市民のための放射線防護の要件とは ―ICRP新勧告草案へのパブコメを手がかりに―

投稿者: | 2020年12月7日
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ICRPの新勧告の表紙

市民のための放射線防護の要件とは

―ICRP新勧告草案へのパブコメを手がかりに―

上田昌文(NPO法人市民科学研究室)

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2020年12月11日にICRP(国際放射線防護委員会)の新勧告(ICRP Publications 109およびPublications111を改訂して新たに作成されたPublications146)が公表された(注1)。それは、まず2019年6月に草案が示され、次にその草案に対してのパブリックコメントを受け付け(締切りは2019年10月25日)、そして約1年をかけてそのパブコメの内容を検討して必要な改訂を行った結果、出来上がったものである。

市民科学研究室を含む日本の市民団体8団体(注2)の働きかけによって、パブコメは、従来は英語のみの投稿しか受け付けなかったところを日本語による投稿も受け付けることとなり、しかも当初決めていた締切り(8月24日)が10月に延期された。すなわちこれは、2019年の8月から9月にかけて、先の市民団体などが各地で学習会を開き、東京でICRP委員を招いて市民との討議の場を設け、記者会見を行うなどの、一連の活動によって得られたものである(注3)。そして、パブコメは総数で約300件に達し、放射線防護の非専門からのものがかなりの割合を占めるという、ICRPにとってかつてない一般からの反応が示されることになったのも、やはりこの活動の成果と言えるかもしれない。全体の約83%が日本人からの投稿であり、その中に含まれる福島事故被害者(全体の約9%)や原発・放射線問題に取り組む日本の市民団体(全体の約25%)からのものではとりわけ、草案にみられる福島事故のとらえ方への厳しい批判や詳細な代替案の提示がなされているものが少なくない(注4)

新勧告がはたしてどの程度に、そうした批判や代替案をきちんと取り込んだものとなっているのか―これこそがパブコメを寄せた方々をはじめとする多くの市民の関心事であろう。その点については、2月20日(土)に開催が予定されている、ICRP委員でこの新勧告の作成メンバー(TG93、タスクグループ93)である甲斐倫明氏と本間俊充氏を招いての市民とのオンライン討議の機会に向けて、市民科学研究室「低線量被曝研究会」のメンバーが中心となって、事前資料(2名の委員への質問事項を含む)を作るなかで検討し、その内容を公開していく予定である。

ここでは、筆者が9月13日(日)に行われたシンポジウム「 放射線防護とは何か〜ICRP勧告の歴史と福島原発事故の教訓〜」(注5)で報告し、それをもとに、12月1日から4日にかけて実施されたICRPの国際会議「原子力事故後の復興に関する国際会議 福島及びこれまでの事故から学ぶ放射線防護の教訓」(注6)での第4.1セッション(「住民の役割」)において(日本語英語併記で)ポスター発表した内容を、さらに手を入れて、述べてみる。筆者は、ICRPが従来のPublicationsに採用してきた放射線防護の基本的な枠組みを生かしたまま、それを福島事故の問題をあてはめて微調整する、というやり方での改訂では、パブコメに示された批判や代替案を反映できない可能性が高いと考えている。言い換えるなら、今回のパブコメを通読して改めて痛感したことだが、原発が全廃されるまでは、否が応でも原子力事故のリスクを抱えながら生きていかざるを得ない市民にとって、いったいどのような放射線防護がまっとうであると言えるのか、という基本に立ち返っての検討が必要であろう。まずはここでは、「市民のための放射防護」を謳う以上、必須となる事柄の骨子を記しておきたいと思う。

 

今後の放射線防護は、福島事故における事実経過を正確にふまえ、被害者(受苦者)の声を適切に反映し、可能な限り偏りのない科学的証拠に基づいて構築されねばならないが、ここでは、上記のパブコメを通覧して見えてきた、その構築のために不可欠だと思われる3つの要件を示す。

第一の観点は、福島事故における事実の確認である。

日本政府・ 事業者 (東京電力)・自治体らの責任主体が福島事故において発動した放射線防措置が、予め計画されていたものからどれほど逸脱し(ICRP勧告がいかに適用された/されなかったかという面を含めて)、いかなる問題をもたらしたか、を明示することが必要である。例えば、刻々と進行する事故状況に関する情報の提供や避難指示はどの程度的確になされたのか、SPEEDIの運用にどのような躓きがあったのか、汚染状況の把握が速やかになされたと言えるのか、ヨウ素剤配布・服用が極めて限定的だったのはどうしてか……など、緊急時での対応の不備や失敗の事例は非常に多く、 草案ではこれらへの言及が十分になされていない、とのパブコメの指摘が多数みられる。またその後の、例えば県民健康調査の体制や甲状腺検査とその評価、個人線量計によるモニタリングの方法とその結果の活用、除染の進め方、避難者支援の打ち切りの問題……など、種々の施策とその結果に対して、住民に対する適切な放射防護がなされているとは言い難いとの指摘も、同様に多岐にわたって多数みられる。

パブコメの各所にみられるような、そして例えば『国会事故調査委員会報告書』などでも取り上げられているような、原発事故で経験した、放射線防護上の不備・不足・失敗などの重要な事実を正確に拾い上げ、今後それらにいかに対処し得るか(し得ないか)を、この勧告の改定において漏れなく検討しなければならはすである。

第二の観点は、現行の放射線防護システムがかかえている「限界」の多重構造の把握である。

大規模な原子力事故では、放射線防護は、次のAからDの内在的な困難・矛盾を抱えることになる。

A)事故の規模、その推移、それがもたらす汚染・被曝状況の予測が難しい

B)防護対応措置(初期の汚染・被曝モニタリングを含む)の遅れ、不十分な実施、失敗が起こり得る

C)被曝線量限度を「差し替える」ことで状況に対応するという矛盾がある

この3点から特に問題化するのは、次の事象である。

汚染が広域で高濃度であればあるほど、避難が広域化・長期化することになり、存廃を迫られるコミュニティが多くなる。その存続のために(常住・帰還のために)、被曝リスクを過小評価しようという意向が為政者側に生まれがちになる。ICRP の「最適化」「参考レベル」は為政者にとってはこれを正当化するために用いられることになる可能性があるが、その点については、ICRPは防護対策の実施機関(政府、自治体など)に介入せず、黙認するのみである。

つまり、ICRPの勧告がA)とB)の「限界」をふまえて、実際の事故時にその限界が露呈することを見越して、「もし○○がうまくいかなった場合は△△の手段を講じる」「もし△△がうまくいかなった場合は□□の手段を講じる」……という具合に、日本政府・ 事業者・自治体・地域住民の役割と連携の形を描きつつ、状況に応じて(あくまで被曝を低減化する方向での)漸次的修正を加えた防護対策を具体化できるような指針(そこには各主体が担うべき責任を明示することも必要だろう)を含んでいなければならない。そうでなければ、B)の失敗をC)の「差し替え」によって回収するかのような対応―例えば多くの市民にとって受け入れ難い、福島事故後10年近く経っても維持されたままの「20ミリシーベルト/年の帰還基準」―を生んでしまうことになるだろう。

それに加えて、

D)低線量被曝の健康リスクに関する専門的見解の不一致がある

という事態のために、科学的に合意できる「安全と危険の線引き」ができない場合に何をもって安全の保証とするのか、の共通了解が未だに形成されていない(注7)。その事態を巧みに利用して(科学的論争の十分な詰めを行わず)、C)の矛盾を内在させたまま、事故前では容認されなかった被曝を、原発事故被災者らに「健康影響は生じない」ものとして容認させる、という、多くの被災者住民にとっては納得し難い防護政策がまかり通ることになる。

これら4点の「限界」をどうのりこえていけるのかの検討も、勧告の改定に際しては不可欠になるはずである。

第三の観点は、放射線防護の主体としての市民の役割の明確化である。

例えば、第一の観点と第二の観点のA)、B)をつきあわせると、原発事故時における放射線防護自体の経時的なモニタリングが必要であることがわかる。すなわち、防護対応措置(初期の汚染・被曝モニタリングを含む)が遅れたり、不十分にしか実施できなかったり、失敗したりすることがある場合に、そうした事態に柔軟に対応するために、事故の状況の展開に応じた、防護措置の臨機応変の改善が必要となる。しかし、その即時的な「防護措置の効果のモニタリングとその改善」は、放射線防護の専門家だけによってなすことは不可能であろう。実際、福島事故では事故直後から、放射線防護にいくらか知識と経験のある各地域の市民や市民団体らが、自前の測定を開始し、それらが後ほど、全国で100箇所ほどもの市民放射能測定所の立ち上げに及んだ、という事実がある(注8)

このことからも、放射線防護のいくつかの局面では、市民の参加や市民による意思決定、すなわち市民自身が防護の対策の策定や実施の主体の一員となるべきであろうことが、必要であると推測できる。

そもそも、市民の立場に立った(市民を守るための)放射線防護とは、

1)現実に被曝してしまったこと、これからも被曝するだろうこと 【 事実 】

2)被曝を可能な限り低減化すること 【 目標・目的 】

3)「被曝リスクをある程度受け入れる」状況におかれること 【 選択 】

の3つの位相でみた場合、2)を貫きながら、 1) を明瞭に把握して、どうにも避け難い場合に限って 3)を住民が主体的に選択できるようにする、という条件を整えることを意味するだろう。3)ではこの選択と引き換えに何を得ることになり(例えば、コミュニティ再生の見通しと再生への住民の主体的決定・関与)、何が保証されることになるのか(例えば、長期に渡る医療的ケア)が明確に示されねばならない。これらが不明確・不透明である限り、「自主避難」はもっとも合理的でもっとも妥当な選択となるはずであり、それへの支援が予めきちんと用意されなければならないことになる。

原発事故における防護措置を策定し、実施し、事後修正することに、現状では住民はほとんどまったく関与できておらず、ICRPの草案でも、多様なステークホルダーの関与や共同専門知プロセス(co-expertise process)の促進を謳っていながら、それらへの住民の関与については抽象的な理念の提示の域を出ていない。なかでも、福島事故の経験で明瞭に示されているように、避難・帰還に関してコミュニティ内で合意形成やそれへの支援・補償ができていないことが深刻である。

防災・避難・再興のすべてのプロセスでの意思決定において住民が適切に関与できること、とりわけ、自主的避難という選択の妥当性への評価を防護システムに織り込むことが、今回のICRPの改定にあたっては特に重要となるだろう。

 

注1)ICRP Publication 146 Now Available

名称は、『ICRP Publication 146 on Radiological Protection of People and the Environment in the Event of a Large Nuclear Accident』(ICRP Publication 146 大規模原子力事故における人と環境の放射線防護― ICRP Publication 109 と 111 の改訂 ―)で、その主要部分の日本語概要が公開されている。

「ICRP Publication 146 の主要部分を仮訳したものである(甲斐倫明、本間俊充、訳)」

注2)原子力市民委員会、原子力資料情報室、国際環境NGOグリーンピース・ジャパン、国際環境NGO FoEジャパン、NPO法人市民科学研究室、高木学校、「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク、放射線被ばくを学習する会 の8団体。

注3)この8団体が協力して、ICRP勧告草案の日本語訳を作成し、こちらに掲載した。

また、2019年9月2日にはICRP委員の甲斐氏を招いての学習会を実施した。

その動画が以下に公開されている。

注4)草案に対して寄せられたパブコメの全文の日本語訳は、市民科学研究室・低線量被曝研究会のメンバーらによってなされた。こちらに掲載している。

注5)<オンライン・シンポジウム>「放射線防護とは何か〜ICRP勧告の歴史と福島原発事故の教訓〜」

注6)「ICRP 原子力事故後の復興に関する国際会議 福島及びこれまでの事故から学ぶ放射線防護の教訓」

注7)市民科学研究室が東京大学からの再委託を受けて実施した、次の事業の「放射線健康リスク」部門の記録を参照のこと(「放射線健康影響に関する専門家フォーラム」)。

放射線防護施策における専門家の役割とその限界については、同事業の成果最終報告のうち、53頁から57頁を参照のこと。

その要点を記しておくと、次のようになる。

まず、原発事故に伴う放射線問題は、次のような位相があると考えられる。

A 放射線健康影響で科学的に真偽と確からしさを論じ得る事柄
B 放射線防護・被ばくや汚染の低減などを含めた原発事故影響への対応として出された政策において、その根拠とされる科学的事実に関して、その判断や解釈の妥当性に関する事柄
C 被ばくしたこと(していること)に由来する健康への危害・不安に関する事柄
D 避難・除染・被ばく低減措置などに伴う生活への制限、コミュニティの変容、人々の間に生じている分断などの社会的危害に関する事柄

これらに対して、放射線の専門家が扱い得ることをまとめてみると、次のようになるだろう。

A* 扱い得るが、ただし不確実性に関しては見解が異なることがしばしばあり、Bにおいてもそのために見解が別れることも起こる
B* 政策への適用に関して、その根拠となる科学的事実の解釈や判断に間違いがないかのチェックはし得るが、しかし政策それ自体の妥当性までは判断し得ない
C* どのような健康影響がどの程度あり得るかに関しての見通し(ただし不確定要素を含む)、そしてその見通しにもとづいて、例えば線量評価や検診などで、何をどう調べていくべきかの要件を提示することはできる
D* ほぼ基本的に扱い得ない

この専門家フォーラムで、ある程度明らかになった専門家の共通認識を、A~Dに即してその大きな傾向をまとめてみると以下のようになる。

A 100mSv以下の被ばくで健康影響がないとは言えない、という点では一致しているが、ではその影響をどうみるかについては相違がある。20mSvが「安全・危険」の線引きの目安にはなり得ないこと、そして20mSv基準はBの問題であることで一致している。
B 現実に施行されている20ミリ基準は、ICRPが述べている現存被ばく状況の捉え方からは逸脱している、との認識で一致している。
C 有効な保健対策に不可欠な線量評価が不十分にしかなされていない、という点で意見が一致している。
D (意見の一致を確認すべき事柄ではないが、)自治体担当者からの現場の声を聞いた上で、「何がその問題を生んでいるのか」「どのような対処が望まれるのか」に関して多くの発言があった。

注8)上田昌文「福島原発事故後の市民による放射線計測活動の意義」『科学技術社会論研究』 第18号2020年4月 所収

 

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市民のための放射線防護の要件とは ―ICRP新勧告草案へのパブコメを手がかりに―」への1件のフィードバック

  1. 山口一郎

    第一条 この法律は、平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故(以下「東京電力原子力事故」という。)により放出された放射性物質が広く拡散していること、当該放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていないこと等のため、一定の基準以上の放射線量が計測される地域に居住し、又は居住していた者及び政府による避難に係る指示により避難を余儀なくされている者並びにこれらの者に準ずる者(以下「被災者」という。)が、健康上の不安を抱え、生活上の負担を強いられており、その支援の必要性が生じていること及び当該支援に関し特に子どもへの配慮が求められていることに鑑み、子どもに特に配慮して行う被災者の生活支援等に関する施策(以下「被災者生活支援等施策」という。)の基本となる事項を定めることにより、被災者の生活を守り支えるための被災者生活支援等施策を推進し、もって被災者の不安の解消及び安定した生活の実現に寄与することを目的とする。

    『「自主避難」はもっとも合理的でもっとも妥当な選択となるはずであり』とあるが、決めつけてよいか?そもそも合理性が問われているのか?

    子ども被災者支援法関係
    https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/20140526155840.html

    自主避難者等への支援に関する関係省庁会議
    https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/20141107163901.html

    質問主意書
    子ども・被災者支援法における支援対象地域に関して政府における科学的見解等に関する質問主意書
    http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a189399.htm

    請願
    子ども・被災者支援法の幅広い適用と具体的な施策の実施に関する請願
    https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/185/futaku/fu18504220301.htm

    施策
    「子ども被災者支援法」に基づく支援対象避難者の公営住宅への入居
    https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/201409_kodomo_sien.html

    課題検討
    民主主義における専門性の問題:福島原発事故自主避難者賠償問題を例にとって
    http://www.jst.go.jp/csc/mt/mt-static/support/theme_static/csc/pdf/result26/hirakawa_01.pdf
    東京電力原子力事故に係る被災者生活支援等施策の推進に関する基本的な方針の策定と今後の課題
    https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2014pdf/20140115132.pdf
    Chieko Kurihara. Ethical consideration of radiological protection: Learning from Fukushima
    https://www.airp-asso.it/wp-content/uploads/convegni/2013_etica/kurihara.pdf

    チェルノブイリ法
    Jacques Lochard. Rehabilitation of Living Conditions After a Nuclear Accident : Lessons From Chernobyl
    https://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/twg/dai5/siryou2.pdf
    Presentation to the Japanese Cabinet Office Tokyo – 2011 November 28
    * If the average annual individual dose may exceed 5 mSv/year the population must be relocated
    * If the average annual dose is ranging from 1 to 5 mSv/year voluntary relocation is possible with compensation= decision of relocation transferred to the individuals
    * If the average individual dose is lower than 1 mSv/year periodic radiological control is implemented

    ICRP
    ICRP Publication 146. Radiological Protection of People and the Environment in the Event of a Large Nuclear Accident
    https://www.icrp.org/publication.asp?id=ICRP+Publication+146

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