翻訳「ナノ粒子:健康への影響-賛否両論」

投稿者: | 2007年3月3日

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翻訳「ナノ粒子:健康への影響-賛否両論」
モーリン・R・グウィン、バル・バリアサン(国立職業安全保健研究所)
『環境健康展望』114巻12号、2006年12月
“Nanoparticles: Health Effects–Pros and Cons”
By Maureen R. Gwinn and Val Vallyathan
(National Institute for Occupational Safety and Health,
Morgantown, West Virginia, USA)
Environmental Health Perspectives Volume 114, Number 12, December 2006
http://www.ehponline.org/members/2006/8871/8871.html
 ナノ技術の出現とともに、直径100ナノメートル未満の開発されたナノ物質を、工業への応用・医学的画像撮影・病気の診断・医薬品の送達・癌の治療・遺伝子療法その他の分野に使用するという展望が、急速にひらけてきた。新奇な応用がたえず探索されているので、ナノ粒子のこれらの分野での潜在力はさだまらない。人体への曝露に関連する、ナノ粒子の健康への有害な影響の可能性については、よく知られていない。一般に「厄介なごみ」と考えられている多くの微細な粒子は、人為的にナノメートル大にされたときには独特の表面特性を獲得し、有害な生物学的効果をしめしうる。そういう粒子は結果的に、遠距離を運搬され、健康への悪影響を生じさせるのかもしれない。それだけでなく、医薬品送達・癌治療・遺伝子療法へのナノ粒子の有用な応用も、意図されない人体への曝露をひきおこすかもしれない。ナノ粒子への曝露の健康への影響に関する知識は不足しているので、その使用に際して予防的な措置を講じることは倫理的な義務である。本論では、人為的活動により生成された超微細粒子への曝露から生じうる、人体の健康への有害な効果とそれが循環器・呼吸器におよぼす結果に、焦点をあてる。開発されたナノ粒子と超微細粒子を比較することにより、それらの健康への影響が類似していることが示唆される。したがって、それらの毒物学的効果を解明して、職業的・環境的曝露を最小化することは、十分に慎重なことであるといえる。超微細粒子によってひきおこされる人体の健康への影響に注目することは、ナノ技術の予期されない技術的・工業的恩恵や、その人体への有益な使用を軽視することにはならない。
キーワード:賛成論・ナノ粒子の毒性・ナノ技術・反対論
 ナノ技術の出現は、産業革命以来最大の、工学的な技術革新とみられる。この新技術の擁護者らは、機械から医薬品にいたる新奇な商品をつぎつぎに登場させ、人工的な世界を分子単位で再構成することを約束している(Aston 2005)。この分子工業での「産業革命」は、健康と環境に肯定的にも否定的にも影響しかねないような、物質間の関連の根本的な変化をおこすものである。ナノ技術を使用して製造された製品の市場規模は、2015年までに1兆ドルに達するとみられる(Roco 2005) 。産業革命中の技術的進歩は、生活水準を向上させたが、人体の健康に負担を課すことにもなった。数十年におよぶ潜伏期がまだのこっている石綿の場合と同様に、ナノ物質の未知の健康への影響についても、懸念されるべきもっともな理由がある。いまやナノ技術は、健康への多大な便宜をもたらしうる急速な発展の最前線にあると同時に、健康への潜在的な危険をあたえうるものとしても認識されている。ナノ粒子のもつ、すぐれた強靱性・耐久性・柔軟性・挙動および独特の物理的性質は、多様な工業や、あるいは腫瘍の検知・目標への医薬品の送達・治療の視覚的モニタリングなど、医学的な諸分野に応用されている。このような応用のために、ナノ粒子への人体の曝露が、意外な経路を通じておこりうる。他の有害要因と複合した環境的・職業的曝露は、予期されない健康への悪影響を生じさせうる。そのようなおこりうる健康問題について、産業界・学界・政府・環境運動家によって協力的にとりくみがなされることがなければ、ナノ粒子への曝露は実際に健康に悪影響をおよぼすことになろう。
 職業的曝露だけでなく、医薬品への応用および大気汚染を通じた、人体への直接の曝露もまた、重大な関心事である。吸入されたナノ粒子は、食細胞作用を阻害し、細胞膜を通過し、全身の健康に影響しながら体内の各部に分散される。そのため、医療・保健分野にナノ技術が無制限に応用されるならば、ナノ粒子が21世紀の「石綿」になる可能性がある。本論では、ナノ技術の人類への将来の利点(賛成論)を簡潔に論じるとともに、超微細粒子の既知の循環器・呼吸器への効果に立脚して、生じうる健康への懸念(反対論)を強調する。ここではまた、ナノ粒子をもちいた、呼吸器毒性および呼吸器外への転移に関する、少数の細胞・動物実験についても論じる。著者らは、疫学的研究における対象者の数と、報告された結果の一貫性とを基準として、多数の文献から、賛成論と反対論に関する記事を選択した。そのうち賛成論に関する記事の選択は、生物学的・医学的応用の潜在的重要性にもとづいておこなわれた。
●超微細粒子 対 ナノ粒子
 超微細粒子とナノ粒子とは、人為的要因により発生したものであれ開発されたものであれ、直径100ナノメートル未満という大きさでは類似しており、多くの共通する性質をもっている。「超微細粒子」という語は伝統的に、直径100ナノメートル未満の空中粒子をさすのにもちいられてきた。「超微細」という語はしばしば、意図的に製造されたものではないが、工業・燃焼・溶接・自動車・ディーゼル・土壌・火山等の活動をふくむ過程により偶発的に生成された、ナノメートル大の粒子をさすのにもちいられる。そういう源泉から産出される空中粒子状物質には、0.1マイクロメートル未満、0.1から2.5マイクロメートル、2.5マイクロメートル超、の3種類の大きさのものがある。超微細領域にある粒子状物質の大部分は2.5マイクロメートル未満のもの(PM2.5)であり、そのなかでも0.1マイクロメートル未満のものの粒子数がもっとも多い(Hinds1999) 。超微細粒子は、大気中で長い寿命をもち、何千キロメートルも運搬されることがあり、数日間も大気中に浮遊していることを、Hinds(1999) は発見した。それだけでなく大きな表面積をもつ超微細粒子は、汚染物質・酸化気体・有機化合物・遷移金属を大量に吸収して運搬しうる(Oberdorster 2001)。表面積の大きい超微細粒子が肺に沈着しやすく遷移金属にもむすびつきやすいことは、呼吸器毒性において重要になる。
 都市の工業地帯においては、PM10(直径10マイクロメートル未満)物質の少なくとも半分はPM2.5であり、その量の平均中間値は13.4マイクログラム毎立方メートルである(Dominici et al. 2006)。超微細粒子は、さまざまにことなる形態論的・化学的・物理的・熱力学的性質をもっている。ことなる源泉あるいは地理的状態から排出された超微細粒子においては、表面に吸着された汚染金属ないし芳香族化合物の種類および濃度が相当にちがっている。源泉から排出された一次粒子は、空気中の酸素・二酸化窒素・オゾン・二酸化硫黄および有機物と化学反応して、多様な反応性と性質をもつ二次粒子を生成する。その源泉によっても経過時間によっても劇的にかわる超微細粒子の表面特性は毒性にも関係している。したがって超微細粒子の毒性と健康への影響は多様であり、その源泉と、一次・二次粒子への曝露比率とによってかわるものである。
 「ナノ粒子」とは、通常は直径100ナノメートル未満の工業製品のことをさし、同一組成の巨視的な物体にはない特殊な性質をもつ、物理的・化学的過程を通じて製造された装置および体系のことである。粉砕によってもナノ粒子は製造されうるが、それがより大きな同一物質のかたまりとちがう性質を、もつことも、もたないこともありうる(National Nanotechnology Initiative 2005; US Environmental Protection Agency 2004)。したがって本論では「ナノ粒子」という語は、直径100ナノメートル未満の開発された粒子を、意図されない超微細粒子と区別するためにもちいられる。
●賛成論:生物学・医学への応用
 画像化と診断:分子撮影は、試験管内および生体内でおこる分子・細胞段階の変化を、検知・測定・表示する、生物学・医学の重要な分野である。蛍光性の生物学的探針は、それ自身が不活性であり、多様な細胞反応において検出力をうしなわずに作動するので、生物学では普通にもちいられている。しかし各種の有機染色には固有の限界がある。100ナノメートル未満の直径をもつナノ粒子は、画像の明暗も鮮明にするし、生体内の分子反応を表示・計測するために、ペプチド・抗生物質・核酸の分子に付加される探針としては理想的である。そういうナノ粒子を基本とする探針は、広範囲の光の波長にわたり、高水準の明度・安定性および吸収係数をしめす(Niemeyer 2001) 。これは超構造的な相互作用を連続的に観察することを可能にするので、生物学および診断への応用にとって理想的である。それだけでなく、ナノ粒子は抗生物質・コラーゲンその他の分子で被覆されることも可能なので、検知や診断には生物学的な適合性があるといえる。
 診断・検出に関する研究の発表はふえているが、ここでは少数のものをえらんで紹介する。マウスの繊維芽細胞をもちいた研究において、Bruchez et al. (1998) は、ナノ粒子を基礎とする蛍光表示が、通常の蛍光探針よりもすぐれていることをしめした。Wu et al. (2003)も、癌マーカーHer2の、量子ドットを基礎とする免疫蛍光的な表示が、細胞表面受容体・細胞骨格・核抗原その他の細胞内小器官など、複数の目標にとりつく通常の蛍光探針よりも、効率的であることをみいだした。かれらはまた、生物学的に活性化されたコロイド的な量子ドットが、細胞表示・細胞追跡・核酸検出および生体内撮影に有益であることもしめしている(図1)。Zhang et al. (2002) も、強磁性ナノ粒子の表面をエチレングリコールと葉酸でおおったものが、癌細胞に対する食細胞の作用を刺激するのに有効であり、癌の診断・治療への潜在力をもつことをしめした。Gao et al. (2004) は、半導体量子ドットを基礎とする撮影と癌への送達について、動物の体内実験に関して報告した。対象群の実験においてかれらは、量子ドットの摂取・保持・分布は、肝臓・脾臓・脳・心臓・腎臓・肺の順に少なくなっていくことをみいだしている。ヒトの前立腺癌細胞片を移植された毛なしマウスにおいて、量子ドットは標的とされた癌に特異的に蓄積され明るい赤橙色にかがやいた(図2)。
■図1 http://www.ehponline.org/members/2006/8871/fig1.jpg
量子ドット(QD630)の安定性と蛍光集中性を、有機染料アレクサ488と比較したもの。AからE:核はQD630・ストレプトアビジンで明赤色に、アクチン繊維はアレクサ488で緑色に、それぞれ染色されている。FからI:核はアレクサ488で赤色に、アクチン繊維はQD630・ストレプトアビジンで緑色に、それぞれ染色されている。左下すみの数字は経過時間をしめす。Eの横棒は10マイクロメートル。Wu et al. (2003)よりクォンタム・ドット社の許諾をえて転載。
■図2 http://www.ehponline.org/members/2006/8871/fig2.jpg
腫瘍のあるマウスとないマウス(対照)における、前立腺に特有の膜抗原に結合する量子ドットの波長特異的な画像。A:蛍光のない(波長特異的な)対照個体の画像。B:腫瘍部に明赤色の蛍光をしめしている、腫瘍を移植された個体。C:対照個体および腫瘍を移植された個体の、二重焼き付けされた自己蛍光画像。D:量子ドットの波長特異的な自己蛍光画像。Gao et al. (2004) よりネイチャー出版社の許諾をえて転載。
 医薬品送達:部位を特定しての医薬品送達は、効果的な用量と病気の治療の調整にはおいて重要である。ナノ粒子の被覆をもちいた医薬品の送達は、生物学的利用率・副作用の最小化・他の臓器への毒性の低減においてより有効であり、またより安価でもある。ナノ粒子を基礎とする医薬品送達は、恐水的および嗜水的状況においても、経口・注射・吸入その他の投薬方法を通じて実施可能である。
 医薬品送達においてはいま、懸濁液・重合ミセル・デンドリマー・セラミックナノ粒子・酸化鉄・蛋白質・共有結合・吸収・接合・被覆法などのさまざまな方法が、有効用量を特定部位におくるためにこころみられている(Moghimi et al. 2005) 。カポシ肉種と転移性癌の治療においては、ドクソルビシン混合懸濁液を深部に循環させる方法が、ドクソルビシンを単独でもちいるより、薬物動力学的活性においてすぐれており、300倍も有効であると報告された(Allen and Cullis 2004; Gabizon et al. 2003)。Kumar et al. (2004) は、正に帯電したキトサンを添加したナノ粒子が、試験管内においても生体内においても、医薬品送達には有益であったと報告した。Gelperina et al. (2005) は、結核の化学療法において、ナノ粒子を基礎とする医薬品送達を採用することにより、医薬品の生物学的利用率が改善され、投薬回数が減少させられ、さらに結核流行の抑制に際して課題とされていた、非接着性の問題が解決されたと報告している。
 癌治療:通常の癌治療は、目標とすべき腫瘍細胞のみを死滅させるものではないし、重大で全身的な毒性を生じさせたり、医薬品に耐性をもつ腫瘍を成長させたりする可能性ももっている。癌治療へのナノ技術の有望な潜在的利用方法のひとつに、腫瘍を燃焼させる熱的メスがある。O’Neal et al. (2004)は、マウスにおいて、近赤外線を吸収する、ポリエチレンで被覆された130ナノメートルの金ナノ殻を使用した、光熱的な選択的腫瘍切除によって、腫瘍の成長が抑圧され、対照群にくらべて最大90日も個体の寿命がのばされたことを観察している。Perkel (2004) も、抗体で被覆された磁化鉄のナノ粒子が、腫瘍を加熱して文字どおり「料理する」のに有効であると報告した。無胸腺マウスに抗体で被覆された磁化鉄をもちいた類似の研究で、DeNardo et al. (2005) は、24時間以内に腫瘍のみを細胞死させるという目標に関して、よりよい結果をえている。ナノ粒子と結合させられた、トランスフェリンや上皮成長因子受容体をふくむ各種抗体の有効性は、動物実験で試験されている(DeNardo 2005; El-Sayed et al. 2006)。癌治療においては、酵素結合懸濁液の不安定化と、細胞膜を透過しその機能を阻害する特定燐脂質分解酵素A2の活性化が、より有効であるともいわれている(Andresen et al. 2004)。
 遺伝子治療:正常な遺伝子をくみこまれた体細胞を移植することにより、遺伝病を治療
しようとするこころみは、この20年間に一般的になってきた。遺伝子治療においては、運搬分子を使用することにより、病変をおこす異常遺伝子の場所に正常遺伝子が挿入される。通常のウイルス性媒介体は、有害な免疫・炎症反応と、宿主の病気をおこしうる。この点に関してGopalan et al. (2004) は、新奇な腫瘍抑制遺伝子FSU1をもちいた全身的な肺癌の治療において、ナノ粒子による遺伝子療法が有効であることをみいだした。遺伝子治療に長く使用されてきた重合体であるキトサンは、その移植効率性が改善され、細胞毒性が減少させられたといわれている(Mansouri et al. 2006)。BALB/Cマウスでの経口遺伝子送達においては、ポリLリジンを添加した無水珪酸を使用することにより、細胞毒性をあまり出すことなく、腸粘液細胞に粒子を送達させられることがしめされた( Li et al. 2005b)。Dufes et al. (2005) は、腫瘍細胞死因子アルファ発現プラスミドをもちいたナノ粒子媒介体の、静脈内投与による遺伝子治療について報告し、遺伝子組み替えの発現が増加する一方で、毒性なしにネズミの寿命がのびることをみいだした。Kaul and Amiji (2005)は、ポリエチレングリコール添加ゼラチンナノ粒子をもちいた、腫瘍を標的とする遺伝子の送達が、非常に効果的かつ生体適合的・生分解性であり、強固な腫瘍に体循環的にとどくには十分に長く持続するものであることを発見している。乳癌細胞を使用した最近の試験管内実験においても、ナノ粒子に添加された野性型p53遺伝子送達の、潜在的な有効性がしめされている。そのようなナノ粒子送達にさらされた癌細胞においては、分裂活動の抑制が増加し持続するが、そういうことは媒介体だけにさらされた細胞にはみられない。Bharali et al. (2005) は、有機物添加無水珪酸ナノ粒子をもちいた試験管内遺伝子送達・蛍光表示のための非ウイルス性媒介体が、標的をしぼった脳の治療に有効であることを報告した。ナノ粒子を基礎とする移植の有効性は、ウイルス性媒介体を使用した遺伝子送達のそれをしのいでおり、それによる体内での光学的な表示は効率的かつ持続的であって、移植された細胞の持続性と生存可能性もまさっている。
 これらの研究をみると、ナノ技術が、医学・科学・工業の発展を通じて、人類の健康におおいに貢献するであろうことはあきらかである。ナノ技術の潜在的な人類への恩恵は、生活のさまざまな側面をふくみ、多様な製品をともなうであろう、はかりしれないものである。ナノ粒子の有用な応用に関する少数の追加情報については、追加資料の表1(http://www.ehponline.org/members/2006/8871/supplemental.pdf) を参照されたい。
●反対論:循環器への効果による発病率と死亡率
 警告:産業革命の開始以来、人体への曝露の源泉は劇的に増加しており、大気汚染の集中と、発病率・死亡率の増加との関連は、時期的にも関連しており、多数の疫学的研究により確立されている(Nel 2005)。しかしそのような疫学的なデータは、直接的な因果関係によって支持されているわけではない。
 多数の疫学的研究により、粒子による大気汚染と特に循環器病に起因する健康への影響の増加とのあいだに一貫した、直接的な信頼できる関連がみられることがわかっている。過去数十年間に先進国と発展途上国の両方で、大気汚染に起因する、成人の発病率と死亡率、および敏感な人々の人口は継続して増加している。PM2.5と1日の死亡者数とのあいだの濃度・反応関係は,アメリカでは年に10万人の死者をだすほどであるといわれている(Schwartz et al. 2002)。Delfino et al. (2005) は最近の疫学的研究を包括的に再検討して、超微細粒子への曝露に関連する病理生理学的な変化、すなわち循環器病を誘発する変化を、明白なかたちでしめした。
 汚染の程度がさまざまなアメリカの6都市において、死亡率の予言者ともいえる空中粒子による大気汚染と、成人の発病率とのあいだに強力な関連がみられることは、初期のふたつの疫学的研究によく記録されている(Dockery et al. 1993; Pope et al. 1995) 。後続のある研究では、微細粒子による負担は、生理学的な関連をともなって、循環器病の発病率・死亡率と、さらによく関連づけられた(Pope et al. 1999)。この研究においては、心拍数の増加が、空中浮遊粒子への曝露の増加と関連づけられるとされた。汚染大気への曝露はまた、血圧の上昇、および酸素浸潤の変化をともなわない心拍数変動の減少にも、関連するとされた(Gold et al. 1998; Shy et al. 1998) 。Peters et al. (2000, 2001)は、大気汚染水準の上昇が、致命的な不整脈の増加と、心筋梗塞の発症に関連していることをしめした。かれらはまた、汚染水準が上昇した大気に、2時間以上の短時間曝露しただけでも、心筋梗塞が惹起されることをもしめした。アメリカの20都市における微細空中粒子と死亡率の研究においても、1立方メートルあたりのPM10の増加にともない、循環器病および呼吸器病の相対的死亡率が、それぞれ0.68パーセント増加すると報告された(Samet et al. 2000) 。疫学的・病理生理学的な証拠は、微細粒子による大気汚染、肺炎あるいは全身の炎症や、動脈硬化の促進・心臓自動機能の変化など原因の明白な循環器病による死亡率とのあいだの、関連を支持している(Pope et al. 2004)。第二癌予防研究における、50万人の成人の16年にわたる追跡調査においてDockery et al.(2005)は、PM2.5が10マイクログラム毎立方メートル増加すれば、虚血性心臓病・不整脈・心不全・心臓麻痺による死亡率が8から18パーセント上昇すると報告している。汚染が増加した大気に3日という短期間だけ曝露することも、発症の増加の主要な原因になると報告されている(Dockery et al. 2005) 。最近発表された集団研究においても、大気中のPM2.5とオゾンへの短期間の曝露により、循環器病その他の病気への既往歴がある高齢者において、効果の調整をへても、心臓自動機能障害との関連がみられることが報告された(Dockery et al. 2005; Park et al. 2005) 。PM2.5による循環器・呼吸器への危険が、アメリカの東部・北西部・南西部において、他の地域とはちがうことも最近報告された(Dominici et al. 2006)。この効果は超微細粒子が、循環器病の既存の危険を顕在化させる潜在力をもつことを意味している。Peters et al. (1997)は、大気汚染の経験と血漿の粘性に関して過去にさかのぼる研究をして、死亡への関連も示唆される粘性の増加がみられることを報告した。
 吸入された超微細粒子の循環器系への直接の転移が、高い危険をもつ個人の循環器への直接の効果をひきおこすという仮説は、健康な被験者に関する研究において検証された。この研究では、テクネチウムで標識づけされた超微細炭素粒子が、健康な非喫煙者の全身循環に早急にとりこまれることがしめされている(Nemmer et al. 2002a) 。しかしこの知見は、可溶性テクネチウム99含有塩の方法論的な過大評価があるとして、他の研究により反駁されている(Brown et al. 2002; Kreyling et al. 2002; Oberdorster et al. 2002)。最近の研究においてMills et al. (2006) は、テクネチウム99で標識づけられた炭素ナノ粒子が、吸入後最大6時間肺にとどまると結論している。
 空中微細汚染粒子への曝露が、循環器・呼吸器病による発病率・死亡率に関連するかもしれないという結果を説明するために、3種類の機序が提案されている。第一の仮説は、微細粒子状物質が肺の神経単位を刺激して、中枢神経系そして循環器の自動機能に影響するというものである。第二の仮説は、吸入された微細粒子状物質が直接に循環器系に入りこんで標的となる臓器に達し、炎症とサイトカイン・活性酸素・C反応蛋白質の分泌をうながして、心臓の病変をひきおこすとする。第三の仮説では、吸入された粒子状物質が肺の急性炎症反応を惹起して、サイトカイン・ケモカイン・活性酸素・転写因子を分泌させるとされる。重要な役割をはたしているのは、マイトジェン活性蛋白質補酵素・酸化還元感応転写因子・核因子カッパB・活性化蛋白質1が活性化されて、肺の炎症が増幅され、心臓の病変が惹起されるといった、反応と炎症の連続である。炎症は動脈硬化に直接に関連しているので、炎症と心臓冠状動脈の病変とのあいだにも強力な関連があることを支持する証拠があげられている(Sun et al. 2005) 。それだけでなく動物・細胞実験の結果も炎症反応が全身病につながるという、信頼できる機序の存在を支持している。この点に関しては、大気汚染粒子状物質に長時間曝露された遺伝的に過敏なマウスを使用した実験において、動脈硬化と心臓炎症の悪化がしめされており、したがって、炎症に惹起された動脈硬化の諸機序のあいだの間接的な関連は支持されている(Sun et al. 2005) 。人体研究による証拠もまた、大気汚染粒子状物質と、動脈硬化につながる心臓反応の発現とのあいだの、この関連を支持している(Brook et al. 2004) 。
 複数の疫学的研究(Delfino et al. (2005) とその参考文献を参照)は、PM2.5ほどの空中粒子が、健康への悪影響に関係しているという説を提示している。そのような研究においては、ヒトの超微細粒子への曝露の特徴づけが、限界要因となる。それらの研究のほとんどは、健康への悪影響を関連づけるために、超微細粒子の大きさや毒物学的組成に関する情報なしに、間接的な検査データを使用していた。そのため、観察された関連は実は因果関係をともなわないものである可能性がある、との批判がなされてきた。こういう疫学的研究を支持する毒物学的証拠の欠如は、部分的には細胞・動物実験により補完されている。
 高濃度空中粒子を使用した動物実験においては、それらの粒子が心筋虚血症を悪化させ冠状動脈閉鎖を惹起しているので、肺血管が空中浮遊粒子毒性の主要な標的であることが示唆されている。Batalha et al. (2002) は、正常なラットと慢性気管支炎のラットにおいて、高濃度空中粒子への短時間の曝露が、肺小静脈の収縮を発症させることをみいだした。冠状動脈閉鎖をおこしているイヌにおいては、Wellenius et al. (2003) が、高濃度空中粒子の吸入が心筋虚血症の悪化につながることをみいだしている。高濃度空中粒子を使用して実験動物に血栓症を発症させてみた結果は、血栓症と肺炎の発症に粒子の大きさが関連するという説を支持している(Nemmer et al. 2002b) 。食細胞作用をのがれて、全身循環に入りこみ肺以外の臓器に達するという高濃度空中粒子の特性は、循環器病による発病率・死亡率とも関連しているかもしれないが、いまのところ詳細は不明である。Seaton et al. (2005)は、循環器系に到達した高濃度空中粒子が、凝血・血栓症その他の健康障害をおこすのではないか、あるいは、高濃度空中粒子による強固な肺の炎症が、サイトカインその他の仲介物質の放出を促進して、発病率・死亡率を上昇させる循環器・呼吸器の病変をひこおこすのではないかとの仮説を提示している。Delfino et al. (2005) は、冠状動脈に関する心臓病の患者においては、そうでない人々にくらべて、インターロイキン1ベータ・インターロイキン6・腫瘍細胞死因子アルファ・C反応蛋白質などの炎症性サイトカインや繊維素原が増加していることを報告した。
 この現象はNerkiewicz et al. (2004)によって研究された。かれらは実験動物を使用して、超微細粒子の代用物としての残留性浮遊灰塵(2マイクロメートル未満)と、二酸化チタン微粒子(1マイクロメートル未満)への曝露による、全身循環への影響の潜在的可能性をしめした。微細粒子への曝露が、検知される肺の炎症とは無関係に、全身毛細血管の機能変化をおこしうることを、かれらはしめしている。微細粒子状物質への曝露は、内覆組織に依存した冠状動脈の収縮・損害をしめす、ラットの僧帽筋細静脈への白血球の流入に関連している。これにはさらに、全身血圧の上昇と、毛細血管の内的収縮への不適応がともなう(Nurkiewicz et al. 2004)。このような障害が、循環器系をきずつけて、超微細粒子に曝露した人々の心臓麻痺の危険を増進させることへの、寄与要因になるのかもしれない。Li et al. (2005a) による最近の研究は、超微細粒子によって惹起された他の機序が、マイトジェン活性化蛋白質補酵素を増強させて、血管緊張1型受容体を活性化し、血管を収縮させることをしめした。都市の超微細粒子は曝露時間と用量によっては、細胞外の信号制御補酵素1・信号制御補酵素2およびp38マイトジェン活性化蛋白質補酵素の燐酸化を増進させる。超微細粒子の通常の汚染金属である銅とバナジウムも、循環器への効果に重要な役割をはたしている、この局所的なレンニン血管収縮機構を惹起する。銅とバナジウムをふくむ水溶性の細片もまた、信号制御補酵素1・信号制御補酵素2とp38マイトジェン活性化蛋白質補酵素の燐酸化をおこす。このような試験管内の研究を支持する生体実験では、あらかじめジメチル尿素を投与された実験動物において、酸化ストレスの役割が強調された(Robert et al. 2003)。残留性浮遊灰塵にひきおこされた酸化ストレスによって増進された分子的機序が、マイトジェン活性化蛋白質補酵素や、炎症サイトカインの腫瘍細胞死因子アルファ・インターロイキン6、そして炎症蛋白質のマクロファージ炎症蛋白質2を活性化させるという結果をもたらし、また炎症に関連して惹起される肺の中のできごとをひきおこしている。
●反対論:呼吸器病による発病率と死亡率
 肺は大気汚染の主要な標的のひとつであり、汚染の増加と、児童・喘息患者・敏感な成人における健康への悪影響との関連は、よく記録されている(Nel 2005)。粒子の大きさと表面積および化学組成はすべて、粒子状物質による健康への危険にかかわっている。大気汚染への曝露に起因するとして記録されている、おもな健康への悪影響としては、呼吸器症状の増加・入院の増加・肺機能の低下・肺感染の増加・粘液除去の悪化・慢性閉塞性肺疾患・死亡率の上昇があげられる(Gong et al. 2005; Koenig et al. 2005; Pietropaoli et al. 2004; Silkoff et al. 2005)。 
呼吸器の健康への影響を誘発するにあたっては、肺の炎症に起因する悪化が重要な役割をはたしているらしい。喘息傾向のある人と慢性閉塞性肺疾患の患者においては、この悪化が、超微細粒子がその毒性を発揮するための重要な分子的機構とみられる(Silkoff et al. 2005) 。それに対して、塵肺症や癌のような、早期に検知できる症状がわずかしかない慢性の健康障害は、潜伏も長期にわたるので、診断するのがむずかしい。喘息や慢性閉塞性肺疾患など、急性炎症により悪化させられる病気に関しては、大気汚染の変動との関連がよく記録されている(Gong et al. 2005; Koenig et al. 2005; Pietropaoli et al. 2004; Silkoff et al. 2005)。循環器病と呼吸器病の発病において、ことなる分子的機構がはたらいているかもしれないと、みるのは妥当である。実験的研究が一貫してしめしているのは、超微細粒子とナノ粒子は肺に炎症をおこしやすく、また吸入された超微細粒子の細片が、血液・肝臓・心臓・脾臓・脳など肺以外の部位に転移させられるということである( Nemmer et al. 2003; Renwick et al. 2004)。肺以外の部位への転移は、粒子の大きさ・化学組成・表面特性によって変化する。Geiser et al. (2005)の最近の研究によると吸入された二酸化チタン超微細粒子は、肺中の非食細胞機構によって細胞膜を通過し、毛細血管中に発見されるという。
 細胞実験研究:実験的に生成された超微細粒子と高濃度空中粒子を使用した研究においては、肺に炎症をおこしやすく毒性が強いという、超微細粒子の性質が一貫してしめされている(Brown et al. 2001; Dick et al. 2003; Donaldson et al. 2004a; Donaldson and Tran 2002; Saldiva et al. 2002) 。超微細粒子は表面積が大きくて、より多くの細胞構造と接触し、またしばしば多様な遷移金属とも結合しているので、より大きな酸化ストレスを誘発すると信じられている(Dick et al. 2003; Donaldson et al. 2004b; Saldiva et al. 2002) 。10から50ナノメートルのせまい範囲での表面積の重要性は、6種類の大きさのちがう超微細粒子に曝露させて急性肺炎が発症するかどうかをみる、最近の研究においてもしめされた(Stoeger et al. 2006) 。超微細粒子と遷移金属との相互作用は、活性酸素の生成と炎症に相乗作用をおよぼすとも報告されている(Brown et al. 2001; Donaldson et al. 2004b) 。超微細粒子と、微細粒子ないしより大きな粒子との、大きさと組成のちがいも研究されて、ことなる細胞機構による摂取と、酸化ストレスの誘発力とも関連づけられている(Brown et al. 2001; Dick et al. 2003; Kreyling et al. 2002) 。超微細粒子は、ヘム酸化酵素1を誘発し細胞内グルタチオンを枯渇させるので、マクロファージと上皮細胞におけるもっとも強力な酸化ストレス誘発源であるとされている。超微細粒子により誘発された酸化ストレスはまた、遺伝子発現の細胞内信号につながる、マイトジェン活性化蛋白質補酵素の活性化や、接着分子をふくむサイトカインや炎症遺伝子の発現に際して重要な、活性化蛋白質1と核因子カッパBの活性化にも、関与していると報告されている(Oberdorster 2001; Oberdorster et al. 1995) 。
 活性酸素:ことなる大きさと化学組成の、高濃度空中粒子と実験的に生成された超微細粒子をもちいた、試験管内および生体内での実験により、活性酸素の生成が、炎症と毒性への主要な貢献要因であることがわかっている。研究者たちは、肺の損傷・病気をおこす超微細粒子の能力を、その小ささと大きな表面積および金属汚染に帰している(Donaldson et al. 2004a, 2004b; Nel et al. 2006; Oberdorster et al. 2005b)。活性酸素の生成が酸化ストレスにつながることにくわえて、信号経路の活性化と細胞死もまた、肺その他の病気の発症経路とみられている。このことは、超微細粒子が、酸化ストレスと、それに呼応した細胞反応を誘発するとする、階層的酸化ストレスモデルにおいてしめされている(Nel et al. 2006) 。
 循環器・呼吸器病による発病率・死亡率の上昇に関与するとされる経路のなかでも、酸化物に起因する炎症促進過程は、試験管実験と生体実験の両方にもとづいて重要とされている。天然塵芥・石油灰塵・石炭灰塵・大気など、多様な源泉から収集された超微細粒子の酸化力は、主としてその金属組成に帰せられている(Prahalad et al. 1999)。超微細粒子にみとめられる各種の金属は、直接あるいは細胞内還元後に、フェントン様反応により水酸基を生成しうる。超微細粒子の水溶性と非水溶性の両方の成分が、酸化潜在力をもつこともわかっている。健康な動物と病原体に感染した動物の両者をもちいた研究においてAntonini et al. (2002)は、活性酸素への曝露が肺への損傷と炎症をひきおすので、敏感な動物が曝露すれば酸化ストレスが変化するといえることをしめした。
 肺の病理学的反応:高濃度空中粒子ないし実験的に生成された超微細粒子をもちいた生体実験では、粒子の大きさと化学組成によっては、動物の肺において相当重大な炎症・毒物的反応がみられることもしめされた。Oberdorster et al. (1994) は、ラット・マウスに点滴された二酸化チタン超微細粒子が、肺への好中球の流入を誘発するので、二酸化チタンの微細粒子よりも炎症促進的であることをしめした。Oberdorster et al. (1994) はまた、急性・炎症毒性においては、粒子表面上の化学が同等ないしそれ以上に重要であるとも報告している。26ナノメートル未満の超微細粒子を含有する新規生成ポリテトラフルオエチレン煤煙は、ラットが10から30マイクログラムの塵芥に曝露されたのちに、出血性肺炎と死亡を誘発するが、生成から時間をへた超微細粒子においては、表面活性と毒性がうしなわれる(Oberdorster et al. 1995) 。
 微粒子性肺炎の研究においては、ラットはしばしば、敏感で強調された反応をする動物とみなされている。そこで最近の2件の独立した研究では、単壁炭素ナノチューブに曝露されたマウスが使用され、低用量と高用量の両者において、重大な肺の病理学的反応が観察された(Lam et al. 2004; Shvedove et al. 2005) 。Lam et al. (2004) の研究では、体重1キログラムあたり3.3から16.6ミリグラムまでのすべての用量において、最大90日まで持続する炎症をともなう肉芽腫性病変が誘発された。Shvedova et al. (2005)も、マウス1匹あたり10から40マイクログラムの、純粋な新規生成ポリテトラフルオエチレンをもちいて、肺繊維症の発症と肺機能の低下をともなう頑強な急性炎症反応が生じることを発見している。
 毒性評価と並行して敏感な実験動物を使用した実験では、議論をよぶ結果がでた。陽性・陰性の被験体として、新規生成ポリテトラフルオエチレン・無水珪酸・カルボニル鉄にそれぞれ曝露されたラットが、おどろくほど矛盾する結果をしめしたのである(Warheitet al. 2004)。この実験においては、毒性も炎症増進もないところで、肺肉芽腫の形成がみられ、その肉芽腫が時間経過とともに衰退することもなかった。各種の動物および人間についてよく記録されている、粒子への曝露による毒物学的な反応の様態は、動物の体重あたり用量を比較したときに、Warheit et al. (2004) がしめしたデータと一致しない。Lam et al. (2004) とShvedova et al. (2005)は、Warheit et al. (2004) が敏感な動物にもちいたのよりも小用量をマウスに曝露させて、病理学的な重要性のない、多発性肉芽腫の発見を報告した。この思弁的な解釈の妥当性はわからない。
●反対論:他臓器への移転と毒性
 過去においては、循環・神経・排出系は、吸入毒物学・生物病理学では、二次的な標的とは思われていなかった。しかし最近では多くの動物と人体の研究が、体循環・肝臓・心臓・脳など肺以外の部位への、超微細粒子の転移をしめしている(Kreyling et al. 2002; Nemmer et al. 2002b; Oberdorster et al. 2002)。超微細粒子の転移過程については現在わずかしかわかっていないが、このような予備的研究の結果は、超微細粒子が心臓をふくむ他臓器に転移して、循環器にかかわる発病・死亡の誘発・増進に関与しているという仮説を、毒物学的に一貫して支持するものである。超微細粒子に関係する複数の研究により、この種の粒子が、より大きな粒子にくらべて肺の間隙により深く侵入して、除去作用をのがれる能力をもっていることがわかっている(Geiser et al. 2005; Oberdorster et al. 2005a; Oberdorster and Utell 2002)。除去をのがれるこの性質のために、超微細粒子は肺間隙に長くとどまり、肺以外の部位に転移して影響をおよぼす可能性を、より多くもつことになる。ラットをもちいた吸入曝露の研究において、Oberdorster et al. (2002) は、吸入から30分後には相当になる肝臓に蓄積された炭素13の量が、1日たつと5倍になることを報告した。かれらはまた、吸入後には超微細粒子が、2.5ミリメートル毎時の速度で嗅覚神経を移動することをも報告している。入手できた証拠によりHoet et al. (2004)は、肺胞マクロファージの食作用や上皮・内覆細胞の細胞食作用が、超微細粒子の体循環および肺以外の部位への移転の、重要な経路であると結論した。
 神経を通じた転移:吸入された粒子と病原体の、神経を通じた摂取と脳への転移の可能性については、いくつかの研究で言及されていたが、Oberdorster et al. (2005b)によって再検討された。そこで引用された諸研究によると、嗅覚粘膜と延髄とは近接しているので、嗅覚神経は鼻孔から吸入された粒子の運搬のためのもっとも効果的な経路である。黒鉛を全身吸入させられたラットを使用した研究においても、嗅覚神経を通じた肺以外の部位への転移が効果的な経路であると報告されている(Oberdorster et al. 2002, 2004) 。このように脳に転移させられたナノ粒子が、細胞の損傷ないし毒性を発現するのかどうかは、わかっていない。
 皮膚を通じた曝露と転移:約18000平方センチメートルの表面積により環境から身体を保護している皮膚は、人体で最大の器官である。極性のある物質もない物質も、細胞間の経路を通じて、角質層に浸透することができる(Menon and Elias 1997)。紫外線が皮膚の小孔部を拡大して、生体角質層の浸透性を増進し、表皮中への大分子の運搬を可能にする、一時的な経路の形成を促進することもわかっている(Menon et al. 2003) 。皮膚を通じた医薬品の効果的な送達を増進するための、代謝への介入は、透過性が増強された角質層をとおせば大変効果的になると報告されている(Elias et al. 2002) 。
 1マイクロメートル超の粒子の健康な皮膚への浸透は、ひっかかれたり、きずつけられたり、機械的にひきのばされたりした領域以外のところでは、かぎられている。身体的活動と並行して、Tinkel et al. (2003)は、実験動物において、局所的に投与された0.5および1.0マイクロメートル超のベリリウム粒子が、角質層に浸透して、ヘプテン特異的で細胞に仲介される免疫反応を発現させることをしめした。日焼け止めにふくまれる二酸化チタンマイクロ粒子が、角質層や毛髪の毛嚢孔に浸透することも、報告されている( Lademan et al. 1999)。真皮に達した粒子は、マクロファージや樹状細胞によって、リンパ系にまで輸送されうる。他の遠方の臓器へのナノ粒子の浸透・輸送についてよく記録した研究はないが、ベリリウム粒子を使用した研究の結果からは、機械的で肉体を酷使する作業に従事する労働者においては、そのような侵入経路が現実的なものであることも想定することができる。
 培養されたヒト角質細胞の細胞毒物学的研究において、Shvedova et al. (2003)は、単壁炭素ナノチューブへの曝露により、活性酸素の生成が誘発され、超構造的・病理学的変化に関連する、細胞毒性・脂質の過酸化・抗酸化物質の枯渇および細胞の生存可能性の損失がおこることをしめした。未精製の単壁炭素ナノチューブへの曝露は、酸化ストレスを増強させ、労働者に毒性を出現させることになると、この研究は結論している。
 現在入手しうる毒物学的な研究と、かぎられたヒトでのデータにもとづいて作成した、超微細粒子転移のありうる相互作用と、循環器・呼吸器その他の臓器に関与しうる、疑惑をもたれていることがらとをまとめた図表を、図3としてあげる。
■図3:超微細粒子の吸入と他臓器への転移を通じておこりうる、相互作用の仮説的図表。ここでは、循環器・呼吸器障害による発病率・死亡率を上昇させるかもしれない事象につながるとの、疑念をもたれている相互作用(疑問符のついているもの)も表示した。
●結論
 ナノ医学の進歩は、ナノ粒子を基礎とする病気の早期検知・診断・治療の、新しくわくわくするような可能性をしめしている。ナノ技術の商業的発展とその多様な応用は、ナノ粒子の毒性についてくわしいことはまったくわからないいま推測されるしかない、広範囲の健康への危険をときはなつかもしれない。超微細粒子とナノ粒子の毒物学と可能な健康への影響に関する文献を再検討してみても、有益な影響と有害な影響とを比較することを要求する、なんらかの毒物学的規範の概観がえられるだけである。試験管内と生体内のナノ粒子の健康への毒性についてはわずかしか知られていないので、薬物動力学的・毒物学的な研究が、大規模な工業生産と利用が実施される以前になされなくてはならない。そのために合衆国環境保全庁・国際生命科学研究所研究財団・危険科学研究所は、開発されたナノ粒子の毒性の監視・報告と危険の特定をあらたにおこなうために、学界と政府のナノ技術専門家から構成される作業団を招集した(Oberdorster et al. 2005a, 2005b) 。いまのところわれわれの思考はナノ技術の利便性にとらわれているが、人間の健康へののぞまれない影響の可能性は無視されるべきではない。超微細粒子への曝露と、高齢あるいはきずついた人々の発病率との関連については、一貫して多数の研究が報告している。それだけでなく最近の研究は、毎日の短期間の粒子濃度と曝露の変動が、素因のある人々の心臓疾患においては、重要な要因であることをも強調している。したがって、超微細粒子と類似した大きさと表面特性をもつナノ粒子が、潜伏期の長いものもふくむ病気をひきおこすのではないかと、うたがうべき理由はある。ナノ技術の産業化とともに、大気汚染と一般公衆への脅威がひろがる可能性もある。
 うたがいもなくナノ技術は、環境汚染の除去・水質の浄化・安価な電力およびよりよい病気の治療法をふくむ、広範囲の応用そして生活の多様な局面に、甚大な影響をおよぼすであろう。産業界と政府が直面する重要な課題のひとつは、各種のナノ粒子への曝露によりおこりうる健康への悪影響について、情報が不足しているということである。経済的誘因と医薬への応用のためにナノ技術を振興するためには、製造・労働者曝露の監視・ナノ粒子の空中放出・危険評価をふくむ、ナノ技術産業のための安全指針を、政府が策定することが必要である。
■参考文献
http://www.ehponline.org/members/2006/8871/8871.html

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