科学研究はいかになされるべきか-排泄介護の事例

投稿者: | 2008年11月5日

写図表あり
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科学研究はいかになされるべきか-排泄介護の事例
杉野実
私は大学卒業以来一貫して社会科学研究の道をあゆんできており、ほかの世界のことはほとんど知らないが、だからこそ余計に「専門研究者以外の一般市民による研究」という主題には強い関心をいだいていた。自分のことをふりかえると、ものを考えることが好きなので早くから研究者になろうとは決めていたが、それでも現実の社会を少しでも改善することにも貢献したいと思い、社会科学の分野を選んだものである。ところがこの世界に入ってみて、先輩研究者の姿勢に疑問をもたされることも少なくなかった。「好きなことをして給料をもらえる」というのは元来とてもありがたいことであり、幸運にもそのような立場におかれたのなら、社会に対するそれなりの責任を自覚するのが当然だと思うのであるが、そういう問題があることに気づきさえしないで、あたりまえのように研究をすすめるだけの人が多いように思われたのである。そういう状況に失望した私は、専門家以外の「一般市民」が研究を主導してこそ社会科学は発展するのではないかとか、これからの大学はあらゆる年齢・職業・国籍をもつ「市民」の解放区になるべきではないかとか、さまざまな方向に妄想をふくらませるようになった。こういう「妄想」が修正をせまられたことはすぐに後述するが、それでも今でも私は、家庭や職場や地域社会でいろいろな問題につきあたった一般の人々が課題を提起することにより、社会科学、さらには自然科学もふくむ学問諸分野はおおいに発展していくと考えている。このような問題意識をもちつつも、目の前のより具体的な研究課題に追われ、考えをまとめることもないまますごしてきたが、4年ほど前から意を決して、市民科学研究室のほかアジア太平洋資料センター(PARC)の「自由学校」やテキサス大学の「人文科学研究所」など、「一般市民による研究」を推進しているという団体と接触しはじめた。だがそれでわかったのは「市民による研究」は実際には困難であるということであった。PARCでは、最初は問題意識をもった人々が集まってもその課題が一段落するとあとが続かず、いまでは通常の「市民講座」とかわらないものになっているというし、テキサス大の野心的な「市民研究者」構想にしても、生活体験記録出版のあとがやはり続かなくて、プログラムは「活動家」対象のものに変更を余儀なくされた。自分が研究者なのに研究者をむしろ軽蔑していた私は、こうして皮肉なことに「一般市民」とはちがう研究者固有の役割にあらためて気づかされた。そのようなとき、介護職についている友人から興味ぶかい話を聞いたのである。 
友人は高校のときの同級生であるが、それなりの曲折をたどったすえに、現在では大学時代の専攻とは直接の関係がない介護の仕事に従事している。かなり近くに住んでいて、趣味にも近いものがある彼とは会う機会が多いのであるが、プライバシー等の制約も多いであろう介護業界の状況についても気軽に話してくれる彼は、ほかの世界をあまり知らない私にとっては貴重な情報提供者でもある。彼が所属している、身体障害者と健常者が共同運営しているという福祉団体の内幕に関する話もおもしろいが、それについて語る機会は別にあるであろう。本稿では、文字通りテクノロジーという意味での技術に関する話題に限定して論をすすめることにするが、そういう話になるとすぐにでてくる、車椅子などに関する建造物の「バリアフリー」のことも、ここではとりあつかわない。むしろ、そのような話題と少なくとも同程度には興味ぶかい別の問題群があるということが、友人の話からえられた主要な収穫であった。たとえば老親を介護するというようなことになると、「下の世話」が大変だということがよくいわれるが、そのような話題が、覚悟とか負担とかいった精神論的な文脈でではなく、純粋に技術論的に論じられることが、実際にどの程度あるであろうか。友人の話はまさにその点をついたものであったが、その背景には、彼が介護する要支援者のなかに、アルコール依存症から、失明や肢体不自由をふくむ糖尿病後遺症へといたる、独居高齢男性が多いという事情もある。たとえば、「きんかくし」のない洋式便器だと、小用の際に照準を定めにくく、周囲を非常に汚しやすいのだという。そういう意味で使いやすいのは、むしろ公共施設等に多く設置されている縦型の男性小用便器であり、のちにその種の便器を自宅に設置した要介護者もいたらしい。新便器の設置となると経済的にも容易ではないであろうが、より簡便な解決策として、縦型以外の便器では小用時にこしかけるようにした男性もいる。この問題は障害者にかぎられることではないかもしれないと、友人がいっていたことも付言しておこう。より深刻なこととして、最近普及した、大腸癌「潜血検査」のためのスティック検便容器が、このような障害者にはほとんど使用不可能であるという問題もある。スティックを便にさすことによって検体を採取するのであるが、やはり照準を定められなくて便を水中に落としやすく、有効な検体をえることが困難なのである。友人が担当した要介護者の場合、何か月も検体をえられないでいたすえに、医師に相談して、便器にこびりついていたものを検体としたそうだ。そして友人の話でもっとも考えさせられたのは、以上のような話は介護の専門書・実務書にはほとんどのっていないということだ。こういう話は福祉・医療・工業の「すきま」にあり、いずれの領域の専門家にもあまり注目されないということであろうか。 
この「書物にのっていない」ということに妙に引っかかった私は、本当にのっていないのかどうか文献を調べてみることにした。ただし友人が実際に読んでいるであろう単行本は調査しにくいので、インターネットでの検索がしやすい雑誌掲載論文を概観することによってそれにかえた。さいわい日本語文献の場合には、キーワード検索で関連論文を一覧できる、国立国会図書館の雑誌論文検索サイトを使用することができる。やはりというべきか、「介護・便器」・「障害者・便器」・「検便・高齢者」などのキーワードではヒットする論文が全然なく、書物にないという友人の話は一応裏付けられた。「介護・生活・技術」・「介護・工学」・「福祉・科学技術」など、関連をやや間接的にすると文献が多数あらわれるが、そのほとんどは、福祉にかかわる問題の「技術的」解決をめざす工学系の論文である。「福祉・工学」で検索した際には、特に多く数百件の論文が出たが、電子機器等をもちいて障害者との意思疎通をはかろうとする、「コミュニケーション」関連の文献がめだって多かったことは特筆すべきかもしれない。工学系では、おそらく企業秘密との関連があるのであろうが、「こういうことができる」という成果を強調しているわりには、その技術の詳細を実はほとんどあきらかにしていないものが、とりわけ民間の技術者により執筆された論文に多い。日常の「些細な」問題に言及した文献は本当に少ないのであるが、「建築・介護」などで検索した建築系論文のなかには、そういう日常問題や、さらには一般人・専門家間の連絡をとりあげたものも若干みられる。それでは英語の文献はどうであろうか。この場合には、国会図書館のような便利なサイトは使えないが、普通の検索エンジンに、さきにあげたようなキーワードを入れ、`bibliography’などをつけくわえれば、関連論文の目録がえられることがある。ただし私が実際にえたのは、「介護・工学」で出てきた「人間工学」論文や「介護(看護: nursing )・科学」で出てきた「カオス看護学」と「異文化間看護学」の論文であって、上記課題に直接に関連するものはやはりほとんどない。人間工学(ergonomics)は良くも悪くも技術論的な学問分野であるが、車椅子に関する論文が圧倒的に多いのは伝統なのか、それとも研究者の興味を反映したことなのであろうか。むしろこの分野で興味ぶかかったのは、スウェーデンでは福祉機器の開発に障害者やその家族などの意見がとりいれられるのに対して、ポーランドでは障害者の体型データさえなく、それが必要なときには西欧のデータが借用されるとのべられていたことである。カオス看護学と異文化間看護学がこの検索で出てきたこと自体は大変興味ぶかいが、内容的にはこれらの分野は、結局思いつきないし事例研究の域を出ていない。つまり研究者は、個人的に関心のあることしか論じない、ということであろうか。 
以上は論文を通じてみえた内外学界の反応であるが、それでは私のような疑問を関係者に直接にぶつけると、どのような反応が返ってくるのであろうか。この点をみるために、産・官・学の福祉・医療・工業関連国内40団体に書簡をあててみた。関連団体に質問状をあてるという研究方法は私がときに採用するところであるが、これまでの経験からみると、質問内容を問わず、また国内外を問わず、全体の1割から返信がえられるのが通例である。今回は21通の返信がえられているから例外的に回答率が高いというべきであり、配達記録や電話による回答があったこともみのがせないが、その反面「当会とは無関係」とする回答が少なくなかったことも指摘せねばならない。また「他団体に照会すべき」との回答が多かったことも特徴的であるが、「照会すべき」とされた団体に実際に照会してみても、積極的な回答がえられるとはかぎらなかった。「他団体に照会すべき」との回答についてもっとも興味ぶかかったのは、民間企業のTOTO・INAXに照会してほしいという返信が複数の団体からえられたことである。当初は特定企業への質問はためらい、これら衛生陶器メーカーは質問対象にふくめなかったのであるが、そういう回答が多かったので対象に追加したほどである。TOTO・INAXのホームページをみてほしいとの回答もあったのでみてみたが、ここでの問題に直接に関連する情報はなかったものの、ときには障害者自身の意見もききつつ製品開発をすすめていることはわかった。他団体の回答でおもしろかったものもいくつかある。なかでも興味ぶかいのは日本大腸肛門病学会の回答であり、私が質問したような内容はたしかに同学会がとりあつかうべきことであると答えながら、便器の改良については「業者との関係もあり、色々複雑な問題も絡んでくるのではないかと危惧されます」とのべている。公益法人化を機会に「市民の方々の諸問題を提起、直接討議する機会も得られると思います」とも同学会は書いているが、一般人も参加できる研究会等を実施ないし計画しているとした団体はほかにも複数あった。たとえば電子情報通信学会は、文字通りだれでも参加できる無料の研究会を開催しており、実際に介護従事者が参加することもあるとのべている。ほかにも日本泌尿器科学会は検便について、縦型便器に照準を定めて紙をおきその上に排便するという具体策を提唱しており、また共用品推進機構は、公共施設によくある縦型男性小用器が家庭にもあればもっと便利になる方もいることがわかった、との感想をのべている。日本規格協会や空気調和・衛生工学会のように、他団体への照会の労をみずからとった団体があったことにも特に注意すべきと思われる。ただし政府部局については、厚生労働省や経済産業省の担当部局が回答をまったくよせないなど、消極的であったことを指摘せねばならない。
 「一般市民による研究」・「専門研究者の役割」あるいは「市民と研究者との関係」などといった主題について、以上の調査結果からどのようなことがわかるであろうか。そもそも私は友人の話をきいて、彼がいっていたようなことは福祉・医療・工業の「すきま」に落ちてしまうのではないかと思ったのであるが、内外文献をみてみたらたしかに直接にそういう問題に関連するものはほとんどなく、「すきま」にあるとはいえそうであった。福祉関連問題の「技術的」解決をはかる工学系論文が圧倒的に多いことについては、日本でも諸外国でも大差はないらしい。豊富な臨床体験にもとづく異文化間看護学のような分野については、それが存在していること自体がひとつの教訓ともいえるが、もう少し「下世話」というか「日常的な」問題にも研究者が関心をむけた方がいいという気もしないではない。観念的になりがちなカオス看護学についても同断であろう。それより、スウェーデンとポーランドとのあいだで障害者の関与の程度が非常にことなるという指摘の方が貴重と思われるが、そのような情報は断片的にしか出てこない。一方質問状による調査は、関係者がさすがに通り一遍以上の関心をいだいているらしいことをあきらかにした。受益者の声をきくことについて営利企業が特に熱心であるらしいことは、いわゆる「市場の成功」として積極的に評価すべきと思われるが、企業技術者は詳細な技術情報の公開には消極的とみられる例もあるので、営利企業のすることがいつでも良いというわけでないのは当然である。私のような者が唐突に質問をしたことを、市民と関係者による対話の一環として歓迎する意向を明示した団体があったことには勇気づけられたが、他方では営利企業がしめした積極性を、政府をふくむ公益団体が参考にすべきであるともいえるであろう。個別事例について企業や行政が対応するはずと答えた団体もあるのはもっともであるが、そういう対応に関する情報が研究というかたちでは広まらず、したがって知識として共有されることもないという現状には問題があるともいえよう。ただし一部の関連団体はそういう状況に問題があることをみとめ、一般人との意見交換の機会をもうけようと努力しているが、そのような努力はまだ初歩的な段階にあって、各団体とも暗中模索の域をでていない。関係者に少なくとも積極性がみられることはわかったので、これから必要なのは日常的なあれこれの問題について一般人が専門家に疑問をどしどしぶつけていくことかもしれない。「なんのために研究するか」という問いを研究者につきつけるためのしくみを、社会的に用意しておくことも必要でないかというのが本論の結論である。■

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