【書評】『原子力開発の光と影 核開発者からの証言』

投稿者: | 2008年8月18日

書評 『原子力開発の光と影 核開発者からの証言』

カール・Z・モーガン & ケン・M・ピーターソン 著
松井浩 & 片桐浩 訳(昭和堂 2003年)

 保健物理学という学問の名を聞いたことのある人はどれくらいいるのだろうか。放射線利用の歴史は1896年のエックス線の発見から始まるが、放射線防護の取り組みはそれに遅れることほぼ半世紀、マンハッタン計画のさなかに着手された。初の原子炉を動かす中、目新しい様々な放射性元素との遭遇によって、作業員の安全のために何らかの防護基準を設ける必要に迫られたからだ。防護には放射線の正確な計測が必須だが、その計測器の開発に従事した科学者のうちの一人が著者モーガン博士である。放射線の健康影響(”保健”)にかかわる物理学者たち――これが保健物理学の語源となる。後にオークリッジ国立研究所(ORNL)として知られるようになる巨大なウラン処理施設の保健物理部門の責任者、関連諸学会の創設者、そして国際放射線防護委員会(ICRP)などの委員として、彼は中心的な役割を果たした。

 内部被曝に関するICRPの委員会を主導し、後に世界で採用されることになった放射線基準を作った彼だが、パイオニアたる者の科学的厳密と現実直視の姿勢を堅持することが次第に彼を原子力の主流から追いやっていく。この自伝の後半はいわばその”転落”の経緯を克明に辿っている。自身で明らかにした科学的知見や体験した事実によってなされる批判は、原子力問題の急所を痛いほどに突くものだろう。彼の信念は「人類が原子力を平和利用のために安全に利用する選択肢を選ぶ」、つまり原子力利用に伴う放射線被曝を可能な限り低減させることを最優先する、というものだ。彼とその仲間が開発したより安全な型の増殖炉が政治的理由から葬られてしまうのを、退職年齢の直前にしぶしぶ受け入れてしまったことを「私の最も大きい間違い」と著者はみなしているが、この屈辱が彼の人生を変えた。ORNLでの臨界事故(1958年)や化学爆発によってプルトニウムが飛散する事故(1959年)の身震いのするような体験は、その屈辱に甘んじることを許さなかったのだろう。ICRPなどが許容限度値を巧妙に操作する姿や医療や歯科で過剰なX線が照射されていることを厳しく批判し、プルトニウム製造工場での被曝事故をめぐる裁判(シルクウッド裁判)では証人として「安全な被曝量」の考え方の欺瞞を明らかにした。そして彼は今、「原子力時代の最も大きな挑戦」として放射性廃棄物処分と核兵器から核物質の流失・拡散の2つを挙げている。

 科学の持つ高潔さを信じるが故に「人々のために、私にとって最も重要な原則のために戦う」ことになった著者の純粋な一徹さが、原子力における科学と政治の絡みあいを科学コミュニティ内部から鮮やかに照らし出している。それが本書の魅力である。■
(上田昌文、『週刊読書人』所収)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA