森 元之
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東京から始まり、北陸を経て青森に行った旅。それはいくつもの博物館や展示物・表現スタイルを見ながら、将来の「土の科学館」を構想・構築するときのヒントとなるアイデアをつむぐ旅でした。それがようやく終わり、東京に戻ってから、最後にもう一つ絵画展を見ました。それは、東京オペラシティで開催された「野又穫:カンヴァスに立つ建築」という絵画展でした。
そこを訪れたのにはいくつかの理由が重なっています。野又氏の不思議な建築構造物を描いた一連の作品群に私は以前から魅了され、いつか現物を見たいと思っていたこと。同時に、この旅のはじめのころに訪れた金沢21世紀美術館で展示されていたヴォルフガング・ティルマンスという作家の展覧会と、野又氏の展覧会が東京オペラシティにて同時期に開催されていることを知り、会期中に見に行きたいと予定していたこと。さらには、青森から東京へ帰る列車の中で読んでいた、その日の朝日新聞の書評コーナーに小説家の石井衣良氏の新刊『ブルータワー』の書評が載っていたのですが、その本のカバーデザインに使われている絵が野又穫氏の作品であったこと。こうしたいくつかの偶然というか必然がつながったこともあり、青森から東京に帰りついた後、自宅に戻る前に旅の仕上げという気持ちもあって絵画展に行ったのです。
■幻想空間からの回帰先としての博物館
野又穫氏の作品群は、一言で言えば「空想建築」とでも言うべきものでしょうか。ありそうでなさそう、なさそうなんだけれども、どこかちゃんと建築学的に裏打ちされた精密な構造になっているので安心して見られる、という作品です。建築途中の足場、ワイヤーの張り方、階段、壁、柱などの建築の部分品のこまかな絵画的描写は具体的でリアルだけれども、構築されている建築物全体の配置は、現実には作らないだろう、あるいは何の目的でつくるのか、といった印象を受ける。そんな作品が多いのです。特に彼は、塔やタワー状の建築物を繰り返し描いています。
私はこの野又氏の作る作品世界から、土の博物館構想の目指す方向性の示唆を感じ取っています。高度な科学に裏打ちされて成り立っている私たちの世界においても、一方では、土や水という自然物の世界を理解したり伝えたりするときの手法として、野又氏の作る幻想空間の描写方法に、学ぶべきところがあると思うからです。
野又氏の作品を見ていると、「お金と作りあげたいという人々の意思があれば、おそらく建築技術的にはそれほど大変な課題もなく、現時点で人類が持っている建築工法や技術を組み合わせればすぐに建築可能だ」という印象を受けてしまいます。それは製図を引くような論理構築がその絵から感じ取れるからであり、この地球上のどこかにある建築物またはその工事現場をそのまま描写したような絵画的表現の安心感が、このような印象を与えてくれるのでしょう。
学歴とか偏差値とかという狭い意味ではなく、社会全体とそこに属する個々人の知見・知識が高度になってしまった現在の私たちにとっては、水や土の大切さや魅力を、感覚的に説明することも大事だけれども、同時に論理的に納得して共感してもらうことも必要であるということを、野又氏の作品世界から考えさせられるのです。幻想や空想というものも、実は個別の部分を構築する論理は非常に緻密で、なおかつ現実に沿ったものである必要があること。しかし、そうして作り上げられた世界観や作品群は、私たちの現実に対して切り込む鋭さを持ち、ときには現実世界を揺るがすような批判精神をも包含している必要があると感じています。
■ありがとうございました。
8回にわたりつたない旅の文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。この連載は今回で終了いたします。土の博物館構想はまだまだバーチャルな世界にあり、さらにその端緒についたばかりで、リアルな姿にたどり着くにはまだまだ時間がかかりそうです。しばしお休みをいただき、アイデアや構想が次のステップに行きましたら、あらためてお目にかかりたいと考えています。
参考文献 :「野又穫作品集Points of View視線の変遷」東京書籍
(市民科学第5号 2005年9月)