高橋佳子
広島県・大久野島土壌からヒ素
1996年7月中旬、私は広島を訪ねた折、友人から聞いていた<旧毒ガス島>をどうしても見たいと思い、大久野島へ足を延ばした。
大久野島は、周囲4キロの島全域が国民休暇村で海水浴客や修学旅行生など年間15万人も訪れる観光の島である。プールやテニスコートもあり、サイクリングもできる。
この日もたくさんの家族連れなどが宿舎に溢れていた。休暇村の宿舎はロビーも広くホテルのようで、ロビーに続くレストランも海水浴客やテニス焼けした観光客でいっぱいだった。
島の桟橋近くに赤い煉瓦風の造りの「毒ガス資料館」があり、島のかつての歴史を知ることができる。いかに過酷な労働条件の中で工員たちが働いていたかが解る。当時の防毒マスクや防毒服が展示されており、その頃の様子が身に迫ってくる。多くの人がこの毒ガス工場で作業中に被毒していた。展示室を進むにつれて次第に気持ちが重くなっていった。
展示を見終えて、一歩外にでると強い夏の日差しがいきなり、重くなった頭の上を照らした。相変わらずたくさんの家族連れが浮輪やビーチボールをかかえて歩いている。「大きなギャップだなあ」と感じた。
疲れた身体を休めようと再びロビーに戻った。そこでたまたま手に取った『中国新聞』一面に、「えっ」と、わが眼を疑った。《大久野島土壌からヒ素/毒ガス貯蔵地跡/基準の400倍》と大見出しが踊っていた。
旧日本軍毒ガス製造工場のあった大久野島の土壌から大量のヒ素が検出されたというのである。 恐ろしい記事の内容と自分がまさに今、そこを訪ねている偶然とに私は驚いていた。つい数十分前、<毒ガス資料館>で初めて見た、防毒服と防毒マスクに身を包んだ作業員の姿、毒ガス工場内の異様な写真が、ヒ素という言葉とともに蘇り、思わず息苦しくなった。
この島で戦後50余年を経た今も、水道水までが汚染されていることが、環境庁の調査で戦後初めて明かにされたのだった。
しかも環境庁はこの調査結果の概況を、調査を始めて間もなくの1995年7月にはつかんでいながら「対策を立ててから発表するつもりだった」として1年間公表していなかったのだ(『中国新聞』7月13日付朝刊)。
その後も新聞には《毒ガス遺棄重いツケ/「国の責任」迫られる全容解明》、《水道水からもヒ素検出/6月末取水を停止》といった見出しで、連日大きく一面に報じられていた。
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