リレーエッセイ 私と大学(その2) いかに生きたらいいのか-、ということと 学の存在意義

投稿者: | 2000年1月10日

鎌形正樹

1★ 30にして迷う。大学院への道。
現在私は、某大学の経済学部の大学院生をしています。社会人生活約10年を経ての学生生活です。とはいえ週の半分は、農作業という2足のわらじ生活でした。30歳を越え、子供もいてなぜ大学を選んだのか、少し考えをまとめてみました。
簡単に言うとこんな感じです。自分が10年来やってきた、自然の循環に沿うような生き方をしようとしてみたら、思いのほか社会との関係が大きく、簡単ではなかったということです。そしてその社会は、ますます自然と離れる方向に進んでいると思わざるを得ないのです。だいぶ「エコ」などという言葉が浸透してきたけれど、まだまだ100本木を切って、1本植林してうちの会社はやってます的なのが多いと思う。そしてどうもその基には、経済活動があるんじゃないか、お金の理論と動きをつかまないと社会を良く理解できないんじゃないか、と考えました。その時に、いろいろな方法がある中で、まとまった時間を取ってきちんと勉強できる環境として、大学が最適に見えたのです。

2★ 目詰まりしている学問。
では現実に入ってみた大学はどうだったかと言うと(これはあくまである大学での経験だし、独断と偏見に充ちた視点で見たもので、一般化できるかどうかは分りませんが。)、はっきり言って目詰まり起してるんじゃないのって感じを強く受けました。社会学、自然科学を問わず、学問が専門化細分化してしまい、ちょっと分野が違った研究には関心を示さないとか、自分の研究しか関心がない先生方が多いのではないでしょうか。いいとか悪いとか言うことではなく、専門家とはこういうものかも知れませんが。こういう面の弊害として、助け合う雰囲気でない、違う研究成果をいかせない等があると思います。(当事者達は、十分協調的だとか、学際研究してると思っていると思いますが。)たとえば、私が問題があると思っている事は、最新の生態学の成果が、経済学や分子生物学にいかされていない事です。
それにもう1つ、上田さんも言われているように、現在は科学技術の発展を多くの人の知恵で的確にコントロールしなければならない時期にきていると思うのです。遺伝子操作や核関係、そして経済工学のあり方など。こんな時期になんの役に立つか分らない研究をしている場合ではない、と思ってしまうのは私の言い過ぎと言うものでしょうか。

3★ 異業種、異分野格闘技タッグマッチの時代。
つぎに大学のある方については、以前森さんが指摘した「異業種、異分野格闘技タッグマッチの時代」(『どよう便り』第27号)という見方は的確なものと思います。これも個人的経験からですが、今は大学レベルの内容で、しかも面白い講演会や情報誌・機関紙が、たくさんあります。これにひきかえ眠くなるような話し方と、まるでビジュアル的でない板書では、生徒を引き付ける事、授業に引き込む事は出来ないでしょう。あえてきつい表現をすれば、本当に聞いてほしいと思ってんの?、自分の授業を聞くと生徒の為になると本当に思ってるんだったら、もうちょっと工夫してよ!と言いたい講義が多いです。(面白い講義だったら、私の方がうまいぞ!)
しかし、学生の質(状況?)も考えなくてはならないでしょう。今時勉強をしに大学へいく学生は、どれほどいるでしょう。(自分も当時はバイトと山に明け暮れていた。)なんで大学に来ているかと言えば、学歴・遊ぶためと言うよりも、「単に大学生がしたいから」と言うのが1番多い理由ではないのかなと思います。こんな学生に対して真剣に授業の内容を吟味する気がわくか?と問われれば、わかないのも納得してしまう部分もあります。

4★ 開かれた公共の「知」のセンターたりえるために。
大学の変革の方向性としては、上田さんの表現にもある「開かれた公共の知のセンター」を目指すべきと私も思います。しかし抽象的には分るけど、具体的にどうする事なのか?と問われると今は何とも言えないというのが正直なところです。ただ変革が必要な時期にある事は確実だし、市民・社会の声を聞く事が大事だという事だけは、間違いないでしょう。
大学改革の必要性として、よく言われている「革新的な研究の停滞-欧米との競争に負ける」式の変革論は何か違うと思います。私の希望としては、今の生産技術開発の府的存在から早く抜け出しもっと深い存在、つまり大学そして学問が1人1人の人間が幸せに生きるための理念と方法論の開発、そして議論の場になって欲しいと思うのです。

 

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