【書評】『感染爆発 鳥インフルエンザの脅威』

投稿者: | 2008年8月27日

書評 『感染爆発 鳥インフルエンザの脅威』

マイク・デイヴィス 著
柴田裕之ほか 訳(紀伊国屋書店 2006年)

 重症の風邪を引き起こすタチの悪いインフルエンザウイルスを知らない人はいない。しかしその感染が、2004/2005シーズンの日本全国の推定患者数で1,770万人(2003/04は923万人、2002/03は1,450万人)と過去10年で最悪を示しており、推定死亡者数も15,100人といった規模に達している事実(国立感染症研究所の感染症発生動向調査より)を知る人はどれほどいるだろうか。本書第1章に手際よく解説されている、インフルエンザウイルスのとてつもなく速い遺伝的変異とそれを生み出す複雑な機構に、現代の科学が十分に太刀打ちできないでいるわけだが、しかし「感染爆発」はウイルスの性質だけで決まるのではない。そこに貧困や劣悪な公衆衛生環境がからんで劇的な拡大がもたらされることは、第2章で取り上げられている、人類史上最大の被害者を出した1918年~19年にかけてのインフルエンザ「スペイン風邪」をみても明らかだ(最近の推定で死者数は1億人に近く、当時の世界人口の約5%以上)。問題は、こうした甚大な被害の教訓から学ぶどころか、次なる感染爆発を招きかねない要素をすでに私たちが社会に内在させている点だ。時系列で個々の事例とその背景を追いながら、鳥インフルエンザが種の壁を超えてヒトに感染することに手を貸したのは、他ならぬ私たち自身ではないかと、本書は鋭く迫る。

 最近、厚生労働省はH5N1型の「高病原性鳥インフルエンザ」を、患者の強制的な入院や就業制限などの措置が取れる「指定感染症」に指定することを決めた(4月14日)。鳥から人間にも感染し、発病した場合の致死率は5割を超え、この2月までに世界で90人以上を死亡させた。人から人への感染は公式には確認されていないが、その能力をウイルスが獲得し流行すれば、最悪の場合たとえばWHOのシナリオでは世界全体で1億人という途方もない数の死者が予想されるという。
 
 鳥インフルエンザが大きく社会問題化したのは2004年で、2003年12月に韓国の農場での発生して間もなく、中国、ベトナム、タイで猛威をふるった。本書で厳しく指摘されているように、その感染爆発は、アジアの養鶏が伝統的農業から離脱して、米国のタイソンフーズ社などと同様の寡占的な多国籍巨大企業によって担われるようになったことと深く関係している(バンコクに本拠を置くチャルーン・ポーカバン社の例)。いったん感染すれば、工業式の巨大飼養場が巨大な「ウイルス培養器」になることは避けられないし、そこで一般化しているワクチン接種さえも「耐性を持つ新型ウイルスを選別するに等しい」。企業の急成長が政界への多額の賄賂を生み、そうした癒着のゆえに、監督官庁そのものが感染の事実を隠蔽することに手を貸したり、汚染鶏肉の輸出を黙認したりする。2004年の「爆発」への対処は結局、全体で1億2000万羽に及ぶ鶏の殺処分でしかなかった。
 
 問題の根は極めて深い。著者の分析では、感染爆発を促している最大の原因は2つのグローバル化(上記の養鶏の多国籍企業化と、古くからインフルエンザウイルスの坩堝だった中国南部における産業の大躍進)と第三世界における巨大都市とスラムの出現だ。このことに、「世界でインフルエンザワクチンの製造を手がけている企業はたった12社しかなく、全生産量の95%が一握りの富裕国で消費されている」――製造がやっかいなうえ、すぐに無効になるワクチンなので製薬企業はことさら敬遠する――といった事実をつき合わせてほしい。「経済のグローバル化に見合う国際的公衆衛生制度がない」なかで、感染の予兆に真摯に向き合って構造的矛盾の解決に乗り出せるか。この警世の書は、それを私たちに問うている。■

(上田昌文、『週刊読書人』所収)

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