【書評】『現地ルポ 核超大国を歩く アメリカ、ロシア、旧ソ連』

投稿者: | 2003年9月30日

田城明 著

「現地ルポ 核超大国を歩く アメリカ、ロシア、旧ソ連」

(岩波書店 2003年)

20世紀が「核の時代」だとするなら、21世紀はそれが終焉を迎える時代になるのだろうか。この克明なルポが教えるのは、私たちは核の時代の膨大な「負の遺産」をこの先何世代にもわたって背負い続けざるを得ないという重い事実である。そしてその重圧に思いを致すなら、この先も核兵器を開発し原子力を推進しようとすることがいかに愚かな行いであるかが、はっきりと見えてくる。

では、「核の時代」の主役、米国とロシア(旧ソ連)は総量としてどれほどの放射能汚染と被曝を引き起こしてきたか(そしてその被害はこの先どの程度にまで及ぶのか)。残念ながらそれを誰も正確に知ることはできない。しかしその全貌に迫るべく、核の現場の要所から発せられる声を連ねてみることはできる。ウラン採掘場、核燃料・核物質製造工場、核兵器部品製造・組立工場、核兵器研究所、核実験場、原子力潜水艦、原子力発電所、放射性廃棄物処理施設・処分場など、ジャーナリストが単独でこれほど広範な取材(米国13箇所、ロシア10箇所)を敢行した例を私は知らない。証言や引用されるデータから、それぞれの事例は優に1冊の本で扱うべきほどに汚染や被曝が深刻であることがわかり、多くの人は驚くだろう。だが、どのケースもまるで判で押したように、実態の全容の解明からはほど遠く、またヒバクシャを救済するどころか放置しているに等しい現状はもっと驚くべきものだ。取材の多くは救済や問題解決にあたっているNGOや医療者たちに向けられている。「ヒバクシャの多くはなお国から”放射線被害者”として認知さえされておらず、仮に認定されても、わずかな支援しか得られていない」という姿は、この半世紀に現われた国家暴力の新しい形態と言えるだろう。何とも皮肉なことに、その暴力は結局自らの首を締め上げるように効いてくるのだ。

たとえば、米国のハンフォード核施設で貯蔵されている高レベル放射性廃棄物の量は177個の巨大タンクで合計204億リットルを超え(放射能量でチェルノブイリ事故の4.3倍)、うち72個からのすでに起きてしまった漏洩によって、止めようのない地下水汚染が進行中だ。89年から年間約20億ドルを投じて敷地内の除染作業が始まっているが、核分裂反応で生じる熱や化学反応でタンクが爆発する危険も抱えている。施設解体も途方もなく高価で危険な作業になる。

ロシアは、もう他国の資金援助なくしては除染、解体、安全管理(核物質流出という重い課題がある)などの見通しを立てることさえできない。核攻撃に備えて建設された巨大な秘密地下核施設クラスノヤルスクでは地下にたれ流した放射能はチェルノブイリ事故の14倍、使用済み核燃料の貯蔵量はその56倍である(兵器用プルトニウムの保管量は公表されていない)。周辺地域では40代以上の女性の3人に1人の割合で甲状腺障害が現われ、40%の赤ちゃんに甲状腺肥大がみられるという。

巻末の終章「核の軍事利用と平和利用」は80年代末から幅広く核問題の取材を行なってきた著者の総決算とでもいうべき透徹した論考である。「ヒロシマ・ナガサキの思想」を世界の現状をみつめることで鍛え直そうとする熱意が胸を打つ。■

(上田昌文、『週刊読書人』所収)

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