10月19日の土曜講座研究発表に向けて 立花隆問題とは何か(下)

投稿者: | 2002年4月19日

10月19日の土曜講座研究発表に向けて
立花隆問題とは何か(下)
谷田和一郎(ライター)
doyou59_tanida.pdf
1.立花隆氏とは何者か。
立花氏の抱える問題というのは、かいつまんでまとめると、「ニューエイジ的な考え方に基づいた、事実の歪曲・論理の飛躍・妥当性の乏しい結論」というところにあります。
具体的には、「宇宙進出によって人類は進化する」「インターネットで人類は進化する」といった主張が代表的なものと言えるでしょうか。こういった主張はおおよそニューエイジの考え方に基いたものと言えます。
それでは、こういった立花氏の「過ち」は、社会との関係の中において「どのような問題」であるのでしょうか? これを考えるためには、立花氏が社会においてどのような役割を果たしているのか、ということを考える必要があると思います。立花氏とは何者なのでしょうか。
肩書としては、「ジャーナリスト」「評論家」「客員教授」といったものがありますが、どれも今一つ立花氏の仕事を表現するには適切でないという印象を受けます。
そこで、立花氏の活動を、次の3つの側面に分けて見てみたいと思います。
(1) 科学ジャーナリスト
(2) 科学広報家
(3) 科学の夢を語る人
立花氏の活動というのは、おおよそこの3つに分けられるように思います(それぞれ密接に関連していますが)。
まず、1.の「科学ジャーナリスト」という点に関してですが、ジャーナリズムの役割が、「ある出来事を批判精神をもって迅速に正確に公平に伝えていく活動である」とすると、80年代後半に扱った「脳死」、90年代の「環境ホルモン」などはこれに該当するかと思います。ただし、「環境ホルモン」などが典型的ですが、立花氏のジャーナリストとしての活動は、専門家からは冷ややかに見られていることが多く、研究者への影響力は低いようです。一方、近年の「ゆとり教育批判」などに見られる世論への影響力は、その知名度の高さもあって、比較的高いと思われます。政策への影響は、定量的には全くわかりません。
2.の「科学広報家」という点に関しては、本年もノーベル賞物理学賞受賞の際にいくつかのテレビ局、新聞などでコメントを求められていたことなどが最も良い例でしょう。立花氏に取材されることによって、その研究の社会への認知度が上昇するということもあります。「広報家」と同時に、「啓蒙家」(適切ではない表現ですが)の役割も果たしています。「難しいことをわかりやすく書く」ことが自分の仕事である、と立花氏自身が語っているように、一般の人たちに科学をわかりやすく伝えるという仕事で、立花氏は大きな役割を果たしています。東大に客員教授として迎えられ、大学生に対して「科学を体系的に」講義したり、「立花ゼミ」を開いたりした、というのはこの範疇に入るかと思います。
3.の「科学の夢を語る人」というのは、科学をわかりやすく伝えるというだけでなく、科学の未来へのビジョンを語り、その延長上に、人間の考え方、価値観・人生観まで含めた一種の哲学を語る人、という役割です。「宇宙への進出が意識を進化させる」などといった考え方や、文系・理系を融合した教養が必要である、といった主張がこの範疇に入るでしょう。この役割は立花氏のかなりユニークな部分であり、主たる部分でもあるように思います。
立花氏が高い知名度と人気を誇る理由は、政治ジャーナリズムで得た圧倒的な知名度ということもありますが、「科学の夢を語る」ことが多くの人の共感を呼んだ、ということも大きいように思います。その意味では、立花氏の語るニューエイジ的な夢が、現代の日本に求められているということかもしれません。もちろん、立花氏自身の文章能力・知識量・歯切れの良い語り口などによるところも大きいでしょうし、容貌なども関係あるかもしれません。
かなり乱暴ではありますが、似通った位置付けの方と比較してみると、柳田邦男氏、中野不二男氏といった方々は1、養老孟司氏、竹内久美子氏などは2・3、竹内均氏は1・2・3といった感じになるでしょうか。
立花氏の活動としては、3が主活動で、2が従属的にあって、1はおまけ、といった感じになるのではないかと思います。立花氏のユニークさは、3が主活動であり、その部分に共感を得た多くの読者を持っているという点にあります。
立花氏の役割はおおよそ以上のようにまとめられると思うのですが、立花氏の特徴は、こういった独特の役割とともに「圧倒的な知名度」という点に集約されます。科学関連業界は、その難易度の高さなどもあって、世間的に広く知られた方が比較的少ない業界であると言えます。また知名度はあっても、いざ読んでみるとなると難しいものとして敬遠されてしまうことが多いようです。この点、わかりやすく語ることで人気を得た立花氏は、非常に貴重な存在と言えます。
2.立花氏の「過ち」は悪いことか。
1・2・3、それぞれの側面から見たとき、立花氏の「過ち」はどういう意味を持つのでしょうか。1の「科学ジャーナリスト」という意味では、「結論を明確に提示する」という点は評価できるものの、そこに至るまでに「事実の歪曲」「論理の飛躍」などは論外といわざるを得ません。
2という意味では、「科学広報家」としてのある種の演出いうのは必要であり、必ずしも丁寧な論理などは必要ないようにも思います。ただ、「科学に興味を持ってもらう」という段階までは、多少の演出はむしろ必要なのでしょうが、「科学をわかりやすく解説する」という段階では、立花氏の持つ非科学的な論理はむしろ悪影響を及ぼすのではないかと思われます。
3.の「科学の夢を語る人」という役割としては、「夢(あるいは価値観・哲学)」を語ること自体は、当然ですが悪いことではありませんし、その「夢」が科学的に厳密なものである必要はありません。しかし、「夢」が人類の望む方向を示すものであるとすれば、人類がそちらに進むことを望んでいないであろう「夢」―たとえば「宇宙進出」など―、を誤った論理を積み重ねて恣意的に導くということは、「夢」の語り方としては間違っているように思います。そして、「意識が進化する」といった主張は、ある種の「癒し」をもたらすかもしれませんが、それ以上の「夢」にはなりえません。
3.立花氏はなぜこのような「過ち」を犯すようになったのか。
なぜ、立花氏はこのような「過ち」を犯すようになったのでしょうか。立花氏自身、キリスト教の影響を受け、哲学に強く興味を持っていましたから、神秘主義的・ニューエイジ的な傾向を持つようになったのは、不自然なことではありません。
ただ、それが社会的に許容され、というよりも、むしろ共感を呼び広く人気を得たということは、まず、そういった主張が望まれていたということは否定できません。もちろん、立花氏がもともと持っていた人気も、その背景にあったと思います。
そのような人気を得たことによって、立花氏自身も自ら好きなことを好きに表現していくことになり、自らその傾向を強めていく結果になったのだと思われます。そして、立花氏の圧倒的な知名度は貴重なものであり、立花氏に代わる人材が存在しないということも、その傾向を強める結果になったように思います。■

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