21世紀にふさわしい経済学を求めて 第8回

投稿者: | 2019年10月8日

連載
21世紀にふさわしい経済学を求めて
第8回

桑垣 豊
(NPO法人市民科学研究室・特任研究員)

PDFはこちら

国債発行増額の是非が大きな議論を呼ぶようになったので、テーマを変更して「金融」について述べたいと思います。

第5章 金融と外国為替市場

5-1 金融市場とは

 金融市場は何のためにあるのか。それは、投資資金調達のためにある。投資と言っても株式投資のような金融投資ではなく、設備投資などの実態経済にかかわる投資の資金を融通するために金融市場がある。

 現代社会を資本主義社会という言い方があるように、工場や公共土木工事のためには巨額の資金が必要になった。当然、自己資金だけでは足りなくて、お金を借りる必要があり、ここに金融市場が生まれた。銀行のような金融機関や、株式市場、債券市場などが次々に生まれ、不足しがちな資金を調達しやすくした。


                            東京証券取引所(撮影は筆者)

 株式を買うだけでは、その資金を実態経済に投資しなければ投資とはならない。株の値上がりに期待する投機にしかならないことがあるからである。しかし、広く資金を集めるために投機目的であっても株式市場に参加させることは、社会全体ではプラスになる。また、投機と投資の区別をつけることはむずかしい。一定の取引がなければ、株価がつかないので、そのためにも投機を排除することはできない。

 ただし、投資資金を集めるという本来の目的が達成できれば、それ以上の株式市場の拡大は必要ない。20世紀終わりごろから始まった株式市場をはじめとする金融市場の規制緩和は、必要のない緩和であった。金融市場を資金を増やす賭博場と考え、「資本主義だから資本家=投資家がもうかるようにしないと、社会がうまく行かない」という理由で規制緩和を推し進めた。ところが、この時期、先進国では2つの理由で資金があまるようになった。

 一つは、必需品需要が満たされつつあったこと。必需品つまり衣食住が一定満たされるようになると、増産や新しい商品(財とサービス)の開発の需要は小さくなる。そうすると投資資金の需要は減る。庶民も経済に余裕ができ預金も集めやすくなる。また、投資額が減ると企業も内部留保(企業の貯蓄)が増えて資金運用の需要も増える。資金提供額が増えて、資金需要が減れば、金利は下がり、資本の価値は減る。

 二つには、生産設備の生産性があがったこと。生産性があがると、同じ生産量をあげるのに、設備投資額が少なくなる。需要の伸びが大きいと、生産性が上がる以上に生産量を増やす必要があるので、設備投資の需要も増えるので、資金需要は増え続ける。しかし、需要は伸びていても生産性の上昇より少なければ、投資資金は少なくてすむ。

 これらは金融市場が市場原理に基づいて、資本家(投資家)の価値を下げ、低金利を常態化させた。この状態を「資本主義の終わり」と呼ぶ人さえいる。それにもかかわらず、投資家がもうけるには、実体経済ではなく、株式や土地、貴金属、絵画などの転売可能な資産の値上がりに期待する投資を増やすことになる。バブル経済である。日本政府は、安定が第一の年金基金でさえ、株式で運用して株価上昇を図ろうとしている。国家的株価操作である。

 社会にとって必要とも思えない金融商品がたくさんでまわった。とりあいのゼロサムゲームでしかないのに、経済全体が上向くかのような幻想を生むのに多くの学者も手を貸した。

 特にアメリカは、ITバブルをはじめミニバブルを繰り返して景気を維持しようとした。その集大成が、世界を巻き込んだバブル経済の行き着く先としてのリーマンショックであった。バブル経済については、後にくわしく述べる予定である。

 

5-2 国債発行のしくみと金融市場


                               日本銀行(撮影は筆者)

 

 国債発行のしくみを解説する。発行した国債は債権の一種なので、金融市場と密接な関係がある。金利を操作しようとする金融政策と、財政出動のための国債発行は、金融市場で出会うことになる。国債発行限度も金融市場で決まる。

 国債発行の限度はどこにあるかは、昔から議論の別れるところである。実は、ケインズ経済学に基づく政策実行のもとで、実務家には一定の答えが出ていた。ではなぜ、今この議論は混迷しているのか。1980年前後に、ケインズ経済学から新古典派経済学に経済学の政権交代が世界的に起きたことが背景にある。また、答えが出ていたはずの限度額の目安になる経済統計が、おかしくなってしまったことも大きい。くわしく説明しよう。

 

a)国債発行のしくみ

 国債は政府の方針に沿って、日本銀行(「振替機関」)が発行実務を行う。現在はすべて公募入札で、国債の引き受け手を募集する。2005年までは、決まった金融機関に国債引受けシンジケート団を結成させて、毎月国債を引き取らせる方法と併用していた。公募入札なので、金利は市場で決まる。売り手は日本政府だけであるが、買い手は無数にいる。決まった1300ほどの銀行や生命保険会社など(「参加者」)が仲介して、企業や個人(「国債権者」)に売る。当然、この「参加者」自身も国債を持っている。以前、国債は1枚の額面が10億円の証書であったが、今はすべて電子化している。

 買い手が国債を必要とすれば、金利は下がる。先の説明のように、民間の投資先が狭まっている上に、BIS規制の自己資本比率算出の分母に国債を入れなくてもいいので、リスクの小さい日本国債は引く手あまたである。売り手市場の国債は、低金利でも確実な金利収入が期待できる。その結果、日本国債の金利は非常に低い。

 誤解している人が多いが、日本銀行が大量に引き受けているから低いのではない。日本銀行は景気をよくするために、日本国債と引き換えに大量の通貨を日本経済に供給する目的で国債をかき集めている。その結果、確実に金利収入のある国債が品薄で、日本の金融機関の経営を圧迫している。

 また、日本銀行が国債を大量に買っていることが、国債は引き受け手が少ないのではないかという「まちがったシグナル」になっている。かえって国債の価値を損ないかねない。

 ところで、BIS(国債決済銀行)規制とは、各国の金融機関の経営の安定のために、自己資本比率の下限を決める規制のことである。日本の金融機関もこの規制を受ける。自己資本比率が8%を下回ると、国際金融業務ができなくなる。くわしくは、連載5回目の「▼通貨供給不足」の部分を参照されたい。この規制は経営安定の効果があまりない上に、日本の金融機関の効率的経営をさまたげいる可能性さえある。一方、各国の金融機関が国債を引き受けたくなる動機になっている。

 第4回目の連載にある「【解説】日本銀行は直接通貨を増やせない」も参照されたし。

 

【参考文献】

『日本銀行の機能と業務』日本銀行金融研究所編 有斐閣 2011年

 日本銀行のサイトから無料でダウンロードもできる。日本銀行の元政策委員に聞いたところによると、全部読む人は少ないという。この本に載っているような内容も知らないで、経済評論をする人が多いのは残念である。私は全部読んだ。十分理解できたかどうかはわからないが。

 

b)国債発行額の限度

 国債が発行できなくなるのは、引き受け手がいなくなるときである。債券市場で資金不足になると、貸し手よりも借り手が多くなるので、金利を高くしないと債権がさばけなくなる。つまり、借金のコストが高くなる。借り手が多くなるのは、投資資金の需要が高まるためである。つまり、設備投資など生産資本が不足すると金利は高くなる。生産資本だけでなく、住宅不足で住宅ローンを組む人が増えたり、車を買う人が増えれば、それも金利上昇の要因となる。

 今までの連載で述べたように、今先進国では資金余りの状態で、ともすればその資金が金融市場に流れてバブル経済を引き起こすぐらいである。

 この資金余りの状況は、生産力過剰(需要不足)で生まれるので、需要不足の指標である「需給ギャップ」が目安になる。需給ギャップが大きければ、政府が国債を大量発行して支出しても、国内の余剰生産設備が稼動率を上げて必要なものを供給できるので、あまり設備投資しなくても需要に応じることができる。

 現在、日本の需給ギャップは、少なくとも5%、額にして25兆円程度はあるので、国家予算を100兆円から、120兆円程度にあげても金利上昇はないはずである。これが、ケインズ経済学に基づく経済政策実施実務者の常識である。ただ、ケインズ経済学自体には、このような具体的方法はないので注意が必要である。ケインズは、不況のときには財政が赤字になっても国債を発行すべきときがあると述べただけである。

 

c)主流派経済学の想定

 一方、現在世界的に経済学の主流派である新古典派経済学には、需要不足という概念が基本的にない。仮に需要不足になっても、一時的で規模は小さいというのが一般的理解である。そのため、国債発行限度を考えることは少なく、そもそも国債を発行すべきではないという経済学者も多い。

 また、国債を発行して政府が支出を増やしても、家計は将来その分の増税を見越して、支出をひかえるので、効果を相殺してしまうという理論さえある。また、国債発行は金利を必ず上げるので、民間が投資資金を借りにくくなり投資支出が減り、効果を相殺するという。この理論を「クラウディング・アウト」という。新古典派経済学に批判的な『岩波現代経済学事典』によると、このような現象は、アメリカでも日本でもおきたことはないという。

 

【参考文献】

『岩波 現代経済学事典』伊東光晴編 岩波書店 2004年

 

d)需給(GDP)ギャップ統計の混迷

 第2回連載の「【コラム】混迷する需給ギャップ算出方法」で述べたことであるが、もう一度簡単に説明する。

 現実には、需給ギャップは大きな額になり、新古典派経済学の想定はまちがいであることがすぐわかるのではないか、と思われた読者も多いのではないだろうか。ところが、経済学では不思議なことが許されている。新古典派経済学によると、需要不足は大きくならないはずなので、計算方法を変えて大きな数字が出ないようにしてしまった。

 理論と関係なく、計算方法の問題として純粋に訂正して、その結果理論と適合するなら合理的である。しかし、需要不足は大きくなるはずはないから、その前提で生産設備は数年で縮小するはずであるという仮定をもうける。それを元に、例えば10年間の平均稼動率を新たに100%の稼動率として、それと比べるというのである。設備投資の固定性、長寿命であることを前提としないで基本的理論を構築しているので、このような非現実的なことが成立する。しかも、このような計算方法をHPフィルターと名付けて、あたかも確立した方法であるかのような印象を与えている。

 その結果、日本経済の生産余力は少ないので財政出動すなわり国債発行限度は、小さいということになってしまった。先ほどあげた『岩波現代経済学事典』を編集した伊東氏も、この需給ギャップ統計を参照して、国債発行限度は近いと判断している。伊東氏はケインズ経済学研究の専門家として有名である。私は、伊東先生の本から多くのことを学んでいる。

 

【参考文献】

『アベノミクス批判 四本の矢を折る』伊東光晴 岩波書店 2014年

 アベノミクスのうち、財政出動は肯定すべきであったが、需給ギャップが小さいという理由で批判している。むしろ、小規模ですぐやめたしまったことを、批判すべきではなかったか。この点以外は、鋭い指摘が参考になる本である。

 

【コラム】MMTという不可解な理論

 最近、国債発行限度をめぐって、MMT(現代貨幣発行理論)という不思議な理論が話題となっています。簡単に説明すると「政府が国債を発行しても、貨幣を発行できる中央銀行や銀行が引き受けるので、いくらでも消化できる。ただし、インフレを起こさない限り」ということです。
 日本政府(国家)は、日本銀行(中央銀行)にしか口座を開けないことになっています。そして、日本政府以外に日本銀行に口座を開けるのは、先ほどの国債発行の「参加者」のうち、「直接参加者」である約300機関だけである。日本政府の口座と直接取引できるのは、日本銀行に口座を持っているこの「直接参加者」だけです。日本銀行にある口座は、「日銀ネット」という閉じた電子ネットワークを通じて暗号通信で取引しています。
 通常の貸出しのように、銀行に政府の口座をもうけて、そこに貸出し残高を振り込むということはできません。国債は、預金通貨の発行では引き取れない。唯一、日本銀行には、それが可能であるが、原理的には際限なく発行できる危険性があるので、今はほとんどの国で禁じています。ただし、日本銀行は、一度市場に出回った国債を市場金利で引き取ることはできます。民間銀行に政府の口座をもうけられないのも同じ理由であり、民間銀行では規制がかかりくいので危険です。
 銀行などの金融機関は、現実に預かった資金を日銀ネットの口座に振り込んだ額の中から国債を購入するしかない。だから、いくらでも発行できるというのは、制度の理解に欠けています。
 では、危険でも制度を変えてみたら、どうなるであろうか。発行額が増えるに従って、やがて、需給ギャップの限度を超える。さらに、生産力不足対策としての設備投資の増加も、需要に応じる生産力に応じられなくなると、金利が上昇し始める。民間の投資資金と国債発行資金がはげしく競合すると、金利は高騰して、大増税か高インフレでしか国債を発行できなくなる。結局、インフレにならない限り、というのと同じことになる。今の制度は、それを未然に防いでいる。
 それでは、先ほどのクラウディング・アウトが成立することがあると言うかも知れません。だが、財政出動は、需要不足のときにしか効果がないので、実行すべきでないときだけ成り立つ理論は、意味がありません。
 MMT理論はここで述べたような、もっとも重要なインフレになる条件や限度額を説明していません。だから、つけたしのように書いてある「インフレにならない限り」を説明しないと、理論とは言えない。やっかいなことに、当面かなりな額の国債発行はできるという結論は同じであるということです。
 MMT理論の欠点を一言でいうと「貨幣発行ができること」と「実態経済で生産(付加価値)余力があること」との区別がついていないことです。金貨のように貨幣自体に価値があるときには、この理論は成り立ちますが、それは江戸時代前半までであるので、「現代貨幣発行理論」でなく「近世貨幣発行理論」です。江戸時代も、元禄時代以後、貨幣改鋳を行って、貨幣の物としての価値よりも額面価値のほうが上回るようになったので、その時点で成り立たなくなりました。
 説明はこれで十分なはずですが、もしかしたら、みなさんの頭に大きな疑問が浮かんでいるかも知れません。日本銀行は、通貨を発行できると習ったのに、それとこれとは話が違うじゃないかと。例えば、年末に銀行からの現金引き出しが増えます。日本銀行は、紙幣を財務省印刷局に頼んで、紙幣を増刷します。そして、各銀行にそれを収めます。銀行から紙幣を引出せば、現金紙幣は増えますが、預金通貨は減ります。当然、全体として通貨の量は変わりません。だから、政府がその予算のために通貨を増やすわけにはいかないのです。学校での教え方は、間違っているとは言えなくても、教えている先生が理解していると思えないので、生徒が間違ってもそれを修正することはできないでしょう。■

 

【コラム】金融業界が低金利を歓迎する理由

 金融業界は、低金利を歓迎する傾向にある。低金利が景気をよくする、という理解に基づいている。低金利だと投資資金を借りやすくなるので、設備投資が増えて景気がよくなる理由であるが、設備投資過剰のときはどうなるか。実物投資は増えないので景気はあまりよくならないが、投機資金は得やすくなるので、株価や地価はあがる。そうすると金持ちの資産が増えるので、支出が増える。これを資産効果という。
 アベノミクスの目玉が、金融緩和・低金利政策であるのは、これが根拠になっている。しかし、金持ちは一部でしかなく、投資でもうけた金は再投資にまわす割合が高いので、あまり効果は望めない。むしろ、投資過剰の状態で、借りやすくするのは逆効果である。それ以前に、経営者は低金利でも必要のない資金は借りない。
 しかし、設備投資が多く資金需要が高いときは、金利が高く、金利引き下げの効果は大きい。ただし、もともと低金利だということは資金需要も少ない証拠である。現在、先進国の不況では資金需要は少ない。
 証券会社の立場で考えると、低金利だと銀行に預けるよりも株式投資のほうが有利になるので、低金利を歓迎する。ただし、全般に資金需要が少ない結果低金利だと、どこで運用してももうからない。株が上がるともうかるというが、実体経済がよくないと、高い株を始めに売った人には差益が得られるが、そのことが株価下落の引き金になる。早い者勝ちで、最終的には運用益はほとんど出ない。実体経済が堅調なら、実績に見合った株価なので、値上がりしたところで売っても、それほど株価は下がらない。■


 

この記事論文が気に入ったら100円のご寄付をお願いします

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA