メディアとしての科学博物館
高橋真理子
『どよう便り』第7号で研究発表「宇宙イデオロギーを批判する」に対するご感想を執筆いただいた高橋さんが、博物館での仕事をとおして”科学技術コミュニケーション”がどうあるべきかを論じてもらいました。次号では大学に勤務する田中浩朗さんからの報告を掲載いたします。
はじめに
今夏、土曜講座の夏合宿に参加させていただきました。その中で、『科学技術への処方箋』(北樹社、1997)をみんなで読む勉強会が企画されていたのです。各自一章分を割り当てられ、それについての意見を述べていくという方法で、上田さんが私に割り当ててくださったのが「第9章 科学技術時代コミュニケーション」でした。
ここでは、科学技術に関する情報の伝達や報道の現状とその問題点、市民の科学技術情報の受け取り方、科学技術への市民参加の可能性などが論じられています。科学技術と一般社会を結ぶ情報伝達手段(コミュニケーションのメディア)として、教育、マスメディア、宣伝、インターネット、図書館、科学博物館、製品・サービス等が主なものとして挙げられていました。「おっ、科学博物館もメディアのひとつとして考えられているのか。」と多少の嬉しさを感じながら、一方で、どこまでメディアとしての役割を果たしているのか、それ以前にほんとうにメディアだと認識されているのかしらん、という疑問があったのも事実です。
この疑問をもとに、本稿ではメディアとしての科学博物館の現状と可能性を考えていきたいと思います。こういったことを述べるのにまず、私の立場と視点を明確にしておこうと思います。私は今、来年オープン予定の科学館で仕事をしています。宇宙理学の研究の場からこういった社会教育施設に来たことについて、どよう便り(7号)の「宇宙イデオロギーを批判するに参加して」という文章に、少し書かせていただきました。なぜこういった場所を選んだのか、もともとは、(このことには上記の文章では触れていませんが)自分の広がる興味をなるべく捨てないようにするにはどうしたらいいかと考えていたときに、”科学も芸術も音楽もすべてひっくるめられるミュージアムをつくればいいのだ”、と思い付いたというのが大きな理由のひとつです。さらに、大学院以降、多くの研究者と知り合い、科学の方法と考えられるものを知り、”科学と一般の人々を近づけるには研究者の人間的な面を見せ、研究のプロセスを見せていく必要があるのではないか”と考えるようになったというのもあります。
「近づける」というのは、科学主義に洗脳するということではなく、科学が考えるプロセスであり、あるいは人間の知恵であり、人々の日常の近いところにある、という感覚を持つ、ということです。私は、科学博物館が、「人の営みとしての科学を研究者も一般の人たちも一緒に考えられる場所」になり得るのではないか、という希望を持っています。そういった視点に立ちますと、メディアとしての科学博物館に求められるもの、というのがいろいろ出てくるように思うのです。
1)科学技術時代コミュニケーション
なにも「科学技術への処方箋」ばかりを引用することもないのですが、本稿の展開のいいきっかけを与えてもらったということで、先ほどあげた「科学技術時代コミュニケーション」の章の内容について、もう少し触れておきます。 専門家と市民の間の情報を(専門家から市民への)一方通行に促している現在のメディアの働きに対して問題提起をし、市民の科学技術情報への参加への方法の示唆を目標にしているのが、この章の論点だと私は解釈しています。 現在のメディアの問題点とは、たとえば「情報弱者」を生み出す恐れのあるインターネット、参照可能性のないテレビ、科学技術に対する認識の甘いマスコミ、難解な専門用語をそのまま使う研究者のコメント、などが挙げられます。 そしてこれらのメディアは、市民の情報への参加がしやすいものとは決してなっていないのが現状です。
「マスメディアで報道されるのはジャーナリストによる専門知識の解読・解釈が行われた結果である。(中略)問題となるのは、この交渉の結果である報道が、人々が自分で判断するために必要な情報となっているかどうかである。医療の世界での『インフォームドコンセント』と同じ考え方は、まだ科学技術の専門家の間では一般的にはなっておらず、専門知識の中で判断すべきことと、人々が選択、判断すべきことの区別がきちんとなされていないように思われる。」
「マスメディアは人々の知りたいことを伝え、人々の意見を代弁して政治、経済に、そして科学技術に伝える役割を担っている。(中略)しかし、直接に科学技術に関わる問題についての人々の声、考え方、そしてあるとすればそれぞれの問題についてのコンセンサスを伝えるメディアは限られている。」と筆者は述べています。
つまり、筆者のいうところの市民と専門家、さらにはマスコミや政治家の間における”交渉”がしっかりとした働きを持っていない、あるいはよく認識されていない、ということです。 科学技術情報がメディアを通じて、伝えられるとき、関係するアクターたち(市民、専門家、マスコミ、政治家など)が情報をどう扱うかをめぐって”交渉”している、という視点に立つと、市民の情報に対して持つべき態度というものが見えてくるのではないか、と提案しています。この”交渉”を促すことができるかどうか、という視点に立って、各メディアを評価していくという、筆者の考えを参考にしつつ、いったん話を日本の科学博物館に移します。
2)メディアとしての科学博物館?
さて、「処方箋」においては、メディアの一例として名前はでていましたが、詳しい言及がなされていなかった科学博物館のことについて話をしていこうと思います。現在の日本の科学博物館がメディアとして、どんな機能を果たしているのか、ほんとうに果たしているのか、できることはなんだろうか、というのが話の焦点です。
日本の科学館のイメージ
博物館の分類の仕方はいろいろありますが、資料の種類による分類をした場合、総合博物館、人文科学系博物館、自然科学系博物館という大枠の分類ができます。その中で、自然科学系博物館は、現在全国におよそ300強あるとされています。自然科学系の中で、さらに自然史系と理工系という分類の仕方があるようです。日本では、博物館というと、何かしら人文系、歴史系の博物館を思い浮かべがちで、また、自然博物館(あるいは自然史博物館)というのは、自然や環境を主に扱うところ、科学館というと理工系のもの、というイメージで差別化されているようです。「科学」という非常に広い意味の言葉を使っていながら、理工系に偏っているというのは、何かしら変な気がします。
そして、さらに不思議なことに科学館の上には、青少年、こどもという言葉がついているところが非常に多く、こども自然史博物館、こども歴史博物館、というものはほとんど聞いたことがありません。データが少し古くて申し訳ないですが、1993年の全国科学博物館協議会に加盟している館を調べただけで、科学館という名前のつく館のうち(56館)、4割が青少年、あるいはこどもといううアタマがついており、博物館という名前のつく61館中、こどもがつくものは1館のみでした。
これらのことは、博物館に対する日本社会でのある価値観、あるいは、一部の人間によってつくられた一種の政策の末を表しているものかもしれない、と思います。ついでにいいますと、「青少年」がついている館は、設立が1960年代から1980年代にかけて一様にありますが、「こども」がつく館は、設立がすべて1980年以降になっています。「青少年」は、1959年に社会教育法が改正され、市町村が青少年教育に関する指導助言権を持ち、青少年問題に対応するための施設設置条件が整えられたころの産物ということができ、「こども」がつくようになったのは、「参加・体験型展示」と呼ばれるものが博物館に多く導入されるようになったのに伴っているといえます。 60年代の科学館ブームは、背景として高度成長期の科学技術の振興があり、80年代ブームは、国連の国際児童年(1979年)に際して「公立こども博物館整備方針」を文部省が打ち出したことをきっかけとなっているようです。また、80年代は博物館全体で参加・体験志向型の流れがあり、参加・体験型展示というものが「科学館」の格好の資料(材料?)となり、参加・体験←ハンズオン展示←チルドレンズミュージアム←こどもという関係のもとに、そういった名前がつけられたのではないかと私は思っています。
それにしてもなぜ、科学館だけに「こども」がついて、しかも、「科学館」というイメージには「こども」が伴うようになったのでしょうか。上にあげた流れでの「こども」の名称がついたという考えが正しければ、なにやら「こども」と「科学館」が結びついたのは本末転倒の産物という気がしてなりません。こどものための施設に「科学館」がふさわしくないと言っているのでは決してなく、「科学館」のイメージが「こども」、もっといってしまえば「こどもの遊び場」にいつのまにかなってしまったところに、現在の日本の科学館の問題があると思うのです。
科学館のなかみ
さて、科学館とは何をやっているところでしょう。 これを読む方々の中には、何度も行ったことがある人も、あるいは一度も行ったことがない人もいらっしゃると思うのですが、それはおいてまず科学館と聞いたときどんなイメージが思い浮かべるのでしょう? さきほど言ったような「こどもの遊び場」的イメージは少なからずあるのではないかと思います。
日本にある「科学館」のよくあるタイプ(とくに最近のもの)を紹介してみますと、たとえば、自然、生命、宇宙、地球とかいった分野でわけられていて、それぞれの部屋に「参加・体験型展示」とよばれるアイテムがいろいろ並んでいます。そして、来館者が実験や工作ができる部屋があったり、コンピューターの部屋があったり、図書室を併設しているところもあります。多くの科学館はプラネタリウムや天文台も併設しています。
外から見える「施設」としてはこのようなもので、どこも同じようなものですが(これもまた日本の社会施設の問題ですが)、ソフト部分の運営は、館のスタッフの力量によってかなり左右されています。一般的なものとして、年数回の企画展、実験や工作の教室や講座、サイエンスショーとよばれる面白い実験の披露、講演会、自然観察会、プラネタリウムではコンサートが行われたりします。教室や講座などは、一回きりのものもあれば、年間をとおしてやっていたり、また、サークル活動のようにして長年通ってくる人たちを受け入れているところもあります。
博物館の運営に関して、最近はやり言葉となっているのがボランティアで、自分の持っている知識を還元したい、地域の人とふれあいたい、という住民の希望をかなえつつ、館としても少ないスタッフで十分な来観者対応ができないところを補ってもらうという一石二鳥(に見える)もので、具体的には、来館者の実験の指導をしたり、自然観察に一緒にでかけたり、展示の説明をしたりが主な活動内容のようです。ボランティアを導入している館はまだ少ないですが、今後数年で一気に増えるものと思われます。
次に、もう少し内容について考えていきます。 いわゆる「参加・体験型展示」と呼ばれるものが科学館の中でもてはやされるようになって久しくなります。なにが参加か、というと、例えば、何かを動かして自分で試してみる、五感を働かせるようなしくみになっている、というものです。視覚の錯覚をいかして、ふしぎな絵を見せたり、また、飛行機やロケットのシミュレーションをやる、とういものもあります。
動かしてみて、原理を知ったり、しくみをしったり、あるいは予想外の結果に驚いたり、というのを期待して作っているわけです。一概にそうであると言えないのですが、日本の科学館によくあるこういった展示の欠点は、操作といってもたとえば、圧力をかけるのもボタン、ピンをはずすのもボタン・・・では、いったい自分が何をしたかわからないうちに、何か装置が動いているものになっているものが多いというところです。こどもはボタンを押すというのがほんとうに好きで、喜んで次々とボタンを押すのですが、何がおきているのか全く分からないのでは、参加もなにもあったものではないように思います。また、その展示自体が何を示しているものかわからないものも多く、ひとつひとつの展示同士のつながりがほとんどない、つまり展示をつらぬくストーリー性に欠けている、というのもいろいろな科学館に見られます。
私には、上で示したような流れできてしまった「こども」がこどもだましになってしまっているように思われます。それが「大人」を遠ざけてしまう要因にもなっています。
私も現在、展示工事に関して展示の会社の人たちといろいろ打ち合わせをします。
こちらにきて最初のころ、びっくりしたことがありました。 それは、監修者をどうするかという話だったのですが、展示の会社の方が、「いろいろ学説が左右するような問題をあつかうような場所ですと監修者をつけるのですが、このような科学館ですと決まっていることが多いですから、あまりつけないですね。」と言ったのです。そして、県の担当もうなづいておりました。
科学館は、原理・原則・しくみを見せるところだという認識でやっているわけです。 これは決して特殊な話ではなく、自治体の館によく見られる態度なのだとだんだんわかってきました。そうすると、ひとつひとつの展示自体は、何かの原理を見せるものにはなっても、それが「科学」全体のなかで、いったいどんな位置を占めているのか、あるいは、他の事柄とどうつながっていくのか、見えないのです。これが先ほど指摘した「ストーリー性の欠如」にあたります。
もうひとつ決定的な「残念なもの」は、社会や日常といったものが抜け落ちているというところだと思います。その展示の意味するところが、自分の生活や日常とどう関係するのか、あるいは、自分に何をもたらすのか、自分自身とその展示の距離がよくわからないのです。
欠点ばかりをあげていますが、日本中の科学館がそうだといっているわけでは決してありません。ただ、往々にして、このような傾向は全国に広まっているといえます。これらの欠点をあげて、私が言いたかったのは「参加・体験型展示」という言葉だけで、科学館の市民への参加を促しているなどということはとてもいえない、という現状です。
科学館のニーズ
さて、こういった社会施設というのは、その地域の人々のため、あるいは国民みんなのために創られるべきものですが、どれだけの人が、こういった施設を必要だと思い、どんなことをしてほしいと思っているのでしょうか。先の「処方箋」9章にも、人々がどれだけ科学技術情報を必要としているのか、よくわからない、といったことがかかれていますが、まさしくこれがないままに構想が進むために、コンセプトのよく見えない館が多くできてしまうのでしょう。
住民アンケートを行い、一番ほしい文化施設として科学館が浮かびあがったために、新しいものを建てたという自治体ももちろんあります。ただ、そのときに、住民たちが科学館をどんなものとして、捕らえているのか、科学館の何を欲しがっているのか、調査すべき項目はもっとあったはずなのに、そこまでは踏み込まずに構想ができあがってしまったという事実もあります。
「処方箋」における”交渉”を促す働きをしているか否かでメディアを評価するという視点を持ってきますと、科学館はメディアとして、まず最初の立ち上がりでかなりの失敗をしているということになります。住民の声の聞こえないところで「青少年のために」といったうたい文句で出てくるものは、たいていあいまいな概念のまま設立が準備されてしまいます。 そして、上にあげたような、どこでも同じような館ができてしまうのです。これが、たとえば、歴史的資料だったり、あるいは自然資料だったりすると、保存してほしい、郷土を守るための資料館がほしい、といった声が、比較的あがりやすいようです。それに対して、自然科学の資料や、科学技術の資料に関しては、自分たちのものという感覚が生まれにくい、というのが理由のひとつとして挙げられるかもしれません。
しかし、科学を「何かを考えるプロセス」ととらえると、それは自分の中にあるそのものになります。しかも、この場合の資料とは、「人間」になってもいいわけです。他の人が考えたプロセス、何かを導くのに通ったプロセス、こういったものが資料になってもいいのではないでしょうか。
科学館には実にいろいろな質問が寄せられています。 夏休みの自由研究のアドバイスをもらうことから、空にうかぶ奇妙な物体をみたがあれはなにか、といったものまで、かなりの電話の問い合わせが、多くの館にやってきます。そのレベルの違いはあれど、それを人々のニーズとしてとらえて、そこにニーズのヒントを貯えておくこともできるのではないかと思います。そして、質問が寄せられた時点で、小さな交渉を行う。館側は、「何かを導くためのプロセス」を資料として提示し、それがその人が必要なものかどうかを会話によって判断していく。もちろん、どうでもいいから早く答えがほしい、という人も多いでしょう。そこは、教育をどうとらえるかで、館の対応が変ってくることと思います。もしそこで、”交渉”を発展させるような方向が見えてくれば、それを今度はさらに、公開の場にもっていくことも考える。そういった小さな繰り返しで、交渉を促す働きというものが、生み出されてはこないでしょうか。ここでのキーワードは、科学を「考えるプロセス」ととらえること、そして、市民の声をきくということです。
3) 市民の参加する科学博物館 ~科学博物館の可能性~
メディアとしての科学博物館の特性
専門家と一般市民を結ぶものとして、新聞、テレビ、インターネットや製品といったメディアと科学博物館という場所の違いはなんでしょうか。実は、科学博物館の可能性を考えていくと、他のメディアの特徴を少しずつすべて兼ね備えているもの、ともいえるのです。
例えば、展示品は、そのもの自体が創造や技術の結果の製品ですし、マルチメディアコーナーという場を設けて、インターネットをはじめ、さまざまな情報検索システムをおくこともできます。資料・情報の保存や蓄積をしていかなければならないですから、新聞のように、のちのちまでそれらが残る形をもっています。さらに、プラネタリウムなどの解説によって、毎日、科学の新しい話題を持ち出すことによって、テレビの速報性をももっているわけです。また、プラネタリウムや館内のモニターに、館独自でつくったビデオ映画、番組をながすことも可能です。図書室が併設されているのも科学博物館としては、来館者のニーズに答えるための重要な意味をもちます。そして、さらにPR活動、これは宣伝するということだけではなく、受け手の意見を出してもらいやすいPR活動ができるのです。なぜなら、相手の顔がある程度見えるところにいるからです。意見箱に要望、質問を書いてもらったり、アンケート調査をおこなうことによる新聞の投書や世論調査の役割ができ、さらには、スタッフのところへ直接意見を言ってもらうカウンターを設けるなど、直接顔の見える活動もできるわけです。情報の発信のどころも、誰が発したことなのか他のメディアよりもはっきりとわかります。バーチャルの世界だけではなく、自分の手を動かして確かめたり、さまざまな調査に加わったりとまさしく体験をすることも可能です。つまり、他のメディアのそれぞれの欠点を補いつつ、すべてにわたって網羅できる可能性を科学博物館という場所はもっているはずなのです。
ニーズとメディア
さて、これだけの材料をもっている科学博物館と上で述べた現在の科学館の状況とはかなり隔たりがあるようですが、その要因と私が考えることは、今まで挙げてきたとおりです。2)で述べたようなことがら、つまり、科学を「考えるプロセス」ととらえて人間を資料にしてしまう、市民の声をよく聞く、ということがらを、メディアとしての科学博物館の特性と一緒に考えるとどんなことができるでしょうか。
まず、展示にストーリー性がかならず出てくるはずです。 ひとつの機械のメカニズムを説明する展示でさえ、それを考え付いた人々のアイディア、技術として試行錯誤のゆえにその形になってきたプロセス、それだけで何人もの人生を描くような物語がかけるはずなのです。あるいは、環境破壊をもたらすものを作り出してきた人々のプロセスのどこに欠けているものがあったのか、これもまたプロセスを見せるからこその問題提起です。そういった意味で、科学史、科学技術史というのは、科学博物館の重要なテーマになりうると思います。人間を資料にしようと思ったら、館のスタッフ自身、考える人でなければもちろんならないし、そこで足りない部分は、専門家とのつながりをもつことによって補う。館独自の番組などは、こんな人がここにいる、というアピールであり、人をまつカウンターは、人々のニーズを知る場所です。また、プラネタリウムは、生解説をすることによってその場のニーズを察知しながら、会話をすることが(本当は)できるはずです。
今の科学館には、資料に対する配慮が乏しいところが多く見られます。 なぜか科学館というのは、製作する装置ばかりで、収集する、蓄積するという感覚があまりありません。そのために、あえて科学博物館という呼び名にしておくと、少しばかりの資料に対する考慮が出てくるのではないか、という期待をもって本稿では「科学博物館」と「科学館」という言い方をわけました。もちろん名称は本質的なところではないのですが、言葉がひとりで動いていく場合には、言葉のもつイメージというのはとても影響力が大きいのです。「プロセス」や人の知恵を資料としていけるような、科学博物館ができるといいのになあと思っています。
とはいっても、上にあげたような科学博物館の可能性を実践するには、とにかくスタッフが充実していないとどうにもなりません。そして、そこにもまた日本の科学館の体制の問題が浮き彫りにされてくるわけですが・・・・・・。
実践のないところで、ここまで理想を掲げてしまう自分が恐ろしくなりつつも、こんなことを思い描きながら、この土地のことをほとんど知らない私にとっては、まず地域の人たちとどれだけ結びついていられるかが当面の目標と思いながら仕事をしております。