2007年9月巻頭言
リスクコミュニケーションというリスク
吉澤剛
(市民科学研究室理事)
今年の5月、厚生労働省は月齢20ヶ月以下の牛の牛海綿状脳症(BSE)検査に対する全額補助を来年7月末に打ち切ることを決定した。それに対して一部の自治体が独自に検査を継続する方針を示しているが、同省が都道府県などに通知を出し、全国一斉に検査を終了するよう求めていることが先日明らかになった。厚生労働省はその理由として検査をしていない産地の安全性が劣るイメージを与えると説明し、継続や検査結果の表示について「望ましくない」と牽制している。朝日新聞の7月の調査によると、神奈川、兵庫、和歌山、徳島、佐賀、長崎、宮崎、鹿児島、沖縄の9県が補助打ち切り後も「検査を続ける方針」と答えている。
上のニュースは、厚生労働省と自治体がリスクコミュニケーションに失敗した一例として挙げたものである。リスクコミュニケーションという単語を今まで一度は耳にしたことがあると思う。「リスクコミュニケーションとはどんな食品にも食べ方や量によっては多少のリスクのあることを前提に、科学に基づいて費用や効果も考え、科学的な対処法等について広報し、意見を交換し、協力することをいいます」(内閣府食品安全委員会『食の安全に関するリスクコミュニケーションの現状と課題』、2004年、5頁)。このような政府の説明を読むと、リスクコミュニケーションは省庁など政府機関が主体となっておこない、リスクについてのメッセージを出すことを狙いとしている。また、健康や環境についてのリスクを想定し、主に一般市民を対象にしたコミュニケーションである。つまり、政府機関の設置した組織などを通じて、専門家の科学的知見に基づいた健康や環境についてのリスクを非専門家である一般市民に伝える、というのがリスクコミュニケーションの主旨であり、実態となっている。双方向のコミュニケーションを実現するため一般市民の意見が専門家や政府に伝えられることもあるが、それはリスクについての考えを反映させるというよりは、意見を聞いた上で市民の「間違った」リスク認識を正すという意味合いが強い。こうした活動は下の表にあるように、リスクコミュニケーションの狭い定義に基づいている。
リスクコミュニケーションの定義
広い定義 狭い定義
意図 特になし リスクについてのメッセージを出すことを狙いとする
内容 あらゆる個人や社会のリスク 健康や環境についてのリスク
対象者 特になし 特定の対象者
情報源 あらゆる情報源 科学者や技術の専門家
メッセージの流れ あらゆる媒体を通じてあらゆる情報源からあらゆる受け手へ 定められた媒体を通じて専門家から非専門家へ
Plough and Krimsky(1987)を基に作成
最初のニュースに戻ろう。厚生労働省と自治体とのリスクに対する認識の違いはどこから来るのだろうか。厚生労働省はリスクコミュニケーションは正しくおこなわれ、月齢20ヶ月以下の牛の感染リスクは人々が許容できるほど十分低いと考えている。しかし、リスクというものは個人によってその認識も受容度も異なる。検査を継続しようとしている自治体はそれを意識し、感染リスクを高く見積もったりリスクをおそれる消費者に対して「BSE検査済みの月齢20ヶ月以下の牛」という新たな選択肢を与えようとしているのである。また、自治体は個人の健康についてのリスクだけを見ているわけではない。検査を終了することで社会が安心感を失うことのリスクも含めているのである。厚生労働省は「検査をしていない産地の安全性が劣るイメージを与える」と言うのであれば、そもそも検査を一斉に終了することによる人々の不安の増大や風評被害といった社会的リスクをどの程度考慮していたのか聞いてみたい。いったいどちらの方が社会に安心を与えると考えていたのだろうか。安全や安心というものは実験室や会議室の中で測れるものではなく、社会に出て、人々に触れて知るものであろう。
自治体は政府の委員会で専門家が決めたことだけを鵜呑みにするのではなく、消費者や産業界からの声に耳を傾け、彼らの認識しているリスクもコミュニケーションの情報源としている。検査を継続する自治体は検査によって科学的リスクが低いということを示すばかりでなく、検査を続けることで社会的リスクをできる限り抑えようとしているのである。政府は「専門家が科学的リスクを算定し、一般市民にその情報をきちんと与えればリスク認識も改められるだろう」と考えてきたのではないか。政府がリスクコミュニケーションの狭い定義に甘んじ、消費者や市民と真摯に向き合ってこなかったツケは小さくない。リスクコミュニケーションが人々のコミュニケーションにリスクを与える、という笑えない皮肉になりかねない。
コミュニケーションという言葉は「共有」を意味するラテン語に由来する。リスクに対するただ一つの考え方を全員で「共有」するのではなく、相手のリスクに対する考え方を自分が理解し、自分のリスクに対する考え方も相手に理解してもらう。それが本当の意味での「共有」であり、本当の意味でのリスクコミュニケーションである。