連載「科学技術コミュニケーションを問う」第5回 科学の評価は専門家の仲間内

投稿者: | 2009年7月3日

写図表あり
市民研csij-journal 025 goto.pdf
五島 綾子(サイエンス・ライター)
技術とは,問題解決の手段であり道具の役割も備えている.前回では,技術と社会についてDDTを事例にして述べてきた.技術と科学はお互いに支えあう関係にあり,科学は技術の進歩を促すと同時に,技術により発展してきた.特に17世紀以降は,この技術の力により現代科学の全分野が動き始めた.まず物理学が大きく展開し,それを化学が,さらには生物学が追いかけ,20世紀から21世紀にかけて分子のレベルで生命の神秘が少しずつ明らかにされようとしている.
科学の営みとは物質系を対象とし,それが時間と空間のなかでどのようにふるまうかという問いに答えることである.科学者たちによる科学研究の営みにより新しい知を得て,人間の可能性を拡げることが科学の目的であることも述べた.今回は『ガリレオの指』が示す科学の高みと,それにつながる科学が評価される仕組みについて考えてみよう.
1.ガリレオの指
イギリスの化学者であるピーター・アトキンスが書いた『ガリレオの指』1)という奇妙なタイトルの本がある.筆者は大学の助手の時代,化学の理論的力を養うために出版されたばかりの『アトキンス物理化学』という教科書の演習を解き,黙々と読み込んだ.アトキンスの深い基礎科学の力に魅了された感動は忘れられない.この教科書は,現在でも国際的に評価が高い.欧米では,化学の分野では単著で書かれるために,その書き手の科学に対する思想までもが切々と伝わってくる.日本の場合は一般教養から専門に至るまで化学関連の教科書は,大抵編者がいて,数名多いときは10名程度の専門家によりそれぞれの専門分野が振り分けられて,執筆される.そのために書き方が章によって統一されておらず,全体をつなげて読み取ることがなかなかむずかしい(他の分野は専門でないので推測でしか言えないが,おそらくそうであろう).
『ガリレオの指』のタイトルにもどろう.この書物の冒頭に,ガリレオの指の写真が掲載されている.この”ガリレオの指”とは,1737年3月12日,ガリレオの亡骸(なきがら)がイタリアのフィレンツエのサンタ・クローチェ教会の本堂に移された際に遺体から切り取られた右手の中指である.現在はフィレンツエの科学史博物館に大切に保管され,その指は今も天空を指しているようである.その指の台座には,以下にように書かれているという1).
この指の遺物を軽んじてはならない.この右手が天体の軌道を調べ,それまで見えなかった天体を人々に対し明らかにした.もろいガラスの小さなかけらを作ることで,太古の昔に若き巨人たちの力をもってしてもできなかった偉業を大胆にも初めてしてのけたのだ.巨人たちは,天の高みへ登ろうと山々を高く積み上げたものの,空しく終わっていたのである.
16世紀以前においては,科学者たちは教会を中心とした大きな権威に逆らわないで自然界の本質をつかもうとしていた.しかし科学者の中にはたとえ大きな権威に支えられていても,実証されていないものには納得できない姿勢が生まれてきた.社会が実証により普遍的なものを求める科学の時代に舵を切ったのである.その旗手がガリレオであった.ガリレオはもろいガラスの破片を加工してつくったレンズを使って望遠鏡を開発し,この技術により天空を観察することから自分の立っている地球の実体を知った.
天空を指差す”ガリレオの指”は,科学研究が新しい方向に進む転機を象徴しているのだという.『利己的な遺伝子』などの著書で知られる進化生物学者リチャード・ドーキンスがアトキンスの『ガリレオの指』を読み,「ノーベル文学賞を科学者に与えるとしたらアトキンスこそ候補だ」と述べたという.アトキンスは真のサイエンスライターなのだ.
この書物中で述べられているように,科学の最高の楽しみは様々な現象を集め,ひとつのつながりを見出す抽象化である.その一つとして歴史的に最初の事例を取り上げている.16世紀にアステカ王国を滅ぼしたスペインの総督エルナン・コルテスが戦いに明け暮れる航海の中で知る経験である.彼はいくつもの海で戦い,それぞれの海について詳しく観察していたが,あるとき,これらの海がばらばらに存在するのではなく,ひとつにつながっていることに気がついたのだ.それまでコルテスにとって別個に見えた現象が一つに結びついていることに気づいた瞬間である.そのときの驚きと感動はいかばかりであっただろう.このすばらしい結びつきに気づくことが科学の高みに上がることであり,科学のもつ最高の魅力なのだ.ガリレオの指は今もこの科学の高みを指差しているのだと.アトキンスによると,ガリレオは自分の思考の中身に目を凝らし,現実のシステムの根底にある単純さを覆う雲を透かし見ようとしたのだ.この行為こそ究極の科学の目的である.
最近は科学をめぐって論文の捏造や科学者の倫理などで,どうも科学にとって部が悪い話か,科学と”カネ”を結び付ける現実的な話で溢れている.しかしヒトは二本足で歩き始めることにより,他の動物に比べ突出してヒトの大脳を進化させた.その結果,ヒトは思考能力を養い,手先を使う技能を磨き,自然界の本質に迫ることできるようになった.ここで自然科学はほとんどの学問がそうであるように,抽象化が最高の目指すものであることを再認識しよう.米国科学アカデミーの表現によると,科学的活動の根幹は自然に対する個人の洞察力にある2).抽象化は個人により生みださるのだ.
2.科学の評価は専門家の仲間内
科学者の研究が職業として認知されるまでに時間がかかった.ノーベル賞受賞者を多数輩出したケンブリッジ大学のキャベンディシュ研究所がある.夏休みになると,小学生から高校生まで見学者で溢れかえっている.キャベンディシュ(1731-1810)の名にちなんだ研究所である.彼はイギリスの裕福な貴族であったが,気体の中で最も軽い水素を発見し,今でもイギリスの科学者の鏡として尊敬されている.その理由は彼の偉大な成果ばかりでなく,彼が自宅の実験室で名誉を求めず知的探求を続けたからである.豊かな貴族の彼は職業科学者として科学研究を行っていたわけではなく,ラボアジエのように徴税の仕事をして実験研究費を稼ぐ必要もなく,知的好奇心により科学研究に没頭していたのかもしれない.
現在の科学者は大学あるいは研究所などに所属する職業科学者である.彼らは組織あるいは公的機関から研究費を得て,自らの科学的成果を学術論文として公表しなければならない.誰がその現象を最初に発明,発見したのか,その優先権(priority)をめぐる争いでもあるからだ.
それでは,科学者が生み出す科学の成果の評価はどのようにしてなされるのだろうか.言い換えれば、科学者の書いた論文が新しい知としてだれによってどのようにして判定されるのかという問いである.それはジャーナル共同体と呼ばれる「知識の審判」の役割を果たす査読システムよってなされる.そのシステムが図1-1に示されている.投稿者がある学術雑誌に投稿すると編集者(エディター)が受け取り,編集者によって選ばれた3名程度の査読者(レフェリー)によって審査され,最終的な判定は編集者によってなされる.すなわち同じ分野の専門家として理解しあえる仲間(ピア,peer)によって検証され,合理性が疑われれば慎重に検討され,あるときには再実験などの追加や訂正が求められる.さらにあるときには拒絶される.投稿者がくぐらなければならない関門は査読審査と最終的な編集者による判断である.当然ながら査読は無記名で厳正に行われるが,査読者には報酬はなくその行為はボランティアである.筆者は長い間,アメリカ化学会誌の査読をしてきたが,編集者からの毎年感謝の言葉を添えた美しいクリスマスカードをいただいた.
科学の世界では,それぞれの専門分野の仲間は少ない.その理由として,後に語るが,現在は極めて科学研究が細分化されているからである.例えば,ある酵素の新しい性質についての研究がある専門誌に投稿されたとしよう.すると,この課題を研究する国際的に認められている数十名の専門家の中から選ばれた査読者によってその論文が審査されるのである.このようなジャーナル共同体の査読システムをピアレビューとも呼ぶ.
図1-1 ジャーナル共同体の査読システム
 
3.論文のどのような点が評価されるのだろうか
 論文の評価に関する主な5つのポイントを述べよう3).
①新しい知見(something-new)があるか
独創性を抜きにして科学研究を語ることは難しいといわれる.しかし科学研究における独創性とはなにかと問われると,明快な答えに窮する.むしろ独創的でない研究のほうが語りやすい.その典型的な類(たぐい)が”銅鉄実験”である.銅を材料にしてすでに発表されている研究を,鉄を材料に変えて同じ実験方法により研究を行うのである.その結果が同じであった場合,その論文の独創的な価値は低い.
そこで研究の独創性というより,なにか新しい知見(something-new)があったかのほうが明快である.これはすでに発表されている研究成果との”違い”が明らかに存在するかどうかという意味でもある.つまり,方法が新しい,結果がすでに発表されている研究と異なる,あるいは同じ結果から異なる考え方が導かれるなどである.そのために科学者はアイディアをもとに研究計画をたてるまえに,過去の研究論文を徹底的に調べるのである.
②研究に含まれる科学的意義
研究論文の導入部分では今までに発表されてきた研究論文を調査し,体系づけてどこまで明らかにされているのかを示す必要がある.その上で,今なにが問題であるかを提示する.いってみれば研究の目的にどのような科学的意義があるのかを示すことである.銅を鉄にして実験し同じ結果をだしたのでは,科学的意義を語ることはむずかしい.
③研究プロセスの十分な記載
研究プロセスは例えば,化学研究の場合は,実験材料と分析手順に関するものである.化学物質の入手経路や純度,加えて実験方法の明確な記載である.この研究をさらに発展させたい研究者がいれば,まず再現性があるかどうかをチェックすることから始める.追試可能であるかどうかである.いってみれば日本のある大学の研究室で行った実験は,同じ条件であれば,世界のどこへ行っても同じ結果がでなければならないからである.この追試で再現性がなければ,たちまちこの研究そのものが疑われるのである.この点は論文の捏造事件の検証と関係してくる点で,科学者は再現性に関して細心の慎重さが求められる.いわば,科学者の良心がここに問われる.
④論理の飛躍性
通常,研究は仮説を立てて合理的な実験方法で検証し,結果を得るものである.要するに実験により仮説を検証することである.検証するプロセスを示すことが考察である.ここで一般化できれば極めて優れた研究となる.ここで論理の飛躍性が重要な焦点となる.ようするにこの考察が恣意的になされていないか,一般化は無理なく行われているか, 論理の矛盾はないかなど,合理的に順序だって説明されているかということである.科学者の論理の組み立ての力量が問われるのである.
⑤表現力
論文を書く際は伝わりにくい用語はないか,言葉の定義が曖昧でないか細心の注意が必要である.表現力次第で優れた研究成果がより輝きを増す場合もあるし,そうでない場合もある.理系の専門家を志す若い人は実験が上手で斬新なアイディアを生み出す能力,論理的な思考に加え,文章の表現力が要求される.これはどんな職業においてもプレゼンテーション能力が重視されるケースと同じである.
4.現実の科学者
科学者のイメージは毎日,実験室で実験に励み,自然のなぞを解く姿と重なるかもしれない.だが実のところ,現実の科学者が自然界の本質をつかむために直接向かい合っているものは,”自然そのものだ”というイメージではない.実験室ですら,コンピュータで数値処理する作業が多いことに気がつくであろう.この数値化されたデータに宝が隠されている場合が多い.科学活動の多くはラトウールが語るように文献を集め4),読み,参照し,論文にする活動で占められている.
ところで科学者にとって論文を学術雑誌に掲載することが評価の最終目標ではない.この論文が他の研究者に引用されて初めて科学の世界に貢献し,評価されたといえるのである.したがって,科学者は引用してもらえるよう,引用頻度が高い学術雑誌に挑戦するのである.ネイチャーやサイエンスなどをはじめ,それぞれの分野で評価の高い専門誌に投稿を目指す.このような引用件数の高い専門誌をインパクトファクターが高い専門誌という.当然,競争は厳しいが,そのような学術雑誌の査読者は優秀な専門家が多い.したがってたとえ,異議が唱えられあるいは拒絶されても,それらのコメントは次につながる展望である.著者の経験でも欧米の専門誌のレフリーは建設的なコメントをしてくれる場合が多く,それにより研究が広がった.ジャーナル共同体は科学者同士の高めあいの場でもある.
個々の研究者のアイディアからスタートし,前述した5つの要件を満たす論文を仕上げるまでには彼らは苦しい山を乗り越えなければならない.だからこそ科学者はその専門分野のプロとして社会で評価されるのである.
昨今の科学者はイノベーションが期待される科学をと,せきたてられている. しかし私たち社会はガリレオの指がさす方向を時には思い起こそう.ガリレオの指が示す抽象化の方向は遠い先のことかもしれないが,自然界を覆うベールをはぎとり本質を解き明かすことを意味しているからだ.世の中にすぐに役に立つ,経済効果をもたらす科学的発見,発明のみが優れた科学ではないことを胸に刻もう.
5.ほころびも見え始めたジャーナル共同体の査読システム
 学問が進み,専門性が高まるほど学問は細分化され,一握りの仲間の間で競い合う.そのため少し異なる専門分野のことはもはや遠い世界となる.科学技術が進歩し,科学の世界は知であふれかえっても,互いに異分野の理解は遠くなりつつある一方だ.木原によると5),我々現代人は個人として次第に無知になってきている.つまり無知を,有用な知識を理解できない度合いによって計るとすれば,相対的な無知が増大しているという.これは科学者にも当てはまる.自分の限られた専門分野については細部にわたる膨大な知識を積み重ねるが,科学の全体の知はさらに増加しているからだ.
 科学者の業績評価も問題がでてきた.素人でも,ある専門家の研究業績が手に入れば,掲載された論文誌のインパクトファクターや引用頻度などを用いて,商業データベースによるランキングを知ることができる.これを”科学研究の商業化”とよぶ.松本和夫は6),この商業データベースによるランキングが科学研究の質の指標となり,研究予算などが決定されており,肝心の専門家が論文を読んで真価を判断するプロセスが抜け落ちていると指摘する.科学者も溢れる知の中で狭い専門分野しか判断できない事態に陥っていることと無関係とは思われない.
しかしながらイノベーションを目指す国家戦略のもと,科学者は,今,ブレークスルーの科学技術へと駆り立てられ,教授から助教,大学院生まで馬車馬のごとく,競争に励まなければならない.次回は科学・技術がダイナミックに進みすぎるために起きる科学の世界および私たち市民の生活の中での弊害を語ろう.
引用文献
1)ピーター・アトキンス著『ガリレオの指』斉藤隆央訳,早川書店,2004年
2)科学アカデミー編『科学者をめざす君たちへ』池内了訳,化学同人,1999年
3)五島綾子著『ブレークスルーの科学』日経BP社,2007年
4)金森修・中島秀人著,『科学論の現在』勁草書房 2005年P25
5)木原英逸著3章「専門性と共同性」,小林傳司編『公共のための科学技術』玉川大学出版部,2004年
6)松本和夫著,3章「社会における科学の位置」科学倫理検討委員会編,『科学を志す人びとへ』化学同人,2007年
参考文献
1)ブルーノ・ラトウール著『科学が作られているとき』川崎勝・高田紀代志訳,産業図書1999年
2)藤垣裕子著『専門知と公共性』東京大学出版会,2003年

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