BSE問題をとらえなおす

投稿者: | 2004年2月4日

神里達博

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2001年9月10日、日本で最初のBSE感染牛が確認されました。欧州以外で自国産牛でのBSE発生が確認されたのはこれが最初ですが、農水省は確定診断をイギリスに依頼したので、役所の公式文書では発生は9月22日ということになっています。この間、日本国内では大きな混乱が起こりました。 BSE牛の肉骨粉の扱い一つにしても、農水省が「焼却処分した」と発表した後に、実は流通に回ってしまっていたことが判明するなど、役所の発表と現実との食い違いが明らかになり、混乱に拍車がかかりました。9月下旬頃から牛肉は大きく値崩れしていきます(図表1および2)。その後、農林水産省は1ヶ月ほどで、特定危険部位1の除去・全頭検査といった食品衛生上の検査態勢を完成します。これはある意味で、イギリスでは10年近くを要した措置を1ヶ月で達成したとも言えます。

もっとも、それ以前に日本の農水省がBSEに対して何も対応を考えていなかったのか、というとそうではありません。EUはすでに諸外国も含めた BSEの「リスク評価」を行い、それぞれの国でどの程度BSEが広がっているかを検討・発表していましたが、その評価では日本も発生する可能性が十分あると評価されており、2000年秋頃には「グレー」の領域に入っているらしいという話が出始めました。それ以前から農水省もBSE問題に関して情報収集をしていたのですが、このEUによる評価に対して農水省が、2001年6月に「修正」を要求し、「日本でBSEが発生することはあり得ない」とEUを批判したことはよく知られている通りです。ところが現に9月になってBSEが発生し、10月の下旬には牛肉が一度目の最安値をつけるという事態に至ったわけです。したがって、BSEが出てからの農水省の対応は、すばやかったとも言えますが、これまで指摘されつつもやってこなかった対応を一挙にとったに過ぎないとも言えます。翌2002年にはBSE対策特別措置法が成立し、2003年には食品安全委員会が発足、対応はひとまず進んでいます。結果、値崩れしていた牛肉の値段も1年ほどで元に戻りました。

最近はどういう状況になっていたかと振り返ると、昨年末(2003年)にはアメリカでBSE感染牛が確認され、日本政府はアメリカ産牛肉の輸入停止に踏み切りました。それによって、牛丼チェーン店の騒動に象徴されるように牛肉供給が大きく不足したことは記憶に新しいことです。ここで重要なポイントは、一般の関心が、安全性という「質」の問題から「量」の問題へと移ったようにも見えた点です。実は食べ物に関しては古来「量」の問題の方が重要だったのですが、少なくとも先進国に生きる現代人は、この点をほとんど気にせずに生活できるようになっていました。ところが、このBSE問題にさらに鳥インフルエンザの影響も重なって、鶏肉と牛肉が一時的にせよ不足し、量の問題の存在があらためて実感されたとも言えます。そして最近の動きとしては、アメリカとの政府間交渉によって20ヶ月齢(ないし14ヶ月齢)以下の牛については輸入再開か、という政治的流れになっているわけです。なお現時点で、日本国内はBSE 感染牛は14頭が確認されています。(図表3)

BSEという病気の不確実性

ではBSEとはどんな病気なのか、その特徴を確認しておきましょう。ほ乳類に広く見られるある種の脳症を総称してTSE(伝達性海綿状脳症)と呼びますが、そのうち牛に見られるものがBSEです。この病名のT=Transmissible、すわなち伝達性という部分がこの病気の重大なポイントで、伝染ではなく伝達となっているのは病原体が単なる「タンパク質」だからです。現在ほぼ定説となっているこの「タンパク質原因説」についてまず触れておくと、神経細胞に多い「プリオン・タンパク質prion protein」が形態異常を起こしたために代謝できず、細胞内に異常に蓄積することによってしだいに脳細胞を破壊・壊死させるというものです。この定説に従うとして、タンパク質はウィルスや細菌とは異なり生き物ではありませんから、TSEは「伝染」する感染症ではありません。しかしタンパク質は増殖するため、単に毒物の摂取・蓄積によって起こる中毒とも言えません。つまり、感染症と毒物中毒の中間のような疾病なのです。ヒトのTSEとしては周知のように CJD2(クロイツフェルト=ヤコブ病)がありますが、その発症率は「100万人分の1人/年」で、主に50代以降の中高年層に多く発症します。

これらのTSEはメカニズムの理解が進んでいるものの、未解明な点が未だ多い病気です。例えば結核であれば、発症の仕組みもその対処・コントロールの方法も現代人はすでに知っていますが、対照的にTSEはわからないことだらけです。まずプリオンが本当に「病原体」なのか、という点でも、異常プリオン蛋白を純粋化して他の個体に接種しても発病しないため、実は異常プリオンは病気の「原因」ではなく「結果」ではないかという意見も根強くあります。現在のところ、プリオンがこの病気に関係していることは確かだと思われますが、それが本当に原因かという点では実は今ひとつ確証が得られていません。

次に、最も厄介な点として、潜伏期間の長さがあります。ヒトも動物も含めてTSEの致死率は100%であり、発病すると2年以内くらいには確実に死に至りますが、例えば牛のBSEでは2~8年程度の潜伏期間があり、人の場合には50年という例すらあります。この潜伏期間の長さは病気の解明という点で非常に厄介なのです。潜伏期間が長ければ当然、さかのぼって原因を特定・認定することがそれだけ困難になります。しかもCJDもBSEも、死亡して初めて解剖による確定診断が可能になるため、普通の実験にもとづく科学的な解明が非常に難しいのです。したがって疫学3的手法に多くを頼らざるを得なくなります。言い換えれば、TSEという病気そのものを直接にとらえることはできず、発症例を集めた疫学的なデータによって答えを導くことになり、科学的には不確実性を免れないのです。

BSEについて言えば、そもそもBSEはどうして発生したのか不明です。通説的には、18世紀という古い時代からあったと見られている羊のスクレイピー(羊のTSE)に由来するとされますが、イギリス政府が2000年に公表した膨大なレポート(フィリップス・レポート)の中でも「永遠の謎」とされています。したがって、日本では一般に「BSEは外国からやってきた」と受け止められていますが、日本で独自に発生した可能性もゼロとは言えません。

また感染(伝達)ルートについても不明な点ばかりです。母子感染はないと言われますが、一方で母子感染の可能性が疑われる例も若干存在しています。そもそも肉骨粉以外の感染ルートはどうなのかというと、2001年10月に肉骨粉使用を禁止した後に生まれた牛にもBSEが発症していることを考えると、製造過程での交差汚染が最も有力ですが、他に何らかのルートが存在する可能性も否定できません。さらには、牛からヒトに本当にうつるのかについても、多くの傍証に支えられているものの、その決定的証拠はなく、人体実験があり得ない以上、「うつる可能性が高い」としか言えません。同時に、vCJDが BSEと無関係と考える理由もまたありません。

ここでもう一度、BSEに限定して、その原因に関する説を見ておきましょう。少数意見としては、ウィルス説や有機リン説、結晶説などがありますが、このうち結晶説はかなり重要ではないかと私は考えます。これはタンパク質の形がカギを握ると考える説で、BSEを引き起こすような構造にタンパク質が結晶化することに原因があると見ます。「形」が重要だというのは、例えばプリオンタンパクは600℃という高温で加熱しても失活しないケースがあり、その灰はもはやタンパク質とは言えず単なる炭素骨格だけのはずなのですが、それでも発症するということは、タンパク質の生理的活性ではなくそのかたち(結晶)自体に発症の原因があるとも考えられるからです。この説は科学的に見て再現性もあり、かなり重要な説と言えるのですが、なかなか言及されません。かたちがカギを握るということは、つまりはこの異常プリオンタンパク質に対しては、焼却や熱消毒などが効きにくい可能性があることを意味し、更に処理が厄介だということになるのです。因みにこの実験では1000度まで加熱した場合は、全てのサンプルで失活しています。さらに、今月(2004年11月)のニュースとしては、日本国内の11例目にあたるBSE牛において、除去の対象となっている「特定危険部位」以外のいわゆる「牛肉」の部分から世界で初めて異常プリオンタンパク質が発見されたことが、学会で発表されました。プリオンタンパク質はおおむね神経系やリンパ系に存在し、したがってそれらを除去したあとの「肉」の部分は大丈夫と一般に言われますが、常識的に考えれば神経のない筋肉は存在し得ないのですから、肉ならば絶対安全とも言えないでしょう。

さて、このように不確実性の大きいBSE問題においては、「素人」と「玄人」の知識レベルが相対的に接近し、議論に素人が入り込みやすくなります。一方で、そもそもプリオン研究の専門家が非常に少ないという問題も手伝って、リスクの全体像が把握できません。科学的事実から直接政策対応を決めることが難しくなるため、バラツキや遅れが生じ、否応なしに市民の信頼は低下します。こうして問題の深刻化が避けられない状況となるのです(図表5)。

アメリカにおける状況

次に、最大の輸入国である日本での関心が高い、アメリカのBSE問題をめぐる状況について見ていきます。米国でのBSE発見の経緯は図表6に簡潔に示しましたが、いくつかポイントがあります。

まず問題の感染牛が「ダウナー牛」から発見された点。ダウナーDownerとは高齢のホルスタイン経産牛に多い足腰が立たなくなった牛のことで、アメリカでは食用にも回されますが(日本ではこれまで病牛として処理しており、食用にもしません)、このダウナー牛の症状はBSEに似ています。そして、実際にBSE感染牛が含まれていたわけです。しかもアメリカの場合、検査のサンプルは非常に少数しか採っていませんので、その少ない例からBSEが出てきたことが深刻です。そもそもBSEが疑われそうな牛は検査に回さず土中に埋めているという噂もあり、証拠はありませんが、BSEはかなり広範に広がっていた可能性も疑われます。

次に、問題の牛の年齢が判明したのは、この牛がカナダ生まれだったという事情があります。アメリカでは牛の個体識別システムを整えていないため、ほとんどの牛は年齢すら正確に把握できません。まして、牛がどこで生まれ、どこで飼育され、どこに出荷されたかをトレースすることはきわめて困難です。この例では、問題の牛がカナダ産であると発表したアメリカ側にカナダ政府がクレームをつけ、DNA鑑定をした結果、カナダで生まれて子牛のときに出荷されたことが判明し、カナダ側の記録から年齢も6歳半と修正されました。この牛と一緒に計81頭がカナダから来たとされますが、うち4分の3の行方は不明で、また当該感染牛と同じ群れの二百数十頭のうち100頭程度はすでに食用に出回っていたと見られています。

農務省は11月9日に屠畜された20頭分の牛肉の回収命令を発動しましたが、結局それらはほとんど回収できず、肉の行方はほとんどわかっていないばかりか、検査の途中で市場に流れてしまうという杜撰な仕組みであることも判明しました。それでもアメリカではパニックにならなかったのは、日本の社会状況と対照的と言えます。

では、BSE発生後のアメリカの対応はどうなっているでしょうか。アメリカ農務省(USDA)が2003年12月30日に発表した対策は図表7のとおりですが、端的に言えば非常に大雑把なものにとどまっています。そもそも生産者団体の要職にある人物が農務省の要職に就いているため(現政権に限らず、また農務省に限らず、アメリカの官僚システムは日本と異なりこうした任用は一般的です)、しばしば生産者に厳しい対策はとられません。これも、対策が科学的のみならず、政治的・文化的な拘束を受けることがある一例でしょう。

具体的には、ダウナーの食用禁止や検査前の流通禁止は当たり前すぎる措置ですが、しかし政府の買い取り制度がない以上、ダウナー牛が「闇処分」されるおそれもあります。特定危険部位の除去については、アメリカでは対象部位をEUや日本よりも狭く指定していますし、機械による牛の解体法を制限していても、神経部位が完全に除去される保証はありません。また、アメリカが特定危険部位除去の対象牛を30ヶ月齢以上にすることにこだわるのは、そもそも個体識別の仕組みがないため、牛の歯形が30ヶ月齢で変わることを利用して年齢を判断するしか方法がないためなのです。

もう一点、アメリカの対応を考える上で注目しておきたいのは、擬陽性牛の問題です。BSEの確定診断は手間がかかるため、現在はまず簡便な迅速検査キットを用いて判定し、疑わしいものをさらに確定診断に回すのが一般的ですが、2004年6月、迅速検査で相次いで出た2頭の陽性牛が再検査の結果「シロ」となったことから、アメリカ農務省は、一次検査で陽性となっても発表しないと方針変更しました。その後、11月18日には二回連続して陽性となった牛が「疑い例」として発表され、さらに確定診断(この場合は免疫組織化学的検査)にかけられましたが、その結果「シロ」とされました。しかし、牛の年齢や産地などの一切の情報は公開されず、検査の信用性を疑う声も出ました。実際、迅速検査で二回連続して陽性と出たものが確定診断において陰性となる確率は24 万分の1とされており、農務省発表が疑われても不思議はないのですが、アメリカ社会の反応は、「誰もが安心した」(New York Times)、「迅速検査は感度が高すぎるので、クロ寄りのエラーが出やすい」(Public Citizen)といったように、概ね平静なのです。

アメリカにおける別の問題を付け加えると、伝達性ミンク脳症があります。アメリカのミンク生産量は世界全体の3分の1にのぼりますが、その90% が牧場飼育によっています。アメリカでは、1947年、1985年と伝達性ミンク脳症によるミンクの大量死を繰り返しており、これを機に研究が進みました。当初は、古くからある羊のスクレイピーが原因として疑われましたが、スクレイピーをミンクに脳内接種しても、また経口投与(つまり食べさせること)しても発症しませんでした。代わりに、牛に伝達性ミンク脳症を接種したところ発病し、その牛の脳を再びミンクに脳内接種し、また食べさせたところ、ともに同じ症状が再現されました。つまり、ミンクと牛の間には種の壁が低いのです。実はミンク脳症が発生した牧場では飼料として病死した牛を与えていたことが判明しており、ミンク脳症は牛に由来すると考えることもできます。

また実験によれば、イギリスで発生したBSEはハムスターには感染しないがマウスには感染することがわかっていますが、アメリカのミンク脳症を感染させた牛の脳を使うと、反対にハムスターには感染し、マウスには感染しません。同じTSEであっても両者は別の「株」だということになります。これらを総合すると、イギリスにおけるBSE発生に関係なくアメリカには独自にBSEがもともと存在していた可能性を否定できない、という結論になります。

このアメリカのBSEがヒトにうつるかどうかは勿論証明されていません。しかし、一方でアメリカではアルツハイマーが国民病とも言えるほどに非常に多く見られ、社会問題化していますが、「アルツハイマー」とされる患者の中にはCJDがかなりまざっているのではないかと疑う声も聞きます。両者とも、脳の細胞が壊死・崩壊していく病気ですが、症状は異なるとされています。しかし、アルツハイマー病にも未解明な点があり、厳密に言えば、解剖しなければ両者の区別はできません。また、アルツハイマーという診断の場合は必ずしも病理解剖は行われません。仮定の上に仮定を重ねる議論ではありますが、その一部が新種のBSEに由来するCJDであった可能性も、厳密には否定できないでしょう。
日本の「全頭検査」をどう評価するか

そうしたアメリカの状況を踏まえて、いよいよ日本の対応について考えましょう。ここで問題にしたいのは、やはり日本の「全頭検査」をとりまく現状です。というのも、アメリカ産牛肉の輸入再開をにらんだ最近の動きの中でカギになっているのが検査のあり方であり、そこでは日本のとる「全頭検査」方針が問われるからです。

まず、その輸入再開にからんで日本の「全頭検査」は現在、「外圧」と「内圧」の両方にさらされています。日本は当初アメリカからの輸入再開の条件として「全頭検査」を求めましたが、これに対してアメリカ農務省長官は「不健全な科学(unsound science)に基づいている」と強く批判しました。このunsoundという語は、「非理性的」ともいえる非常にきつい表現です。一方の「内圧」としては、例えば外食産業の主張が挙げられます。吉野家DC社長はその談話で、「科学的な『安全』の根拠を超えた『安心』の基準は情緒的」と述べ、「健全な科学」に基づくよう主張しました。ここでも「全頭検査=非科学的」という見方に立っています。一方で、日本社会の空気も変化し、「全頭検査によって牛肉の安全性が100%確保されている」という「神話」が社会に浸透したように見えます。牛丼が姿を消す直前の牛丼チェーン店に一部の市民が行列をつくったのは、その例と言えるかもしれません。

では、全頭検査に意義はないのでしょうか。そもそも全頭検査は何のために行うものなのでしょうか。

全頭検査の「狭義の科学的な意義」は二つあるとされています。それは、①BSEの広がりを調査するためのマス・スクリーニング4としての獣医学的な意義、②食肉のBSEリスク低減のための措置として医学的な意義、です。EUはこのうち①に中心的ねらいがあるとし、②は付加的な意味を持つものと位置づけています。日本ではどうかというと、まず①については、食用に回らないという理由から斃死牛(BSEの発見率が20~30倍と言われる)に対する検査を除外し、その完全実施が非常に遅れたことから、マス・スクリーニングとしての信頼性が著しく低下してしまいました。つまり、BSEの本当の疫学的広がり具合を把握できなくなったということであり、斃死牛がBSEを発症していた場合の環境中の汚染レベルの問題をまったく認識していなかったことを意味します。死んだ牛の検査をようやく始めた頃には、疑わしい牛はすでに淘汰されていた可能性も指摘されています。では②についてはどうか。こちらもすでに食品安全委員会の見解として、ヒトのvCJDリスク低減への寄与度は低いとされています。ということは、全頭検査批判者が言うように、やはり「安全のためだけのおまじない」であって、科学的には無意味なのでしょうか。

すでに触れたように、BSEを科学的に検討することにはそもそも限界がありました。BSEを含め、いわゆる「プリオン病」はあまりにも未解明な部分が大きく、また、BSEの広がりの実態を明らかにすることも非常に困難な作業です。ということは、様々な対策を組み合わせることによって少しずつリスクを低減するしか方法はありません。プリオン発見の業績で97年のノーベル医学生理学賞を受賞したプルシナー教授は、アメリカ議会における演説で、科学は誤り得るという認識を前提とした上で、日本の全頭検査という政策をリスク低減のための有効な手段として高く評価しました(図表8)。

全頭検査は、それによってリスクがゼロになることはないものの、やれることはやるべきだという観点から妥当なものと考えられます。狭い意味での科学的な意義は小さい、という意見が支配的なのは事実ですが、しかし社会的な意味で合理的な対策を考えれば、全頭検査の意義は小さくありません。第1に、科学の知見は変わりうるものです。24ヶ月齢以下の牛で感染例が見つかったり、肉から異常プリオンが検出されたりと、研究の進展によってこれまでの定説がくつがえされることは不思議ではありません。第2に経済的な観点からも、不安をある程度取り除くための費用としては社会的な合意ができていると言えるでしょう。牛1頭を検査するコストは、その牛から取れる肉の価格から見ればわずかなものです。また、自動車のような工業製品には多大な安全コストをかけるのに食品にはかけない、というのは合理的に説明できないでしょう。何より、TSEは発症すれば致死率は100%なのです。したがって、「事前警戒原則5」的対応と言える全頭検査をやめることによって将来もし人の脳症が急増したら、一体その責任問題はどうなるでしょうか。この問題は政治的な意味でも非常に厳しい問題ですが、全頭検査をやめる理由はあまりない、というのが私の考え方です。

イギリスにおけるCJDによる死亡者数を見ると、BSE由来と見られるvCJDでの死者は2000年をピークに減少していますが、ヒト固有の CJDによる死者は増加を続けています(図表9)。また、最近スイスにおいて、CJDが集団で発症し、100万人に1人という通常の発症率を大きく超えています。こうした点から、従来のCJDが本当にBSEと関連がないのか、言い換えればCJDとvCJDとは本当に区別できるのかという疑問も生じてきます。こうした点にも、BSEのリスクおよび対策としての全頭検査の意義を考える上で、目を向けておく必要があるのではないでしょうか。

リスクに関する望ましい政策決定プロセス

以上のようなBSE問題の経緯をふまえて、リスクに関する政策決定プロセスのあり方を考えてみます。BSEのような高い不確実性を持つ事柄は今日増え続けていると思われますが、それに対して政策判断はどうあるべきでしょうか。

一つのヒントは、問題の立て方・取り出し方にあります。 ある問題点の「何を問題にするか」「何に注目すべきか」を「フレーミング」と言いますが、科学的不確実性が高い場合は特に、そのフレーミングは科学的に自ずと決まるわけではありません。例えば、「英国でもBSEでの死者は150人にとどまっている。だから深刻な問題ではない」といった見方や、「日本での発生数は14頭です。だから安全の範囲内です」といった主張は、公式の統計に現れた数字を根拠として、その数字に表れた限りにおいての「科学的」な結論を全面的に押し出しているに過ぎません。これは、(計算上)正しい部分だけを見せて「正しいですね」と言うようなものです。もちろん、私がここで話してきた内容も「私なりのフレーミング」でお話ししているわけですから、一方的に正しいと主張するつもりはありません。その点も含めた上で、では私たちはどうしたらよいのかを問う必要があります。

この点に関する最近の議論では、従来「科学的検討」およびその「権威」に依拠するとされてきた「リスク・アセスメント」も実は政治的である、とする見方に立ったリスク政策のモデルが考えられています。つまり、リスク・アセスメントにおける「科学的検討」といっても、アセスメントをする専門家集団がある見方や利益にしたがって集められていれば、社会に広く存在する他の意見(例えば不安)や利益(あるいは被害)は排除され、社会的に説得力を持つフレーミングをとらずに政策が一方的に決まることになります。そこで、リスク・アセスメントに先立って、まず問題を考えるフレーミングのあり方から検討しようというのが、科学社会学の立場からのリスク政策のモデルとして提唱されています。つまり、リスク・アセスメントに先立って、当該問題の社会経済的、政治的、倫理的な諸側面を検討して適切なフレーミングを見出し、そこから「リスク評価」「リスク管理」へと進もうというのです。

もっとも、こうした先進的なモデルを実際に採用できている国(地域)は今のところありません。その意味では日本も必ずしも遅れているわけではありませんが、しかし日本の現状は、政府がリスク政策について国民に説明すること自体、まだ手をつけられ始めたばかりですから、フレーミングについて政府が国民とコミュニケーションをとる新しいモデルへの道のりは、まだまだ長いと言えましょう。
BSE問題から「文明」の問い直しへ

最後にやや蛇足として、BSE問題は非常に大きな文明的問い直しを示唆していることを付け加えておきます。

そもそもBSEは、人類が大規模な肉食を展開したことから生じた問題と言えます。牛を育てるための穀物をそのまま人間の食糧にすれば、同じ穀物の量で、牛肉を食べるのに比べ7倍の人数を養えるのです。先進国が仰々しくBSE対策を議論している一方で、世界では多数が食糧難に苦しみ、餓死しています。本当に切迫した「食に関わるリスク」とは一体何でしょうか。慧眼で知られるフランスの著名な文化人類学者レヴィ=ストロースは1996年に、狂牛病を契機として人類の肉食の「病理性」が明らかになったと論じました。BSE問題は、そもそも私たち(先進国社会)の議論の方向性自体が正しいのかどうかを問い直させるという、別の意味で非常に重要な問題だと言えるかもしれません。

(どよう便り 84号 2004年2月)

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