書評 『未来のモノのデザイン ロボット時代のデザイン原論』

投稿者: | 2009年4月7日

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書評
『未来のモノのデザイン ロボット時代のデザイン原論』
ドナルド・A・ノーマン / 安村通晃・岡本明・伊賀聡一郎・上野晶子 訳
新曜社 2600円+税 2008年10月25日初版第1刷発行
評者
   松本 浄 (フリーライター)
認知科学の第一人者が語る、機械と人間のあるべき関係
私は、駅で切符を買おうとして自動券売機に千円札を入れる。しかし、機械が紙幣を読み取れず押し戻される。仕方なく、折り目を伸ばし向きを変えて再び挿入する。が、また戻される。もう一度向きを変えてみる。これが何度も繰り返され、やがてイライラが込みあげてくる――ああ、もう電車が出発するじゃないか! たぶん、こんな経験は誰にでもあるだろう。しかしこの程度の怒りは5分もすれば忘れてしまう。私たちはこうした機械のトラブルを日常の些細な不運としてすでに受け入れている。
コンピューターの小型化が進む現代、自律制御システムやAI(人工知能)を組み込んだ機械は、業務用の機械から小さな家電製品まで、身の周りにあふれている。自動車のABSはブレーキの状態を監視し、必要に応じて運転手の操作とは異なる動作を選択できる。洗濯機はスタートボタンひとつで衣類の量に応じた水量と洗浄時間を自動的に選んでくれる。ところが、この自律的に働く機械たちが、いつどのような情報に基づいて、どのような判断と行動を選択し、そしてどんな過ちを犯す可能性があるのか、私たちはほとんど理解していない。
本書の著者ドナルド・A・ノーマンは、工学と心理学に精通し、さまざまな視点からテクノロジーと人間の関わり合いを論じた数多くの著作を持つ、認知科学の第一人者である。ベストセラーとなった『誰のためのデザイン?』(1990年)では、人間にとって使いやすいデザインを追及し、道具の機能や形状の設計に必要な考え方を示した。その後の『エモーショナル・デザイン』(2004年)ではまったく別の視点に立ち、人間の情動に働きかけ、心を豊かにするデザインを分析した。そして本書『未来のモノのデザイン』では、これら過去の著作の議論を集約し、全7章を通じて最先端の機械にあるべきデザインとは何かを論じている。近い将来、バスや電車が無人運転され、知能をもつ家が住民を助けようとするとき、未来のデザイナーはどんな考え方を持って機械をつくらなければならないのか。デザインという観点から、独自の考え方を説得力豊かに描き出している。
なお、「デザイン」という外来語は日常生活においてしばしば外観の良さのみを指して使われる場合があるが、本書で述べられる「デザイン」は、本来の意味どおり、仕組みや機能も考慮した「設計」に近い言葉である点を注意しておきたい。
各章の構成と内容紹介
第1章から第3章までの前半で著者は、現在の多くの自律制御する機械に根本的な問題があることを、事例とともに指摘し、その解決方法を提案している。たとえば、最近は音声で案内するカーナビが登場しているが、このカーナビがユーザーの言葉を聞き対話することはない。機械が選んだ経路についてその判断理由を弁明したり、ユーザーの不満を聞き入れ妥協したりはしてくれない。人間と機械は、それぞれに定まった手順で情報を交換するだけで、それはコミュニケーションとは言えるものではないのだ。別の事例では、高速道路で前方の自動車との車間距離を一定に保つ機能「クルーズコントロール」が、高速道路の出口で加速してしまった話を取りあげ、自動化とは結局、デザイナーの頭のなかで想定された条件に対応しているに過ぎないと述べる。それは、想定外のできごとが起きるとたいてい失敗するのだ。こうした問題に著者は、機械の制御は、自動化ではなく人間の能力を拡大するアプローチで設計することが必要だと主張する。
第2章では、なぜ人間と機械のコミュニケーションは難しいのかを明らかにする。人間は多くの「常識」を暗黙のうちに共有し、対話している。「共通基盤」と呼ばれるこうした知識と経験は、コミュニケーションの基礎であり、それなくしては人間同士の対話も上手くいかなるという。逆に言えば、機械が人間の感覚や感情を理解し、共通基盤が築ければ多くの問題が改善されるが、今の技術では難しい。著者の提示する解決法は二つ。一つは、機械が提案・推薦の仕事に徹し、判断はすべて人間に委ねること。残りの一つは、第3章の「自然なインタラクション」に着目し、互いの共有できる情報から制御する方法である。
第3章は「自然なインストラクション」をキーワードに、人間と機械のあるべき関係を具体例とともに紹介する。自然なインストラクションは、自然界のサインや物理現象を利用し、機械の状態を常に人間が把握・操作できるようにする。たとえば、やかんの笛は音の高さと大きさで沸騰前のお湯の状態を連続的に教えてくれる。また、やかんの形状は、人間が直観的にその操作を理解できるようにデザインされている。このような自然なインタラクションを実現した協調的ロボットの好例として、著者はセグウェイをあげる。動きたい方向に体を傾けるだけで操作できるセグウェイでは、人間は目的地へ向かう内省的な制御を行い、機械は「移動」という行動的な制御を提供する。これが著者の考える理想の関係、「機械+人間」の構図であるという。
「機械のしもべ」と題した第4章では、最先端の自動車制御技術などを例に出し、自動化されたテクノロジーに人間が頼り切ってしまうことの危険性を訴える。過剰な自動化が、人間の注意力とトラブルへの対応力を低下させることは実験でも明らかになっているそうだ。機械と人間の連携関係をデザインするときは、人間の状況認識を持続させる工夫が必要だとわかる。
第5章では、なぜ私たちは自動化を望むのか、その理由を改めて整理したうえで、本当に望ましい自動化とはどんなものであるか考察している。命の危険を伴う状況では、人間の代替として働く自動システムが不完全であっても役立つとしつつも、原則は自動化ではなく、人間の能力を拡張し選択肢を提供するようなデザインが重要であると結論する。
第6章には「概念モデル」というキーワードが登場。機械の動作や仕組みを人間が直観的に理解できるような工夫があると、それが概念モデルを形成し、機械にエラーが起きた場合でも人間が上手く対処できるようになると論じている。また、最後には理想的な機械をデザインするための「6つのデザインルール」を提唱し、これまでの要点を簡潔にまとめている。
最終章となる第7章では、最新の自動車・ロボット・三次元プリンターなど、ますます進歩していく未来のテクノロジーの可能性を紹介。未来のデザイナーは、さまざまなテクノロジーが個人や社会に与える影響に関心を持ち、幅広い視野で適切なインストラクションを設計できるジェネラリストとしての資質が必要になるとしている。そしてデザインを芸術様式および技能としてしか教育していない現状に警鐘を鳴らし、科学的な視点と芸術の審美性を併せ持つ新しいアプローチが必要であると述べている。
機械に囲まれて暮らす現代人に重要な視点を与える一冊
本書の議論は、人間と機械の「共通基盤」というキーワードを中心に、機械を人間のような独立の存在として捉えている点が新しい。追記にある創作話や、「我々と機械は二つの異なる種である」という表現にはそうした立場が表れている。つまり、人間が機械を使うときに問題が起きるのではなく、人間と機械が共同作業するときに問題が起きているのだ。この視点に立つと、感覚器官が非常に乏しい機械は、五感を使って豊かに世界を捉える人間よりもずっと少ない情報で自身を制御していることと、私たちのトラブルを機械が適切に理解し対処することがいかに難しいかがよくわかる。従って、人間であるデザイナーが機械に起きる困難を予測しプログラムした自動制御は、限られた環境でしか上手くいかない。そこで、著者は「機械+人間」というデザインを提案する。情報伝達と計算が早いという機械のメリットを生かしつつ、状況変化への対応といった内省的制御は人間が担当することで、両者の「共生関係」を結ぶのだ(実際の行動的な能力を提供するこの機械の役割は、私たちの目から見れば「能力拡大」ということになる)。さらに、機械と人間の情報交換においては「自然なインタラクション」を採用し、機械の内部で起きている変化を、控えめな刺激で、常に人間へフィードバックさせることで、馬と騎手のようなスムーズで心地よい制御が実現するという。研究の紹介などに結論だけを引用する場合が多く、全体的に定量的な議論は少ないが、論理には筋が通っていて説得力がある。
総じて見ると、本書に詰まっている情報は、機械のデザインに関する知識やデータではなく、機械と人間の関係を読み解く「視点」だと言えるだろう。コミュニケーションの前提条件となる「共通基盤」。機械と人間の相互関係を考えるうえで重要なヒントとなる「自然なインタラクション」「本能・行動・内省」「アフォーダンス」「概念モデル」。人間のリスク管理意識を浮き彫りにする「リスクホメオスタシス」など。ページを読み進めるごとに、読者は身の回りにある人工物を、これまでとは違った側面から見つめることができるようになる。そうした数々の観点から立体的に描きだされる「人間と機械の理想の関係」は、決して機械を設計するデザイナーだけに向けられたものではない。機械と暮らしていくすべての消費者が、正しい開発を求め、機械との理想的な関係を築いていくために理解すべきものでもあるのだ。
リスク評価できないデザインの危険
個人的に強く興味を惹かれたのは、第3章で登場した「共有空間」。これは、オランダの交通工学者ハンス・モンダーマンが提唱し、ヨーロッパのいくつか特定の交差点で実施されている新しい空間設計である。交差点から、交通信号も一時停止標識も横断歩道も、あらゆる既存の交通安全機能を取り除き、ただ道幅の狭いロータリーだけを設置する。結果、ドライバーは前後の車間距離、侵入してくる車両、横断しようとする歩行者などに気を配り、自分自身の責任で運転することになる。「共有空間」は危険そうに見えるばかりか、おそらく実際に危険なのだが、ロンドンの実施例では交通事故が40%も減少したというというから驚く。共有空間に来たドライバーは細心の注意を払って運転するため、結果的に事故が減るのだ。これは自動化とはまったく逆のアプローチだが、人間の負担を引き上げ、危険性を明示することで、最終目標である安全性を確保するのだ。もちろん、どこでも応用できるほど簡単なものではない。著者はこのシステムが抱える問題を次のように指摘する。
この逆リスク補償の概念は、実施するのは難しい考え方で、試すには勇気ある行政が必要だ。全体として事故や死者が減ったとしても、すべての事故を防ぐことはできないし、1人でも死者が出たらすぐに、不安を持つ住民が、警告標識、交通シグナル、歩行者専用道路、道路の拡幅を主張するだろう。もし危険に見えたらより安全になる、という議論を維持するのは大変難しい。
「共有空間」のように現実に危険な状態をつくるかはともかく、現実以上に危険に見せかける、あるいは少なくとも、現実以上に安全だと思い込まれない設計にするという考え方はさまざまな応用がありそうだ。
私はこの事例に、人間と機械の関係を考えるうえで、とても深い真理が含まれていると感じた。つまり、私たちにとって本当に必要なことは、さまざまな機械や道具の安全性を高めることではなく、私たち1人ひとりが直観的にリスク評価を行なえるような情報と選択肢の提示ではないだろうか。実際、身の周りにある機械の多くは、その動作にどの程度のリスクを持っているのかまったく判断できない。大型の書籍店や図書館で見られる盗難防止ゲートがどのくらいの強度で電磁波を発しているのか、電子制御される扉にもし挟まれるとどれくらいの力がかかるのか。危険性を推し量るヒントは提示されず、選択の余地すら与えられない場合もある。道具や機械は、行政が定める安全基準をクリアするだけではなく、ユーザーのリスクをその場その瞬間ですぐ評価できるデザインが必要ではないだろうか。安全性という一面を考えるだけでも、本書の議論には多くの示唆がある。
過去の著作を合わせて読むことを勧める
著者が鋭い観点で議論を起こし、数多くの具体例でそれを補強していく点が本書の魅力の一つであるが、文章の構成はやや複雑で、随所で意図を読み取りにくいと感じることがあった。原因は、議論がしばしば各章を前後して展開される点と、過去の著作から再登場する概念に対してその説明と定義づけにあまりページを割いていない点にあるだろう。特に過去の著作を読んでいない読者は、その主張を理解するのに少し時間がかかる可能性がある。また、これは翻訳上のことだが、議論に頻出するキーワードがしばしば「インタラクション」のように片仮名のまま使用されることも、用語に馴染みのない読者に負担を強いるかもしれない。デザインというテーマを多角的に見るため、あるいは本書のわかりにくさを軽減するために、プラスとマイナスの両面から、本書に興味を持たれた方には著者の過去の作品を先に読んでおくことをお勧めしたい。本書を通じて人間と機械の関係性をデザインする視点が、多くの消費者と社会全体の「共通基盤」になることができたとき、本当に役立ち生活を豊かにするテクノロジーが発展していくのだろう。人間と機械の関係性が、高い関心を持たれ、広く議論されるようになることを願いたい。■

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