環境エッセイ 第8回 高レベル放射性廃棄物はどこに行く?

投稿者: | 2010年5月21日

上田昌文
 鳩山政権は、「2020年までに温室効果ガスを1990年レベルから25%削減する」と宣言した。それをどう実現していくか、確固たる政策はまだ見えないものの、その点に関連して危惧されることの1つが、現政権が温暖化防止を理由にこれまでの原子力推進体制をただ追認しているだけで、本格的な方針の練り直しを行う気配のないことだ。
 ここでは原子力の是非自体を全般的に論じることはおくとして、とりわけ抜き差しならない問題となっている高レベル放射性廃棄物について、どう政策的に取り組むべきか、その原則を論じてみたい。
21世紀のエネルギー政策の基本要件は、「持続可能性」、「豊かさの享受」、「公正性/公平性」の3つだと言っても、大筋異論はないと思われる。問題は、これらの3つは互いに拮抗しあう面がある点、そしていずれもが科学的・客観的に証拠立てることの難しい事柄を含む点だろう。「持続可能性」は主として健康と環境にかかわり、「安全性」と「環境負荷の軽減」、そして「資源の持続的供給」が問われる。長期的に見るなら、石油であれウランであれ、地下資源への依存は続けられない。「豊かさの享受」では、主としてエネルギー安定供給(適正な生活レベルの維持)と経済コストの軽減が問題になる。そして「公正性/公平性」ではリスクや経済的負担が世代間や地域間で偏らないことが求めれる。もちろん原子力政策も、これらの基本要件をどう満たすことができるのかという観点から評価される必要がある。
日本政府のこれまでの方針は、エネルギー安定供給と温暖化抑制のために原子力発電を推進し、原発から出る使用済核燃料の再利用のために再処理を行い、最終的に残ってしまう高レベル放射性廃棄物は地層処分する(現時点で最も安全かつ確実な封じ込め方法だと政府は考えている)、というものである(「核燃料サイクル」図参照)。ただ、55基もの原発を抱える日本ではあるが、その稼働率は平均して75%ほどである(欧米では90%に達する国も多い)。青森県六ヶ所村の再処理工場は試運転を始めた矢先、ガラス固化体製造試験が難航し、停滞している。各原発サイト内の使用済核燃料貯蔵施設が満杯に近づく切迫した状況の中、一方地層処分は、候補地の公募に応じる地域が出てこなくて苦慮している。高速増殖炉「もんじゅ」も1995年のナトリウム火災事故以来止まったままで、運転再開も4度延期されてきた。核燃料サイクルが本当にうまく回るのか、大変厳しい状況にある。
 本来、政策は可能な限り合理的かつ民主的に決めていかねばならないが、実際は、政策の基礎となるデータには科学的不確実性が伴うことが多い。政策に不可避の将来予測には、予測する者の価値観が投影されるし、前提とした情勢の変化も絡んで、正確を期すことは難しい。また、たとえば環境アセスメントを行う際に検討すべき項目が偏っていたり、採用した定量的なモデルが恣意的だったりすることもある。十分な住民合意のないまま、公共性の名のもとに一部の人々に犠牲を強いることもよくある話だ。つまり、「誰にとっても100%満足のいく政策とその実施」はあり得ないわけだが、ここで述べたような問題点をわきまえつつ、可能な限り合理的に、かつ国民が納得感を得られるように決めていくことが肝要だ。その際にカギとなるのは、政策を決める側とそれを受け入れる側が、ともに問題を考え、解決していこうとする姿勢から生まれる相互の信頼感だと言えようか。
 こうした前提に立つとき、高レベル放射性廃棄物は、政策としての扱いがとりわけ困難な問題であることがわかる。
 第一に、科学的実証の面で原理的な困難があること。高レベル放射性廃棄物には、半減期が数十万年という途方もなく長い元素を含み、たとえ地質学的には封じ込めが可能だとしても、人為面での安全性の管理にどれくらいの労を要するのか、まったく予測できない。1万年も続いた文明や国家など存在しないのに、今この時点で「管理し続ける」と誰が断言できるのだろう。
 第二に、地質学的データから”最適地”を決定できるほど、地震・地下水・地震と地下水の関係について十分に知られていると、本当に言えるのだろうかということ。たしかにフィンランドのように処分地を決め、建設が始まっているところもある。だが、処分地選定が白紙に戻されたり(ドイツ)、処分地は決まったものの実施計画が見直されることになったり(米国)した国もある。日本の計画にしても、安全性に異論を唱える著名な地震学者もいる。学問レベルでの徹底的に開かれた論議を経ずして、推進側から「安全」が認定されているとすれば、国民の信頼は得られないだろう。
 第三に、厳密な封じ込めを必要とする危険物だけに、輸送(トラックを用いる)や埋設時(遠隔操作する)に生じるかもしれない事故など、予測しにくいリスクが多々に想像され、住民が不安を払拭できないこと。科学的に想定し得る「最悪シナリオ」、「最大曝露シナリオ」を可能な限り明確にし、それに応じた防護策や対応策を公表することは、人々の不安をかきたてることにはなるが、それをしないかぎり、合意形成を図ることはできないと思われる。
 そして第四に、少なくともすでに発生してしまっている放射性廃棄物は、何らかの方法で処分・保管しなければならない以上、処分地選定が”迷惑施設の押しつけ”になってしまってはいけないということ。仮に「(移動・埋設がほぼ安全に行えるとして)高レベル放射性廃棄物は使った電力の量に応じて、それぞれの自治体が引き取る」と取り決めたとすれば、誰も不平は言えないのではないか。「東京に原発を!」という主張に反論できないのと同じ事情がここにある。電力供給・廃棄物処分を担う地域と電力大消費地である都市の間で、相互の役割を承認し合うコミュニケーションを抜きにして、国が交付金を支給して受容をはかろうとするやり方は、その地域と都市との分断を深め、地域内でも住民の分裂を招き、電気エネルギーを使う国民一人ひとりが本来自覚すべき責任の意識をも希薄にしてしまうだろう。■

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