多層カーボンナノチューブの安全性

投稿者: | 2009年7月2日

写図表あり
市民研csij-journal 025 point.pdf
多層カーボンナノチューブの安全性
1 多層カーボンナノチューブ(MWCNT)とは?
 昨年の騒動で安全性の問題が疑われたのは、多層カーボンナノチューブである。カーボンナノチューブ(CNT: carbon nanotube)とは単原子層の炭素シート(グラフェン)を筒状に巻いたナノマテリアルをいう。同じ重さの鉄にくらべて数百倍の強度を持つ、細くて軽い素材である。テニスラケットや自転車のハンドル、野球用バットといった市販のスポーツ用品には、すでにCNTが使われているものもある。また、立体構造の違いにより半導体になるという特徴を持つために、スーパーコンピューター用の半導体や、電気をよく通し、低い電圧で電子を放出するためにテレビのディスプレイ、熱伝導性に優れるために放熱板などに応用されている。他にも水素をよく吸着する性質があるため、燃料電池用の水素貯蔵材料としての利用も期待されている。さらには、地球から静止軌道まで伸びる宇宙エレベーターを実現する素材としても注目されるようになった。CNTは日本が1981年の原理的発見から主導を取っている研究開発領域であり、2006年度現在、製造技術および高機能材料分野、エネルギー・環境分野で日本勢が優位である。日本では特にエレクトロニクス関連への応用を意識した研究開発が重要な位置を占めていると見られている。世界的な市場規模は2004年で200億円程度であると推定され、順調に成長すれば2010年には1,000億円超の市場となるという予測もなされた。
【図2 多層カーボンナノチューブ】
 カーボンナノチューブの中でも、図2のようにさまざまな直径と長さを持つ複数の同心円のカーボンナノチューブが、入れ子状に積層したものを多層カーボンナノチューブ(MWCNT: multi-walled carbon nanotube)と呼ぶ。単層カーボンナノチューブ(SWCNT)の直径が1nmのオーダーであるのに対し、MWCNTは数10nmのオーダーである。市場価格は種類や純度などによって異なるが、推定ではSWCNTが1~10万円/g、MWCNTは数百円~2万円/g程度で販売されている。2006年の国内推定使用量は、SWCNTの約100kgに対し、MWCNTは約60トンである。MWCNTのほとんどは半導体トレイに使用するために樹脂に混ぜ練られている。将来は導電ペースト、蓄電デバイス、燃料電池、医療への応用が期待されている。
2 政府の取り組みは?
 CNTの潜在的な有害性を示唆した研究を受けて、厚生労働省は2008年2月7日、「ナノマテリアル製造・取扱い作業現場における当面のばく露防止のための予防的対応について」を関連ビジネス団体、労災防止関連団体、都道府県労働局に通知している。この通知では、MWCNTなどのナノマテリアル製造企業に対して、製造設備や作業工程、作業管理、保護具などについて取るべき対応を示している。また、東京都も2月22日に「カーボンナノチューブ等に関する安全対策について(提案要求)」を発表した。この中では厚労省に対し、健康リスク評価研究の一層の推進、職業曝露および環境中への飛散防止策の実施、CNT等の実態把握および情報の提供を求めている。6月には近藤正道議員から同様の質問主意書が参議院に提出されている。
 厚労省は通知を受け、作業現場の実態を踏まえたより具体的な管理方法を示すとともに、曝露防止対策上の現状と課題についても検討していく必要があることから、労働基準局と医薬食品局で専門家による検討会を設置して2008年3月から検討を進めた。労働基準局による検討会では、労働現場におけるナノマテリアル対策の実効を上げるために、作業現場の実態を踏まえた、より具体的な管理方法を示すとともに、曝露防止対策上の現状と課題についても検討し、11月に報告書としてまとめた。医薬食品局による検討会では、ナノマテリアルの開発状況および最新の科学的知見、規制の現状を整理し、安全対策にかかる現在の課題と、今後の具体的対応について示した報告書を今年の3月に出した。環境省でも2008年6月に「ナノ材料環境影響基礎調査検討会」を立ち上げ、有害性評価が不確定な段階からでも、予防的取り組みの観点から、曝露防止に留意した製造・使用等を行う仕組みを構築することが有益であるという基本的な立場を示した。国内での使用実態、毒性情報、環境管理技術などをまとめた「工業用ナノ材料に関する環境影響防止ガイドライン」を策定し、2009年3月に公表した。
経済産業省では2007年に民間の調査会社に委託してナノテクノロジーに関連する研究活動、製造活動がおこなわれている研究機関や製造事業所の現状を調査するとともに、海外での管理事例を調査し、自主管理ガイドラインを作成して公表していた。これは、ナノマテリアルの製造・加工工程や作業管理、清掃・廃棄物管理、保護具などのあり方について基本的な方針を示したものである。経産省ではこのガイドラインをナノテクノロジー関連団体の会員企業に対して周知するとともに、ガイドラインに沿った自主的な取り組みを促していたが、今回のCNTの問題を受け、2008年11月から製造産業局で研究会を立ち上げてナノマテリアル製造事業者等における自主的な安全対策のあり方について検討を進めた。その後、検討対象とするナノマテリアルの定義・範囲、安全対策にかかる国内外の取り組み、対応の基本的方向と具体的対応についてまとめた「ナノマテリアル製造事業者等における安全対策のあり方研究会 報告書」を2009年3月に出した。
3 企業の対応は?
 米国では2000年以降CNTの研究開発は順調であるが、日本では2002年以降低迷気味である。その理由として、日本の公的資金が投入されているプロジェクトでは、基礎研究と製品化利用を目指した研究が混在したため、高品質のCNT合成には成功したものの、市場化に向けたコンセプトが形成されなかったと推察される。一方で、市場ではメディアによるナノテクブームの盛り上がりにより、「ナノ」とうたったイメージ先行の商品が出回ったものの、本命の研究開発において技術成果がなかなか生まれなかったため、2002年を境にブームが収束していった。たとえば、ナノテクノロジーやナノマテリアルに関する日本の代表的な国際展示会である「nano tech 国際ナノテクノロジー総合展・技術会議」では、出展者数・来場者数が年々順調に増加しているにも関わらず、CNTの素材に関連した出展をおこなっていると申告した出展者数は伸び悩んでいる。そのような中でも日本のエレクトロニクス関連企業は着実に特許を取得し、研究開発を進め、商品化による成功も見せ始めている。
 そのような矢先、昨年に厚労省が出した通知は、企業にとって、現場での取り組みというよりもビジネスに対する影響が大きかった。ナノマテリアル関連企業には、通知を受けて、製品利用者への注意喚起をおこなったり、会社としての環境安全管理体制を示したところもある。ただビジネスとして見ると、将来の法規制によって現在の投資が無駄になるかもしれないことや、企業イメージが低下するといった恐れが生まれ、企業を消極的な姿勢にしたことは否めないだろう。実際に、CNTなどナノマテリアルを扱っていたベンチャー企業には、安全性についての騒動を受けて銀行からの融資が止まってしまったところもあった。また、研究開発自体が凍結されたところや、末端市場が動くまで自主的に待機することを決断したCNTの製造企業もあったという。こうして企業研究者は、経営リスクを怖れる経営者、事故リスクを怖れる現場作業者、そして顧客という三方からの圧力により、研究に対して後ろ向きになっているのが現状だと思われる。
4 予防的アプローチとは?
 政府は過去のアスベスト問題に関して、当時の科学的知見に応じて関係省庁による対応はなされていたものの、「予防的アプローチ」に対する認識や関係省庁間の連携が必ずしも十分でなかったとの反省が生まれていた。予防的アプローチとは、「完全な科学的確実性がなくても深刻な被害をもたらすおそれがある場合には対策を遅らせてはならない」という考え方である。ナノマテリアルへの厚労省の対応は、この反省を踏まえて予防的アプローチを適用したものであり、他のどの国の行政当局より早い対応であったと言われている。これは国衛研による研究成果に基づいてなされたと見られているが、公式な説明は与えられていない。CNTに限らずナノマテリアルを対象とし、ナノマテリアルの特性によらず一律に対策を適用していることも、通知の根拠が見えにくい一因である。これは、ナノに関わるそれぞれの業界からの圧力があったため、CNTの有害性についての論文と通知との関係を明示することができず、結局、横並びで広く曖昧な網がかけられることとなった、と推察することができるだろう。
5 MWCNTは第2のアスベストか?
 国衛研やエジンバラ大学の研究グループはCNTとアスベストが繊維状物質であるという類似性に着目し、細長さが有害性に関係するという仮説(スタントン=ポット仮説)に基づいてMWCNTの有害性を評価しようとした(図3)。しかし、細長さが支配因子であるかどうか、有害性を示す用量に下限値(閾値)があるかどうか、ナノチューブが実際に腹腔に到達するかどうかはまだ確認されていない。一般にリスクは「有害性」と「曝露」の積で表される。そのため、曝露にも注目した研究プロジェクトが産業総合技術研究所を中心として進められている。そこでは気管からの吸入という自然な経路によるCNTの有害性評価試験法を確立し、曝露評価と組み合わせたリスク評価を目的としている。だが、吸入曝露試験法の確立もさることながら、曝露評価についても、実環境データに基づく適切な曝露シナリオの作成にはまだ課題が多いとみられる。さらに、いずれの研究についても言えることであるが、動物実験において有害性が示されたとして、そこからどのようにヒトへの有害性を推定するかという点でもまだ議論の余地が大きい。
 MWCNTの生産量は年間約60トンであるが、アスベストは年間およそ30万トン、これまでに累積1,000万トン使用されてきた。また、MWCNTはアスベストのように建材製品として大量かつ環境に直接放出されるような使われ方はしていない。したがって、曝露量や曝露機会という点から見て、MWCNTは第二のアスベストというほどの危険性をただちに生ずることはないといえる。ただし、CNTが世界的に期待されているナノマテリアルであり、それに対して研究開発に力が入れられているということを考えると、ますます厳正なリスク評価・管理の取り組みが求めれるのは間違いない。
より柔軟で適正なリスク管理に向けて何が必要か、極めて有用なマテリアルが有害性を持つ恐れが見出された場合に納得のいく予防的対応をどう築いていくか――多層カーボンナノチューブはそのことを私たちに鋭くつきつけている。

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