携帯電話の電磁波リスクをどうとらえるか
この講義録は、東京大学先端科学技術研究センターの「ジャーナリスト養成コース」(2005年から2006年にかけて「リスク社会と報道」というテーマの下に毎月1回全8回で現役ジャーナリスト向けに開催)での上田の講義録(2005年10月15日)をもとに、本誌向けに改稿したものです。
上田昌文(市民科学研究室・電磁波プロジェクト)
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電磁波の問題の中でいま一番大きなテーマは携帯電話でしょう。携帯電話はいま日本で9475万台ほど使われています(2005年11月末時点、PHSを含む)。国民の8割近くが使っている計算になります。そういう中で、携帯電話の発する電磁波が人体に与える影響をどう考えたらいいのか、ということが常々問題になります。
10年とか15年ぐらい経ったときに「ああ、一部の人が騒いでいたほど心配することはなかったじゃないか」となるかもしれません。あるいは全く逆に、携帯電話を使っている人の中で、かなりの割合で脳腫瘍が発生して集団訴訟が起きるかもしれません。
健康影響が確定的になっていない時点で、国がどういう判断を下して、どのような政策的な対応をしていくべきか、個々人がいかに対処していけばよいのか、といったリスクのとらえ方の話をしたいと思います。
◆各国でバラバラな規制値
携帯電話の電磁波の人体的影響を調べる実験や研究がいろいろなレベルで行なわれています。大まかに言って三つのレベルの研究があります。それは、「分子・細胞レベルの研究」と、動物の個体でどういうことが起こってくるかを見る「動物実験レベルの研究」と、「疫学」、すなわち人間の集団の中での疾病の発症率を統計的に見る研究、の三つです。
しかし、実はどの研究においても、決定的な結論は出ていません。ただし、「どうもこれは気になるな」「この先この路線で研究していったら何か出てくるのではないか」と感じさせる研究はたくさんあります。
表1のように、人体に限らない、いろいろな細胞や動物個体を使って生物への影響が調べられています。しかし、それが人間の体に即、悪い健康影響をもたらすとは断定できない、そういうレベルのものがほとんどでしょう。
携帯電話については、いま少し示したような気になるデータがいろいろ出てきていますので、どう規制したらいいのかを考えなければなりません。電波は、もちろん携帯電話以外でも利用してきた長い歴史があります。ですから、電波を含む電磁波全般を、各国ではなんらかの規制値を設けて規制をしています。
ところが放射線と違って、どの強さまでなら被曝しても安全かという規制値が国によってバラバラです。表2は高周波、すなわちマイクロ波を含む周波数帯での規制値を示すものですが、最も厳しいところでは、0.001μW/cm2のような値を定めています。ところが、日本を見ますと600~1000μW/cm2と書かれています。
これは、日本で電波を管轄している総務省の「電波防護指針」の中にある計算式に基づいて導き出された値です。日本は、国際非電離放射線防護委員会(ICNRIP)が定めたガイドラインにほぼ準拠した規制値を採用しているわけですが、例えばザルツブルク市と比べると、10万倍近く緩やかな規制になっているのです。
なぜ電磁波の規制が国によってこれだけばらつきがあるのか。一言で言えばその国が「予防的対応」をとるかどうかの違いなのです。電波で人体に影響が起こる可能性を考慮して厳しく規制している国と、そうでない国とで大きく分かれるのです。
現実にこういう数字を見て、では日本の中でいったいどれぐらい電波が強いのか、と思われるかもしれません。イタリアの基準値である10μW/cm2と比べてみましょう。
市民科学研究室では様々な場所で電磁波の計測をしていますが、3年前にほぼ1年かけて、東京タワーの周辺を歩き回って255地点で計測をしました。
その結果を論文にして公表し(「東京タワー周辺地域における送信電波の電力束密度測定」『EMC電磁環境工学情報』No.168,40-59,2002年4月)、新聞にも取り上げられたデータを紹介します。
東京タワーの半径400メートル以内の地域で電波の通りが良い場所の中には、10μW/cm2を超える地点が十数カ所ありました。
ということは、もし東京タワーがイタリアに立っていれば、その周囲400メートルぐらいは人の生活圏であってはいけないことを意味します。
それだけ強い電波が身の回りに存在しているのです。あとで述べますが、携帯電話の電磁波はそれよりもさらに強いのです。
◆増加する環境中の電磁波
電磁波を発生させる物の利用頻度は、現在どんどん拡大しており、空間中に存在するいろいろな周波数帯の電磁波の濃度・密度は、非常に高くなっています。ある計算によりますと、電波が利用される以前、要するに自然界に存在する電磁界が地磁気くらいだった頃と比べて、現代における電磁波の密度はおよそ1万倍になっているという話があります。そういう環境の中で人間が長く生活を送っていくと、どういう影響が出てくるのか。現代の状況は、いわば人類全員で大きな人体実験をしていると言ってもおかしくないでしょう。
電波だけではありません。家電製品にも、電磁波をたくさん出す機器が多くあります。典型的な例は電磁調理器(IHクッキングヒーター)です。これは最近、東京電力をはじめとする電力会社が唱える「オール電化」の目玉商品です。火を使わない、クリーンなイメージが売りの調理器です。いま私たちはそれを半年ほどかけて研究していますが、家電製品の中では飛び抜けて高い電磁波を出しています。家庭で料理する人が、そういうものを1日1時間なり2時間なり浴びているのです。学校給食の調理室やレストランでは、大型の業務用IHクッキングヒーターが導入され始めています。それは家庭用と比べて10倍ぐらい強い電磁波が出ます。
また、多くの人が利用する図書館やレンタルショップなどには必ずといっていいほど盗難防止ゲートがあります。その盗難防止ゲートから出ている電磁波も、低周波磁場ですが、非常に強いものです。利用者は確かに瞬間的に通り抜けるだけですが、近くにいる職員の方は恒常的に10~20ミリガウス程度被曝しているわけです。
そんな環境の中でクローズアップされるのが、「電磁波過敏症」と言われる人たちの存在です。数としては相当少なく、ひょっとしたら日本全国で1万人にも満たないかもしれませんが、いるのは確かです。そういう人は、たとえば蛍光灯のあるところに来ると息が苦しくなって、そこにいられなくなります。つまりいまの日本の環境ではほとんど外に出られない状態になってしまっています。ごく少数ながらもそういう人たちの存在を、社会全体のリスクの問題としてどう捉え、どう受け止めていくべきかという難しい問題が浮かび上がってきます。
◆携帯電話という技術を考える10の視点
ここで携帯電話がからんだ社会問題を10項目で整理してみましょう。
1:産業の成長や大きな経済効果。携帯電話市場はもうすぐ10兆円になろうとしています。
2:通信や情報収集等の利便性が格段に向上すること。
3:福祉面に活用しようと狙っている人がたくさんいること。すなわち、それによってコミュニケーションの面でいろいろなバリアフリーを達成することができるのではないか。災害時に利用したり、GPS機能付きの携帯電話を使って徘徊するお年寄りの位置を特定したりすることなどに使われています。
4:公共性との兼ね合いにおいて様々な問題が浮上すること。電車の中で携帯電話で話している人が迷惑だと感じる人は多いはずです。携帯電話というのは公共的空間で使われることによって、自分の周りの空間を一瞬にして私物化してしまう機能を持っていますから、それについて、私たちはいったいどういうルールを定めていったらいいのかが問われます。また、町中から公衆電話などの固定電話がどんどん減り、携帯電話を持たない人には大変不便な時代になっています。
5:犯罪や事故、安全に関わること。とりわけ重要なのは、携帯電話以外の電子機器に悪影響を及ぼすことです。一番よく知られているのは心臓ペースメーカーに影響を与えることです。それ以外にもいろいろな医療機器に障害を与えることがあるので、病院内ではいままで携帯電話は使用が禁止されていました。ところが、患者さん同士、あるいは患者さんと家族が、コミュニケーションを簡単にとれるようにと、病院内でも携帯電話を解禁するところが出てきています。
6:通話料が高くて家計を圧迫すること。子どもが親に毎月1、2万円と負担させている家庭も珍しくありません。あるいは通話料を稼ぐためにアルバイトをするなど、生活そのものが振り回されている人も少なくありません。
7:今回の主な話題である、電磁波の人体の健康への影響の問題。
8:廃棄物という環境負荷の問題。いま日本人はだいたい平均して1年半~2年で携帯電話を買い換えています。メーカーのデータによると回収率が23%ほどだといいますから、一日に約3万~4万台がそのまま捨てられている計算になります。携帯電話の部品に含まれる有害な重金属による環境汚染などが大きな問題になってきています。
9:若者の依存症の問題。携帯電話を使い始めるとそのあまりの便利さに夢中になり四六時中使い続ける、つまり依存症になってしまう面があります。特に若い人に顕著で、私が知っている限り、中学生・高校生で携帯電話を持っている人は、本当に手放せないようです。私は何人かの中学生にインタビューをしたことがあります。そのときにわかった事実は、通話もそれなりに多いのですが、特に多いのはメールです。一番メールの数が多い女の子は1日400通。つまり、朝起きて「おはよう」からメールが始まって、食べているときとお風呂に入っているときと寝ているとき以外はほとんどメールをしている状態です。そういうことが当たり前になり、メールが大きな比重を占めるコミュニケーションがこの社会に厳然と存在しているわけです。その中で育ってくる若い人たちが大人になったらどうなるのだろうか。これは社会的に大きな問題でしょう。
10:住民不在で建設の決定がなされてしまう基地局の問題。携帯電話は、携帯基地局がないと使用できません。携帯基地は、いま日本全国で98,930局(2005年度9月末時点)、東京だけでおそらく1万局ほどあります。それを誰がどうやって建設しているか。建ってほしくない建物が自宅の目の前にいきなり建った。気づいてみたら携帯電話の基地局だった。「あんなものが、目の前でずっと電波を出していると思ったら気持ちが悪い。だからやめてくれ」と思っても、住民の意思が反映されるシステムになっていません。現行の法律では、その土地を提供したマンション等の所有者と、NTTドコモのような携帯電話事業者の二者の契約だけで建てることができるのです。そのために、周辺住民とのトラブルが日本の中で百数十件起こっています。
以上のように、携帯電話の問題は非常に多面的です。これは社会学的に見ても、医学的に見ても、心理学的に見ても、大変奥深いテーマだと言えるでしょう。私は、携帯電話は、20世紀末に生まれて爆発的に普及した最も典型的な技術革新だと思います。それをどう活かしていくか。「ユビキタス社会」の中核を担う技術であるからこそ、ここで述べたようないろいろな側面のリスクをいまからきちんと考えておかなければいけないだろうと思っています。
◆携帯電話の電磁波はどれくらい強いのか
電磁波には、低周波(家電製品や高圧送電線で使っている50Hz ・60Hzの商用周波数の超低周波を含む)と高周波(いわゆる電波を含む)があります。携帯電話は電波を使っているので高周波に属します。
低周波で問題になるのは磁場です。家電製品から発生するのはたとえば東京では50Hz(ヘルツ)の周波数の磁場と電場です。けれども、携帯電話はそれとは違い、使用する周波数はもっと高いのです。800MHz(メガヘルツ)、1.5GHz(ギガヘルツ)、あるいは第三世代携帯になりますと2.1GHzあたりの周波数を使っています。これらはマイクロ波と呼ばれる周波数帯に相当します。マイクロ波には物を加熱する性質があります。電子レンジはそのマイクロ波の加熱の力を使って調理するわけですが、周波数は2.45GHzです。
携帯電話の電磁波にも加熱作用があります。ですから、いま携帯電話の電磁波は、その加熱作用に基づいた規制値によって規制されています。それはSAR値(Specific Absorption Rate)と呼ばれています。「比吸収率」というのですが、身体の単位重量あたりの組織に与える熱量のことです。しかし熱効果以外に、熱効果をもたらさないレベル、つまり非常に弱いレベルのマイクロ波によっていろいろな影響が出るという実験結果がたくさんあります。
ですから、熱効果・非熱効果の二つがあると考えた場合、非熱効果もあるのなら、そちらも考慮して規制値をつくっていかなければいけないのではないかと考えられますが、現状は、ICNIRPも熱効果に基づいた規制しかしていません。非熱効果はクロという結果もあればシロという結果もあり、確定的なものがまだ見えていないからです。
携帯電話がつながる仕組みは簡単です。基地局があって、そこと常時通信をしているわけです。携帯でメールを打っているときは電波を全然出していないのではないかと思っている人もいますが、携帯電話は電源を切らない限り、数秒から数十秒ぐらいの非常に短い時間間隔で、基地局とやりとりをしています。位置確認をするために一番近い基地局はどこかを常に探っているわけです。電源を切らない限り必ず電波を発しているのです。
もう一つ、知っておいて欲しいことがあります。例えば電車の中で携帯電話を使うとします。電車の中は閉じ込められた空間です。ガラスの窓があるから電波が問題なく通るのですが、もし全部金属だったらほとんど通りません。すると、より強い電波を出して基地局を探そうとします。そういう意味で携帯はとても賢く、つながりにくさに応じて電波が強くなるのです。ですから、電波のつながりにくいところで携帯電話をかけようとすると、それだけ強い電磁波を被曝するわけです。
さらに、車内の携帯電話の使用に関して別の話をすると、例えば、一つの車両の中で、30人が同時にメールを送信したり通話したりするとします。そうすると、金属部分で反射が起こり、それが増幅し合って、電車内の電磁波の全体的な強さはかなり上がります。それはエレベータのような金属で閉じ込められたスペースで実験すればすぐわかることです。ですから、私たちが携帯電話の規制値を考えるときに、携帯電話そのものだけではなく、それを使用する場所の影響も考慮すべきなのです。
マイクロ波を使うという点で同じである電子レンジと比べてみましょう。電子レンジがオンになってジーッと熱せられているときに、身体をあえてその筐体に近づける人はたぶんいないと思います。何となく気になるので身体を離すでしょう。では、測ってみたらどうなるか? 高周波を測るメーターを持ち、電子レンジをオンにして、レンジの筐体の外壁部分で漏洩している電磁波の強さを測ると、50~200μW/cm2ほどになります。では、携帯電話はいくらなのかといいますと、機種によってばらつきが大きいのですが、携帯電話にメーターを密着させて測ると、数十から、高いものは300μW/cm2ほどにもなります。おおまかに言うと、使用中の電子レンジに耳に当てるよりも強いことが多いのです。
だから危ない、と私は言いたいのではなくて、それぐらいの強さだと知っておく必要があるということを言いたいのです。
携帯電話は皆が持っているし、それが電波を出していることも誰もが知っているけれど、どれぐらいの強さなのか、ほかのものと比べて考えることさえなされていない。それは大きな落とし穴と言えるのではないでしょうか。
電波は、本来はきちんと管理されて免許をもらった人だけが使うという「電波法」の規定があります。ところが携帯電話だけは例外で、携帯電話会社が1個1個の携帯電話を契約・購入者に販売する段階で、代行者として電波を使用する免許を一括して受けているわけです。そういう形になっているので、いままでとはだいぶ違う電波の使い方を社会として容認したことになったわけです。そういう場合、電波のリスクというものをこの状況の変化に応じて新しく考え直さなくてはいけないと思うのですが、そこがうまくいっていない。どう考えたらいいかが見えていないのです。
◆人体への影響でわかってきたこと
携帯電話電磁波の被曝の特徴をまとめてみます。
一つ目は、マイクロ波の特徴は、「ホットスポット」ができることです。例えば耳に当てて使っている場合に、頭部のある箇所にエネルギーが集中するという具合になるのです。
二つ目は、使っている電波はデジタル波だということ。これは人工的につくった波なので、自然界には存在しません。デジタルだから1と0でつくられる波です。それが生物や人体にどういう影響を及ぼすかは研究されていますが、はっきりしたことはわかっていません。
三点目は、携帯電話は高周波を使っているのですが、電波に情報を乗せるために「変調」を行ないます。変調をさせるために低周波を混ぜています。その低周波の被曝も考慮しなければなりません。
四点目、携帯電話が普及してマイクロ波を人体が浴び続けるという経験は、人類にとっていまだかつてない、初めての経験です。もちろん、過去にもレーダーなどでは電波を使っていました。実は電磁波の問題はレーダーから出発しています。昔、レーダーを使うような環境にあった軍人や技術者たちの身体に障害が出るということから、これはやはり何か影響があるのではないかということで研究がスタートしました。それは特殊な限られた人たちにしか起こらなかったわけですが、いまは携帯電話で非常にたくさんの人が頻繁にマイクロ波を使うようになっています。
長期的に使った場合にどういう影響が出るかはいまの時点で確かなことは言えません。もしリスクがあるとするならば、タバコと同じことが起こって、若年層などは、使用している期間が長ければ長いほど、あとから影響が出てくる可能性があるかもしれません。
容易に想像できますが、脳の近傍で使用するので、影響は脳に集中しやすいと考えられています。一番言われているのは脳腫瘍です。また、脳血液関門という、脳に悪影響を及ぼす物質をさえぎるためのフィルターが破壊され、漏れてきてはいけないアルブミン(蛋白質の1種)が漏洩する、といった実験がいくつかあります。
日本人の医師たちが見出した興味深い事実として、アトピー性皮膚炎の患者さんが携帯電話の電磁波を浴びると皮膚のアレルギー反応が有意に増加すること(大阪府枚方病院の木俣肇医師)、携帯電話電磁波を30秒間浴びた場合に一時的に脳の血流量がかなり大きく低下すること(神戸市「小川クリニック」の小川良一医師)、携帯電話より低い周波数ですが16Hz ~1MHz の電磁波をタイミングを知らせずに浴びさせた場合に血流量の大きな減少が、特に電磁波過敏症気味の人に顕著に現れること(坂部貢・北里大学教授)があります。これらは、身体にすぐ出る反応が観察されたという点で注目に値すると思います。
また、子どもの身体はだいたい1歳ぐらいまでで大部分は完成しますが、脳が完成するのはそれよりもずっと後で中学生くらいまでかかります。もし電磁波が神経細胞への何らかのダメージを与えるならば、神経系の形成期に携帯電話を頻繁に使うようなことがあったとしたら、そのダメージは大人の場合よりもより大きいのではないかと予想されます。
また最近指摘されて気になるのが、眼への影響です。イスラエルの研究者が、1歳の牡牛の眼の水晶体を取り出し、2mW(ミリワット)で1.1GHzのマイクロ波を、50分曝露させて10分休む形で24時間浴びさせることを2週間続けたのですが、水晶体の表面に小さな泡粒のようなものが発生し消えることがなかった、というのです。蓄積性のものである点が気がかりで、携帯電話の長年の使用は白内障をもたらすのかもしれません。
◆SAR値にみる規制のばらつき
現在唯一の規制値と言えるSAR値はどうなっているのでしょうか。日本、米国、スウェーデン、中国を比べると、日本のSAR値が一番規制が緩くなっています(表3)。米国が日本に近いようにみえますが、日本の規制値は頭部モデル(ファントム ヘッド)で測定し、頭部の組織10gに6分間あて、吸収されるエネルギー量の平均値を採用するため、組織1gに6分間あてた吸収量の局所ピーク(最高値)を採用する米国と比べて、じつは数倍緩くなるのです。私が思うに、SAR値でこれだけばらつきがあるのも変な話です。当然これは国際的に統一した基準があって然るべきでしょう。
携帯電話を購入した時にSAR値まで確認する方は少ないかもしれませんが、それは4年前から公開しなければいけないことになりましたので、携帯電話会社のホームページなどで確認することができます。購入時の仕様書にちょこっと書いてあるかもしれません。そういうものを比較して、SAR値の低いものを使っていこうと呼びかけている人たちもいます。
ドイツのNPOの人と話をしたとき、現在の技術では、0.6W/kgを超えるSAR値の携帯電話をつくらなくて済む、いまの携帯電話の機能を全部持たせたとしても、2W/kgなんて高すぎる、0.6W/kgで十分だと言っていました。おそらくこの見直しの動きは今後起こってくるのではないかなと思っています。
◆電磁波リスクはなぜ確定しにくいのか
肝心の携帯電話電磁波のリスクですが、じつはそれは非常に確定しにくいものなのです。
まず、電磁波全般に言えることですが、放射線と比べた場合、特殊な環境を除いてエネルギーレベルが何桁も低いので、人体影響もすぐには出てきません。その一方で、放射線とは逆に、携帯電話の電磁波は非常に長期間にわたって浴びる、あるいは頻繁に浴びるということが起こります。ですから、すごく弱いけれど長期間頻繁に被爆することをどう考えたらいいかということが問題になります。
それからややこしいことに、放射線でしたら、数種類の放射線をいっぺんに浴びる環境は考えにくいのですが、電磁波の場合は、周波数の異なるものが混在していますから、特定の周波数の影響だけを調べてもわからないこともあります。
では、そのリスクをどう見たらいいか。いま、世の中でどのような見方が出てきているかを少し紹介します。
一つは、被害の程度と規模、被害を受ける時間と回復可能性という、リスクに関わるいろいろなファクターがあります。それからもう一つは、確実性、不確実性の度合いも考えなくてはいけない。現時点で予防的な手立ての打てるもの、打てないもの、あるいはそれにどれぐらいお金をかけていいか、悪いか、という問題があります。本来、それら全部を考え合わせて合理的な対応をしていかなくてはいけないわけですから、非常に話は複雑になります。
現時点で、化学物質にしろ放射線にしろ、いろいろな規制の仕方が定まっています。国際的にみると、予防的な対応をかなり本格的に講じているところもあれば、そうではないところもあります。それらを見比べて、いったい私たちはいまの時点でどういう考え方を採用するかを考えなくてはなりません。
1960~70年代から、公害問題ということで環境の問題がクローズアップされてきて、いよいよ駄目になってきたなと思える論理があります。それは「わからないから有害であるとは言えない。したがって安全と見なす」という考え方です。
つまり不明なものを安全にすり替える論理です。これがずっと尾を引いて、今でも私たちの政策的な判断の仕方の一つであると思います。因果関係が完全に立証できない限り「シロ」だ、という考え方です。しかし、さすがにもうそれは通用しなくなってきているのではないか。「予防原則」という考え方が広まり、ヨーロッパで新しい政策や新しい枠組づくりが出てきています。
それから、安全性を立証するのは被害を受けた側ではなく、商品をつくって、その技術を普及させようとする側が「これを使って大丈夫ですよ」と安全性の保証を自らしていかなくてはならない流れになってきています。
この二点をふまえて、リスクの問題を見ていくべきだろうと思います。ただ、この電磁波リスクの問題はとりわけ不確実さがつきまとう。その理由はいくつかあります。
一つは、確かに疫学でデータを示すことがありますが、電磁波に関する調査の場合、ほかの健康影響因子の介在を排除するのが大変難しいのです。電波の影響で身体がこうなったのだと決定するためには、ほかの発がん性物質だとか、化学物質だとか、放射線の影響とか、電波以外の因子の影響を全て取り除いたデータが必要ですが、そんな調査をすることは現実には不可能です。簡単に言ってしまうとそういうことです。
それから、もう一つややこしいことに、私たちが曝露しているすべての電磁波の量を正確に知ることそのものが難しい。考えてみましょう。電波を毎日浴びています。携帯も使っています。家の中にいて家電製品から電磁波も浴びています。そういう中で体の具合が悪くなったとして、「あなたは、これぐらいの量をいつもこうやって浴びていて、トータルこれぐらいですから影響が出たのですよ」ともし言おうとするなら、正確に全部測っていかなければいけないわけですが、全部フォローできるかというと、ほとんど不可能です。
動物実験や細胞実験は、もともと限界を抱えています。動物で言えたことが人間でも同様に言えるかというと、当然そうではない例がたくさんあるという原理的な問題があります。
それから、これも複雑な事情ですが、体の中にいろいろな意味で電気作用があります。例えば神経細胞は、電気の伝達によって機能しています。それ以外にもいろいろなところで電気的な作用が身体の中にあります。ですから、私たちが電磁波を浴びた場合、それが身体のいろいろなところを少しずつかき乱しているとは思うのですが、いろいろなものが絡んできているので、ある一カ所に働いて、ある決まった病気が起こると特定できる説明の仕方はなかなかしにくいという問題も抱えています。
それから、社会的な問題があります。たとえリスクが多少あったとしても、これだけ電気を使う生活になってきたから、もう電気なしの生活には戻れません。そういう事情がある限り、やはりメリット(ベネフィット)とデメリット(リスク)を天秤にかけてみた場合、電気や電波を使うことによるメリットが非常に大きいと予測できるので、ある程度のリスクには目をつぶろうではないか、と考えてしまうわけです。
そういう中で、リスクをどう考えていったらいいか、大変難しいことです。ただ、いままで私はそのリスクを「シロ」なり「クロ」なりで言い表してきました。ところが、そんな単純な捉え方ではうまくいかないよ、という考え方が出てきているのも事実です。そのことをあとで少しだけ紹介します。
いろいろ詳しく調べてみると、たいていの人が「影響がある」と合意するだろうレベルの人体的影響が見えてくる報告もあります。先ほど言いました低周波磁場での小児白血病の率がちょっと上がる例などがそれにあたります。これは、10カ国ぐらいでほぼ似た発症率になるということは、メカニズムはわからないけれども、おそらく「ほぼ間違いなく影響があるとみなしてよい」ということになると思います。
それから、いまヨーロッパで「インターフォン研究」という、携帯電話の脳腫瘍についてだけ調べる疫学研究がされていまして、その中のスウェーデンの研究では、10年以上携帯電話を使っている人に良性の神経鞘腫(聴覚細胞の良性のがん)ができる確率が2.6倍ぐらいに上がるだろうという結果が出てきています。そういう結果が、もし小児白血病の疫学研究と同じように2件、3件……と共通に出てきた場合、ほぼ確定した事実と認められていくことになります。
でも、たかだか発症率が2倍とか2.6倍とか、そんなものです。小児白血病はかなり稀な病気です。いま日本に10万人の子どもがいたら、小児白血病になるのはそのうち3~5人です。そうすると、「0. 4マイクロテスラ(4ミリガウス)の磁界が日本の小児白血病患者の発症リスクを2倍にしている」として試算してみると、毎年全国で電磁波が原因で小児白血病を発症しているのは2、3例ということになります。たかだか2、3例だと聞いて、そのために、いま日本じゅうに張りめぐらされている高圧線を、人の住んでいる家の近くから撤去したり、高圧線のもとに住んでいる人に移転してもらったりするといった膨大な金がかかる措置をこの国はするでしょうか。科学的なデータの蓄積はこれからも進み、今後明らかになっていく部分も少なからずあるとは思いますが、電磁波による劇的なリスクが報告されない場合はどう対応するのかという問題は残ります。
◆リスク評価の新たな枠組み
リスク評価の枠組みを変えていこうという試みもあります。それは、いままでのような人体影響「あり」「なし」という大雑把な分類ではなく、もっときめ細かい評価をしようという試みです。スイス政府が提案した「不確定な健康リスクに対する予防原則の適用分類モデル」(表4)では、「確証された」「可能性が高い」「可能性がある」「可能性が低い」「可能性がない」という分け方をしていて、そういうものを手がかりにして基準を定めていく流れがあります。
それから、同様の分類をドイツのNPO「エコログ研究所」が行なったものがあります。2005年に市民科学研究室が翻訳編集した『携帯通信と健康 2000年~2005年』にその分類表が載っています。国を代表する機関や委員会、例えば英国では「放射線防護委員会(NRPB)」もその一つですが、そういう世界各国の機関が携帯電話の人体影響に関する研究論文を集め、それをレビューしているのです。そこで、エコログ研究所は各国で出されたそれらの報告書(取り上げている報告書は21種類)の結論を一覧できるよう整理し、表を作成しています。「熱効果の閾値未満の強度に関して、科学的にどう認識されているか」として、例えば「発がん性、脳血液関門、ホルモン系……」といった異変の部位や性質別に、次の6段階に危険度を分けています。++や+が多いほど、「より多くの報告書で共通にそのリスクが高いと認識されている」という具合になるわけです。なお、その表に日本は入っていません。日本はこうした総合的なレビューをして独自の判断を示す作業はしていないからです。
++ 高い確率で影響が生じる/影響があるという強い指摘がある
+ 影響がおきる可能性あり/影響があるという指摘がある
± 影響があるかは判断できない/科学的調査結果に矛盾あり、あるいは説得力に欠ける
– 影響はおそらくない/影響があるという指摘はない
— 影響なし/科学的調査結果は一義的に効果がないとしている
0 影響に関する言及なし
それから、先ほど言いました予防原則に関しては、最近翻訳された『レイト レッスンズ──14の事例から学ぶ予防原則』(七つ森書館、2005年、原題Late lessons from early warnings : the precautionary principle 1896-2000)という本があります。これはEUの環境委員会が出した報告書で、1896~2000年に起こった、例えばアスベスト被害などを含む14の事例について、予防原則という観点から見て、どういう警告がなされたのにそれが実行されなかったとか、どういう警告をこの時期に出すべきであったのに出さなかったといったことを分析した報告書です。その結論部分に(邦訳書350ページ)、非常に面白いことが書かれています。そこでは「Risk(リスク)」「Uncertainty(不確実性)」「Ignorance(無知)」に分けているのですが、事例を挙げて、次のような観点で分類しています。
「影響(Impacts)について知られている(Known)けれど、どういう場合に起こるか(Probabilities)ということについても知られている(Known)」。
つまり、影響についても起こりうることについても知られている場合は「リスク(Risk)」と呼ぼう、ということです。
そして「影響について知られているけれども、どうして起こるかはわからなかった(Unknown)」ことに関しては、「不確実(Uncertainty)」と呼ぼう。
さらに両方についてわからない場合は「知らない、わかっていない(Ignorance)」と呼ぼう
と分けて、それぞれの事例がどの分類に当てはまるかを見ています。そうすると、それに対応する予防策をどのレベルで出していったらいいかが見えてくるのではないか、と指摘しています。
こういうことを学びながら、私たちも電磁波問題でどういうリスク評価の枠組を出していったらいいのか、考案したいと思っています。
◆電磁波規制のための国際機関の役割
予防原則に立った適正な規制はいかにして可能でしょうか。適正な規制をしていくためには、いまの規制をつくる体制がどうなっているかを若干知っておく必要があります。まず、国際機関が絡んできます。一つはWHOで、WHOの中に「電磁波プロジェクト」があります。立ち上げられたのが1996年で、今年2006年で10年目を迎えて打ち切りになります。10年仕事をして、高周波についても低周波についても、世界的に勧告をするための「環境健康クライテリア」(クライテリア=判断基準)を出すことを使命にしています。
じつはつい最近、低周波に関するクライテリアの原案がそこから出てきました(2006年1月12日「読売新聞」第1面参照)。出版は2006年秋ごろになると言われています。携帯電話に関しては高周波なので、クライテリアの原案の発表は、おそらくもう少し後になると思います。もちろんクライテリアは基準値ではありません。現在の科学的事実ではリスクはこう考えられるとか、予防的な対応や対策はこうとるべきだという指針です。そういう指針について世界中の学者が話し合って、勧告という形で出すのがクライテリアであり、その意味では大きな影響力を持ちます。
もう一つ、国際がん研究所(IRAC)では、発がん性物質全般に関するモノグラフをつくっています。5年前に電磁波(低周波磁場)が初めて、「発がん性の可能あり」というランク2Bに分類されました。そのためにきちんとした科学的証拠を示して、発がん性物質に関する分類をしています。そういう仕事をしている機関ですから、IRACの類型は、がんに関わる現場には必ず反映される形になっています。
それからもう一つ、一番影響力が大きいのは先ほどのICNRIPです。ここがガイドライン、規制値をつくります。
この三者の関係はどうなっているのか。IARCはWHOの下にある研究機関ですが、一応独立していて、がんに関する見解を出します。WHOはそれを取り込んでクライテリアをつくります。ICNRIPはそのクライテリアを参考にしながら、もっと詳しい科学的証拠を集めて、現段階で定めることのできる規制値、つまり何μWまでは大丈夫といった数字を決める仕事をしています。ただし、この規制値は絶対的な拘束力を持ちません。あくまでガイドラインです。これができたからといって、各国が採用しなくてはいけないわけではないのです。
では、こういう国際機関の活動を受けて各国はどのように規制政策をつくっているのか。各国の規制にはいろいろなレベルがあります。一つは省庁のレベルで、担当部署が法律という形で規制することがあります。それから、諮問委員会(アドバイザリー・コミッティやアドバイザリー・ボード)がつくられて、権威あるとみなされている専門家の判断がまとめられ、勧告という形で出される場合もあります。あるいは、その諮問委員会の意見が議会に持ち込まれ、法律をつくる段階で参照され、活かされることもあります。それから、電磁波の問題には、業界団体、例えば家電製品をつくっている団体などいろいろなところが関わっていますが、そういう団体が独自に設けている基準があります。特に漏洩する電磁波や電波で電子機器などが障害を起こしたり誤作動したりしないように、かなりきめ細かく空間中の電磁波の規制を行なっています。そして、自治体による条例で規制する場合もあります。
◆日本での規制体制の問題点
では、日本はどうなっているかというと、先ほど言いましたように、総務省一省が全部やっていることになります。総務省は二種類の規制値体系を持っており、一つは先ほど言いましたSAR値です。それから「電波防護指針」というのをつくって、電波の規制を行なっています。その電波の規制は、ICNRIPのガイドラインにほぼ準拠する形になっています。低周波磁場に関する規制値はありません。
では、先ほど言いました国際機関との関係はどうなるかといいますと、WHOのメンバーの中に日本の学者も入っていますから、そのクライテリアを参考にするべき立場にあります。ただWHOのクライテリアは、予防原則をわりあい強く打ち出してはいるけれど、具体的にどう規制すべきであるという指示はしないなど、かなりあいまいなところがあります。だから日本の場合、WHOの勧告をそっくりそのままというよりも、私の目から見ると、自分たちの現行のやり方に都合のいいところだけを上手に取り入れている印象が強いです。
日本には、独自の調査体制も確かに存在します。総務省が組織した「生体電磁環境推進委員会」がそれです。しかしここのメンバーは、じつは3分の1が業界団体の人です。残り3分の1は医学関係の人、残り3分の1は工学関係、電波関係の人です。
そのような20人程のメンバーで構成された委員会です。
1999年から研究論文を三つ出していますが、三つとも「携帯電話に関しては、こういう実験をしてみたが影響はなかった」という論文です。新聞はプレスリリースを受けてその結論をパッと出します。でも、その論文をよく読んでみると、批判すべき点がいくつかあります。
細かい話は省略しますが、私が一番言いたいのは、都合のいい論文しか引用されていないということです。それとほぼ反対の結論を示す、似たような実験をした論文もあるでしょう、と言いたいけれど、それには言及していません。引用している論文も大変少ないです。限られた条件で実験をしていることを公表してはいるのですが、新聞に取り上げられるときはその条件には詳しくふれられず、「携帯電話による影響はなし」という飛躍した言い方になってしまうことが多いので、その点は注意してほしいと思います。
国の機関が、そのようなお墨付き的な論文を出したときに、それをもっと批判的に解読しなくてはいけないと思うのですが、その辺がすっ飛んで、言ってみればプレスリリースされた部分だけで判断していることが結構あると思います。確かに内容は専門的で解読するのは難しいとは思いますが、そのような際、私たちのような専門NPOなどに相談して、意見を交換するぐらいのことをしてもいいのではないかと思います。
日本の体制で言い落としてはならないのは、携帯電話や電波の人体影響を研究をする層がかなり薄いということです。適正な人選で科学諮問委員会をつくって、そこの答申を受けてきちんと日本独自に規制を定めていく試みはいままでなされていません。どうしてそれがなされないかを考えなくてはいけません。
それに関わることで一つ典型的なことを言います。先ほど私は電波行政を取り仕切っているのは総務省だと言いました。総務省は旧郵政省です。電波だからそうなのですが、いま私が話題にしているいろいろな電磁波の人体影響は、本来でしたら厚生労働省あるいは環境省が関わって然るべきです。ところが、実際は一切関わっていません。
人体影響に関わることも全部総務省が取り仕切っている。これはヨーロッパの国々と比べた場合、かなり特殊な状況といえます。
これは放射線に関しても同じことがいえます。環境基本法の体系で環境中に存在する有害なものを全部扱える形になっていると思われがちですが、放射線は原子力なので、原子力基本法の方に委ねられているのです。
この体制の問題は非常に重要です。このことに絡んで、私には不可解で納得のいかない”事件”があります。先ほど私は高圧線のもとで小児白血病の率が上がると言いました。それは国際的にもある程度認知されています。その研究の一環として、日本が行なった研究があります。それは、国立環境研究所の兜真徳さんたちが中心になって3年ぐらいかけて行なった疫学研究です。日本でなされた疫学的研究では最も規模が大きいものの一つで、7億円をかけています。
その結果、発症率が少し上がるという、ほかの国と似た結果が出ました。そのお金を出していたのは文部科学省です。文部科学省が10人ぐらいから成る評価委員会をつくって、兜先生たちの研究を最終的に評価させました。そうしたら、その評価はどの項目についても全部「C」でした。「C」というのは最低ランクという意味で、その結果、その研究の継続は打ち切られることになりました。
理由はいろいろ述べられているのですが、私の目から見たら、とてもじゃないけれども、疫学の知識がある人が下したとは思えない判断です。
国際的に見ても高く評価されそうな非常に精密なデータのとり方をしており、他の国の研究結果とも食い違わないような結果が出ている研究を、なぜ葬り去れるのか、不思議でしかたがありません。 新聞記事の扱いは非常に小さくて「文部科学省の結果はCになりました」としか出ていません。国際的に見たら、これはセンセーショナルと言ったら言い過ぎかもしれませんが、おかしな評価の仕方です。そういうものが出てくるのは何か政治的な背景があるのかな、と勘繰りたくなるわけです。
◆子どもと携帯電話
では、これまで述べてきたことを受けて何をなすべきかを考えてみましょう。
携帯電話を実際に使っている人たちはたくさんいます。実際にどう使われているかという調査ぐらいはしてもいいのではないかなと思います。私たちは以前1,300人の方に携帯電話の使用に関してかなり細かいアンケートをとったことがあります。何時間使っているか、メールは何通か、使ったときに身体に自覚される兆候はどうか、といったことを含めて20項目ほど調べたのですが、それだけでも結構面白いことが見えてきました。 市民科学研究室のホームページの「電磁波プロジェクト」のページで、調査結果を公開しています(『どよう便り』第68号「携帯電話電磁波リスク助成研究報告」2003年8月参照)。
もちろん疫学調査ではないので、そこから健康影響の結論を導くのは無理です。けれども、数を増やしていけば、効果的な疫学調査の設計に役立つデータになるのではないかなという気がしています。本来は国とか自治体、あるいは携帯電話事業者が主体となって、現実にどう使われているかをもっときめ細かく調べてみてもいいのではないでしょうか。
子どもが使うことに関しては、明らかに規制が手遅れというか、手薄です。
英国の保健省は「携帯電話と健康」というリーフレットをつくり配布しています。その中で、現在までになされた人体影響の研究に言及しています。「まだ有害性が明確に示されたわけではないが、それを示唆するデータもある」といった言い方で、中立的な立場から書かれています。2000年に出た有名な英国の『スチュワート・レポート』では、「16歳以下の子どもは携帯電話の使用をできるだけ控えなさい。通話はやめるように。メールも必要最小限にとどめなさい」という勧告を出していますが、それも引用されています。携帯電話を買えば、こうしたリーフレットが配付されるようになっています。
オーストリアのザルツブルグの運動団体がつくった大人向けのリーフレットもあります。そこには最新の研究結果を紹介しながら携帯電話の使い方について気をつけるべきことが何項目かにわたって書かれています。
子どもに関してはかなり厳しいことが書かれていて、例えばこうです。「非常に大事な通話のときにだけ携帯電話を使いなさい」「長時間の通話は影響がより大きくなるので、しないようにしましょう」「保護者は将来発生する可能性のある携帯電話による健康へのリスクから子どもを守りたいのなら、子どもに携帯電話を使わせるべきではありません」。
そして、「ドイツの放射線防護委員会の長官はこんなふうに言っています」といって、次の言葉を引用しています。
「携帯電話事業者は、住民が持っている不安が解消されない限り、携帯電話に関する住民の信頼性は得られないのだから、もっと住民の批判に耳を傾けなさい」というものです。
先ほどの『スチュワート・レポート』の16歳以下云々の勧告も引用しています。デンマークのガイドラインについても述べています。ということで、各国の事例も引用しながら、携帯電話を使う大人に対して注意を呼びかけているのです。
また、ドイツには、携帯電話の善し悪しについて高校の授業で学ぶための副読本があります。これは大変詳しいものです。私たちが日本語訳をほぼ終えているこの副読本の最後のページにはCDがついています。それは何か。
携帯電話はその中のICチップにタンタル鉱石を使うものがあります。
そのタンタル鉱石はアフリカのコンゴから豊富にとれるのですが、内戦が続くコンゴで、ヨーロッパ市場に流れるタンタル鉱石をめぐって武装した勢力が奪い合うという紛争が起こりました。いまはいろいろな運動グループがその問題をキャンペーンしたのでかなり収まりましたが、それについてのCDです。そういうものも含めて高校生に見せ、「じゃあ、ちょっと考えてみよう」という授業がなされています。
子どもと携帯電話は、いまヨーロッパではかなり大きなテーマで、きちんと規制していこうという流れになってきているように思われます。テレビCMの規制も出てきています。ロシアなどでは、子どもにはもう使わせないように、とはっきり国が言っています。そんな情報はいくらでも入ってくるのに、日本ではなぜ報道されないのでしょう。市民運動としてこの問題をもっと社会に提起しなければなりません。
いま市民科学研究室でこのテーマでの日本語のリーフレットをつくろうとしています。関心のある方にはぜひリーフレットの普及にご協力いただきたいと思います。
◆携帯基地局設置と地域住民
それから、携帯基地局のトラブルがあります。この点についても日本は大変遅れています。エピソードを一つだけ言わせてください。
私たちは、携帯基地局から出る電波の強さがどれぐらいかをちゃんと調べるために、計測企業と協力して、東京都国立市の携帯基地局を全部調べました((財)消費生活研究所の助成金を受けた研究成果報告書『携帯電話ならびに基地局がもたらしている電磁波リスクへの政策的対応に関する研究』2003年4月)。
国立市は周囲3~4キロの小さい都市で、全部で23基の携帯基地局があります。その23基全部についてのデータの公開を総務省などに求めました。
そうしたら、携帯基地局のある種のデータは出てきたのですが、肝心かなめの住所が全部塗りつぶされているのです。
まさか、と思いました。基地局がどこにあるのかは、見ればわかります。でも、どの事業者の基地局かを特定する必要があり、住所で特定できる部分があったので知りたかったのです。しかし、それは黒く塗られていました。
「どうしてですか」というやりとりをして最終的に返ってきた答えの一つは「破壊活動防止のため」というものでした。テロ対策だというのです。「テロが起こって、携帯基地局がつぶされて、通信機能が麻痺してしまったらまずいので、住所は教えません」ということなのですが、本気なのだろうか、と私は思いました。だって、目の前に見えているものの住所をわざわざ調べてテロを起こす人がいるでしょうか。何か別の理由があるのでしょうね。
ずいぶんやりとりをして、情報公開請求もして、最後に裁判に持ち込むか、というところまで行ったのですが、結局手を引きました。
これは、海外の事例と比べると大変恥ずかしい事態だと思います。英国などいくつかの国は基地局のデータを完全に公開しています。
インターネットで自分の地域を開いてクリックすれば、基地局がどこに立っていて、その電波の強さはいくらか、といった基本的なデータが全部知ることができます。日本ではなぜ公開しないのでしょうか。
「皆さんが携帯電話を使うのなら、基地局は絶対要ります。だから、基地局をどこに建てればいいか、皆さんで考えてください。」.こう言われたら、どうしますか。
いまヨーロッパでは、基地局の要不要や、その位置を決めるためのデータ(例えば電波の強さの分布を予測すること)などをNPOの力を借りてでもやるという国や自治体が出てきています。現に私達のような立場のNPOが、ちょっと羨ましい話ですが、自治体からの要請を受けて、自前の計測機器であちこちを測っています。
そして、「もし基地局を立てるのだったら、ここに建てたほうが住民の被曝が減りますよ」というデータを出して、自治体と事業者と住民がそのデータをもとに話し合って基地局を建てる事例が出てきています。そのほうがはるかに賢いやり方で、トラブルが随分と減ります。
これと関連し、イタリアで面白い試みがあります。「ブルバス」と呼ばれる青色をしたバスが、住民のリクエストを受けて、電磁波計測機器を積み込んで全国を走り回るのです。住民が測ってほしいところで止まり、計測をして、データを明らかにして住民に渡すのです。これは税金で行われている試みです。私はそれに似たものを日本で立ち上げることができないかなと思っています。
◆環境問題として適正に位置づける
最後に、提案しておきたいことがあります。
まず電磁波問題を環境問題として位置づけましょう、ということです。
そう考えると、環境中の電磁波のモニタリングがある程度必要になってくると思います。そして、ほかの環境リスクと同様の枠組みをもって対処していくことがこれから要求されてくると思います。日本はどういう立場をとるか、世界中で積み重ねられている科学研究を適正にレビューして、独自の判断を示していきましょうと私は提案したい。少なくとも、すぐできることがあります。
中学生以下の子どもに対する実効力のある使用規制です。それを自治体ごとでも学校ごとでもいいですから、どんどんやっていきましょうと私は呼びかけたい。10年、20年経って影響が出てくると予想されるような問題は、たとえ多少過剰防衛と思えるところがあっても、やれるならやるという対応がいいのではないでしょうか。リスクに対する考え方というのはそうあるべきではないかと思っています。