連載:開発主義政治再考 第2回  「総力戦」ないし「戦時動員体制」研究における 課題をめぐって

投稿者: | 2021年2月27日
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纐纈厚(こうけつ あつし)氏の著書『総力戦体制研究 日本陸軍の国家総動員構想』(三一書房、1981年)

 

【連載】 開発主義政治再考 第2回

「総力戦」ないし「戦時動員体制」研究における課題をめぐって

山根伸洋

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.はじめに―清算主義を乗り越えて―

明治期の日本において、お雇い外国人に頼っての近代化政策から離陸し、国内に自前の高等教育機関を設立して、海外への留学を国家官僚や研究者のキャリアパスに位置付けることがある程度軌道にのったのは、日露戦争以降、20世紀初頭のことであった。そして20世紀初頭にいたっては、欧米世界が主導する国際的な学術会議・活動等へ一定の当事者性をもって参加することになった[1]。その結果として、多くの国家官僚が留学中に見聞した欧米諸国の議論の動向を積極的に翻訳して国内において刊行している[2]。日清・日露戦争を経て、日本は欧米列強に「肩を並べる」ところまで到達したことを自負し、そうした意識もあってか、ことさらに幕末・維新期の記憶を「後進性」を強調して描き出す傾向[3]にあったこと、そしてそうした歴史叙述の練り上げが日清戦争の戦時において始まり、日露戦後には一般読者を対象とした雑誌に掲載されるところになったということには注意を払っておく必要がある。こうして19世紀から20世紀初頭にかけて幕藩体制期がことさらに遅れた社会として描き出され、その一方で、欧米の議論が積極的に紹介されていくことになる。

この時期を経て、第一次世界大戦が勃発する。廣重徹氏(以下敬称略)は「一九一四~一八(大正三~七年)の第一次大戦は、政治的・経済的に日本に漁夫の利をもたらした」[4]としたうえで、大陸における日本の権益の拡大や、戦時に突入した欧米諸国の貿易の空白を埋めるように未曾有の経済的な繁栄を実現したといわれている。この時期まで外国製品に頼ってきた合成染料や医薬品をはじめとする先端化学工業が産出する新しい商品を自前で生産する必要があった。結果的に第一次大戦の時期を通じて日本の産業は重化学工業へその重心を大きく移動させ、その動力として電源開発に注力していくことになる。このような「漁夫の利」を得た日本ではあるが、一方で第一次世界大戦の当事者たりえないがゆえに、この戦争の総力戦としての本質を得る機会を逸したともいえる。もちろん当該期において日本も並々ならぬ関心と注意をもって第一次世界大戦の実況に臨んでいたわけであるが、国内における戦時動員体制の構築が参戦国としての緊張をもって議論され実施される、そうした経験を日本はもちえなかった。したがって、総力戦、国家総動員体制の構築を通じて遂行される「新しい戦争」の様式は、欧米各国においては経験されたものとして記憶されたが、日本においては聞き及んだ事態であり、学ぶべき経験であった。

[1] 廣重徹『科学の社会史(上)戦争と科学』(岩波書店、1973=2002年)p44. ここで廣重は「こうしてみてくると、日本はさまざまの国際的科学事業への参加に関して、欧米諸国にほとんど遅れをとっていないことがわかる。」としている。もちろん、そこには西欧由来の科学・技術が移植される場所、などの歴史的制約があることは当然のことではあるが。

[2] 内務省地方局有志『田園都市』(博文館・1907年)はよく知られており、後に講談社学術文庫に1980年再録・刊行された。当時の内務省の地方経営の課題の一つとして都市を行政的にいかに位置付けるかという点があった。そのためイギリスをはじめ欧米各国の都市経営の先進的事例の紹介はことさらに熱心であった。

[3] 『前島密生誕150周年記念出版 行き路のしるし』(橋本輝夫監修、日本郵趣出版、1986年)の「略解」p70から以下紹介する。前島密氏からの郵便事業の創業を中心とする聞き取りは、日清戦争の渦中に始まり、交通学館発行の雑誌『交通』に項目ごとに掲載され、後に、博文館刊行の雑誌『太陽』1899年(明治32年)4月 第五巻第九号から同年第五巻第十二号までに再編集して分載された。これが後に『郵便創業談』として出回る原稿の始まり。前島密の述懐において、幕藩期に輸送・通信・送金事業を担っていた飛脚業の同業組合の代表者との面会の様子が描かれている。ことさらに飛脚業の「後進性」を強調する前島の述懐の真偽をめぐっては、現在も議論が継続している。例えば、『佐々木荘助 近代物流の先達-飛脚から陸運の政商へ』(松田裕之、富山房インターナショナル、2020年)。

[4] 廣重徹1973=2002 p105。


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.総力戦体制研究をめぐって

「日本ファシズム研究」の文脈において言及されてきた「総力戦」への言及に対して、それを論ずるべき一つの課題として練り上げてきた論者の一人として纐纈厚氏(以下敬称略)がいる。彼は1981年刊行の自著『総力戦体制研究 日本陸軍の国家総動員構想』(以下『総力戦体制研究』)[5]の「まえがき」において「最近、日本ファシズム研究のなかで、戦前における社会体制のファシズム化の契機を、第一次世界大戦で出現した総力戦段階に対応する総力戦体制構築という点に求める考えが有力になりつつある」として、この総力戦体制構築に執着し大きな役割をになった「陸軍の国家総動員構想の内容と、その実現過程を追及する」ことを課題としている。現在から振り返ってみて、1990年代以降の総力戦研究の流れを先取りした纐纈のこの労作には教えられるところが多い。とりわけても総力戦という新しい戦争の様式が第一次世界大戦の戦時に初めてその姿を現したことを重要な歴史的契機として位置付けなおした[6]点で大きな意味を持ったといえる。

『総力戦体制研究』第一章において、当時の日本軍部が第一次世界大戦の実況についての情報収集に積極的であったことに言及したうえで、派遣武官の戦時レポートを丹念に読み込み分析している。例えば、上村良助陸軍歩兵少佐の「欧州戦争と工業動員」という報告記事から「いかに戦線に精鋭なる軍隊が配列せられるにせよ、工業動員が完全に行われて、武器弾薬其他兵器が遺憾なく補給せられなかったら、十分の活動は覚束ないのである」といった箇所を「軍需品の巨大な消耗を補完する工業動員の必要性を指摘していた」という分析を加えて引用している[7]。またこうした報告記事の力点の紹介に続いて、「陸軍の総力戦研究機関」[8]という小見出しに続いて、陸軍省で軍政を担当する軍部官僚が「大戦勃発後一年余の一九一五(大正四)年一二月二七日、陸軍省内にヨーロッパ参戦諸国の戦時体制を調査研究し、総力戦に対応する国内での動員方法の研究と、国内工業の実態把握を目的とした臨時軍事調査委員会」の設置の経緯を紹介する。そしてこの機関が発行する『臨時軍事調査委月報』の記事の整理を行っている。

「第一次大戦のインパクト」については、廣重徹も『科学の社会史』[9]の「第三章」のタイトルに掲げて重要な契機に位置付けている。該当部分において廣重は、欧米からの輸入に頼っていた産業部門の強化および国策的に軍、資本、大学などが連携した研究機関が設立されることを通じて、それらが「動員への端緒」となった点を指摘している。廣重は「第一次世界大戦が日本に与えた強い印象」について、「国の総力をあげて戦われる消耗戦」であり、「その消耗戦に、ドイツがほとんど全ヨーロッパ、さらには米国を相手にして四年以上も耐えうることができたのは、さらに驚異だった」として「当時の人々は異口同音に、それは科学の力によって不足物資に対処する方法を見出しえたからだと述べている」とする。そして廣重は、「こうして国家による科学の動員にたいする関心が高まった」として、その一つの根拠として「ロンドン駐在帝国領事より其筋への報告によれば」といった記事名を例示する[10]

纐纈、廣重の両氏ともに「第一次世界大戦のインパクト」が、その地政学的問題もあって、戦時の実地の経験に基づくものというよりも、戦場の観察者として記述された報告によってもたらされた衝撃として、あったことを教えてくれる。果たして、第一次世界大戦へ形式的には参戦したとしても、少なくとも総力戦・消耗戦を経験したわけではなかった日本での第一次世界大戦の受け止められ方と欧米の戦争当事国における受け止められ方との間の距離は、どのように測定することが可能なのであろうか。

[5] 纐纈厚『総力戦体制研究 日本陸軍の国家総動員構想』(三一書房、1981年)。

[6] 当時の帝国日本の軍部の一部、特に陸軍が抱いた総力戦としての第一次世界大戦に対する強烈かつ肉体的なインパクトから距離をとって分析する立場を構築することが『総力戦体制研究』において試みられているという意味である。

[7] 纐纈厚1981年 pp17-18。

[8] 纐纈厚1981年 pp22-26。

[9] 廣重徹1973=2002年 pp105-136。

[10] 廣重徹 1973=2002年 pp130-132 ここで廣重は「一九一八年四月一七日には、軍需工業動員法が公布された」として、この法案を「国家統制と科学動員の出発点となった」と銘記する。

 

2.戦時動員体制の経験

第一次世界大戦が欧米諸国に総力戦を突きつけ、戦時動員体制を強制的に経験させるものであったとしたら、欧米諸国はその経験から自由に戦後を構想することはできなかった。とりわけても産業部門における戦時動員体制の経験は、その後の産業展開に対して大きな規定力を持たざるを得なかった。

上記の点について鋭く分析しているのがヒューズの『電力の歴史』[11]における「第11章 戦争と獲得形質」における「戦争がどのようにしてドイツと米国の政府に、空前の大きさの発電所を開発するための資金を提供させるにいたったか」の「考察」である[12]。ヒューズは、ここで戦時動員体制の経験について、発送電事業を軸としてアメリカ、イギリスとドイツとを比較しながら分析している。この点が重要だろう。

ヒューズは第一次世界大戦下での戦時動員体制のもとでの事態を次のように説明する。

「米国では、戦争の緊急事態のもとで建てられたマンモス的人工物のめざましい例―それは戦争の終わるころには白い巨象のように立っていた―はアラバマ州マスル・ショールズのテネシー河岸にできた窒素固定硝酸塩工場と、それの一部完成した水力電気ステーションとダムだった。」[13](中略)「・・・米国とドイツの中央政府は、巨大発電所の将来を決定するという深刻な問題に直面した。巨大発電所は平和時にあっては場ちがいな人工物であった」[14]

戦時において構想された巨大発電所は、平時においても社会を再組織化する力をもつことになる。そうした現実を踏まえて様々な利害集団が入り乱れる経験については、実はアメリカもドイツも同じく戦時に建設された巨大人工物に規定されてそれぞれに新しい戦時動員体制が構築されていくことをヒューズは指摘している[15]

この観点から、日本をも分析の対象とするならば、黎明期の日本の発送電事業の現況で総力戦に参入せず、したがって戦時動員体制から自由であった日本における発送電事業はどのようなものであったのだろうか、と問いかける視点が必要となるだろう。少なくとも、第一次世界大戦時において総力戦に参入せず、戦時動員体制の構築を課題となしえなかった日本の産業の現況と、欧米諸国の戦時動員体制とを比較検証する観点は当時の日本の議論の中にあったのだろうか[16]

戦時動員体制、ないし総力戦との関連において、日本の開発主義は内地・外地を貫通していかように展開してきたのか、と問いかけることから、第一次世界大戦の経験のされ方を見直していく必要があるだろう。日本の内地における地域振興・産業振興の言説はどうであったか、そして植民地における拓殖事業をめぐる言説はどのようなものであったのであろうか、それぞれの言説を構成する動員イデオロギーにおいて戦時動員体制や総力戦がどのように位置づいていたか、ないし位置づかなかったのか、等々を(再)検証する必要があるだろう。

[11] T・P・ヒューズ『電力の歴史』(1983=1996年、市場泰男訳、平凡社)。

[12] ヒューズ 1983=1996年  pp403-458。

[13] ヒューズ 1983=1996年 p406。

[14] ヒューズ 1983=1996年 p414。

[15] 『TVA-民主主義は進展する-』(1943=1949年、D・E・リリエンソール著、和田小六訳、岩波書店)の巻末に翻訳者の和田小六は「TVAができるまで」という小論において、ヒューズが取りあげたアラバマ州のマスル・ショールズの水力発電所および火力発電所の建設とシェフィールドに「空中窒素固定の工場」を建設することの経緯について説明している。この計画が1916年の国防法に基づいたものであったけれども第一次世界大戦の終結とともに、その処遇がなかなか決まらず1926年には大統領のもとに「マスル・ショールズ調査会」を設置するなど議論の錯綜を論じている。そのうえで、戦時中に建造された巨大生産施設群の最終的な処遇が1933年の「ニュー・ディール」まで持ち越されることを丁寧に説明している。ヒューズは新たなる戦時こそがこうした技術的課題の解決の鍵と指摘する(ヒューズ、1983=1996年 pp405-406 「むしろそれ(戦争)は、進路と速度の調整をはばんできた保守的な殻をぶちこわしたのである」)が、むしろこの「マスル・ショールズ」の位置づけをめぐる議論の積み重ねこそが「戦時動員体制」を可能とする地域的・社会的条件を生成したという説明の可能性について、私自身は検討してみたいと思っている。

[16] 「戦時動員体制」の経験の有無が産業開発政策にもたらす影響、特に開発の担い手層の動員イデオロギーに関する考察は今後の課題としたい。

 

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