【書評】 『封印されたヒロシマ・ナガサキ 米核実験と民間防衛計画』

投稿者: | 2008年5月5日

写図表あり
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『封印されたヒロシマ・ナガサキ 米核実験と民間防衛計画』
(高橋博子著、凱風社2008年)

評者:瀬川嘉之(市民科学研究室 低線量被曝研究会)

今年(2008年)4月8日、新聞各紙が次のような小さなニュース記事を報道した。『読売新聞 夕刊』から全文を引用する。
「第五福竜丸」の話題に

天皇、皇后両陛下は8日午前、皇居・宮殿で訪日中のマーシャル諸島共和国のリトクワ・トメイン大統領夫妻と会見された。

宮内庁によると、1954年3月にマーシャル諸島のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」の話題になり、天皇陛下は「核兵器というのは放射能を持っているので通常の兵器よりも影響が長く続く。広く、長く記憶されていく必要がある」と話されたという。

この記事を読んで、「天皇陛下」は核兵器の放射能が持つ意味についてはよくご存知なのだと思った。しかし、彼はほんとうに放射能の恐ろしさを知っているだろうか。広島・長崎の原子爆弾やビキニをはじめとする核実験に関して、米国の国立公文書館や米軍病理学研究所に埋もれ隠された史料を探求し、核兵器のはらむ歴史的、社会的問題性を提起されている高橋博子氏による新著でも核兵器の持つ放射能に対する認識がテーマになっている。この記事で話題になっているまさにその1954年ビキニにおける大量殺戮破壊兵器の水爆実験の前と後、核兵器の放射能に関する米国政府の公式見解がどう変わったか、あるいは変わらなかったか、そのことの持つ意味を深く問いかける書である。

米国政府は、1945年8月に実際に使用し、翌年からマーシャル諸島やネヴァダで実験を始めた原爆の放射能とその被害をできるだけ小さく見せようと努めていた。兵器や兵力は敵に対してはできるだけ脅威を感じさせたいものである。原子爆弾という特殊な兵器は、放射能という19世紀末から20世紀初めに人類が見出したばかりの自然現象を極端に増幅させている。味方に対しては、じゅうぶんコントロールできていると見せかけなければならない。また、正義を標榜するならば、殺戮する相手に無用な苦しみを与えていないことになっていなければならない。1907年に改正されたハーグ国際条約の付属文書では「不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器」の使用を禁止している。高橋氏が示すマンハッタン計画の一環の「放射能毒性小委員会」の資料によれば、放射能の特性として「ゆっくりと効果を現し、何か月も地域を汚染し、それに対して簡単には防護できず、汚染除去も「人々の犠牲によってのみ行われる」」そうである。米国政府は、使用前に放射能の人体への影響をある程度知っており、もっと知りたかったにちがいない。この絶好の機会に大規模人体実験が情報統制、心理作戦のもとに始まった。

米国の水爆実験としては2回目となるビキニの水素爆弾は原爆の約千倍の規模を持ち、「地表近くで爆発」したために、150キロ以上も離れていたマーシャル諸島の住民や第五福竜丸をはじめとする漁船の乗組員を被ばくさせて、日本では食卓に並ぶマグロの放射能汚染パニックが広がった。それでも放射能の恐ろしさを少しでも小さく見せようと、米国政府は日本政府と200万ドルの見舞金で政治決着し、「放射性物質の影響と利用に関する日米会議」を開催して放射性物質の学術利用と原子力の平和利用を餌にして日本の科学者たちを完全に取り込んでしまった。高橋氏が描くこのときのアリソン駐日公使の活躍ぶりは感動的ですらある。

核兵器の威力は爆風、熱線、放射線の3つに分けることができ、破壊力・殺傷力が通常の兵器よりも桁違いに大きいがゆえに、現在も大量殺戮兵器の筆頭として国際政治の主要な道具立てとなっている。3つの威力のうち、最後の放射線は核兵器にとって余計な威力で、なくもがな、なのかもしれない。しかし、神あるいは自然はそんな都合のいい力の獲得を人間に許さない。放射線には爆発後1分以内に放出される「初期放射線」と核分裂した破片物質や誘導放射化された物質から放出される「残留放射線」とに分けることができる。放射線を放出する現象や性質を「放射能」と呼ぶ。爆風、熱線、初期放射線は瞬間的に「伏せて隠れ」れば防護できるものとして宣伝され、1949年セミパラチンスクでのソ連の原爆実験成功を契機として、米国が攻撃された場合に備える「民間防衛計画」が始まった。残留放射能はどのような影響がどの程度の規模でいつまで続くかわからない。それを知るためにも核実験は必要だった。広島・長崎では、ないものとして誤魔化し続けている残留放射能の影響が1954年3月のビキニでは、誤魔化しようもなくあからさまになってしまったために、米国政府は空中爆発なら拡散して影響なく、地表近くで爆発すると影響することもあると公式に認めた。1955年にその声明を出したのが1946年の原子力法をうけて翌年発足した米原子力委員会(AEC)、現在のエネルギー省(DOE)である。「民間防衛計画」は、核攻撃にさらされて残留放射能があったとしても、核シェルターや地下室で生き残ることができるとするものに変わっていった。

米国政府および日本政府が放射能の恐ろしさを封印したい理由として、高橋氏はそこまで述べていないけれど、私にはもうひとつ意味があるように思えてならない。1953年12月にアイゼンハワー大統領の「アトムズ・フォア・ピース」演説があり、偶然(?)とはいえビキニ事件と同じ1954年の3月上旬に、かの中曽根康弘衆議院議員らの提出によるウラン同位体の質量数にかけた2億3500万円という予算が国会を通り、10月には通産大臣と宮沢喜一参議院議員が渡米して原子力導入の交渉にあたっている。平和利用の原子力発電は日々、放射線を放出し、新たな残留放射能を産み出し続ける。現在、本格稼動に向けて着々と準備中の青森県にある六ヶ所再処理工場はあろうことか、大量の残留放射能を持った日本中の原発の使用済み燃料を一ヶ所に集めて化学処理しようという無謀な試みである。原発においても再処理においても日本政府や科学者たちは、放出しても拡散するから大丈夫、爆弾のような放出はなく「封印」しておくから安全だと、あの時の米国政府と同じようにあの時以来、ずっと言い続けている。平和利用にとっては原水爆禁止運動・反核平和運動は格好の隠れ蓑になった。どちらも同じ放射能、どちらかと言えば平和利用のほうが大量なのにもかかわらず。
放射能の影響は、核兵器の初期放射線であっても、臨界に達した原発燃料が出す放射線であっても、さらに言えば日本の病院で乱用されているエックス線検査・CT検査の放射線であっても「後遺症」あるいは「晩発障害」として長く続く。一見何ともないようでも、細胞の遺伝子が変異しているのだ。残留放射能を持った放射性物質が体に付着していたり、吸い込んだり、食べ物や水と一緒に取り込んだなら、どれだけ被ばくするか判定するのは困難である。生殖腺に被ばくを受ければ、子どもや孫、その先の世代へと影響が続いていく可能性がある。可能性にすぎないとしても被ばく者を最も苦しめるのは、いつか晩発障害が出るかもしれない、子どもや孫に何かあるかもしれないという可能性への恐怖なのだ。実際、広島・長崎の被爆生存者では、1950年以降白血病患者が極端に増え、60年以上経った今も発がんの増加が見られ、様々な病気や身体的不調に悩まされ続けている。そして、そのような事態を把握しているがゆえに、米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)、ABCC協力機関である日本政府の広島・長崎原子爆弾影響研究所、日米協力調査機関の財団法人放射線影響研究所(英語名は、Radiation Effects Research Foundation、放射線影響研究財団)へと連なる被爆者の、いわゆる科学的調査研究を多額の予算をつぎ込んで延々と行ってきたのが米国政府であり、日本政府なのである。彼らは放射能を持つ意味は把握しているかもしれないが、放射能の恐ろしさをほんとうに知っているのだろうか。

第五福竜丸の被災について高橋博子氏は次のように結んでいる。

放射能汚染の甚大さや人体への放射線の影響の深刻さを示すような情報は、米国政府にとっては「傷口」であり、その「傷口」を治すために11月の放射線会議を開催したことは同文書からも明らかである。核実験を続行しようとしていた米国政府の対面に触れる「傷口」は、政治決着とマグロ調査打ち切りによって塞がれたことによって、核実験が生み出した被ばく者という大きな「傷口」は癒されることなく放置され、深刻な「傷」として広がっていった。

公文書を抜き取っては封印していくことによって、被ばく者の癒しようのない傷を広げる上に、傷の痛みまでも封印しようとするつもりなのだろうか。いや、この傷の痛みをこそ封印したいのだとすれば、権力とは何と残酷なのだろう。■

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