写図表あり
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書評
『食料の世界地図』
エリック・ミルストーン(Erik Millstone)、ティム・ラング(Tim Lang)著、
大賀圭治監訳、中山里実、高田直哉訳(丸善、2005年)
[原著:The Atlas of Food, Brighton, UK: Myriad Editions, 2003]
塩出浩和(城西国際大学・中国近代史)
最初に手にとって、これはいい本だなあ、と感じた。読み進めるうちに、少し残念な本であることがわかった。だが、読み終えて、やはり必読の好著であると確信した。
食糧の問題が日本を、そして世界を賑わわせている。最近の話題でいうと、「毒入り餃子」・「爆食中国による高級食材の買占め」・「エタノール増産による穀物価格の上昇」などであろうか。これらの問題の後ろ側にひそむ食糧生産・流通の根本的問題について、豊富でカラフルな図表と簡潔でわかりやすい文章によって、「眼から鱗が落ちるように」わからせてくれるのが本書である。
たとえば、第26章の「フード・マイレージ」を読むと、毒入り餃子問題の本質は、「中国の食品加工工場の劣悪な衛生管理体制」や「一部の中国人が持っている強烈な反日感情」というよりも「食料の長距離輸送にともなって距離と時間に比例して増加する一般的リスク」であると考えたほうがわかりやすいということが理解できる。かつての伝統的農業社会では、人が口にするものは「みずからの手で、みずからが目にする場所で生産され、生産されてからあまり時間をおかずに消費されていた」から、食品の汚染に対してのリスクは低く、リスクがあってもそれを自分で認識し、コントロールできた。しかし、今や日々の食卓に供される食品は、規制が緩やかだった数年前に製造された農薬を使われて遠隔地において生産された原材料を使い、やはり消費地とは文化も言葉も違う地域の工場で外国人によって加工され、行ったこともない港から輸出されて、日本に来るのである。貯蔵方法や流通方法の進歩・改善があるとはいえ、やはり他人が作り遠くから時間をかけて運ばれてくる食品は「中国製に限らず」危険なのである。また同章を読むと、長距離の食料輸送が温室効果ガスをいかに大量に排出しているかもわかる。
そのほかにも、いかに少数の世界的大企業によって、食糧生産のかぎとなる農薬や遺伝子組み替え(本当は遺伝子改竄というべき)技術が独占されているかもわかる。
原書が書かれた時期は、世界的な穀物過剰の時代であったから、穀物の価格低下がいかに発展途上国農民を苦しめているかが書かれている。現在は中国などの経済離陸期にある大国が穀物食から肉食に転換していることと、バイオエタノールの需要増加によって、穀物価格が異常に高騰していることが問題となっている。一見逆の問題に見えるが、本書の各章を読むと、この問題の根は「食料生産の工業化と食料の貿易商品化」による「供給と価格の不安定化」であることがよくわかる。
そのほか、国際的食料援助や農業関連ODAがきわめて政治的に先進国(とりわけアメリカ)によって扱われ、それら国々の国益追求手段のひとつになっていることや、先進国国内政治問題の解決のためにゆがめられていることなどが、本書を読むとよくわかる。
単なるイメージだけでなく、統計の裏付けがあることも本書の長所のひとつである。
しかしながら、本書には看過できないいくつかの欠点もあり、書評子としてはそれらを書かないわけにはいかない。
まず、全体として使われているデータはヨーロッパのものが多く、アジアにおける食料生産の問題点や途上国の食文化の多様性などにはあまり注意がはらわれていない。また、「イスラーム国では一律に酒が禁止されている」と読める記述があり、著者は「イスラーム教を国教としているのに酒の販売・消費が比較的自由なマレーシア」などの事例を知らないのではないかと疑いたくなる。
数は多くないが、明確な誤記・誤訳も散見される。例えば、第16章の55頁右下のグラフ(遺伝子組み替え作物の特性)には植物の「殺虫剤耐性」という言葉が出てくるが、これは「植物が害虫に対して抵抗性をもつこと」であるから「害虫耐性」または「害虫抵抗性」とすべきである。
日本語訳は全体としてぎこちない。しかしこれは、訳者が「なめらかな日本語」よりも「正確な訳出」を重視した結果であう。BSE(牛海綿状脳症)の原因についてなど、学界でもまだ統一的な見解の出ていないことがらについては、適切な「訳注」が付けられ、原著者と訳者の意見の相違も書かれていて、訳者・監訳者・編集者の学問的誠実性が見て取れる。
本書はいつくかの欠点があるものの、ビジュアルに「世界の食」の問題も一般読者が理解するための入門書としては最適であり、食に関心をもつ人にとっては必読書であると思う。■