所得と結びつくということからは飛躍している話かもしれませんが、自治体レベルになってくると、二万何千年も深地層に埋めておかなければ毒性がなくならないようなものを引き受けるところは、五島列島だったり、福井県の九頭竜なんとか[福井県和泉村]だったり、あるいは[比較的]近いところでは[滋賀県]余呉町もありましたが、結局、そういう貧乏なところしか引き受けられないのか。そうなると、そういったリスクをジャーナリズムとしてわれわれはどの程度伝えていかなければならないのか。二万何千年の安全性、あるいはその危険性についてものすごく議論が分かれている中で、どうすればいいのかなと現場で取材していて戸惑ったこともありました。その辺について、ご意見を伺えたら、という気がいたしました。
上田 二つ問題があります。非常に長期にわたって影響を及ぼすだろうものをどう評価するかということは、決まった方法はありません。それは価値観に依存せざるを得ないことです。子々孫々に影響があるものは、たとえ微弱でも、あるいはその確率が低くても極力やめるべきだというのが一つの筋の通った考え方だと思います。そうなると、ではいまの私たちの選択している原子力を何とかせいということになりますね。そこに戻していけるかという問題になります。
もう一つは、貧富との絡みでいうと、非常にシビアな問題ですが、昔から広瀬隆なども「東京に原発を!」みたいな言い方をしていますね[『東京に原発を!』[広瀬隆著、集英社文庫1986]]。東京に高レベル放射性廃棄物の処分場を、といったときに、東京の人たちはどういう議論をするかということです。自分で選択している原子力発電のリスクを自分で負うのは、本来は当たり前です。だけれども、いろいろな理由があるでしょうが、絶対にそれはしないですよね。
では、なぜ田舎なのか、なぜ貧しいところなのか、ということになると、社会的公正の面からいって明らかに問題があるわけです。まともに議論すれば、当然それはおかしいよ、変じゃないか、なぜそんなところに押しつけるんだとみんなわかっている。しかし私たちの政治は、受け入れ地域が決まってしまったら、全国的なレベルで合意ができたということで進んでしまうシステムになっている。だから、そこを問題にしないと本当は解決できないと私は思うんですね。
ただ、そういうところに押しつけられつつある。押しつけるというと言葉は変ですが、地元が受け入れようとしつつある。そのことは、さっき言った社会的公正や、子々孫々のことを考えて、いいのかどうかの議論は絶対にしなければいけない。それを、都会の人間がもっとすべきです。私は都会に住んでいて電気を使っている者の責務だと思います。都会の人間はなぜ議論しないのかというところに問題があると思っています。
私たちのような立場の人間もそうですが、マスコミの人がしなくてはいけないのは、電気を使っている以上生じざるを得ないリスクを、なぜ自分でかぶらずにほかにかぶせてOKとしてしまうのか、という論理を突きつけることです。その論理をいつも突きつけていないと駄目なのかもしれません。自虐的かもしれませんが、そう考えないと、知らないうちにどこかで決まってしまって、自分はもう関係ない存在だとベールで覆ってしまうことになるので、それはまずいだろうということです。
これは答えではありませんが、至るところでそういう問題があります。小さいレベルでは、先ほど言いましたような廃棄物処分場や基地局の問題もそうです。だけれども、いまおっしゃった本当に長い時間影響することは、もっと大きな議論に乗せないと全くおかしい問題だろうと思います。
質問者6 初めまして。今日は面白いお話をありがとうございました。遅れて来ましたので最初にご説明があったら恐縮なんですが、上田先生は、端的に言うと、どうやって食べていらっしゃるのかということです。
計測器のお話がありましたが、そういうものを借りるのもどなたかのご厚意ということでした。これまでさまざまな調査をしていらっしゃるかと思うんですけれども、その費用をどうやって調達していらっしゃるのか。自治体などの補助的な調査もしながら独立的なものもやっていらっしゃるのか、あるいは執筆などで稼いでいらっしゃるのか、寄附があるのか、そうしたことです。
上田 NPOですから、組織なんです。組織を維持するお金は基本的には会費です。ですから、皆さんにリーフレットを配らせていただきましたが、会員になっていただくことを呼びかけて、基本的な資金を確保します。でも、調査・研究にはそれ以上のお金がかかります。そうすると、自分たちで買えないメーターをどうやって調達するかということがすごく問題になってきます。それは先ほど言いましたように協力してくれる先生を見つけるとか、計測企業と親しくなって、「私たちはこういう目的でデータをとり、政治的にこういうふうに使うよ」という。しかし企業はあくまでお金を取って機械を貸してくれて、データがはっきりすれば、そのデータには別に色がついているわけではないですから、それはそれでいいということで合意をとるんです。
そのときにもちろんお金がかかります。それは民間の助成団体の研究プログラムを僕たちがつくって研究の助成の申請をして、認可されたらそれを使います。そういうケースもあります。
あとは、支援してくれている人たちの中で、電磁波だったら電磁波の問題に特化して非常に関心が深かったり、「ほかでやっていないから、そういう問題を君たちがもっと明らかにしてよ」と、いくらかのお金をまとめてくれる人もいます。言ってみればギブ・アンド・テイクで、僕たちのつくったデータをどんどん使ってくださいということで提供するわけです。主にそういう関係でやっていますが、皆さんが聞いたらびっくりするぐらいの低額で回しているのが事実で、大変苦しいです。
一つの狙い目は、大学と連携をつくって、知的資産を活用していくことです。実は先ほど紹介した携帯電話のアンケートも、東京タワーの調査も大学生がやっています。大学4年生や院生が大学の先生の了解のもと、私たちの研究室に来られまして、ここの仕事を一緒にやって卒業研究や修士論文を書いているんですね。そうすると、学生さんは私たちのためにただ働きしてくれますし、向こうでデータは活用できるので一挙両得なんです。そういういい意味での相互にメリットがある連携の関係をどうやってつくっていくかということが、すごく大事になってくると思います。■