東京都内に広がる重層長屋の危険性
山口 安平 (ジャーナリスト)
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重層長屋で大火災になる可能性
「重層長屋」という言葉をご存知だろうか。
重層長屋とは、共用の廊下や階段、エレベーターがなく、すべての住戸が1階にあり、縦に連なる
長屋のことだ。この重層長屋が世田谷区を中心に数多く建設されている。世田谷区に住む近隣住民は「共同住宅は東京都建築安全条例で規制されており、共同住宅とまったく同じ構造の重層長屋が大火災になったら周辺が火の海になりかねない」として、世田谷区に重層長屋の建設禁止の条例改正を求めている。
だが、これは決して世田谷区だけの問題ではない。重層長屋は都内全域に広がりを見せつつあるのである。
「重層長屋」という聞きなれない言葉を説明する前に、まず「路地状敷地」について説明したい。
路地状敷地とは、間口が狭く、通路のように長い路地状の敷地部分の奥に建物のスペースがある敷地のことだ。上空から見ると旗竿形状の土地になっているため、別名「旗ざお敷地」とも言われる。
建築基準法では、民家で四方に囲まれている住宅地を分割する場合、道路に2m以上接していなければならない。そのため、道路から奥まった所にある敷地は道路までの通路を確保するため、旗竿形状の路地状敷地が形成されるのである。路地状敷地の建物は奥まったところにあり、火災時などの避難に支障が多いために、東京都建築安全条例ではマンションなどの共同住宅を建てることを禁じられている。
重層長屋なら路地状敷地でもOK?
東京都建築安全条例では、①複数の住戸が連なる長屋であること、②長屋の各戸の出入口は幅員2メートル以上の敷地内の通路に面していること、③準耐火建築物であること、であれば路地上敷地でも建設が可能になる。要するに、高さ制限を除けば、理屈の上では50階建てであっても上記3つを満たしていれば問題なしとして扱われる。長屋は共同住宅とは異なり、それぞれ独立した一階の玄関から直接避難できるために、建設を許されているのである。重層長屋は共同住宅に当てはまらず、建築が許可されている。
世田谷区にある重層長屋の近隣住民は「初めて見た人は誰が見てもこの建物はマンションだと思いますよ。それを共用の廊下や階段を有しないだけでマンション同等の建物が建設されるなんて納得ができません」と話す。
多くの人々が長屋と言えば、平屋の長屋をイメージすると思うが、2階建て、3階建てからなる長屋が都内各地に建設されている。共用の廊下や階段、エレベーターがなく、全戸1階に玄関があり、各戸の専用階段で上階に上がれる縦に連なる長屋を「重層長屋」と呼ばれているのだ。
そもそも建築の憲法とも言うべき建築基準法には長屋の定義すら存在しない。また東京都建築安全条例にも長屋の定義は明記されていない。何を持って長屋というべきかという基準さえ定まっていない。当然、法令上、重層長屋という言葉はどこにも出てこない。建築安全条例第十条において、「特殊建築物は、路地状部分のみによって道路に接する敷地に建築してはならない」と明記されており、この特殊建築物にマンションなどの共同住宅は含まれるが、長屋は含まれないという解釈なのだ。
急増する重層長屋
東京都都市整備局は、昨年になってようやく路地状敷地における長屋の建設状況について調査に乗りだした。これまで路地状敷地での長屋の状況を把握しておらず、一度も調査をしたことがなかった。
2009年4月から2012年3月末に建築確認を取得した延床面積300㎡以上の路地状敷地における長屋は全体数としては毎年20%増の勢いで急増している。合計で368件に及ぶ。東京都の調査によると世田谷区が51件と、他と比べて突出していることが明らかになっている。練馬区20件、足立区19件、江戸川区17件、八王子市16件、中野区16件、杉並区15件と比べても世田谷区は群を抜いている。
ここ数年で、路地状敷地が不動産業界の間でにわかに注目を集めているという。路地状敷地は普通の土地に比べて格安で購入でき、そして本来建つはずがない共同住宅と同等の建物が敷地面積いっぱいに建てることができるわけであるから、重層長屋を建てる事業者が飛びつくのもうなずける。数年前からアパート投資に関する手引き書がいくつか販売され、しかも世田谷区が狙い目の土地であることが紹介されたことで、重層長屋が世田谷区に集中している。
完了検査後にロフトに改造
そういった状況の中で近隣住民との摩擦も目立ってきている。
近隣住民が何よりも心配しているのは、重層長屋で火災になったらどうなるのかということだ。
そもそも路地状敷地に共同住宅が建てられないのは、火災などで入居者や周辺住民の安全が確保できないからだ。それは構造が同じである長屋も変わらないはずだ。むしろ長屋は一方にしか通路がないため、パニック状態になることが考えられ、逃げることも容易でない。また避難通路の幅が狭く、消防車も中まで入れないことで、当然、消防活動も不十分になり、火災が周辺に拡大する恐れもある。
重層長屋は、マンションなどの共同住宅に求められている2方向の避難経路が不要で、むしろ共同住宅よりも火災時は危険が付き纏う。
世田谷区松原地区にも賃貸物件の重層長屋が建っている。2012年4月末に全14戸に入居している。近隣住民によると、好立地にあるためか、募集して即14戸は埋まったという。
賃貸物件の重層長屋のほとんどは、ワンルームに加え小屋裏収納をロフトと称し、寝室として利用を促すような宣伝文句で利用を促している。内部はデザイナーズマンションとして売り出しており、若者層のカップルを惹きつけている。近隣住民によると、ほぼ若いカップルだという。小屋裏収納は高さ1.4m以下で居室面積の2分の1未満であれば階として扱われない。つまり構造計算せずに建築確認申請を下ろすことが可能だ。
ところが、繰り返すように不動産情報では、ロフトと称して小屋裏収納を居住スペースとして利用できるように表示していた。しかも完了検査後にロフトの高さを居室スペースとして利用するために1.4m以上に作りかえていた。不動産業者が『ロフトで寝たら気持ちいいですよ』など、ロフトを居室として販売しているとすれば、明らかに違法な建物を販売しているわけであり、宅地建物取引業法に抵触している可能性も考えられる。
また、完了検査後に小屋裏収納に2台目のエアコンを設置していた。さらには収納が設けられ、タイルカーペットが敷かれ、階下の居室よりも大きい窓が設けられていた。明らかに居室利用として改造していたという。
4階建ての建物を2階建てとして確認申請を下しているわけであり、本来、居室利用であればロフトも階として扱われ、構造計算が必要になるはず。小屋裏が居室利用だとすると延べ面積が500㎡を超え、構造計算によって安全を確認しなければならず、違反建築物になる。
隣接住民は建築主に計画の白紙撤回を求めたが受け入れられないため、2010年6月に、区の建築審査会に対し、不服請求書を提出。同年11月に建築審査会は、「長屋のロフトは限りなく部屋使用目的であり、階と見るしかない。そうなるとこの建物は4階建てとなる」として、建築確認取り消しの裁決を下した。また第1種低層住居専用地域の容積率もオーバーとなり、容積率150%を超える違反建築物となり一旦工事は中止された。
だが、工事は2ヶ月中止されたが、建築主はロフトを収納限定とする約束をして、収納部から扉を外し、ロフトの窓にパネルを貼り、さらには設置されていたエアコン、インターネット、テレビケーブル、床のカーペットを外すことで、再度建築確認を取得した。ロフトを居室利用しないことを約束したはずが、カップル、ファミリー向けメゾネット物件として広告販売され、撤去となったはずのエアコンが完了検査後に設置されていたのだ。何のための建築審査会の取り消し裁決だったのだろうか。近隣住民は区に違反建築物であることを訴えているが、居住者が立ち入りを拒否しているため放置されたままだという。
違反建築物に関しては目黒区にある物件でも立ち入り検査を実施した。だが、内部の検査は建築基準法の規定で、居住者の承諾が必要になる。居住者の立ち入り拒否を理由に内部を確認することができていない。
議会の決議を軽視した住環境条例改正
世田谷区もようやく重い腰を動かした。
2012年2月22日に世田谷区議会で都市整備部長が住環境条例改正を視野に検討を進めると表明。また翌日の区議会の一般質問で保坂展人区長は次のように答弁している。
「住環境の問題について、あるいは景観上の問題など、共同住宅に近い存在でありながら、長屋が建設される大変な問題だと認識しています。実質的に世田谷区においてこういった事実上の共同住宅が広がっていくことのないように考えていきたい」
区として重層長屋が建設されないように抜本的な対策を講じるという発言だった。しかし世田谷区が考えていた住環境条例の改正案は、敷地面積300㎡以上、かつ住戸数4以上の長屋に対して壁面の後退距離を規制するものだった。しかも住環境条例では事業者側への強制力を何ら持たない。周辺住民への圧迫感を和らげることに重きを置いた改正案だった。
危機感を抱いた重層長屋がある世田谷区の各地の近隣住民たちは、4月24日、区議会都市整備委員会に「住環境条例の改正は重層長屋問題の根本的解決にならない」という趣旨の陳情書を提出。すると5月18日に、世田谷区議会は自民党以外の賛成で、陳情書を採択した。
近隣住民たちはこれで世田谷区の路地状敷地に重層長屋が建設されなくなると安堵した。
ところが、区が提示してきた解決案は先程述べた住環境条例改正における壁面後退のみだった。敷地境界線から建物の距離を従来の50㎝から建物の規模によって75㎝から1mに拡大する
という内容だった。
隣接住宅への圧迫感は戸建て住宅でも十分に起こりうる。むしろ火災時に危険とされる共同住宅と同等の構造の重層長屋が建設されていることが問題のはず。なんら建物の安全性を担保したとは言えない。
世田谷区は、「住環境条例改正で周辺に与える圧迫感を低減させ、通風や採光の確保により、適切な建築行為を誘導し、良好な住環境を確保できる。重層長屋の建設そのものを規制することは、東京都建築安全条例の関連で、区独自の条例制定は難しい」と住民に説明している。
だが、議会の趣旨採択は強制力の弱い住環境条例では不十分だということで、強制力の強い独
自条例を求めて請願が出され、議会で趣旨採択されたはず。それなのに区議会に相談することなく、住環境条例の素案を都市整備委員会に報告し、保坂区長が記者発表した。これは議会制民主主義の根幹に関わる問題と言っていいだろう。
懸念される拡散の恐れ
一方、東京都の対応はどうなのか。東京都も路地状敷地における重層長屋に問題があることは認識している。昨年2月6日には特定行政庁に向けて、建築確認時に通路の有効な幅の確保やロフトで居室転用がないかなどを確認し、建物が違反している場合は是正指導を行うことを文書で通達している。
しかし、東京都の担当者は「現在のところ安全条例の改正はない」と、私の取材に次のように答えた。
「確かに、世田谷区では問題になっていますが、ほかの地域はまったく問題になっていないところもあります。建築安全条例は都内全域の条例ですので、都内全体として問題が出てくれば、改正も考えられるでしょうが、今の状態では条例を変えてまでという感じではありません。地域の実情は地域の条例改正や地区計画などで対応していただくしかありません」。
現に、東京都はいずれ来るであろう直下型地震とそれに伴う大火災に備え、「木密地域不燃化10年プロジェクト」を動きだしたところだ。路地状敷地の重層長屋を放置することは東京都が推し進める災害対策と逆行していると言えるのではないか。
共同住宅が規制されていて、同じ構造の重層長屋が問題なしということに疑問を持つことこそがむしろ自然な考えである。路地状敷地で共同住宅を規制しているのは、火災があった時に危険であるからであり、建物構造が何ら変わりない重層長屋も規制されるべきという近隣住民の声は至極当然と言える。
東京都の担当者が言うように、現在はまだ特定地域だけの問題かもしれない。しかしすでに問題は各地に拡散している。すでに世田谷だけでなく、文京区にある重層長屋も建築確認取り消しの採決が下され、新築工事がストップしている。
また、路地状敷地における重層長屋の建設の是非をめぐっては、新宿区下落合のタヌキの森と呼ばれる屋敷跡に建設された重層長屋で2009年12月に最高裁において、「災害や火災時の安全性が不十分」として、建築確認の取り消しの判決が下され、完成間際の建物がそのままの状態になっている。
もはや世田谷区だけの問題ではない。このままだと各地の路地状敷地に重層長屋が拡散飛する恐れもある。
あなたの隣に重層長屋がいつ建設されても不思議ではないのである。■