写図表あり
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多層カーボンナノチューブの安全性を考える 上田昌文
「ナノ」や「ナノテク」という言葉はかなり社会に浸透するようになった。白金ナノコロイド、抗菌ナノシルバー、ナノスチーム、iPod nanoなどの単語を耳にしたい人は多いはずだ。「極小の」イメージとして用いられる場合もあるが、定義上は、ナノマテリアル(ナノ材料)とは、一般的に基本構造の少なくとも1次元が1~100nm(1nmは10億分の1メートル)程度となる人工材料を指す。ナノマテリアルは一つ一つの粒子の大きさが小さく、全体としては表面積が大きくなるため、たとえば食品では体内に吸収しやすい、食感や風味が良くなる、日焼け止めや化粧クリームなどの化粧品ではなめらかである、皮膚への浸透力が高い、といった特徴を持つとされている。その反面、サイズが極めて小さいため、体内に取り込まれやすかったり、生体と反応しやすくなることで、遺伝子レベルを含めて人や環境に対して悪影響を及ぼす恐れが指摘されている。微小なセンサーによってモノや人の活動が追跡が可能になれば、倫理的な問題も出てくるだろう。
ナノテクのあり得るかもしれない負の影響に対して、各国政府はどう対応しているのだろうか。2000年に米国の国家ナノテクノロジー戦略(NNI)でナノテクノロジーの環境・健康・安全性についての課題が示された後、米国、英国やドイツなどの欧州でリスクの評価・管理についての指針が出されるようになった。2004年には、英国の王立協会と王立工学アカデミーが、ナノテクノロジーは大きな利益をもたらすかもしれないが、責任ある開発が必要であるという報告書『ナノサイエンスとナノテクノロジー:機会と不確実性』を公開した【今号に一部を翻訳】。この報告書では、ナノテクノロジーの健康と環境への影響については、特にナノマテリアルの製造過程における吸入や環境汚染を問題視し、ナノマテリアルを含む製品については製造から廃棄にいたるライフサイクル全体での安全性を検討すべきだとしている。こうした流れのなかで、OECDでは2006年に工業材料としてのナノマテリアルに関する作業部会を設置し、ナノマテリアルの有害性に関する情報収集や評価手法に関する検討など、国際的に協調した取り組みを進めている。日本でも2004年度からナノテクノロジーの社会的影響に関する取り組みが活発化し、内閣府を中心とする関係府省、大学、公的機関、産業界の関係者による継続的な議論が行われてきた。こうした動きにあわせ、関係各省の支援のもと、ナノテクノロジーの環境・健康・安全影響評価研究が続けられている。
こうした状況の中、昨年の前半に世界的に大きな動きがあった。その発端は日本の国立医薬品食品衛生研究所(国衛研)と英国のエジンバラ大学がそれぞれ発表した論文にある。これらの論文では多層カーボンナノチューブ(次ページの【要点】を参照)のマウスに対する腹腔内投与試験からアスベストのような中皮腫を確認したとして社会的にも注目を集めた。国衛研のグループは、がん抑制遺伝子を欠損させたマウスを用いて、腹腔内への多層カーボンナノチューブの投与実験を実施した。この実験で中皮腫の発生を確認した同グループは2008年2月、国内学術誌に多層カーボンナノチューブがアスベスト(石綿)のような中皮腫を引き起こす可能性を指摘した論文を発表し、毎日新聞は「がん誘発か」と報じた。この研究に協力していた東京都健康安全研究センター(都安研)では、遺伝子改変をしていない正常ラットの腹腔内への多層カーボンナノチューブの投与実験を実施し、中皮腫の発生を確認、2月22日にその結果を都のホームページ上に公表した。なお、中皮とは、胸腔や腹腔などの体腔表面を覆う膜のような組織であり、それぞれ胸膜、腹膜と呼ばれる(図1)。
また、英国エジンバラ大学の研究グループは、複数の多層カーボンナノチューブとアスベストを用いて、繊維長や直径などの特性の差がどのような影響をもたらすかを評価する実験を正常なマウスを用いておこなった。この結果、繊維長の長い多層カーボンナノチューブとアスベストについて異物巨細胞と病変部面積の増加を確認、2008年5月20日に学術誌のオンライン版に発表した。海外主要メディアはエジンバラ大学の研究が発表された同日、カーボンナノチューブがマウス試験によってアスベスト同様の反応を示すことを一斉に報じた。日本でも日本経済新聞やNHKニュースは22日に、カーボンナノチューブが中皮腫を引き起こすおそれについて報道している。8月に海外の環境NGOである地球の友オーストラリアは「カーボンナノチューブ(CNT)が新しいアスベストかもしれないという証拠が続々と」を著し、カーボンナノチューブの潜在的な危険性を訴えている。
市民研が共同研究に参加している「先進技術の社会影響評価(テクノロジーアセスメント)手法の開発と社会への定着」プロジェクトではこのたび、「多層カーボンナノチューブに関するリスク評価・管理の最近の動向」というノートを取りまとめた。次ページの【要点】では、このノートを引用しながら、このような動きを受けたナノマテリアルに対する政府や企業の対応を検証している。■