連載エッセイ「学問へススメ~技術系営業マンの学位取得奮闘記~」第1回
佐藤 隆
連載全12回の全文はこちらからお読み下さい。
営業マン、医学博士号取得
私は1980年初頭に某大学の理学部の化学科を卒業し化学メーカーに就職した。会社での配属先は技術系新卒が一般的に行かされる研究所や工場ではなく、本社に配属され、結局退職まで営業や企画の仕事を約20年続けた。その後脱サラし自分の会社を起業。自由の身となったため、以前から親交のあった医師の紹介で某大学病院の研究室に転がり込み、研究生として置いてもらうことになった。私にとって大学での研究活動は一生のうち一度やってみたい職業であった。そこで約8年間自分の会社の仕事を続けながら、主に土日に研究室に行って研究を続け、その結果を論文にまとめることができた。そして最終的にその論文で学位(医学博士)を取得できてしまったのである。現在、その学位が自営の会社の営業や製品開発の人脈作りに大いに役立っている。この連載を始めたのは、既に企業に就職しているが、仕事を続けながらなんとか博士号(学位)を取得したいと考えている技術系サラリーマンの方に私の経験が少しはお役に立てるのではないかと思ったからである。また、学位なんて何の役に立つのと思われる方に学位の意味やメリットを伝える事ができればと思う。
「猫の手」になり、便利屋になる
私は大学卒業後修士課程に進んでいなかったので、大学時代に書いた論文は無い。本格的な研究経験を持っていなかったので、大学に入っても実際に研究活動に従事できるかどうか全くわからなかった。鉄腕アトムやサンダーバードをTVで見て育った私は、お茶の水博士やDr.ブレイン(サンダーバードにでてくる科学者)にあこがれ、子供時代から科学博士が”カッコイイ”一生に一度はやってみたい存在であったのだ。そんないい加減な動機で研究室に入ったものだから研究活動などすぐにできるわけがない。しかし運の良いことに、ほとんどの大学病院に所属する医師の先生方は、複数の病院の一般外来の診療と同時に、大学での研究活動を行っており、猫の手を借りてでも実験し論文を書かなければならない状況にあった。現在も同様な状況が続いている。そのため私のように化学系や生物系の大学を出ていれば基本的な分析や実験技術は持っていると思われたので、実験の手伝いをさせる猫の手として入学が許可されたのであろう。しかし、私はといえば大学を卒業してから20年も経過しており、おまけに営業職で生きてきたので、研究室に入ってもわからないことだらけ。研究室の諸先生に質問するには、あまりにも忙しくされていたので、聞くこともできない。当初は、研究室に入り込んでしまえば、教授からあれやれこれやれで仕事を言いつけられ、教えを請いながらお手伝いできればいいかなと考えていたが現実は甘くなかった。全く声が掛からないどころか研究室の皆さんに紹介すらしてもらえなかった。全く無視されていたのである。とにかく研究室に行き流しに置き去りにされたビーカーなどの洗い物や掃除をする日々を送りながらどうしたら研究というものが始められるものかと考えた。悩んだあげく思いついたのが、時々研究室を訪問してくる分析機器のメーカーの技術者に頼み込んで、使われていない機器の操作を一から教えてもらうことだった。研究室には、使われなくなった古い分析装置が所狭しと置かれていて埃を被っていた。新しい最新の分析装置は常に先生方が使用していたので、迷惑にならない実験方法は、既に使われていない実験装置を再起動させて利用することであると思われた。「新しく研究室に配属された研究者ですが….(実は学生)」といえば、私の年齢もそれなりの歳なので、メーカーの担当者は、丁寧に教えてくれた。メーカーにとっても自社の分析装置が動き出せば消耗品や試薬の販売ができるので好都合である。
メーカー技術者の懸命の指導により、長年使われていなかった分析機器が動くようになった。そうなると研究室の先生方は動き出した分析機器で、自分の検体が分析できないものかと、研究テーマの検体について私にいろいろ聞いてくれるようになった。論文執筆にはある程度の図表の『数』が必要であり、メインの結果は最新機器で分析されたピカ新データが必要だが、そのデータを補足するその他多数の確認データが必要なのだ。私の動かした古い分析機器は、まさにその確認データを取得するのに好都合であり、従来の分析方法なので文献の引用も沢山でき考察も書きやすいので先生方の研究のお役に立てることがわかったのである。それだけでなく、他の分析機器についても、あれが動かせないかと私に質問してくれるようになった。すなわち私はいつの間にか研究室の便利屋になれたのである。先生から質問があっても、こちらも他の分析機械のことは全くわからないので、「今は手が離せないので後でお教えしましょう」と言いい、一人になったところでメーカーに電話して詳しく教えてもらい、それをオウムの様に先生にお伝えすることを続けた。大学病院はドル箱なのか、メーカーの担当者はいつでも丁寧に教えてくれて、おかげで研究室の複数の分析機器について詳しくなり、私は”機械に詳しい便利屋”として先生方から頼られる存在になった。
【続きは上記PDFファイルでお読みください】