連載:開発主義政治再考 第3回  TVA-アメリカの経験を読み直す試みについて

投稿者: | 2021年5月15日
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田中義一『米国TVA計画(米国テネシー開発計画の全貌)』(1947年、東洋経済新報社)

 

【連載】 開発主義政治再考 第3回

TVA-アメリカの経験を読み直す試みについて

山根伸洋

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はじめに

戦後復興の時代における社会基盤整備事業の中心軸は電源開発のためのダムの建設であったと指摘する松浦茂樹氏[1](以下、松浦)は、戦後の多目的ダムの全国での建設事業がアメリカの「TVA事業」をモデルとするという一般的な説明に対して、いくつかの懸念を表明している。松浦が表明している懸念とは、戦前における日米の技術交流は開戦の直前までかなり活発かつ豊かなものがあったが、そのような経験にあえて注意を向けることなく敗戦後の日米関係の再形成の途上において「TVA思想」が「何か新しいもの」として注目されたことに対する違和感と言える。松浦は自著『戦前の国土整備政策』において、戦前の土木技術者の足跡を辿りながらアメリカ技術者との技術交流をはじめとする当時の技術者の交流圏の広がりと深みについての説明をこころみている[2]

アメリカの水資源開発事業、とりわけ大規模な多目的ダムの建設事業の取り組みは1920年代から30年代にかけて世界の技術をリードする位置にあった。このアメリカの先進的な取り組みをもっとも雄弁に語るものが、TVA設立時に理事に就任し、後に理事長となるD.E.リリエンソール(David E, Lilienthal, 1899-1981)の手による『TVA―民主主義は進展する―』(和田小六訳、岩波書店、1943=1949)と言いうるだろう。本書は1943年10月、まさに日米開戦から凡そ2年の時期、戦時動員体制の渦中においてリリエンソール自身の手により刊行された。原著の副題“Democracy on the March”がよく示している通り、本書は行軍や進軍の意味と民主主義というイデオロギーが折り重なった強いメッセージが込められている。

戦前のアメリカにおける多目的ダム建設事業の展開とその技術情報普及の取り組みについて松浦は、戦前の日本技術者が、植民地朝鮮に建造予定であった豊満ダム建設のためにアメリカ視察を行い、アメリカのコンクリート技術の先進性に驚嘆した事例を紹介して次のように結論付ける。「また各地の現場に見せるアメリカ社会の懐の深さをつくづくと感じさせる。施工技術力には当時、日米間に大きな格差があり、施工機械の主だったものはアメリカから購入しダム建設が進められたのである。このような国に日本は戦争を仕掛けたのである[3]。」松浦の指摘する点を踏まえてTVAの経験を読み直していきたい。

 

1 TVAの経緯について

技術史家ヒューズは、20世紀初頭における展開途上にあった電力システムに対して戦争がどのような影響を及ぼすかという点についてドイツの事例と併記しながらアメリカの事例について次のように言及している[4]。「米国では、戦争の緊急事態のもとで建てられたマンモス的人工物のめざましい例-それは戦争のおわるころには白い巨象のように立っていた―は、アラバマ州マスル・ショールズのテネシー河岸にできた窒素固定硝酸塩工場と、それの一部完成した水力電気ステーションとダムだった。」そして「戦時の価値と緊急の必要性が減じると、マスル・ショールズは馴れない―敵対的でさえある―環境の中に迷い込んだ生物のような立場になった。」とした。このような戦時動員体制の遺産を取り巻く状況が、後のTVA設立の条件となることをヒューズは示唆するが、彼自身の分析は1930年までを区切りとしている。

ヒューズが電力システムの展開からその技術的展開過程の分析を試みる一方で、電力システムの重要な構成要素である巨大人工物としての水力発電所の存在を、むしろ電力生産以外の側面にも注目した説明を与えるのがリリエンソールの『TVA‐民主主義は進展する‐』であろう。本書の「第六章 新しいやり方‐変らぬ仕事」[5]の冒頭において次のように言及する。「一九三三年五月、連邦議会がTVAを創立する法律を通過させたその時に、アメリカの公共政策の新しい一章に筆が下された。開拓者の最初の斧の一撃が加えられた日以来、始めてアメリカは、浪費の過去におけるごとく自然を無視することなく、それを理解しその第一法則‐人類と天然資源の一体性、土地・川・森・鉱石・農業・工業・人間を結びつける一体性―に基いて行動し、それによって自然を支配することに乗出した。」そして第六章の扉の言葉にフランシス・ベイコンの「自然を支配せんとせば、先ずそれに従わざるべからず」という文句を引用している。リリエンソールがTVA法案の成立についての説明を上記のような文言から開始するのは、当時のTVAに関する理解が単なる「電力」事業、水力電気の公有といったものに過ぎない状態への苛立ちがあったからだ。そしてTVAが始まるまでの15年間のテネシー河開発に関する議論のほとんどが水力発電事業の所有・経営形態に関する議論に偏っていたからに他ならない。そしてこうした状態をリリエンソールは「第一次世界大戦のために公費を使って構築したアラバマのマスル・ショールズの国有ダムと発電所を軍需品流れのがらくた‐荷物自動車・靴・塹壕堀シャベル‐ででもあるかのように競売にして処分しようとする熱心な運動が、多年にわたってあった」と説明する。しかしTVA法案では、アメリカの資源開発政策の根本的な転換が書き込まれていたとリリエンソールは強く主張して、以下の大統領教書を引用する。「マスル・ショールズの開発が全テネシー河のもつ潜在的公益価値の一小部分に過ぎないということは明らかである。(中略)それは洪水管理・土壌蝕壊・植林・低生産性耕地(1953=1979「原書第二版」の訳に従う)の除去・工業立地、ならびにその多様化などの広い範囲に及ぶ。要するに、戦時におけるこの電力開発は、必然的に多くの州、数百萬の人の将来の生活ならびに繁栄を包含する全河域の国家計画に、導くことになる」そしてTVAには「全国民の一般社会的ならびに経済的繁栄のために、テネシー河域及びその隣接地区における天然資源の適当なる利用・保存・及び開発を企画する広汎な計画への整合であるべきだ。幾多の苦い教訓が、われわれに、企画性の欠乏から起こる社会的な浪費を教えた。彼所此所(ここかしこ、引用者)で二、三の賢明なる市や郡は、先を眺め、そして、計画した。しかし、アメリカは「自らの生長にまかせてきた」。今こそ計画をより広き場所に拡ぐべき時である。われらがもつ最大の河の流域に直接関連をもつ多くの州を一つの雄大な計画のうちに包含して[6]。」TVA設立法案に込められた地域開発・地域経営における計画技術の導入について大統領教書に上記のように書き込まれていた点に注目することが重要であろう。

同時に「第六章 新しいやり方―変らぬ仕事」の末尾において、電力について以下のような説明がされている。「電力は、ほかの資源からの生産物と同じように、均衡のとれたまた一体的の開発計画の一部として利用することができ、それによって民衆の恒久的の福利を増進することができる。電気は、最も親切な、また最も能率のいいエネルギーの形だ。それは移動性そのものだ。それを民衆の手許に呼び寄せることができる。民衆をエネルギーの源にもってゆく必要はない。電気は、科学による人間のエネルギーの増幅を象徴するものだ。しかし、その永続的なまた確実な利益は、電力の潜在的能力が総体的に観察され、それがそれ自身を終局の目的としないで資源の保全と復活に役立つように利用された場合にのみ、生ずるのであろう[7]」として、「その収入の大部分を木材の伐採や綿の栽培にたよっていて、紙・織物・家具・そのほか原材料を利用して工作される品物に殆どたよっていないような場合には、土壌の生産力を「破壊」し、木材を出す森林を荒廃し、油田や炭田を涸渇させるように働く圧力は、実際非常に大きなものとなる」が、「資源を蕩尽するこの圧力は、電力によって促進される工業の発展で緩和することができる」とする。さらには、第二次世界大戦の真っただ中において刊行されたことにもよるが、次のような強いメッセージが込められた戦後世界の展望が述べられている。「戦が終わったら、莫大なエネルギーが、世界の至るところの開発に解放されることであろう[8]。」

上記のような第二次世界大戦後の見通しを提示することで、リリエンソールは1933年TVA設立以来の取り組みを一つの開発手法のパッケージとしてまとめ上げることに成功した。実地におけるTVAの取り組み、そして現場を介しての技術交流の経験を裏書きするばかりではなく、上書きする教本としてリリエンソールは1943年の時点において『TVA―民主主義は進展する―』を刊行した。戦後の見通しをめぐる言及については「第十九章 TVAと世界再建」の冒頭で「TVAはまた外国の技術者にとっていい練習場になった。南米の十あまりの共和国から工業や農業関係の技術者が四、五十人もやってきた。支那からも同じような一団がきた。特別に熱心な連中だ。またソ連の技術者の一団はTVAの技術者と一緒になって武器貸与法による水力発電所で働いていたが、一九四四年には、「どこかウラルのむこうの方」の河で電力が発生されることになるだろう[9]」としてソ連に対しても技術協力を惜しまなかったTVAの技術者たちの態度を誇り、多くの外国技術者(もちろん日本も含む)に対して技術提供を行ったことを振り返っている。そしてTVAという言葉は「肥えた土地・森林・電力・燐鉱・工場・鉱石・河川、といったいずれも住民の生活に密接な関係をもっているもの[10]」を意味するようになっていることで、「TVA思想」の世界規模での普及に言及している[11]

こうして、TVA初期の経験のパッケージは、19世紀から20世紀にかけて欧米を中心にして到来した近代産業社会の時代における開発手法の体系化と開発をもって住民福祉の実現を図る開発主義政治のモデル化を実現したとひとまず指摘しておきたい。ひとまず、とするのは、リリエンソール自身が改訂版を刊行する1953年の時点において、初版刊行の時点では、これから世界規模で普遍化するモデルであったはずのTVA型開発モデルが、他ならぬアメリカ本国においては後続して同型の事業が実現されなかったことによる。第二次世界大戦終結から東西冷戦への移行期において、海外において、特に日本においてはアメリカ国内よりよほど熱心にTVAの経験は学習された[12]。敗戦後、あらためてTVAという言葉が日本において注目されていくプロセスを概観してみよう。

[1] 松浦茂樹『戦前の国土整備政策』(2000年、日本経済評論社)p.2.

[2] 松浦茂樹、前掲書pp.265-270.「昭和10年代のダム施工技術」という項目において松浦は「世界動力会議が母体となって国際ダム会議が設立され、第一回国際ダム会議がスウェーデンのストックホルムで開催されたのは1933(昭和8)年である。それに先立ち31年、日本では日本国内委員会が組織され、第1回会議に参加するとともに3編の論文を提出した。」と紹介する。さらに「第2回会議は36年9月、第3回世界動力会議とともにワシントンで開催された」として、日本からは小河内ダム建設のための重機調達の任務を帯びた東京市の技術官僚小田基樹が参加したことを紹介している。この国際会議の後に、アメリカ政府斡旋で22日間にわたる米国横断ダム視察ツアーが開催され、小田達も、フーバーダム、TVAダム群、グランドクーリーダム群など著名なダムを視察した。この視察において、小河内ダム建設にあたり、フーバーダム建設時の重機の多くの導入が可能となった。松浦は「戦前日本のダム技術が、欧米、特にアメリカ技術の発展に大きく負っていたことが、この小河内ダム建設で理解される」と結論付けている。

[3] 松浦茂樹、前掲書pp.279-280.

[4] T・P・ヒューズ『電力の歴史』(1983=1996年、市場泰男訳、平凡社)pp.404-407.

[5] D・E・リリエンソール『TVA-民主主義は進展する-』(1943=1949年、和田小六訳、岩波書店)pp.57‐70.

[6] リリエンソール、前掲書p.59.

[7] リリエンソール、前掲書p.69.

[8] リリエンソール、前掲書p.70.

[9] リリエンソール、前掲書p.257.

[10] リリエンソール、前掲書p.259.

[11] 村上麻佑子「補論1 日本におけるTVAと原子力」(小路田泰直・岡田智弘他編『核の世紀 日本原子力開発史』2016年、東京堂出版)所収。村上はリリエンソールの1951年来日時のエピソードの紹介からリリエンソール自身のTVA思想の普及の取り組みに関する議論を展開する。その中で日本における旧植民地開発関連の人脈との交流等を紹介。「TVAから原子力へ」の表記のもとに『リリエンソール日記3』(1969年、みすず書房)より次の引用を行いリリエンソールの原子力普及の取り組みに言及する。「兵器の形に加工されたこのすべてのエネルギーが、実は非常に多くの有用なエネルギーや電力を作るべく立派に無駄なく使用できるのです」とトルーマン大統領に語るリリエンソールの発言に注目する。もちろんリリエンソールとトルーマンによる世界規模での原子力の普及の画策の会話ではあるが、リリエンソールが軍事の平和目的への転用を常に意識することの背景には、TVA自体が第一次大戦時の戦時動員体制の遺産に依拠して成立したという経験に根拠を置いている点に注意が払われる必要があるだろう。

[12] 小林健一『TVA実験的地域政策の軌跡 ニューディール期から現代まで』(1994年、お茶の水書房)pp.8-9. 小林氏はリリエンソールによるTVA事業の説明について、戦後「たちまち世界中に普及し、とくに、日本では戦後直後、熱狂的な支持を受けた」としつつも、次の点でリリエンソールによる説明を批判する。すなわち、「総合開発=多目的開発」理念によって、TVAの多岐にわたる諸事業を説明し、「草の根民主主義」理念を強調し、河川開発は単一の連邦機関によって総合的、かつ効率的に行われるべきであるが、権限の集中により地域住民の意向が反映されない事態が生じないように住民の参加によって住民のための開発が行われるものとする。けれども、この二つの理念によっては、電力公営と地域計画を実行する組織としてのTVAについての説明ができないとしてリリエンソールによるTVA理念の説明を批判する。

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