遺伝子組み換え食品の論争における怒りとむなしさ

投稿者: | 1998年5月4日

古田ゆかり

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第89回土曜講座では、「徹底検証!遺伝子組み換え食品」と題して、安全性、企業や行政の思惑、市民団体の取り組みなどについて報告しました。EU 会議農相理事会でも「表示義務化」案が承認されるなど、環境・消費者団体などの異議申し立てが実を結びつつあります。一方日本国内でも200万に及ぶ’表示’を求める署名が集まっていますが、この問題をめぐる行政の姿勢は……。古田ゆかりさんにこの「論争」を根本のところから論じていただきました。(U)

◆「安全」の根拠
もし、あなたがあるレストランに行って、一皿の料理を注文したとしよう。目の前にでてきた料理は、見た目も香りもよく食欲をそそる。が、厨房ではその料理をめぐってふたりのコックが言い争っていた。
「今出した料理は、危険だ。食べてはならないものなのだ。あんなものは出すべきではなかった。すぐに下げるか、危険だということを客に知らせるべきだ」と、ひとりのコックがいう。すると、「いや、そんなことはない。絶対に安全なんだ。最新の科学もそう結論している。だから、料理を下げる必要もないし、君のような意見があることを客に知らせる必要もない」と一方のコックもゆずらない。いま、どちらが正しいのか、ふたりの話だけでは判断がつかないとする。あなたは、そのような論争の対象となる料理を、はたして食べるだろうか?
遺伝子組み換え食品の問題とこれをめぐる対立は、このようなレストランでのできごとにたとえていいと思う。私自身は、その議論の結末である真実をぜひとも知ってみたいと思っている者だが、その目的にてらして両者の議論を聞いていくと、真実のはるか手前で、無力感というか、情けなさというか、一種のばかばかしさを感じてしまうのだ。なぜならふたりのコックの話は、なにをもって「安全」と呼ぶかという出発点からしてすでにかみ合っていないのである。一例を挙げれば、両者が遺伝子組み換え食品を「食品」としての認識する方法からしてずれている。危険もしくは安全性の確認が不十分であると主張する方は、食品を「おいしくて新鮮で、安全で栄養があり健康な体と活動の源になるもの」とし、遺伝子組み換え食品の検査に催奇形性、慢性毒性など医薬品と同等の安全確認をしたうえで食品と呼べるかどうかを議論しようとしているのに対し、一方は、これはすでに食品であるから医薬品にするような検査は不要であり、さらにその食品という概念を、「食品衛生法の範疇で管理できるもの」と極めて役人的センスで処理しようとしているように思えるのである。食品衛生法そのものが「おいしくて新鮮で、安全で栄養があり健康な体と活動の源になるもの」を保障するものだとする向きもあろうが、遺伝子組み換え食品を想定せずに作られた食品衛生法ではその安全性に不安を抱く気持ちはいたく自然である。

◆「実質的同等」
対立のポイントは、「実質的同等」という考え方である。
実質的同等とは、組み換え作物が従来とは違っている部分、つまり組み込まれた細菌の遺伝子とそれが作り出すタンパク質をチェックし、それらが人間にとって安全と判断されれば、組み換え作物は従来の作物と「基本的に同じ」であるという考え方である。この実質的同等という考え方で十分であるとする厚生省と、これでは予測し得ない有害物質やアレルギー物質ができた場合にそのチェックが困難であり、組み換えた部分だけではなくトータルな食品として判断しなければあまりにも不十分でずさんな安全確認であるという、消費者を中心とする反対意見(実際には、厚生省と消費者の対立というほど単純なものではないが、ここでは認識のくいちがいを鮮明にするためにこのような構図で考えてみた)。導入遺伝子が作り出すタンパク質について急性毒性、慢性毒性、発ガン性、催奇形性などの試験を義務づけるべきだという消費者と、遺伝子組み換え作物は「食品」であるから「薬品」にするような検査は必要ないとする厚生省との認識の違いはどこか救いがたささえ感じる。また、安全確認申請が製造者・販売者の任意であり義務ではないことや、その確認も公共機関もしくは第三者機関が行うものではなく、業者が提出する資料だけをもとにすることに対して不安を払拭する術を持たない厚生省。厚生省の担当者はこのことについて、「めずらしいキノコや魚を摂ってきて売るのに、厚生省に安全検査を依頼したりしないでしょう。また、既存の食品も100%安全というわけではなく、じゃがいものソラニンのように健康に悪影響をおよぼすリスクも少数ではあるが含んでいる」と説明した。このことばを信じると、現在の安全評価指針も必要ないといっているようなものではないか。遺伝子組み換え食品もその範疇の「食品」であるから安全確認調査は食品の販売者、輸入者が行い、安全確認申請など必要ないと。しかし、調査書類における「不正」も見つかっており、ますます不信感を増幅するようなことも起こっている。
「不正」といったが、実はその真相ははっきりしない。モンサント社の組み換えトウモロコシについての資料のうち、組み換え前のトウモロコシと組み換え後のトウモロコシの成分比較において英語データでは「8種類のアミノ酸に有意差があった」と記載されているのに対し、それに基づく日本語要旨では「有意差がなかった」と書き換えられていたことが、市民の調査によって明らかにされていたからだ。これが「故意」であるのか「誤訳」であったのか(厚生省はこれについて「誤訳については注意した」と述べた!)ここで判断するのはあえてやめておこう。しかし、こんなに大切な、データの核心ともいえる部分に「誤訳」が発生すること自体、チェック機能の甘さ、いやずさんさを指摘されて当然だろう。あいまいな判断基準、企業側のデータ、甘いチェック機能。守ろうとすればするほど信頼を失うということになぜ気づかないのだろうかということが、私は不思議でならない。

◆厚生省は未熟すぎる
厚生省がインターネットのホームページで「遺伝子組み換え食品の安全評価に関するQ&A」として、遺伝子組み換え食品に関する情報を発信している。これは質問を想定しそれに答えるという形を取っているがここの情報はともかく全体的に読みとれるのは「まあ、シロウトにはこのくらいいっておけばいいだろう」という発想だ。
記載の中で目につくのは、「バイオテクノロジー部会(専門家で構成されている)」、「安全性評価指針は、最新の科学的知見をもとに(中略)作成されたものです」、「今後とも、遺伝子組み換え食品に係わる科学的な新たな知見等必要な情報の収集に努め」という記述である。こうした資料を読もうとする人が「専門」「科学的」といった表現をもって十分理解できたと自覚できるかどうか。その認識の甘さが見えてしまう分、この程度の内容で人を納得させられると思っている、いわばシロウト集団が、食品流通・販売の意志決定を担当しているということに恐ろしささえ覚える。ある種の権威と煙に巻くような手法こそ、その「科学的」「専門的」根拠を否定するものになるのではないか。そのことをなぜ自覚できないのかが、遺伝子組み換え食品の安全性よりも大きな疑問となって私の中に残っている。
話は少し変わるが、以前、病院の薬剤師のレクチャーを聴いたことがある。妊娠中だった。その中である受講者が質問した。
「妊娠に気づく前、売薬を飲んだのだが大丈夫でしょうか?」
私は講師である薬剤師がなんと答えるのか興味を持って、また、少し意地悪な気持ちで、それでもひとりの妊婦として小さな不安を払拭してくれるのではないかという期待とともにその答えを待ったが、それはまったく期待はずれなものだった。
「薬はみんな厚生省が認可したものですから心配はいりません」。
質問の本質とはまったく見当違いの答えであった。厚生省が認可していても、それでも心配、それでも不安と思う質問者の真意になぜ考えがおよばないのか。認可していながら薬害がなくならない事実をいったいどう説明しようというのか。そのとき、その思いを質問にして、単刀直入に聞き返してみるという方法があったかもしれない。しかし、私の結論は、「この人にこれ以上聞いても無駄だろう」ということだった。遺伝子組み換え食品に関して、実際それが安全か危険か、安全評価基準がどうであるか、チェック機能を果たしているのかという本質的な問題を語るには、厚生省は未熟すぎる。まず、コミュニケーションの技術から学んでほしいと、思うのが正直なところである。これは厚生省に限ったことではなく、つい先日成立した家電リサイクル法の議論の中でも、容器包装法でも、長良川でも諫早でも、結局は、コミュニケーション技術の不足やその努力を怠っているために生じている不毛な議論、本来ならば回避できる衝突を作っていると思えてならない。

◆議論のための前提
そもそも、遺伝子組み換え食品は消費者にメリットがあるのだろうか。
1997年12月3日現在国内で販売が許可された遺伝子組み換え食品は、7種類20品目。麒麟麦酒(株)の日持ち性向上を目的としたトマトのほかは、除草剤耐性と害虫抵抗性を持つ作物である。これらは従来の作物よりも収量がよく、作物は安くなる。将来の食糧危機の到来にそなえた技術である。作物自体に害虫抵抗性があるので減農薬にもつながると開発メーカーはいう。除草剤耐性はどうか。除草剤を撒かなくてもいい性質ならともかく、除草剤に抵抗する性質である。どんな植物でも枯らしてしまう除草剤「ラウンドアップ」をかけてもその作物だけは枯れないというのなら、それまでは目的の作物にはかからないようにして使用してきた農薬をそのような配慮なしに撒けるようになりましたということを意味する。残留農薬の心配が新たに生じるのである。
このことについて、1997年12月3日の食品衛生調査会では、次のような議論(?)が行われている。
委員:除草剤耐性で除草剤使用量が減るというが理由が分からない。
寺尾部会長:撒く時期、タイミングで、撒く回数は減る。具体的にはよく分からない。
座長:かけてもかまわないならたくさんかけることになるだろうし。
境食品保健課長:次回までに具体的に報告する。
(『遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーンニュースレターVOL.10』より)
すでに遺伝子組み換え食品が流通を初めて1年以上経ったこの時点でこの程度の話をしていることにも驚くが、なによりも、消費者にとってメリットと認められる根拠が非常に希薄である。生産量が上がるとか、将来の食糧危機を回避するために必要だといったようなこともいわれているが、私たちにとって、日本人にとってどれだけ「いいこと」があるのかをきちんと説明したものはない。ましてやその「メリット」が根強い反対意見や予測し得ない健康被害を軽視してまで必要なのかを、検証したわけでもない。かりに生産量が上がったとして、ダイズ製品は安くなるのか。ダイズは流通にのった時点ですべて「ダイズ」として扱われる。つまり組み換えダイズも既存のダイズも混ざった状態で流通するのであるから、遺伝子操作によって生産コストが抑えられたとしても、生産者がわざわざそれを安い値段で卸すということは考えにくい。さらに、海を渡って、複雑な流通経路を経て到着する店頭では、生産コストの低下に見合った価格が設定されることはありえないだろう。このような稚拙なロジックで、遺伝子組み換え食品という商品の「優れた」部分を説明しようというのがまったく信じられないし、なぜそんな簡単なことが分からないのかと逆にこちらが同情したくなるむなしい場面である。ラウンドアップという除草剤はどの植物も枯らす。だから、これに強い性質を持つ作物を作る。この両方を同じ会社が開発、生産、販売している。このマッチポンプともいえる所業を上記のむなしい議論ではなく、完全に払拭できる説明があるというのなら、ぜひとも聞かせてほしい。私の目的は、議論に勝つことではない。上記のような疑問をきちんと整理し、疑いを払拭して、安全な食品を提供するために行政としての責任を果たそうという意志がある人と話ができるなら、この議論ももう少しまっとうなものになるのではないかと、逆に期待したくなる。そのくらい、むなしい。
(どよう便り 14号 1998年5・6月)

 

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