上田昌文
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●激変した戦後の日本人の食生活
動物の生命維持に必須のものは水、空気、食物です。水、空気、食物の汚染は、たとえ汚染の程度が”微弱”でも、長期的には健康に大きな影響を与えます。汚染ではないけれど、その摂取の内容や取り込み方で人の健康や生育を大きく左右するのが食物です。
戦後、日本人の食生活は、人類史上例のない急速さで変化しました。米を主食にしてほとんどが植物性の食材で構成される伝統的な和食のスタイルから、パン、肉類、卵、牛乳などを主とする欧米食へと激変したのです。現在の日本人は米をよく食べていた頃と比べるとその半分以下しか食べません。一方例えば、肉の消費は1947 年に1人あたりの年間消費量は2.1kgでしたが1995 年には30.0kg に達し(50 年間で14 倍)、牛乳・乳製品も1946 年は1.13kg だったのが1995 年には52.7kg(46 倍)に増えています。
この変化が日本人の健康にどんな影響を及ぼしたのか――これを「健康食品」の代表格である牛乳を取り上げて、検討してみます。
●「牛乳は身体によい」は本当か
牛乳は「良質なタンパク質や脂質・糖質・カルシウム・ビタミン・カリウム・リン・鉄などがバランス良く含まれるほぼ完全な栄養食品」というイメージですっかり日常化しました。赤ちゃんには粉ミルクとして、学童には学校給食で、そして成長してからもパン食で欠かせないものとみなされています。しかし改めて考えてみると、様々な疑問が湧いてきます。
哺乳動物は赤ちゃんを育てるのに他の種の動物のお乳を飲ませたりはしません。それに離乳してからミルクを飲んだりミルクを必要としたりする動物もいません。日本人が牛乳を飲むようになる以前にカルシウム不足に悩んだという話も聞きません。そもそも「栄養価の高いものをバランスよく」などと唱えて、食べるものを”科学的”に選択してきた民族など歴史上にいたでしょうか(栄養バランスが悪くて滅びた民族などいたのでしょうか)。牛乳アレルギーの人や牛乳を飲むとお腹をこわす人も日本人には少なくありません。市販の牛乳は超高温加熱殺菌したものがほとんどですが、ではその栄養価はほんとうに変わらないのでしょうか。
確かに肉を食べ牛乳を飲むようになって日本人の身体は大きくなりました。1962 年と1997 年で比較すると17 歳の男子で平均身長は6.9cm(体重は5.3kg)、女子で4.8cm(1.4kg)大きくなっています。しかし気になる別の変化もあります。1950 年と2000 年で比較すると身長が最大に達する年齢が早期化していますが(女子では3年以上、これは初潮の早期化と対応する)、この変化が大きく現れるのは1950 年から1970 年という、ちょうど学校給食に脱脂粉乳(1947 年)そして牛乳(1964 年)が持ち込まれた時期と見合っているようなのです。
●牛乳はいかに造られるか
哺乳類の牝が妊娠すると通常はミルクの分泌が少なくなります。ところが意外なことに、牛乳に使うミルクはその約4 分の3 が妊娠牛からとられたものです。人工授精で妊娠させながらも大量のミルクを出せるように、濃厚飼料を与え(ここに狂牛病で知られるようになったあの肉骨紛が登場します)、搾乳器で搾りとるわけです。妊娠中は子宮内の胎児を育てるために血中の女性ホルモン(エストロゲンとプロゲステロン)の濃度が高まります。当然これは牛乳にも含まれることになります。
胎内に仔牛をかかえる妊娠牛が毎日2 0 ~ 3 0リットルものミルクを出すのは、牛にとって大変な負担でしょう。運動不足とストレスから病気になりがちなのも頷けます。そのために抗生物質や成長促進のためのホルモン剤といった薬剤が使われます。
こうして2、3 回「妊娠・搾乳」を繰り返した後は、肉食用に屠殺され、”いらない”大半の内臓や骨などは肉骨粉へと”リサイクル”されます。哀れなるかな、乳牛さん! 人間の「健康増進」のためにかくも酷い運命を背負わされているのですが、はたしてあなたに犠牲を強いながら私たちは本当に自分の健康を”増進”させているのでしょうか?
●食性と体質を無視しての欧米食化
牛乳の甘味はそれに含まれている乳糖(ラクトース)からきます。乳糖は乳汁だけに存在する特別な糖です。おそらく乳児が急速に成長するために必要なのでしょう。成人は、乳糖を必要としません。身体が摂取した乳糖を利用するにはラクターゼという酵素が必要なのですが、離乳期以降は普通、このラクターゼの活性は急速に低下します(これが牛乳を飲むとお腹の調子がおかしくなる理由です)。この変化はおそらく哺乳類が進化の過程獲得した知恵、つまり成長した仔を自然に離乳させるための機構だろうと思われます。たとえば日本人のラクターゼの活性は14~15 歳で乳児期の10分の1 に低下し、以後ずっと低いままです。
でも、日本人の中にも、牛乳を飲み続けることによって牛乳が飲めるようになる人がいますし、民族のなかには離乳期以後もラクターゼ活性が高く保たれたままの人たちがいます。それがヨーロッパ人たちです。寒冷の地において牧草と家畜の利用で食を築いてきた結果、その食性に適応した「ミルクが飲める」身体を作り上げてきたのです。
長い歴史の中で築かれてきた民族固有の食性とそれに適応した体質――これをまったく無視して、食品成分中の「栄養価」だけで普遍的に食品の価値を決めることができる、と信じたところに戦後の日本の栄養学の誤りがあります。幼い子供をターゲットにした学校給食の導入は、アメリカの穀物市場開拓戦略の一環であり、官民挙げての”栄養改善運動”と相まって(「米を食べるとバカになる」とまで言われたものです)、日本人の食生活を根底から変えることに大きな効果を上げたのです。私たちは白い牛乳の向こうに星条旗がはためいているのを見なければなりません。
●気になる健康障害との相関
乳製品のように長期にわたって多種類の食品を通じて多様に摂取されるようになったものがいかなる健康影響と関連するかを疫学的に明らかにするのは容易ではありません。ただ、国民全体の疾病の動向と乳製品の消費量の変化を重ねみて、意味のある推測をしてみることはできます。
カルシウムの豊富さが売りになっている牛乳ですが――じつはワカメや豆腐や春菊と同程度で、チリメンジャコは10 倍も多いのですが――統計の教えるところでは、牛乳の消費量の増加と比例して、骨折を起こす児童の数は増えていて、骨折率は現在は戦前の約10 倍です。骨粗しょう症も増加し続けています。先に述べたラクターゼ活性を持続する西洋人は、日本人よりはるかに多く牛乳・乳製品を消費しますが、意外なことに骨折を起こしやすく、骨粗しょう症の人も多いことが知られています(欧米でも乳製品が大量に消費されるようになったのはここ70 年くらいのことです)。
そればかりではありません。山梨医科大学名誉教授の佐藤章夫氏によると、男性の前立腺がん(過去48 年で25 倍に増加)と精巣がん、女性の乳がんと卵巣がんと子宮がんの発生率と最も相関関係の高い食品は牛乳やチーズなどである、という指摘がなされています。これらはすべてホルモン・生殖と関わりが深い器官のがんであるという点で共通していて、そのことがミルクの中のホルモンとの関係を示唆しているように思えます。
●牛乳を子どもに与える前に
牛乳に含まれる女性ホルモンは、現在問題になっている環境ホルモンの人体影響の観点からしっかり見直さなければいけないでしょう。思春期前に牛乳を多量の飲むことが私たちの生殖機能にいかなる影響を与えているかを本格的に調べてみる必要があります。
また、粉ミルクは母乳の代用品というにはあまりにも貧相であり、不自然であることも強調しておきたいと思います。牛の赤ちゃんは人間の赤ちゃんより身体はずっと早く大きくなりますが、脳の成長は人間の赤ちゃんの方が急速です。そうしたことに見合って、それぞれの乳にはそれぞれ独自の割合とバランスで高度不飽和油脂や連鎖脂肪酸、様々なミネラル分が含まれていることがわかってきました。また母乳は赤ちゃんの胃腸にビフィズス菌の棲息を促しますし、いろいろな病気から赤ちゃんを守る抗体も含まれています。授乳という行為をとおして生まれる母子の親密感が赤ちゃんの消化能力を高めるという報告さえあります。
以上のような様々な理由で、酪農家の方々には申し訳ないけれど、日本人が牛乳を飲む必要はまったくないと私は考えています。
(この問題につきましては、佐藤章夫さんがホームページで非常に詳しく論じています。
「生活習慣病を予防する食生活:http://www.eps1.comlink.ne.jp/~mayus 」
雑誌『環』第16 号「特集”食”とは何か」(2004 年冬、藤原書店)に収められた佐藤さんの論文「日本人は何を食べたらいか」も参照してください。)
(どよう便り 74号 2004年2月)