科学技術の光の裏にリスクも -消された農薬、DDTを事例にして- (その1)

投稿者: | 2009年2月3日

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連載「科学技術コミュニケーションを問う」第2回
科学技術の光の裏にリスクも
-消された農薬、DDTを事例にして-
(その1)
五島 綾子(サイエンス・ライター)
第2回,第3回のテーマは”科学技術の光の裏にリスクも”という課題を取り上げる.その事例として “消された農薬”として科学技術史に残る “DDT”を取り上げ,私たちが市民としていかに先端科学技術を受け入れていったらよいかを考えるきっかけとしたい.今回はその前半の部分である.
1. 科学技術の光の裏にもリスクが潜んでいる
1.1 この化学物質はなんでしょう?
本題に入る前に1997年,米国科学フェアーで話題になった14歳のネイサン・ゾナー君のレポート1)に関連して,読者に質問したい. 
ゾナー君は “DHMO”が全米の工場で冷却・洗浄などとして規制もなく使用・排出され,結果として湖や川, 果ては母乳や南極の氷にまで高濃度に検出されていると訴えた.
指摘された危険性として,
①酸性雨の主成分であり,温室効果を引き起こす
②多くの場合,海難事故死者の直接の死因となっている
③高レベルの”DHMO”にさらされることで植物の成長が阻害される
④末期癌の腫瘍細胞中にも必ず含まれている
⑤この物質によって火傷のような症状が起ることがあり,
固体状態の”DHMO”に長時間触れていると皮膚の大規模な損傷を起こす
⑥多くの金属を腐食劣化させる
⑦自動車のブレーキや電気系統の機能低下の原因ともなる
ゾナー君がこの物質の規制の署名を求めたところ, ほぼ9割が賛同したという.みなさんも想像力を働かせて,”DHMO”がなにであるか考えてほしい.筆者は今まで大学の講義や講演でたずねると5割くらいが不安そうに署名すると答えるが,この物質の正体を知って驚きの渦に巻き込まれる.
答えは”水”である.正解者は化学物質の英語の命名法から”DHMO”を推測する場合が多い.ところがゾナー君が列挙した危険性から推測できる人は少ない.水は地球表面の2/3を覆い,人体の70%を占める生命維持に必須の物質である.しかしこの水でさえ,視点を変えるとこのようにリスクが浮かび上がってくるのである.
科学ライターの松永和紀は情報の取捨選択によって科学的事実が変わることを強調しているが,科学技術の光とリスクの両面も私たちの情報の選び方で変わる場合が多い.例えば,松永は以下の○○について例をあげている2).
1)○○は動物の生理作用に極めて重要で,細胞中の浸透圧を一定に保つ役割や消化吸収を助ける働きなどがあり,神経伝達においてもその働きは欠かせません.摂る量が足りないと,脱水症状や血圧の低下,倦怠感などに襲われます.また,○○を入れると食品はおいしくなり,保存性も上がります.○○はすばらしい物質なのです.
2)○○はラットに体重1キログラムあたり1200mgを食べさせる実験をすると,半数が死にます.ヒトでも一度に摂りすぎると吐き気やけいれんを起こし,量によっては死に至ります.また,ごみを焼却する時に○○が混じっていると,その燃焼温度によってはダイオキシンを発生させます.○○は恐ろしい物質なのです.
この○○に入るのは食塩(塩化ナトリウム)である.科学的な事実であっても,良くも悪くも表現できるのである.化学物質の量により生命維持によい影響あるいはリスクをもたらすことを示した例である.そればかりか,特殊な条件下では反応して別の物質に変化し,危険な側面も見せる.私たち生活に恩恵を与えてくれた化学物質が突然,思わぬところで化学反応を起こしてリスクを示す事例でもある.
1.2 潜んでいたリスクにより全面禁止されたフロン
国際的に全面禁止されたフロンもその例である.フロンは洗浄剤として日本の半導体産業を支える立役者であった.またクーラーなどの冷媒剤として光り輝く化学物質であった.当時,科学者は,フロンが紫外線により分解され発生する塩素がオゾン層を破壊することを想像もしなかった.だからこそフロンのオゾン層破壊現象の発見に対してフローリー博士らにノーベル賞が授与されたのである.意図して科学技術の光(ベネフィット,便益)の裏にリスク(危害を与える可能性)が隠されていたのではなく,長い時間を経た後にリスクが科学の力で見出された例である.
1.3 自動車の普及はリスクよりベネフィットを優先した
ところが,リスクがあることはわかっていても,我々の生活に必需品として受け入れられてきた科学技術もある.自動車がその典型的な例である.自動車は20世紀の科学技術の知を結集させた賜物であるが,自動車のもつベネフィットにより,我々の生活になくてはならない道具となった.ところが自動車はヒトの不注意からいつでも凶器に変わりうるリスクを抱えている.毎日,世界中のどこかで車による事故で命を落とすヒトがいるが,決して社会から拒絶されてこなかった.
1.4 科学技術のもつ光かリスクのどちらかが強調されがちな社会
科学技術の本来的にもつ両面の一方が切り取られるケースも増えてきた.特に私たちの社会には新しいしかけの商品に沸き立ちブームまで起きるが,少しでもリスクが現れるとその商品を拒絶する風潮がある.特に体内に入る添加物などの化学物質に敏感である.
市民は一方的に専門家によって科学知識が与えられる存在であり,科学技術にリスクの懸念があると,メディアを通して専門家の判断に依存するケースが多い.しかし専門家の判断も時間とともに変化してしまう.
ところが,メディアは総括せずに新たな科学技術の情報に焦点をあてる.例えば,プラスチックは20世紀後半,生活スタイルを大きく変えたが,塩素を含むプラスチックはダイオキシンの発生源としてレッテルを貼られたこともあった.メディアの動向を知るために,朝日新聞でダイオキシンをキーワードとして検索すると,驚くほど記事件数がある時期に集中して多い.1997年に突然1600件出現し,98年2500件,99年2250件となり,その後減少していく.昨今では,もはやメディアは殆ど取り上げない3).
ダイオキシンは生ゴミからも焚き火からも発生し,ダイオキシンの発生は燃焼温度によることも専門家により明らかにされた4).しかもダイオキシンは様々な異性体を含む総称(註1)であり,毒性のある構造は一部である.にもかかわらず, 結局,あのダイオキシン騒動はなんだったのか,専門家も行政側も市民も総括していない.こうして不安を抱く市民は置き去りにされていく.
1.5 溢れる化学物質の中で暮らす生活者
原子の種類は100ぐらいに過ぎないが,すべての化学物質はこれら原子から構成される.登録された化学物質の数は,天然物及び人工化学物質を含めて一千万を超え,現在,毎日平均千種類程度もの物質が登録されている5).まさに私たちは化学物質に溢れた世界に暮らしているのである.そのために日常使われている化学物質をあらゆる角度から十分,リスクを把握するには人材,時間,莫大なコストがかかることは容易に理解できる.次々出現するリスクが危惧される化学物質を専門家集団が総括できないのも無理からぬことである. 
2. DDTを事例にして科学技術の光とその裏に潜むリスクを考える
そこで,第2回,第3回は溢れる化学物質の中で,DDTを取り上げる.このDDT は1940年代に農薬としてスイスのガイギー社から売り出され,その後,世界中で大量生産・大量消費され, マラリヤ禍に大きく貢献した.しかし『沈黙の春』によってその光の裏にひそむリスクが明らかにされ,社会の中で拒絶されていった.ところが2000年以降再びWHOが地域を限定してマラリア禍にDDTの使用を認める方向に変化し,市民とDDTの関係が変化してきた.この関係を図1に示したが6),この推移にそって話を進めていきたい.
図1 DDTの社会受容の推移
その1では
①DDTはどのように開発されたか
②DDTはどのように市場に普及していったか
その2では
③レイチェル・カーソンは何を問うたか
④社会において拒否されたDDTの課題を農薬産業界はいかに克服していったか
⑤何故,今,DDTをWHOが取り上げるのか
を中心に語りたい.
3. DDTの技術開発物語7)
3.1 DDT誕生の背景
時代はさかのぼり,1826年ドイツの小さな町ギーセンの大学の若き化学者リービッヒ(1803-1873)が私財を投じて,古い兵舎の片隅でフラスコや試験管を準備し,実験室を作った.彼はそこで従来の錬金術的な徒弟制度の教育から近代的な実験科学教育へと結実させたのである7).彼は学生,助手とともに合成物や天然物を分析し,その化学構造を決定するという手法を確立し,ヨーロッパ全土の優れた若者をひき付けた.こうして化学的ものづくりの教育・研究体制の土台づくりがドイツでスタートした.19世紀末のドイツの企業は率先して自前の優秀な理系学部出身者を採用し,彼らの研究能力により製品開発を進めるシステムをつくり,莫大な投資により産業研究を組織的に進めていった.BASF社(註2),ヘキスト社などがその例である.20世紀に入ると,爆発的な人口の増加の兆しを予想した化学産業界は農薬の研究にも乗り出していた.
バーゼル生まれのミュラー(1899-1965)はバーゼル大学で化学と物理を学び,博士号を取り,1925年にスイスのガイギー社に勤務した.バーゼルはスイス連邦工科大(ETH)があるチューリッヒから車で1時間ほどの小さな都市であるが,このバーゼル大学はETH同様にノーベル賞学者を輩出する名門大学である.
3.2 ミュラーが掲げた理想的な農薬の必要条件
殺虫剤には虫が農作物を食害することを防ぐこととマラリアのような熱帯病を媒介する蠅や蚊などの昆虫を撲滅する二つの目的がある.当時,ミュラーが夢見た合成殺虫剤は以下の8つの必要条件を想定していた.
(1)強力な殺虫性
(2)即効性
(3)温血動物や植物に無害
(4)広い範囲の殺虫性
(5)効力の持続性
(6)無刺激
(7)無臭で取り扱いやすい
(8)低コストで大量生産が可能なこと
彼はこれだけの条件を揃えた合成殺虫剤であれば,ターゲットの害虫はすべて絶滅し害虫から解放された農業ルネッサンスが訪れると夢を描いていたのである.しかし後にミュラーが想像もしなかったリスクが現れてくる.では読者のみなさんは完璧な農薬の8つの必要条件のうち,カーソンはなにを問題にしたのだろうか.この問題意識をもって先に進んでほしい.
3.3 DDTの技術開発は現場知から始まった
 塩素を含む有機化合物であるDDT (p,p’-ジクロロジフェニルトリクロロエタン)の石炭からの合成法は,1874年にストラスブルグ大学のザイドラーが博士論文に発表していた.その60数年後にミュラーがこのDDTを有機合成殺虫剤の第一号として第二次世界大戦の最中に送りだした.ではその技術開発はいかなる戦略であったのか.
ヨーロッパの家庭では高価な絨毯(じゅうたん)を虫の被害から守ることには切実なものがあった.ミュラーは昔からあった”緑色に染めた毛織物は虫の被害を受けない”という言い伝えにまず着目し,この原因として緑色をだすための黄色染料であることを明らかにした.こうして羊毛防虫剤の開発が始まり,DDTにたどり着いたのであった.すなわち市民の間で培われてきた言い伝えを掘り起こし,科学的根拠を付加することにより新しい技術が生まれた事例で,いわば”現場知”から生まれた農薬であった.
ミュラーは先に述べた黄色染料の近縁化合物を次々合成しては生物試験を繰り返すという研究を続け,純度の高いDDTに従来にない高い殺虫性を発見した.現在では,この実験操作は先端機器を使えば大学院生でも容易にできることであるが,当時においては,彼の忍耐強い労苦は想像を超えたものであったろう.こうしてミュラーはDDTに上記の必要条件をすべて揃えた理想の農薬を見出した.
4.市場に登場したDDT7)
ガイギー社から本格的にDDTが世にでたのは1941年の第2次世界大戦のまっただ中であった.DDTは中立国のスイスから連合国側の英国そして米国で普及していった.英国では18世紀の産業革命以後,都市化がもたらした公衆衛生の悪化や公害問題に長い間直面してきたために,公衆衛生の分野が発展し,科学者たちに長年培われた高い見識があった.先見性のある英国の科学者たちのDDTに対する高い技術評価がDDTの命運を決定的なものにしたのであった.
4.1 DDTブームの始まりとミュラーにノーベル生理学・医学賞
 DDTは,第二次世界大戦最中,南太平洋などで威力を発揮し,マラリアによる連合軍の兵士の損失はドイツ軍や日本軍に比べて桁違いに少なかった.その後,国連のWHOを軸としてアフリカ,インドにおけるマラリア対策に使われ,DDTは世界中でマラリアから何百万人の命を救った.1972年までにマラリアは7億3千万の人口をもつ37カ国で根絶され,6億2千万の人口の80カ国でほぼ制圧された.公衆衛生面,農業害虫の防除による食糧生産への寄与は言うまでもない8).
DDTの成功により合成農薬の研究開発は加速され,塩素系有機化合物が次々に開発され,驚くべき効果の発現と低コストが達成された.1945年に米国の軍部の予防医学の責任者は,第2次大戦中の米国軍部のDDTの使用が世界のさらなる健康の維持に繋がったことが最大の貢献であると発表し,ミュラーは1948年にノーベル生理学・医学賞を得た.
4.2 大量生産・大量消費が始まったDDT
米国では1940年代後半から生産量は急激に増加し,1960年には8万トンとなり,消費量も1950年代後半からは5万トンにのぼっていた.1950年代を中心としたDDTの大量生産・大量消費をもたらしたものは何であったろうか.
当時,DDTはユーザーの農業従事者ばかりでなく,市民の間にも公衆衛生上も理想の農薬の実現として受け止められていた.その理由として白い小麦粉のような無臭の粉は使いやすく,目に見える優れた効果を示しただけでなく,安価であったことが挙げられる.しかしこのDDTの推進役の主役は米国の軍事政策にあった.軍部はDDTのリスクを緻密に予測し,第2次世界大戦中でのDDT の使用を実施したものであった.すなわち短期間の暴露であれば兵士が被る直接のDDTの毒性の影響は低く,マラリアや感染症から兵士を守るベネフィットの方が上まわると判断したのであった9).この軍事戦略の成果が第2次世界大戦後も引き継がれ,市民に奇跡の農薬として受け入れられていったのである.
DDTの過去に例をみない効果は,その後数々の有機系塩素化合物の開発を爆発的に促し,後に使用禁止となる BHC,クロリデン,コンデンサーの絶縁油などとして活躍したPCB,フロンなどにつながったのである.
 しかし華々しいDDTは静かに生態系を蝕み始めていた.そのことに気づいたのはサイエンス・ライターであるレイチェル・カーソンであった.

註1:WHOは1998年5月ポリ塩化ジベンゾパラジオキシン(PCDD),ポリ塩ジベンゾフランにコプラナーポリ塩化ビフェニールを加え,ダイオキシン類と定義した.一般には用語としてダイオキシンが用いられるが,ダイオキシン類が正しい.異性体は分子式が同じで,構造が異なるため物理的または化学的性質が異なる物質が二つ以上存在するとき,これらの化合物を異性体と呼ぶ.ダイオキシンの主体であるPCDDには75種類の異性体があり,その中の一つの毒性が最も高い.
註2:BASF(バスフ):Badishe Anilin und Soda- Fabric A.G.(株)の略であり,ヘキスト,バイエルとともにドイツの三大化学メーカーである.
引用文献
1)http:11/blog.livedoor.jp/hikotaki/archives/5105/007.htmlなど(2009年1月3日)
2) 松永和紀,「食や農業も絶対安全主義は通用しない」特集リスク社会をどう生きるか,中央公論,2006,6,138-148.
3) 静岡県立大学大学院経営情報学研究科1年加藤喜孝レポート(2007年)
4)a)渡辺正,化学,58,12-17(2003), b)村田徳治,現代化学,1997年,14-20.
5)半谷高久・秋山紀子著,『人・社会・地球』化学同人,1991年
6)五島綾子,経済産業省で講演(2007年7月31日)「ダイナミックに変化する科学技術の社会的受容」
7)五島綾子・中垣正幸著, 『ナノの世界が開かれるまで』の1章有機化学の芽生えと実験化学教育の確立及び8章DDTが引き起こした農薬産業イノベーションとその影,海鳴社,2004年
8) 深海浩,化学,48,441-446(1993)
9)E.P.Russel III, Technology and Culture,40, 770-796(1999)
主な参考文献
1)Misunderstanding Science? Edited b A.Irwin and B. Wynne, Cambridge University Press,1996.
2)深海浩著,『変わりゆく農薬』化学同人,1985
3) ウルリヒ・ベック著,『危険社会』東廉・伊藤美登里訳,2004年;Beck, Ulrich, Riskogesellschaft, Suhrkamp Verlag,1986.

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