2005年12月7日、武蔵工業大学宿谷研究室にて
聞き手:上田昌文(当NPO代表)
pdf版はこちらから
宿谷 昌則(しゅくや・まさのり)1953年東京生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。早稲田大学大学院博士課程修了。工学博士。武蔵工業大学工学部建築学科助教授、カリフォルニア大学ローレンスバークリー研究所客員研究員などを経て、現職。主な著書に、『光と熱の建築環境学』(丸善、1993年)、『自然共生建築を求めて』(鹿島出版会、1999年)、『エクセルギーと環境の理論』(編著、北斗出版、2004年)など。1991年に空気調和衛生工学会論文賞、2001年に日本建築学会論文賞を受賞。
上田:──このインタビューも7回目になりますが、自然科学系の研究者の方で私たちの「市民科学」にぴったりフィットする方はなかなかいらっしゃらなくて、そういう中で宿谷先生には以前に講座もお願いし、学問的にも興味深く、また社会的に広がりを持つ活動もなさっているので、今回詳しくお話を聞こうとやって参りました。先生のご活動については、まずご著書『エクセルギーと環境の理論』を拝読して理論的に随分深められていると感じました。学生さんの教育に関しても独特の取り組みをされているようですし、エクセルギー研究の国際ネットワークを立ち上げられているとか、あるいは小学校などの現場レベルでも活動していらっしゃる。今日はそうしたお話を伺えればと思っておりますが、初めに、先生が建築という分野の中でどのように環境やエネルギーという切り口に出会われ、さらにエクセルギーをめぐる現在のお仕事に取り込むようになったか、その経緯をお話しいただけますか。
宿谷:僕は早稲田大学で、太陽熱利用の先駆者の1人だった木村建一先生の研究室に入ったんですが、きっかけは木村先生の「環境と形」という講義を聞いたことです。その話は簡単に言うと、日本の民家でも南米の民家でも、地域ごとに砂漠ならではの建物がある。いわゆる風土に根ざした建築の「形」が、植物の葉の形や大きさなどと同じような関係性があるということ。例えば砂漠ならサボテンとか、北の地域なら針葉樹とか。つまり環境と建築は何か関係あるんじゃないか、という話で、とても面白かったんです。
──建築物そのものがそういう植物などの形をしていたり機能を取り入れていたり、という意味ですか?
全く同じではないですが、よく調べてみるとそういう関係性があるんじゃないかと。しかも気候風土がおのずと建物の形を似させることもある。例えば日本は湿気が多くて夏蒸し暑いから、建物は高床にしますよね。高床はベトナムやタイあたりから伝わったとされていますが、南米のペルーに行くと……ペルーと言うと皆さん高地をイメージされますが、標高の低いところは結構ジャングルがあって、そういう地域の昔からある建物に高床があるんです。それは遠く東南アジアからカムチャッカ、アラスカを通って伝播したのかもしれないけど、むしろ気候・風土の中で暮らしやすさを人間が求めたときに同じ形に至ったんじゃないか、と。そういうことは自然界に結構ありますよね。生物・無生物を問わず。これはとても面白いことじゃないか、と思うんです。そこが原点ですね。
研究室に入ったとき、ちょうどオイルショックの後でした。石油はあと30年でなくなる、なんて騒がれて太陽エネルギー利用が非常にクローズアップされ、木村先生はそれより20年ぐらい前から取り組まれていたので脚光を浴びましたが、そこから多くの人が研究し始めた。太陽エネルギーの利用では熱ともうひとつ光があって、太陽電池は当時まだ基礎研究の段階ですが、太陽熱利用の研究はもの凄く広がりました。光の方は建築の照明についてはあまり研究されていなかった。僕は変わっていたのか、光の方を勉強したいと思いました。光と熱の問題は、僕にとっては等価な重さとして始まりました。
いろいろ研究するうちに、こんなことが出てきました。太陽の光を使って電灯を消していると、夏はヒーターの発熱が減るようなものですから冷房にとって良いわけですが、冬はむしろ暖房のための出力を増やさなければならない。暖房のエネルギー収支だけを見るとそういう結果が出る、といったことを学会で発表したら、偉い先生方から「それじゃ宿谷君、冬はお日様の光を使って照明をするのは良くないね」というようなことを言われたんです。ちょっとおかしいなと思ったんだけど、自分でもまだ消化し切れてない部分があって、説得するだけの説明ができなかった記憶が鮮明に残っています。光と熱ではあきらかに光の方が質が高く、熱の方が質が低いのですが、エネルギー的に見ると量は同じなので、そういう質問を受けてしまう。ここには何かあるぞと思ったけど、どう解明していいか分からない。そのフラストレーションを抱えていた頃に出会ったのが、やはり太陽エネルギー利用の先駆者のお一人だった物理学者の押田勇雄先生でした。押田先生がその頃、「エクセルギー」という概念が今後ものすご大事になりますよ、ということを言い始めていたんです。1983年頃だったと思います。『太陽エネルギー』という雑誌に解説を書かれて、その解説を読んだときに僕は三割理解できたかどうか、という状態でしたが、でもこれは何かあるなと思って、エクセルギーについて勉強しようと。幸い僕がお世話になった木村先生と押田先生は太陽エネルギー学会の設立メンバーでとても近い関係でしたから、僕も押田先生に何回かその時代に会えたので、いろんな質問をぶつけてみたわけです。すると「宿谷さん、それは重要な問題ですよ」なんて言われたりして、よくわからないけれどもエクセルギーのことが非常に頭に残りました。
しばらくして武蔵工大の教員になってから、押田先生がエクセルギーの勉強会を開いたんです。たしか朝日新聞でも広報され、「広く様々な分野の方々に玄人・素人を問わず集まってもらって、これから重要になる概念について勉強しましょう、参加してください」と。
──珍しいですね。専門家の枠を超えて勉強会を呼びかけるということそのものが。
押田先生はそういうセンスがある方だったんですね。「これはもうたくさん集まるんじゃないか」と思ったんですが、蓋を開けてみたら先生を入れて総勢たった5~6人…。でもおかげで非常に突っ込んだ質問ができて、月に1回のよい勉強が1年間続きました。押田先生の『エクセルギーとは何か』(講談社ブルーバックス)はちょうどその頃出ています。その勉強会も一区切りつけて、また仕切り直してやりますよって楽しみにしているときに、押田先生は亡くなられてしまいました。
僕は学生時代、熱力学なんて勉強したことなかった。理工系でも、電気工学などは一番数学に強い連中が集まりますが、建築を学ぶ学生はデザインのように数理とは違う部分が好きな人が多くて、言わばその対極にある。僕もその1人(?)だったから、熱力学なんて触れるものじゃないって思っていた。でも率直に考えてエクセルギーは重要なはずだから、とにかく押田先生から学べることは何でも学んでおいて応用すればいい…って思っていましたが、いきなり自分でやらなければならなくなった。ずいぶん悩みました。本腰を入れてやっても、もしも「やっぱり建築には要らない概念だった」となったら、自分がバカだと証明しているようなものですし、しかも学生に研究させたりすれば、あいつは変な教育をしているという話になりかねない。そうは思いつつ授業では、「実はこういう概念があって大切そうだよ」なんて言いながら、良い意味でのフラストレーションがどんどんたまっていった。そこで、物理の専門の人とか、あるいは押田先生から教えてもらった熱力学の本、それなりに本当に良いと言われている本をいろいろ集めて少しずつ勉強し始めました。
その中で、徐々にきれいに分かってくるというよりは、分からない状態がずっと続きましたが、ある程度時間がたってからポッと分かり始めたんです。それで最初にいくつか学会で発表して。みんな注目なんかしないだろうと思っていたら、やっぱり新しい言葉には皆飛びつくもので、一時的にすごく聴衆が集まるセッションになったことがありました。僕はびっくりしちゃって、「これは真剣にやらないとまずいなぁ」と。少し一生懸命になって本当に分かり始め、この方向でたぶん間違いないと思えてきたので本格的に発表し始めました。ところがそうしたら、強い反発も受けましてね…。
──それはどういう意味でですか?
最初はわかりませんでした、なぜ怒られているのか。後から考えれば、要するに宿谷の言い始めたことはどうも誤りではないらしいが、それを正面切って言われたらいろいろ混乱して困るからやめてくれ、といったメッセージだったかもしれません、今思えば。一方では「大変だろうけど、良いところに目をつけてるから頑張りなさい」という手紙が届いたりしたこともありました。
──「エクセルギー」概念を使うことによって、従来「エネルギー」と言って収まってきたように見えた今までの考え方が、揺らぐ可能性が出てきたからですか?
それもあるだろうと思います。それから、エネルギーの概念で見たって結論は同じになるんだから余計なことやる必要ない、という意味の方が当たっているように思います。僕は、物理法則として「エネルギー保存の法則」があるんだから「エネルギー消費」と言うのはおかしいでしょう、ということを無邪気に言ったんですが、それが一種のタブーだったんでしょうね。分かり切ったこと言うんじゃない。みんな分かってやってるんだ、みたいな。今でもそういう反応にあうことがありますが、でも10年前と今では全然違いますけどね。こう言うと成功物語に聞こえるかもしれませんが、当時はずいぶん悩んで眠れなくなる(?)こともありましたよ。でも、そのころすでにエクセルギーを研究してみたいという大学院生が研究室に来始めていたので、ますます本気でやる必要があった。学生が学会発表で偉い先生にこてんぱんにやっつけられ、その上僕もたじたじになってたら立場無いですよね。そういうこともあったから必死になって、ここまで来たかな。
──エクセルギーの考え方を使って、今まで解けなかった問題が解けるとか、理解が新しく深まってきたというような部分を、もっと具体的にお話しいただけると…。
非常に単純ですが、この部屋の天井にある40ワットの蛍光灯ではどのくらいのエネルギー収支があるかを考えてみます。40に対して「光」が8出たとすると、あと32は「熱」が出るんですが、それを素直に見ると「ヒーター」になりますね。でもこれをヒーターと言うのはちょっと変です。エクセルギーで計算し直すとどうなるか。8だった光が7ぐらいになって、32あった熱は4ぐらいになるんです。そうすると大体2倍近く光が出ている話になって、正真正銘のランプなんだということがわかる。エクセルギーで説明すれば、なぜこれを僕らがランプと言うのかもきちっと説明できる。ただし、40入って光が7、熱が4で合計11。「40-11」の残り29はどうなるのかが不思議に思えてくる。実は29は蛍光管の中で消費されています。じゃあその「消費」っていったい何だろうか。エネルギー収支だけ見ていると考えがそこに行きません。本当に「消える」、それは何なんだ、と僕はその時初めて考えました。
蛍光灯には非常に圧力の低い希薄なガスが入っていて、両側に電極があって、交流ですからプラスマイナスが常に逆転しながら蛍光管中の空間に電子が飛びます。完全な真空ならば電子は全部平行移動で飛んでいきますが、そこに水銀とアルゴンの原子が薄いガス状に入っているので、電子が飛ぶとぶつかるわけです。すると水銀がものすごく揺さぶられる。揺さぶられて戻るときに紫外線を出す。その紫外線が蛍光灯の内側に塗ってある蛍光物質に当たり、可視光になって僕らの目に見える。電子の動き、水銀原子の動き、それによって出てくる紫外線、それが蛍光物質が塗ってあるガラスの壁に当たったらその外から可視光が出る……全体を考えると、全部エネルギーの「拡散」です。この拡散が、エクセルギーでいうと「消費」で無くなるということです。平行移動するはずの電子がランダムな動きになる。数字で言うと、平行移動として40あったうちの29が拡散し、残り7+4の11が平行移動分として出てくる。このようにして改めて蛍光灯の原理を読むと、非常によく分かる。だから、「エネルギーの概念だけで分かるんだから、エクセルギーなんて余計なこと言わなくて良い」というのは、見なくてはいけないことを見まいとしていたんじゃないかとさえ思えてきます。
そこまでの理解にもとづいて、エネルギー、エントロピー、エクセルギーについて学生に授業で話すと、さらに面白いことを発見しました。エネルギーのこと(だけ)をよく勉強した学生は非常に飲み込みが悪いんです。ところが白紙の状態に近い学生はスーッと理解できちゃう。スーッと入るのは自然なのに違いないと僕は思うようになって、それが研究と教育とのつながりを考える大きなきっかけになったと思います。
──物理を勉強した学生は、物理の非常に基本的な概念としてエネルギーを学びますから、どうしてもその視点から見てしまうのですね。でも、エクセルギー概念そのものも同じ物理学の中から出てきたものであるのに、どうしてそんなに脇に追いやられたんでしょうか?
実に不思議ですよ。それで僕も、いろいろ批判されたりもしたので意地もあって、熱力学の歴史を少しひもといてみました。熱力学のおおもとの発見者として挙げるべき人物はカルノーです。カルノーは現在のような数式の展開はやっていませんが、論文の中にはエネルギーの概念ももちろん入っているし、エントロピーの概念も顕わでないまでも入っていて、結局エクセルギーも入っている。その後ケルビンやジュールがエネルギー概念を明確化させて、クラウジウスがエントロピーという概念を示して。エネルギーの方はその後20世紀の半ばぐらいから資源の問題を意味する言葉としても使われ始めて、ワーッと広まったんですね。押田先生も昔おっしゃっていましたが、資源問題としてエネルギーという言葉が使われ出したのは、1955年とか56年あたりから。それまではエネルギーというのは、本当に物理学の世界だけの言葉だった。
──まさに高度経済成長の時期ですよね。
そうです。一方の、エントロピーの概念が社会的な文脈で出てくるのが1980年代ぐらいですね。槌田敦先生とか。押田先生がエクセルギー概念を盛んに言い始めたのもその頃です。槌田先生は当時は、エネルギーもエントロピーもよく分からないのに、さらにエクセルギーを使うと混乱してしまうから、エネルギーとエントロピーだけで話をした方がよいとおっしゃっていたように思います。押田先生は、先ほど蛍光灯のことでお話したようにエクセルギーの方が直感に合うんだから、エントロピーは後から理解してもらった方が良いと。お二人はそういうかたちで考え方は少し違っていましたが、言わんとしていたことは同じだったと僕は思っています。僕自身は、エクセルギーを本当に分かるためにはエントロピーもやっぱり分からないと不十分で、さらにそれを通じてエネルギーの概念も本当に分かる。三者のうちどれかは分かるけど他は分からない、というのは実は違うんじゃないかという感じがしています。
──今おっしゃったような、3つの概念を統一的に捉えて初めて理解が十分になる、というような考え方が物理学者の中から出てきたのではない点が重要ではないでしょうか。建築を通じて光や熱を扱うところから遡って、概念をもう1回見直してみようという流れになっているわけですよね。そこがすごく面白いです。学問的には、物理学がまずあって、もうそれで完成された学問のように捉えられていますが、今のお話は、純粋に学問の中から形成されたものではないという印象がします。おそらく、建築の中で解明したい問題を見い出し、それを解こうとされたからこそ、こうした発想が生まれたんでしょうね。
発想の元をもっと遡れば、まず建築学に取り組むきっかけとして、理工系の学問の中でも建築は一番人間のことを扱う、だからこそ面白いという直感があったんです。建築は、家があって人がそこに住むわけですから。もうひとつは、僕の父が関係します。父は生化学者でオタマジャクシの研究をしていました。卵がオタマジャクシになり、足が生えて、という変化と体内の物質との関係などを研究していたようです。僕は全然関係ない分野だと思っていましたが、2001年に亡くなった時に父が書いたものを整理したら、つながる内容を発見しました。やっぱり熱力学が出てくるんです。父の研究の影響は、僕の意識にのぼらないレベルで子どもの頃からあったんじゃないか。それはまさに今出ているような気がします、悔しいけど(笑)。例えばヒトの解剖図とか写真などが家にあって、子どもの頃父の本棚から引っ張り出して見ていたとか。
そして僕は、エクセルギーの話と生物が生きているということにアナロジーがあるような気がしたんです。例えば、冬に建物の中を暖房しているとして、外が0℃で非常に寒い条件を考えましょう。その環境で部屋の中を20℃に保つとき、どれくらい熱エネルギーを供給しなければいけないか。全体を100とすると、100入ったら100出てくるというのがエネルギー概念での計算です。ところがエクセルギーとエントロピーで計算をすると、次のようになる。室内のエクセルギーは放っといたら95、90と下がってしまいます。下がる速さが例えば5だとすれば、では5を供給すればいいかと言うと、5ではだめなんです。エクセルギーは必ず消費されるから少し大きめに投入しなくてはならない。例えば7投入して、そのプロセスの中で2が消費されてやっと5になる。そのために生成されたエントロピーは外に捨てなくてはならない。そういうことを続けて20℃が維持される。常に密度の高いものが流れ込み、かつ常に周りに排出して、ある状態が保たれている。実はこれ、生物ではあたりまえの姿ですよね。建築も同じで、そして中にいる人間もそうなんだ、というイメージがポッと浮かび上がってきた。
私たちの体でも、それを囲む建築でも、都市でも、その形が成り立っているのは、そういう自然の仕組みがあるから。生きている都市、生きている建築は、常にそういう投入があって、熱やゴミが排出され、それが周りで処理されることによって維持されている。そのプロセスの全体がうまくいくようになっていなければならないというイメージが、その時に非常にクリアになったのを覚えています。建築の話と生物の話が、その時に一体になった感じでした。父はエクセルギーなんて知らなかったけど、父もやっぱり生きているとはどういうことかを問い続けていたんだと思います。
──確かに生き物は、非常に複雑な生化学反応が生体内でネットワークを組んで起こっている。そこに投入しているエネルギー、出てくるエネルギーでいうと、出入りはそんなに大した収支じゃないはずなのに、ずっと維持でき、ましてや自己複製もできる。非常に複雑な、不思議なシステムですよね。定常開放系と言うのでしょうか。それと建築物とのアナロジーということですね。
そういうアナロジーはすごく大事だと思っています。そうした「わかる」プロセスで付け加えたいのは、さっきのエクセルギーの理解の話で、最初からスッと呑み込むのは「白紙」の学生だと言いましたが、それは「お話」として分かるレベルで、研究で使えるレベルになる訳じゃありません。大学院生ぐらいでエクセルギー概念を使いこなして論文を書きたい、という場合は、だいたい僕を含めた先輩達の論文などから勉強するわけですが、見ていて面白いのは、ほとんど例外なくみんな同じところで躓くんです。そして、計算はできるけど意味は分からないとか、何とか文章にしたけど今ひとつすっきりしないとか。その躓いたところで起き上がれたら、一気に高い段階に上がって後は世界がバーッと開けていく、それもほとんどみんな同じ。しかも僕が体験したのとほとんど同じなんですよ。そうすると、分かっていくプロセスって何だろう、って。みんなが通るプロセスというのがあって、それを大事にする教育を僕らはやらなきゃいけないと、この数年すごく思っています。
──その躓きの石になるものは、例えば自分の目に見え、肌で感じる現象と、自分が使っている物理的な概念というものがすごくかけ離れているというか、浮いているというか、そういうところと関係があるんでしょうか?
関係あるような気がします。今は中学や高校の理科の教科書とか資料集は、すごく奇麗なカラー刷りで情報も多くて、こんなことまで教わるのかと思うくらい立派ですが、子供たちを見ると僕はほとんど消化不良だと思う。それはやはりプロセスを大事にしてないからだ、という気がして仕方がないんです。僕がすごく腹を立てるのはね、学生たちが、小さなことでも面白がればいいのに、「いやそんなの知ってます」みたいな顔をすることなんです。感性が良くて、小さな事でも自分の中で結びつき、それを喜びとして思えたら、その学生はだいたい伸びる。そういうのを素直に出せる環境を教育がどれくらい作れるかが大事でしょう。これまでむしろ芽を摘むことばかりやってきたのではないか。僕自身もちょっと反省していますが。
──これも学ぶプロセスと関係すると思いますが、先生が研究なさっている「人間にとっての快適さ」も実は物理の概念を使って明らかにできる部分があり、そのとき、快適さを人間がもっと主体的に見つめ直してみるということと、物理を道具として使っていくということが、本当は一つになるわけですよね。そこが教育のプロセスで切り離されている、すなわち自分の身の回りの現象を自分はこんな風に感じるとか、こんな風に思える、ということをもっと表に出して、今学んでいることとつなげられればいいのに、そういうことは視野からはずされている…。
理科の教科書で、例えば最先端の研究を紹介しながらその基礎にあるのは物理のこういう部分ですとか、化学のこういう部分です、とか紹介していますが、それは間違っていないけれども大きな飛躍がある。いわゆる”科学大好きな子”はそれに単純に飛びつくかもしれないけど、それが往々にして怖いのは、日常生活があるにもかかわらず研究内容と自分の生活が切り離されて、科学だけの興味でやってしまう。そういうことの根っこも、今の話にあるような気がして仕方がない。市民科学にもつながる話ですよね。
──私も、いろいろな人を訪ねてお話を聞いているうちに、「あっ、宿谷先生のお仕事と関連性があるな」と思うことに次々に出会いまして。まず宿谷先生もご存じの甲斐徹郎さん。一度甲斐さんを招いて講座を開いたのですが(『市民科学』第3号)、甲斐さんの本の最後には宿谷先生との対談が出てきますよね。それで「ああ、やっぱりつながってるんだ」と。それから最近、電気を使わない「非電化製品」を作る「非電化工房」の藤村靖之さんにもお話を伺って(『市民科学』第7号)、そこでは輻射熱の問題などが中心なんです。「ああ、これもつながってる」と。藤村さんはエネルギー効率の悪さを正面から捉えて、例えば「ロウソクを吸って消す人はいないでしょ、吹いて消すでしょ。なのに何で電気掃除機で吸うんですか?」といったお話をする。日常に密着したところから今の物理学や工学の「常識」に疑問を投げかけ、人間の生活を快適にしていけるプロセスが、本当にあるという気がするんです。
そうだと思います。最先端科学のタネも僕らの身の回りに実はたくさんあるんですが、それをちゃんとつかんで簡単な実験で再現してみるといった工夫を見落としている。専門家で、最先端の領域にいる人ほどそれを忘れてる気がして仕方がないです。
関連する例をもう一つ挙げると、この20~30年の間にコンピューターのソフトウェアがものすごく発達してますが、建築の世界で言うと、部屋の明るさをシミュレーションできるプログラムとか、あるいは部屋の温度を20℃にするのにどれくらいのエネルギーが必要かを割り出すといった、シミュレーション・ソフトが整備されてきました。それを開発する人は中身を全部分かってないと出来ませんが、出来た後は、ごく簡単に数値をインプットすれば物理現象を理解していなくても計算が出来てしまう。それで例えば学会発表などで、「あなたが提示した結果はこう理解できるが、どういう計算をしたんですか」と前提となる物理的なイメージについて質問すると、何を聞かれているかも分からない人が現れている。「ソフトのデフォルト値が入ってたんです」なんて答えて、全然悪びれない。僕は怖くなった。物理的なイメージが分からないということは、自分で結果を出していても中身が分かってないということです。こういう学生がかなり増えているんじゃないか、これがもっと進行していくと、とんでもないことになる、という気がします。やっぱり原点にもどって、たとえ精度が悪くても良いから自分の頭で考えて結果を出す。教育はそれをやらなければいけないし、実はその中にこそ研究的な要素が見つかることさえあります。教育に傾倒していろんなことをやっている理由には、こういうことがあります。
──少し具体的に教えてください。ホームページで拝見しましたが、宿谷研究室の教育として、3年生のみなさんに一年間の研究成果をまとめた報告書を作成させているそうですね。なぜこういう取り組みを?
今の3年生がもう7冊目で、現在も苦労しながら取り組んでいる最中です。ゼミというとたいていは専門分野の論文なり本なりを輪読する、僕もそういう教育を受けてきたし、初めは僕もそうやっていたんです。レポーターの当番を決めたりしてね。英語でも自分が割り当てられたところを訳してくるわけですが、テクニカルタームが多いからほとんど直訳でしょ。一応日本語になってるけど意味は分かってない。週に1回2時間、こなしてるだけの、お互い実りのないことを続けている、そんな状態を何とか断ち切りたいと思ったんです。それで、どうせ卒業研究でも大学院の研究でも、いずれは必死になって研究し成果をまとめる作業をやらなければならないのだから、それを圧縮して経験してもらい、研究というものの全体のプロセスはこうだっていうことを知ってもらうのが大事かなと。
それと、アウトプットを出すことがやっぱり大事ということです。上から降ってきた知識を一生懸命諳んじて、間違えちゃいけないと恐る恐る説明してゼミが進行する、というようなのが多かった気がするんです。それで鍛えられるという話もありますが、その前に、やっぱり自分の好奇心に応じて、失敗しても良いから、間違っても良いから、何かとにかくやってみてほしい。もちろん、のんべんだらりと実験を重ねても知識にはならないので、必ずまとめさせる。まとめてみると「自分は全然だめだな」って思うこともあるけど、それが実は大事なんです。それを何とか体験してもらいたいというのが始まりですね。
僕はこれを3年生全員でまとまってやってもらっています。テーマは「建築の環境」につながりがあれば何でも結構。そして、ゆめゆめ私が報告書の読者だと思って書いてくれるな、と言います。お父さんお母さん、ガールフレンド・ボーイフレンド、高校の後輩、そういう人を思い浮かべて書いてくれ。成績は「優」をくれとか、「不可」は困るなとか、ゆめゆめそういうことは考えるな。そのかわり、最後は研究室できちっと製本までして1冊ずつあげるから、と。その〆切を設定して、僕が出版社みたいなものです。
これを10何人でやるとなると、まずディスカッションしないとだめ。すると主義主張が合わなくてぶつかることになる。やっぱり1人でやらせてくださいと言ってきた子もいますが、それは絶対許可しない。どうしてもというときはグループに分けて、でも全体でつながるようにすることを条件にし、それについては全員で考えましょうと。世の中に出ればそんなこといくらでもあるんだから。彼らは自覚してないけど、半年程たつと議論がとてもうまくなります。これはすごく効果大きいなと思いました。
それから、〆切のあるプロセスという面では、いつまでに何を仕上げとかなきゃいけないとか、常に他人との関係で動くことになります。そういうことは講義や試験の中では体験しませんよね。しかもゼロからやるわけだから、みんな本当に混乱します。もちろん丸投げじゃなく、最初は週に1回くらい僕も入りますけど。11月頃からは必要があったら僕を呼んでくださいと彼らにまかせます。内心不安だけど。そして2週間に1回くらい呼ばれて報告を受けると、だいたい「先生、これでいいですか」って聞くんですよ。僕の中にある100点満点に達してるかっていうふうにみんな発想しているんです。で、僕は「知らない」って。それを繰り返してると、「どうも物差しはそこにないんだぞ」とみんな気がついて、良い意味でパニックになるんです。「これは本気でやらないと出来ないぞ」と。そうすると、こういう実験が必要だとか自分たちで考える。もっともその実験はたいてい失敗します、3年生ですからね。それで失敗したら、じゃあどうして失敗したのかを書きなさいと。すると急に気が楽になって、現象をちゃんと見れるようになるとか、みんなの前で良い意味で恥をかけるようになる。こういうプロセスを通じて、編集力とか構成力とか、人を説得する力などを学んでもらったりしていると思います。
──教育的に非常に面白いやり方を見つけられたなっていう気が強くします。私自身も今、チームを作って1年くらいかけて成果を出すように、みんなで一緒にやってるんですけど、事情はそっくりです。
特に学生なら、そういうことを体験しておくことは、社会に出てどんな分野で仕事するにしても大事ですよね。
──ホームページを拝見しましたら、宿谷先生のところの大学院生の方が論文で表彰されたそうですが、やっぱりそういう学生が育ってるんだという印象を受けました。
2005年サステナブル建築世界会議東京大会という非常に大きな国際会議の論文表彰で、そこに出た800本ほどの論文のうち大学院生が第一著者の論文が140ぐらいあって、その中で優秀な論文4つを表彰するというものです。その1つに僕のところの修士2年生がたまたま選ばれました。その彼も3年生の冊子づくりを経験しています。
──やっぱり成長のプロセスが先生の中には見えてらっしゃる、ということが大きいのではないでしょうか。
そうですね。それから事のついでにお話しますと、英語もやっぱり日本で教育上いろいろ問題があって、議論されていますが、うちの研究室ではもう6年くらい、大学院生のゼミで英語のミーティングをやっています。英語の本を輪読するというようなものではありません。それはやめました。その代わり、毎週2時間一切日本語は禁止。中学生レベルの英語で全然構わないから、とにかくその日までの1週間にあったことについて英語で5分間スピーチさせます。それもリラックスした雰囲気で、お菓子などを食べながらとにかく全員英語でしゃべろうと。慣れてきたら、専門の話や科学の話をプレゼンテーションして、さらにディスカッションするとか。英語表現が稚拙だから手振り身振りになるけど、でも日本語は使っちゃいけない。そういうミーティングなんです。僕はいわゆる文法の間違いを英語の先生のように正せるわけではないので、無理だろうなとも思いつつ始めたのですが、でもとにかくそういうふうにやるしかないんです。特に日本人は恥ずかしいという感覚を持つので、それを崩さなきゃ駄目なんですよ。だから実践しなきゃと。最初は私を含めて見てられない姿だったと思うんだけど、今は一応サマになっています。面白いのは、修士1年の学生が4月にみんな嫌々始めるんですが、1年経って新しい1年生が来ると、自分がどのくらい上達したかが測れるんですね。そこで「結構いけるかも」なんて良い意味で錯覚するわけ。するとしゃべりたくなる。これはもうとっても良いなあと思って。
theが抜けたとか、発音がちょっと違うよとか、そういう間違い探しだけの減点法は駄目ですね。「He have a pen.」でも通じるわけですよ。「haveかな、hasかな?」なんて間違えるの嫌だからと黙ってるうちに、話題は変わってしまうんですから。僕自身の英語力も多分このミーティングを通じてうまくなったんです。もちろん、エクセルギーの国際共同研究で、英語だけで2日間くらい缶づめでミーティングするような機会が年に2回、5年ぐらい続いたので、そのおかげもありますけど、学生と一緒にそういうことをやって壁がダーッと下がって、もうほとんどバリアフリーになってる。教育ってそういう事でしょう。彼らを見てると、もちろん全てが成功じゃないんですけど、生き生きとしていくプロセスが見える。それをまた後輩達が見ると、「自分たちもあんなふうになれるのかな」って思う。そういうことの繰り返しが大事なんでしょうね。
──非常に共感できます。
専門用語も同様です。入り立ての学生にとっては外国語みたいなもんで、先輩達のプレゼンテーションを3年生に聞かせれば、質問するどころか、「全然分かんなかったです」と。でも半年くらいこのミーティングをやった後、卒論や修士論文の発表会で3年生に「半年前も同じように聞いてもらったけど、その時とくらべてどう?」と聞くと、「そういえば分かるようになってますね」となる。彼らなりの勉強はもちろん、英語ディスカッションの中でも、自然にそういうのが身に付くわけです。それを意識化すると自信がつくはずですが、多くの場合そこで「まだここまでしか分かってない…」というネガティブな言い方をしてしまう…。それが違うんだと今は考えています。
──教育の話が続きますが、小学校と組んでお仕事されてるそうなので、そのこともお話しいただけますか?
はい。環境省の「学校エコ改修と環境教育事業」というプログラムで、去年から始まりました。善養寺幸子さん(一級建築士事務所「オーガニック・テーブル」東京都足立区)というエコハウスなどの設計を得意としている女流建築家の提案によるのですが、彼女も自分たちの取り組みがなかなか広がらない悩みがある中で仕事をしているうちに、ちょうど環境省の事業公募があって、応募したら採用された。どういう事かというと、今、小学校中学校は全国的に老朽化した建物が多くなり、耐震補強が必要な建物が多いのですが、せっかくだから建物を根本的によくしましょうと。国土交通省に「エコスクール」事業というのがありますが、そこでは、効率の良いエアコンをつけるとか、太陽光発電や風力発電をやるという方向に行っている。そこで環境省の方の事業はそうではなく、窓の性能を良くするとか、断熱を良くするという方向で考え、かつ環境教育とも関連づける。子供たちは学校で長い時間過ごすわけですし、子どもが環境教育で学んだことを家に持ち帰ってくれれば、親にも影響を与える。学校をモデルに、家庭や地域でも同じような取り組みが生まれる。地域の工務店も関わっていける。みんなの環境に対する意識が良い意味で雪だるま式に高まるだろう。これが善養寺さんたちの提案の骨子です。
僕も建築環境の分野で仕事をしてきて、環境づくりの考え方がなかなか広がらないと歯ぎしりすることが多々ありました。だいたい建築の専門家で僕らの考えに共感してくれる人は、建築の「環境オタク」みたいな感じがあって、それとごく一部の関心の高い人や裕福な人が組んで趣味的にやるような状況でこれまで来たわけです。残りの多くの消費者はほとんど興味がない。となれば、多くの建築の専門家はその消費者に合わせますよね。そうしたらいくら立派なこと言っても駄目。逆に考えれば、消費者側が「こういうのを作ってくれ」と求めれば専門家もそれに応じるに決まってますから、取り組むべき相手は建築を買う側だ、と。ちょうど5~6年前に僕のところの卒論生が「子どもを対象にしたワークショップ」という研究をやって発表したのが始まりで、甲斐さんとつながり、善養寺さんたちともつながっていき、いまに至っているんです。
この環境省の事業をやるときの条件は、学校を核にして地域でまず「環境建築研究会」と「環境教育研究会」を立ち上げ、1年間勉強会をしてください、というものです。「環境建築研究会」は地域の工務店や設計事務所、一般の人も参加し、一方「環境教育研究会」はその学校の先生、児童の親、興味を持った地域の人に勉強してもらう。両者のメンバーは全く重なるのが理想です。そこから自分たちの街にある学校をこうしていこう、というイメージを持ってもらい、地域の設計事務所なり工務店が改善方法を提案して、研究会が中心になって評価する。学校の先生は環境教育のプログラムを作り、それを授業で展開する。先生は建物の環境のことも勉強し、実際に改修された学校で暮らすことで、例えば「断熱ってこんなに気持ちいいのか」と体感できますよね。子ども達にもそれを伝えられる。その子ども達が将来、家を建てるときに、たとえその体験を忘れてたとしても蘇るはずだ。時間がかかるけど、こういう取り組みが実は近道なんではないか。
──それは発想として非常に面白いと思います。
なにを悠長なことを、とも言われます。地球温暖化は待った無しなんだ、と。でも上から降ってきて「こうしろ」と言うのはみんな心底ではやりたいと思ってないから、長続きしないですよね。地に足のついた取り組みが後でワーッと花開く方がやっぱりいいんじゃないか。去年、江戸川の方の小学校で試験的に研究会をやって、それなりに成功しています。先生方はお忙しいのでネガティブな反応が出るのを懸念したのですが、幸い先生方にも受け入れられて是非やりたいと。もちろん善養寺さんたちの事務所が全面的に支援しています。環境省もこれはいけそうだということだろうと思います。いまは全国で10校を選び、同様の取り組みが始まったところです。その答えが出るのはもう少し先でしょうけど、良い感じです。
──そうすると、宿谷先生の専門分野の研究と教育の話とが、実際に橋渡しされる可能性が出ているんですね。
環境教育という面から、それぞれの教科に土足で踏み込んでいってはいけないと思いますが、僕自身は、環境教育を他の教科教育から切り離すべきでないと思っています。環境教育の半分ぐらいが理科になって、半分がぐらい国語になり数学になる、そうしたら本物だと。まさにそうだなっていう事例もすでにあるんです。板橋の方の小学校の先生で、自宅で植栽による日除けを採り入れてその良さを体感した方が、学校でもおやりになった。教室の窓際を全面ヘチマで覆ったんです。さらにキュウリとかも植えたりする。すると給食でキュウリのサラダを残していた子ども達が、残さなくなったそうです。4、5月から目の前で育っているのを見ることの効果がいかに大きいかが分かりました、と。それから理科の先生の話では、光合成について教えるときに、これまではどこかの葉っぱを教室に持ってきて、ビニール袋をかけておくとハイ水が溜まります、なんて具合ですが、自分たちの目の前で毎日育っているヘチマでやったら、子供たちの聞き方が全然違ったと言うんです。生活に密着したところでやるといかに力になるか、という話をされていました。さらに国語の授業でも、その緑を眺めながら詩を書くといったことも展開されておられる。つまり「環境教育」というものに閉じ込めないでやることの可能性が非常に大きいと思います。
──素晴らしいですね。可能性ありますね、本当に。
すごく苦労もされてるんですけどね。仕事が増えるし、足を引っ張られたり、いろいろあるんですが。
──その辺はNPOなどが上手に協働できればいいですね。そのときに、NPOと大学との協力関係を活かしたい。実際にNPOの方も、学生さんのような継続的に活動・研究できる人材を求めていますし。ヨーロッパではすでに「サイエンスショップ」という例がありまして、大学が窓口になって、地域の環境問題など何か調査研究のニーズがある場合、住民からの依頼を受けて学生さんを配置し、学内・学外の資金を活用し、研究してもらう。もちろん学生の業績となって残っていく。日本でもこういうシステムがNPOと結びつけば、おおいに活性化するだろうなと思っているんです。
学生はそういうのを敏感に察知して、積極的に参加するんじゃないかな。実は善養寺さんの事務所でも、コアメンバーは僕のところの卒業生2人なんですよ。
──そうですか、頼もしいですね。さて教育に関する話が中心になって、研究に関するお話が最後になり恐縮ですが、今後の研究の見通しについて少し具体的にお話しいただければと思うのですが。
土曜講座で以前、人体のエクセルギー収支と「冬の暖房」の話をさせていただきましたが、「夏」の話がまだ未解明のところが結構あって、その仕事を始めています。普通の冷房とは違う、やはりアジアだから日本だから発想できるような涼しい空間の新しい作り方、それをエクセルギーは結構説明できそうなので、数年はこの課題を続けるだろうと思います。「南北問題」という言い方がありますが、発展途上国は南に多くて、夏暑いところばかりですよ。その暑いところで今どういう冷房をやっているかというと、やっぱり空気をギンギンに冷やすことだけ。どうもそれは違うんじゃないか。それぞれの地域に合った涼しさの作り方を提示できればと思うし、どうやら出来そうな気がしてきました。
──冷房を持っていない時代に、どうやって日本の夏を過ごしてきたか、みたいなことも関係がありますか?
関係あります。日本の昔からの民家の茅葺き屋根はとても分厚いでしょ。その分厚い屋根に陽が当たると外側の表面温度は60℃とか70℃になるんですが、内側の温度は実は26℃とか27℃。実に40℃ぐらい差があるんです。現代の一般的な2階建ての家で、真夏の日に1階から階段上がって行くと、途中からモアーッと暑く感じますよね。ああなるのは断熱がものすごく悪いからなんです。僕が仕事で関係している住宅メーカーで、屋根の断熱を非常に良くした実験住宅を筑波につくったのですが、2004年の猛暑の日中に訪れたら、窓を全部開放して冷房なしの状態でも、2階の部屋の空気がとてもすっきりしている。でも室温は30℃を超えてるんです。これは何だと。おそらく僕らが涼しいと感じるのは、外気温に対してちょっと低い状態に対してなんです。断熱をよくして天井表面の温度を下げたといっても外気温より低くなるわけがないですから、それにきわめて近い程度。そこにちょっと風が動いている状態。一方、今のクーラーは、15℃か16℃という冷気を部屋に送り込んで、要するにかき回しているわけです。冷房をかけたときの温度の平均は25℃、24℃ですよ。冷房は28℃に設定しましょうなんて言っても、28℃で快適だと思う人はほとんどいない。でも実は、熱帯夜が25℃だと言っても、もしも壁・天井・床、そして空気の温度も25℃であれば、そこにTシャツ短パンでじっとしていると本当は寒くなる、25℃はそういう温度です。28℃で暑いのは、室内にもっと温度が高い物があるからです。例えばブラインド。一般的な事務所でブラインドの温度を計ると40℃ぐらいになっていることが多い。冬の床暖房は気持ちが良いですが、それは広い面が温かいのがよいということで、逆にこのブラインドに当てはめて考えれば、夏の日に床暖房を窓のところでやっているようなものなんですよ。暑いわけです。だから空気の温度をうんと下げないと快適にならない。それはおかしいんじゃないか。エアコンていう言い方はやっぱりおかしいですよ。
──コンディショニングを本当はしてないと?
そう。エアコンはおかしいですよ。そういうことを言うとまた嫌われるんですが。要するに、外気温よりちょっと低い場所を作ってあげられれば、かなりいける。もっとも、今の冷房づけに慣れている人はいきなりそういうところに放り込まれるとアレルギー反応が起きるようなもので、嫌がると思う。じゃあそのつなぎ目は何かというと、僕はやっぱり体験だと思う。ひとたび冷房でない涼しさの良さを体験した人は、もう普通の冷房に戻れません。甲斐さんがそうです。そういう人が1人でも2人でも増えればいい。エアコンメーカーだって違う製品をつくって商売すればいい。道は険しいかもしれないですが。
こんなぐあいに考えてくると、ちょっと冷たいものというのは実は僕らの身の回りにたくさんあることに気づきます。例えば放射温度計で夏の晴れた日の青空を測ると、何℃くらいだと思いますか? 空の高いところは、実は5℃くらいですよ。
──えっ、そうなんですか。
雲で10度とか15度とか。それに気づかないのはあまりにも日射が強いから。だから日射は昼間うまく除けてあげて、緑が豊かなところを用意してあげれば、夜のうちに結構冷えて冷気ができるんです。そのわずかな冷気を室内に取りこめばかなり涼しくできるはずなんです。一つ一つの力は弱いけど、うまくつなげて快適な環境をつくるというのは、実は技術としてとても高級で、ハイテク/ローテクという言い方を借りれば、まさにそれがハイテクだと思う。電子技術とかヒートポンプのすごい技術も、僕が今言ったような空の冷たさを活かすことに使うべきであって、石油を中東から持ってきてそれで冷たい空気をつくるというのは、芸がないんじゃないかと思うんです。
──結局そこで生じている矛盾を外部化して、ヒートアイランド現象みたいなことが起こるわけですからね。
もう一つ、最近面白かったのは、「冷たさ」をエクセルギーで計算するという仕事です。冷たいものは環境に対して温度が低いから、エネルギーはマイナスですけど、エクセルギーはちゃんとプラスになるんです。具体的には、雪を使って冷房するという雪国の試みについてエクセルギーで評価しよう、という話が出て、新潟の安塚町での雪冷房の試みをエクセルギーで考えてみました。冬は外気温が下がるでしょ。雪の温度はもちろん0℃かそれより低いくらいです。温度差が同程度か非常に小さい状態では、エクセルギーはないです。でもその雪を蓄えておいて、3月頃に籾殻を50~60センチかけるとすごくいい断熱材になって保存できます。そして4月、5月と外気温が上がってくると、エクセルギーがどんどん増えるんです。8月になるとエクセルギーがものすごく大きくなって、その雪をとり出して冷蔵庫や冷房などに使う。8月の終わりには雪は無くなって、籾殻だけが残る。新潟の人と話して盛り上がったのは、新潟はこれから二期作だ、と。つまり、秋にはお米が取れ、冬は雪が取れる。発想を変えれば全然話が変わっちゃう。積雪地域とは天から資源が降ってくる地域ですよ。そういうものをうまく活かすことにハイテクを使えば、「日本は資源小国だ」という言い方も実は違うんじゃないか。そういうことになってくる。
──私の体験として感じていることですが、例えば「環境教育」を唱える人はだいたい、今の地球環境がこうで、CO2がこうだから…と話を組み立てますが、自分の実生活とは切り離されている面がやっぱりあります。自分の今の生活が当たり前だという感覚からしかものが見えないという状態を変えるには、敢えて違ったことをしてみることが必要だと思うんです。今の話は、体験を通してものの見方・考え方をがらっと変える好例ですね。そういう機会、事例がもっともっとあっていいはずでしょう。
旭川の北方建築研究所では、雪ではなく氷を使う試みをしています。建物に地下室を作り、真冬に外の空気をたくさん入れて換気をする。旭川だから氷点下20℃になります。換気だけで中の水は全部凍っちゃう。春になったら換気口を閉め、それを夏に使うんです。僕が市民大学みたいな場所に呼ばれてこういう話をすると、だいたいみなさん笑うのね。これが重要です。馬鹿なこと考えて、っていう感じと、そこに気がつかなかった、っていう発見、そして面白いっていうこと、それでみなさん笑うんですよ。そういうのを面白がることはとても大事だと思う。
それから、そういう発想の転換と結びつけられる最先端の研究が、実際にあるんです。例えば新素材の最先端研究をやっている人と話をする中で、いろいろアイデアを出しあうと、「それに私の技術が使えるんじゃないか」という話になったりする。最先端研究では、実は作っているものが何に使えるかあんまりよく分かってないケースも結構ありますが、そういう研究をうまく活かすために、私たちも共同作業をどんどん進められたら…と思います。
──技術がありながら活かす道が見えていない、でも話を聞いたとたんに活かせる、みたいなところが面白いですね。これからも先生のご研究に注目し、学生さんも含めて交流出来ればと希望しております。
こちらも是非。だんだん分かってきたのは、特に建築に関わる環境教育では、人材を派遣する側がいかに少ないかということです。誰でもできるわけではないんですよ。例えば建築の環境について話してもらうのに、人によっては同じテーマでも全然方向性が違ってしまう可能性もある。だから人材養成も大事になってきて、その時に価値観を共有できる方々とスクラムを組んでいけると、とても力強いと思います。
──私たちのところにもさまざまな分野の人との交流・協働が生まれていますので、先生とも是非お願いします。今日は長い時間どうもありがとうございました。■