子どもを産むという選択 ~現代日本の未妊・不妊・高齢出産事情~

投稿者: | 2009年11月3日

写図表あり
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第31回 市民科学講座 (2009年7月16日)
子どもを産むという選択
~現代日本の未妊・不妊・高齢出産事情~
出産ジャーナリスト
河合 蘭
上田昌文(市民科学研究室・代表)
 それでは始めたいと思います。皆さんこんばんは。
 見渡す限り女性ばかりで、こういうのはなかなか緊張しますね。男性で申し込みされてる方もいますので、後から来ると思います。今日は、『子どもを産むという選択』というタイトルを付けたんですけれども、そちらにおられるベビーコムの鈴木さんと長年一緒に仕事をしていまして、その中で不妊治療に関する調査をしたことがあるんですね、そういう調査を経て、いろんな女性、男性も含めて、子どもを産むということに対する社会的な状況が変わってきて、そこに新しい技術も入り込んで、世の中どうなっていくんだろうかということを出来るだけ広く正確にみたいという気持ちがあって一緒に仕事をしているんです。今は出版社の方も加わって、なんとかこの一年で生殖医療を含めた新しい技術のことと、人間の関係ということをもう少し一般の人たちに問題提起できるような本を作りたいと思っています。ただその時にやっぱり医療とか技術の話しを中心にする前に、子どもを持つということが、この日本社会のなかでどんなふうに受け止められてきているか、変わってきているかということをしっかり言っておかないといけないなと思ったので、鈴木さんに相談しましたところ、河合さんを紹介して頂いたということなんですね。
 今日は人数も少ないですし、時間もたっぷりありますから、みなさんゆっくりお話しをして頂いて、いろいろ思うところ、あるいは悩むところを言っていただけたら良い会になるのではないかなと思っています。私、申し遅れましたけれども、市民科学研究室代表の上田と申します。
 今日の進め方ですが、最初の1時間から長くて1時間半ぐらいを河合さんにお話しいただいて、その後少し休憩を挟みまして皆さんでお話しを交わす時間にしたいなと思っています。だいたい21時少し過ぎくらいを目処に終わります。皆さんよろしくお付き合い下さい。
 では、河合さんよろしくお願いします。
河合蘭
 皆さんこんばんは、河合です。今日はそれぞれいろいろな思いを持って集まって頂いたと思うのですが、本当にありがとうございます。リラックスした雰囲気でお迎えいただきまして、私もゆっくりお話させていただいて、また後半はこの人数ですので、本当にお一人ずつにざっくばらんなお話しを伺えればと思って楽しみにしております。
 最初1時間ばかりを目標に、持ってきた話しをしたいと思います。
 上田さんのほうから頂いた命題は、現代における妊娠・出産とはどのようなものかということで頂いたと思うのですが、私は『未妊-「産む」と決められない』(NHK生活人新書)という本を書いています。これは、不妊と言わずに未妊という言い方をしているんですけれども、この言葉に籠められた思いはですね、『私はまだ妊娠していない』ということで、妊娠しないということではないんですね、未だ妊娠せずという意味です。
 不妊治療中の方が、不妊という言葉を嫌って、私は妊娠しないという言葉ではなくて、まだ妊娠していない人であるというふうに自らを感じたいという思いを込めて、定かではありませんけども、ネットの中で出来た言葉なのかなと私は思っています。私はネットの中でしか見たことがありませんでした。先生達はいろんな言葉を使っています。例えば不妊外来を、子どもを望んでいる人の外来という意味で、望児(ボウジ)外来と言ってる先生もいらっしゃいます。不妊という言葉はあまり嬉しい言葉ではありませんよね、その中で、未妊、未来の未でもありますから、なんとなく希望も感じられるということでタイトルを付けた本なんですけれども、中身は、子どもがいつかは欲しいと思っている、私の人生に子どもがいないということは望んでいない、だけれども今じゃないなあって思いながら、1年、また1年と過ぎていく、そういう女性達に多数インタビューしまして、その出産の引き伸ばしの心のなかにはどんなものが潜んでいるのかなっていうのを、長い方ではお一人4~5時間お話をうかがって、そのなかから抽出したものです。そして同じような境遇にある読者のかた達に知っておいて欲しい生殖医療の医学的な知識ですね、不妊治療とはどういうものかとか、年齢による影響はこんなふうにありますとか、そういうことを盛り込み、そしてその末に産んだかたの子育てなども入れて一冊の本にしたものです。おもにその内容からお話しをしていくことになると思います。
【投影図①】
 まず初めに、日本の今の高齢出産、不妊、そういったものの状況なんですけれども、皆さんのお手元の資料のひとコマ(図②)、高齢出産ですが、皆さんよくご存知のように、年々高齢出産の人が増えている状況です。まだ日本全体ですと第一子の出産平均年齢は29.何歳というギリギリの瀬戸際で20代。最後の土俵際で粘っていますけれども、もう来年とか再来年とか30代にいくんじゃないかなと私は思うんですけれども、東京都は数年前からもう30.何歳という感じで30代に突入しています。でも欧米に比べればまだ若いうちに産んでいるかなと、そういう状況です。今どれくらい高齢出産と呼ばれるかたがいるのかな、というと【投影図①】、2007年のデータで計算してみたら19.4%でした。上は分からないんですけれども、50歳以上も含めて、全ての35歳以上で出産のかたが5人に1人の割合になっています。1990年には7.7%でした、それが今2割くらいになっていて、それからまだ20年経っていないから、世代はまだ変わっていないですね。まあ17歳で産むという子たちも増えているんですけれども、かたや、真ん中が減っているという状態で、10代の妊娠が増えているんですけども、一番ガクッと減っているのが20代前半、そして20代後半も減り、そして30歳以上のかたがどんどん増えているという状態です。
【投影図②】
 ちょっとグラフぼやけてて申し訳ないんですけども【②】、もう激増しているのは40代、この2本のグラフ、手前が40代前半のかた、そして後ろのえんじ色が40代後半で、後半のほうはさすがに思いはあっても身体がついていかないので、そんなにすごく増えてはいないんですけれども、40代前半はまだまだ産めるんですよね、その気になれば。けっこうあきらめているかたも多いんですけども、その気になれば、42,43歳でも全然妊娠するから、皆さんのまわりでもそういうかたけっこういらっしやるんじゃないでしょうか?私のまわりはほんとに42歳43歳の妊婦さんは、驚かれもせず、たくさんいます。その割合を見ますと、減ってる、減ってると騒がれる20代前半とかでも数割とか減っているだけの変化なんですけど、40代はこの20年のあいだに5倍近く増えてしまっている。1980年ですから、この時に生まれた人たちは今28歳くらいですか、今これから産み始めんとしている人たちの生まれた頃には、40代で産む方は1%なんか全然いなくて、0.4~0.5%でした。それが今では2.3%ですから、50人に1人強ぐらいの方が産んでいます。都市部ではもっと多いんじゃないかなと思います。
【投影図③】
 42、3歳の妊婦さんが私の目の前にあらわれますと、今はもうざっくばらんに、不妊治療とかした?って聞けてしまっています。不妊治療がすごく普通のことになってきている感じがありますね。答えるほうも、まわりにたくさん人がいても、ちょっとやったとか、体外だったとか、やったけどめんどうでやめたとか、まあいろんな話しが出てくるんですけども、普通に話せるんですね。それがほんとうに10年ぐらい前でしたら、スティグマっていう言葉、不妊治療っていうとなんか、どこか人に隠さなければいけない重大な欠陥みたいなそういう見方があって、その見方はなんか今は昔っていう感覚があります。昔は不妊治療っていうのは近所のクリニックにも行けなくて、飛行機に乗って遠くで治療したりするかたもいたぐらいなんです。今、飛行機に乗って治療に行く方は、たぶん成績のいいところに行くからなんじゃないかなと思います。昔の不妊のクリニックは駐車場を遠くに作ったりとかしたそうです。あの人の車あるわみたいなことを思われたくない、それから、もしかしたらこれはまだあるかもしれませんが、おじいちゃんおばあちゃんには(治療していることは)絶対秘密とかね、そういうことはものすごくあって、治療する方たちにのしかかっていたんですけれども、もうかなりライトな感じになってきたかなと思っています。
高齢出産の方で、どのくらいの人が不妊治療経験者かなという調査があって、ベネッセが2007年ですかね、次世代育成研究所というところを持っていて、妊娠・出産・子育て基本調査というのを継続的にやっていくことになりまして、その初回に調べていただいたデータでは、高齢出産組みの35歳以上では、27.3%、3割弱のかたが不妊治療をしたことがある、男性か女性かいずれかがしたことがあるという言い方でしたけれども、まあ男性だけするってことはあまりないと思うんですけれども、これぐらいの頻度で不妊治療をして、それを経て高齢妊娠をしていらっしゃいました。24歳以下ですとゼロだったようです。これは一組のカップルをめがけて長いこと追っていくので、そんなに数もありません。たぶん300なかったと思います。30~34歳くらいで治療する割合は2割くらい増えてきます、20代組みも後半になると7.5パーセントありました。20代の不妊治療ってあるの?って思うかたもいるんですけれども、やっぱりあります。早く結婚したけれども、2年を経ても妊娠しない、こういうかたはけっこう大変な理由を抱えている不妊症が多いですので、これはこれで大変な不妊治療らしいですけれども。
 今、圧倒的に増えているのは、高齢になって卵子が老化して細胞が分裂していく力が衰えて、そして不妊治療が必要になっていく、そういう加齢による不妊治療の方たちが増えていますね。まあこの増え方には、国の補助が付いてきたということも大きな理由になっていると思います。お金があるからやろうというかたもいるし、それからやっぱり市民権を得たというね。国が応援してくれるということは、そんな人に隠すような悪いことをしているわけじゃなくて、この少子化の時代に子どもを持とうとして治療しているりっぱなことであるっていうメッセージを、国から治療してるかたに送れたのかなとも思いますし、治療をする施設も増えたようですね。そのなかには技術のバラつきという問題も出てくると思うんですけれども、まあいろんな方面から身近でオープンなものになってきていると思います。
【投影図④】
 これが未妊という本なんですけれども、『私は産まない女ではなく、まだ産んでいないだけ』このフレーズが、読者から「そうなの、そうなの、あたしそうなの」というようなことをすごく言われて、で、帯に『出来ちゃったら産めるのに』っていうのを書いたら、これもすごい共感を得ました。これがタイトルだったほうが良かったかなと後で思ったんですけれども、気持ち分かりますよね。
「もう考えてるうちに分からなくなっちゃってね、あたしもう欲しいんだか欲しくないんだか分かんなくなっちゃったの」という方たちは、「避妊に失敗しないかしら」ってそれを密かに期待するんですね、で「出来ちゃったら産める」ってみんなが言うんです。じゃあ、今産めるわけでしょう、って私は思うんですけれども、そう言うと「いや今はちょっと困るんだけれども」という答えが返ってくる。そういう二重構造があったんです。
 そのような状態の人にどういう悶々状態があったのかなっていうお話しをこれからするんですけれども、そういういろいろな考え、思い、自分が気が付いている気持ち、気が付いていない気持ち、いろいろあったんですけれども、そんなのを抱えながら、ともかく時間が長かったですね。みなさん未妊を経験している時間がすごく長い。十年とか、人によっては二十年とかね、最初に結婚したときにスパッと産んでしまっていれば、もうその子は成人してるよ、というような時間ですよね、で、そういうような時間を過ごしている方たちに会いに行きました。
【投影図⑤】
 私はお話しを聞きながら、ふと浮かんだ言葉は、『未妊婦さん』という言葉がまず浮かびました。この方達は妊婦さんの一種ではないかしら?というふうに思ったんですね。なぜかというとですね、私がいつも過ごしている、読者のかたである妊婦さんという人種のかたたちと、この未妊のかたたちには同じ行動がたくさんあって、まず名前を考えるということをしている。こんな名前もいいな、あんな名前もいいな、名前を考えるということは男か女か考えることが必然的に出てくるわけで、男だったら夫に似てるかしら似てないほうがいいかしらとか、いろいろ考えるわけですよね、男の子だったらこんなこと習うかしらとか、女の子だったら私が歳をとっても一緒にいろんなことで生活をともにできるかしらとか、男女ふたつの可能性をあれこれ考え、思いめぐらせているわけです。名前がもう決定しているという方がけっこういらっしゃるんですよね。男の子だったらこの名前というか、大体男の子だって決まっているんですけれども、こんな子っていうイメージが固まっている。それって妊婦さんがなさるんですよね、やっぱり。運動会の種目とかもね、考えていて、リレー走るかもしれないとかって思って、ウォーキングを始めたとかジョギングを始めたとか、そういうお話しも出てきました。そして育児費用を貯金しているかたもいたし、もう貯金し終わりましたという方もいるんですよ。未妊歴が長ければ、お金も貯まるんですよね。で、育児休暇の間お金がもらえなくてもこれでバッチリ、数年間収入が減っても生活できる、と、そういう準備をなさっている。
 この、「もうお金はあるわ」という状態はあっという間に生まれる本当の妊婦さんでは期間が短いので出来なくて、ちょっと羨ましいかなっていう感じですけども。それから、私が出産系専門のライターですということを言いますと、産院情報いろいろ持っている人じゃないかしらということになりまして、いい産院教えて下さいと、よく取材中言われました。今はブランド産院とかいろいろありますけれどもそれってどうなんですか?とか、高額な病院のほうがやっぱりいいんですか?とかいろんなことを聞かれました。これも妊婦さんと同じでしたし、産んだかたがいれば、お産や育児の体験談をあれこれ聞きだして参考にしたりとか、そして得た情報を夫婦で意見交換するというように、妊婦さんと同じ行動をとって、長いこと月日が経つんですけど。
 でも妊娠期間って普通は十月十日で終わるんですけど、未妊婦さんの妊娠期間は長すぎますね。それで、疲れてきちゃうわけですよね、本当の妊娠の場合というのは、そこに身体の変化というのが出てくる、まずお腹が大きくなりますね。皆さん満腹時はなんとなくボーッとリラックスしますよね、わたしはそれと似た感じかなと思うんですけど、お腹が大きくなってくるといろんなことがわりとどうでもよくなってきたりとかですね、子どものことにはすごく過敏になってくるんですけれども。
 まあ、いろんな時期があります。すごい過敏な時期もあるんですけれども、すごーく自然の流れに身をまかせて生きていける自分みたいなのを発見できる時期があったりとか、身体の変化とともに気持ちも変わってくるんですね、で、脳も変わってしまいます。妊娠した直後はまだシラフのままですので、いろいろ「お金がー!」とか「仕事がー!」とか考えるんですけれども、だんだんだんだんお腹のほうに、子宮のほうに支配されていきます。脳も子宮優先になってきて、大脳があまり活発にチリチリと動かなくなってきてですね、楽になってきます。
 子どもを受け入れるには、普段の都会の、ましてや難しい仕事をしているような人間の大脳では、「ちょっとやり過ぎですよ~、いろいろ考えすぎですよ~」と、その働き過ぎの大脳を黙らせてくれるような方向に、妊娠中はホルモンが動いていくんです。ましてや生まれようものなら、授乳中はかなりボーッとしますね。ガンガン物忘れします。何人か産むとそれが平常な状態になって、私なんかかなりもうボーッとしてるんですけれども、妊娠中からそういう気持ちのいい、ハイな状態になっていきます。それが未妊婦さんの場合起きないので、けっこう大変かなと思います。
【投影図⑥】
 それで、なんで踏ん切らないのかなというと、皆さんいろんな話しをしてくれますが、まず、「お金が心配なの」って話が多いんですよね。まあこれにはいろいろウラがあるんですけれども、それから職場に子育てへの理解が無い、先輩が産んだら職場には戻れたけれどもその後が散々たるものであったというようなことを目の当たりにした体験とか、これはジワジワと良くなってきてはいるんですけれども、いまだにやっぱり無くなりはしない。これは本当に変えていかなければならない立派な産みたくない理由のひとつになっていると思います。あと保育所が足りないという話しがやっぱり不安に陥れています。とくにこれが昨年度(平成20年)酷くなりましたね、不況の影響で、早くお金を稼ぎたいという妊婦さんが増えて、0歳児保育からもう少し上の保育施設がほんとにパンクしましたね。それで、急遽、相談窓口を行政が設けたりしていましたけれど。それから夫が家事・育児に協力をする気が無いとか、する気はあるんだけれども能力的にどうもとか、まあお母さんに何もかもやってもらっている夫は、あんまりチカラにならないと思われていたりとか。そして、自分の時間が無くなるというのが、実はベネッセの調査ですごく多かったんです。育児の自信が無いというかたも多いし、それからもしかしたらこれが一番深刻かもしれないんですけれども、結婚ができないという、結婚をしていない方、パートナーがいないからという方もすごく増えていると思います。
【投影図⑦】
 ひとつずつ見ていきたいんですけれども、じゃあ収入が増えれば産めるのかなというと、これはすごく複雑な話しだったと思います。これは未妊の取材から何年か経っているんで、いまは低所得の若いカップルの問題というのがどんどん大きくなってきているんですけれども、大体その場合は、いろんな調査でみると、年収400万円で区切って、それ以下であると、行政の支援がないと子どもを産んでくれないであろうと、今は考えられているようです。
 このグラフ【⑦】でも一番下が年収400万円以下のグループなんですけれども、やっぱり400万円以下になると子どもの数も減ってしまう。これは平成17年の国民生活白書からとってきたデータなんですけれども、お金が無いから産めないのだという説を重視しなければいけないという数値のひとつです。しかし、そこから上になりますと、年収があればあるほど、お金にゆとりがあればあるほど産むはずなのに、実際はそうなっていないんですね、年収と子どもの数は、そこからは全然比例しないんです。そして非常に興味深いことに、世帯収入が1000万円以上ある夫婦では、また子どもが減ってしまうんです。一番お金持ちの人たちが、世帯収入400万円の人たちとあまり変わらないぐらい子どもがいないんです。
 これは、子どもを持たずに一生懸命たくさん働いていたから収入が上がったのか、卵とニワトリの面もあるかもしれませんけれども、こういうような不思議な現象も起きているので、お金が無いから産めませんというのはどうなんだろうというふうに思わざるをえないわけです。それで、インタビューのなかでもよくよく聞いてみると、食うや食わずで子どもなんか産めないという人はすごく限られているんですね。
 子どもがいなくて夫婦二人で働いてるようなかたは、収入は二人で合算するとけっこうあって、そしてとても豊かな生活をしている人が、私の取材した人の中にはけっこういたんですね。旅行は年に何回か行かなければならない、それが私たちのライフスタイルというふうになってしまうとですね、経費がかかるので、入ってくるけど出ていくお金も大きいというライフスタイルですね、そういうかたがけっこういました。「私は欲しいと思ったものをあまり我慢したことが無いので、我慢するのはすごく辛そうな気がする」、そういう話しも出てくるし、それからちょっとこれは大変だなと思ったのは、高いマンションを買ってローンが出来てしまった、そのローンの月々の支払いがけっこう大きいために、収入はあるんだけれども経済的にゆとりがないという方々もいました。じゃあ子どもを産むためにはこのマンションを売らなければいけない、この気に入った、大好きなインテリアにリフォームしたマンションを手放すのは辛いと、そういうパターンもあります。往々にして、ある程度の年数が経ってしまうとそういうことにとなりがちです。割と男性に多かったような気がするんですけれど、趣味にすっごいお金をかけている、もうホビーのもので陳列棚があるような方もいますね。
 かつては人間って、ある程度の年齢になったら強制的に妊娠をさせられてしまっていたんじゃないかと思います。避妊の無い時代はそんなふうに強制的に子持ちにさせられてしまっていて、そして子どものほうにエネルギーを注ぐというふうにデザインされているのが基本的な人間の作りなんでしょう。で、それだけのエネルギーを持ってみんな生まれてきている。
 だけど今は子どもを産むか産まないかで選べるようになってきたわけですね、産まない人が出てきたら、じゃあそのエネルギーはどこかにはけ口を求めるわけですね、そうしないと余っちゃいますよね。だから子どもを持っていない人というのはすごいエネルギーを他のことにぶつけている。仕事であったり、趣味であったり。もともとパワーのある人なんかホントにすごいスピードでそっちのほうに駆けていくんですよね。で、それを5年10年とか、ましてや20年とかやってるとすごいことになってるわけですよ。仕事なんかもすごく極めているし、趣味も極めていて、なかなか高度なわけです。そこにギリギリいっぱいかけている経費と労力を子どもに分け与えるのは、高いところを知ってしまった人には確かに難しいと思いますね。
【投影図⑧】
 それからまたちょっと違うタイプの理由グループなんですけれども、今は、なかなか大人になれない時代なのかな、と感じさせる理由もたくさんありました。「まだまだ私は人間的に未熟だから子どもを持つなんてとんでもない」という言葉をよく聞きました。それから「キャリア的にまだまだ未熟である」という感覚、「まだまだこんな私の実力では職場を今1年とか去ったら、帰ってきたらもっと優秀な実力のある人がわたしの椅子に座っちゃうんじゃないかしら」と、そういうカタチ。二十代ですとこういうかたがすごく多いんじゃないでしょうかね。
 そしてそれが習い事であったりすることもあります。今いろんな資格もいっぱいありますよね、「今度3級とったから次は2級で次は1級だ」とか、いろんなことに次々にチャレンジしてらっしゃる。そうすると次々に次の目標、次の目標と与えられるので、なかなかそこからヒュッと抜けるということが出来ない。「もう少しするとインストラクターの資格がもらえる」とか、そういうものもいっぱいあるようです。
 それから、キャリアアップする上で、自由にやりたいことを探していけるのはいい時代なんですけれど、逆に目移りしてしまって、ちょっとこの道は私にはあってないかもと思ったら、止めるなら早いほうがいいはずだっ、てスルッとその道を止めて他の道に入るっていう女性もいっぱいいるみたいで、キャリア漂流という言葉もあるみたいです。漂流してしまう、自分に本当に合ったこと、自分を求めている世界を探して、いろんな世界に首をつっこんでしまう。講座も留学もいっぱいあるし、やっぱりそれぞれやると、1年2年3年とあっという間に経ってしまう。で、本当にやりたいことが見つからなくて焦る。「早くやりたいこと、自分に合ったことを見つけて、そこで就職してその会社で自分の地位を築いて、そして早く産みたいわ」って思うんだけど、それっていったい何年かかるんですか?って思うんですよね。
 キャリアアップと子育ての兼ね合いというのはとても大変なものです。それぞれ数年のセットなので。今ほんとうに女性が産める年数っていったい何年ありますか?っていうと、実に少ないのです。昔だったら14、5歳でお嫁にいっちゃったりとかして、16、7歳くらいで思春期の無排卵性の月経が終わったらすぐに赤ちゃんがお腹に入り、四十いくつまで産んで、すごい長い年数産んでたんですけれど、今は一番上の学校出ましたっていったらもう二十いくつですよね、そこから就職して少し働いてから結婚し、そして四十二、三歳まで産むとします。そうすると十何年しかないわけですから、その中でキャリア漂流をしてしまうとあっという間に四十歳になってしまいます。
 これは、あちこちしない人でも、ひとつの道を追及している人にも起きています。例えば、私が今、仕事でよくお付き合いしている医学関係、看護関係の人たちは、学校に行く年数がガンガン延びるんですよね、お医者さんだったりすると一人前の医者になるまで10年かかるといわれていて、まず大学出るまで6年かかって、そこでやっと免許を貰えますが、その後もしばらくは研修医と呼ばれています。なかなか一人前のお医者さんになれないです。ですからお医者さんはなかなか産むのは大変なんですけれども、勤務も大変だし医者になるまでの年数的にも大変なんですけれども、まあでも知識があるので、「今だ!」って、女医さんはけっこう上手に産んではいます。いま看護系もだんだん6年間の大学にしようというふうになってきました。4年の場合は大学院で保健師とか助産師とかを取ろうとしているし、そうするとやっぱり6年とか経ってしまいますよね。
 そんなこんなでなかなか一人前にしてもらえない。社会が高度になっていけばいくほど大人になるのに年数がかかるわけで、今、30歳で成人の日にしようかって、そういう説もあるみたい(笑)。少年犯罪の観点から考えると、18歳に下ろしたほうがいいんじゃないかという議論もあるみたいですけれども、キャリアということを考えるとやっぱり30歳かなって、私なんかは未妊のかた達を見ていると思うんです。
 ところで、大人になるってどういうこと?、大人になったって思えるっていうのはどういうことか?って、皆さんどういう人をみて「大人だな」って思えるんでしょう?
今は女性も働く人がこれだけ多い時代ですから、仕事ができるようになってお給料を貰って自分で自活できるようになりましたっていうくらいになったら一人前かなって、そういう基準がひとつあると思います。それでたぶん子どもを産むということはその基準の上にのっかる第二段階の大人の証しっていうイメージを若い人たちは持っているんではないでしょうか。
 全然違う人たちも増えています。もう何の収入もなくっても、それは子どもを持つっていう決心をしたっていうよりも、ただいきなりビックリ妊娠をしたっていう感じだと思うんですけれどもね。中にはなんの後ろ盾もなく、妊婦検診も一度も受けず、突然お腹が痛いですって言って病院に飛び込む人もいるんですけれども、こちらは、まあ、すっごく少数です。
 子どもを持つということが非常に「大人度」の高い人がやることだと思えば、やっぱり高齢出産にもなろうというものです。
【投影図⑨】
卵巣はどうなっているのっていうと、卵巣は江戸時代でも平安時代でも今とあまり変わらないんですね。昔々は、90歳とか100歳ぐらいまで生きる人が江戸時代でもいたわけです。かえって病気が少なかったりするんですね、平均寿命が凄く短いというのは、お産とか、子どものうちに淘汰されて亡くなるからだったんですね。あんまり人間の体は変わっていない。ただ、ちょっと初潮が早くなっているというのはあるんですけれども、12歳11歳10歳で初潮が始まったところで、べつにそこで産み始めるわけではないし、上のほうが変わらない。
 で、これはすごく女の子達に見てもらわなきゃいけないグラフだと思っています【⑨】。女性の妊娠力というのが、年齢とともにどんな風に変化していくか。これは今、仕事もしたいと思っている普通の女の子は本当に知らなければならない。このグラフは体外受精の成功率なんですけれども、妊娠力と年齢の関係を一番あらわしているのはこのグラフなのかなと思います。本当は、何歳の人が何歳で妊娠しているかというのがあればいいんですけれども、すごくたくさんの人が今は避妊しているわけですよね。それでまた、不妊治療もしていたりしていなかったり、欲しくないという人もいたりとか、そういうことで今はすごく人工的に妊娠が操作されていますので、自然な妊娠力というのは計りにくいんですよね。なかには避妊がない世界というのもあり、避妊が禁じられている人達とか社会もあるので、そういうデータもあるらしいんですけれどもちょっと私わからなくて、まあこのグラフは体外受精なんですけれども、体外受精って、実は最終的には卵子のチカラなんです。(医者は)お手伝いはしてるんですけれども、最後の決め手はそこ(卵子のチカラ)なんです。最後の最後は実は授かりものだっていうのが体外受精なんですけれども、もう本当に不思議なくらいなんですよね、シャーレに医学的に理想的な状態に作った卵子を入れて、精子を入れて泳がせてもなお受精しないというね、そういうことが起きる、受精するかどうかは神のみぞ知るという世界なんですね。
 ですからこのグラフは卵子のチカラを表しています。だいたいガーンと下がってくるのは30代後 半なんですけれども、よくよくみると33歳あたりから少し下がってきています。
 それ以前はあまり変わらないですね。20代で産んでも、31歳、32歳で産んでもあんまり変わらないですね。ちょっとこのグラフにはありませんが、10代だとまた卵子のチカラは落ちてしまいます。どうしてだかわからないんですけど、やっぱりまだ生殖器が発展途上なのかなと思うんですけれども、だから医学的にみて、一番楽に卵巣や子宮が働けそうだなというのは20代、そして30代前半、それも30代突入したあたり。
 それで、そこから少しずつ下がって、37,38,39歳あたりからすごーく厳しくなってきます。ここら辺になりますと、流産も増えて、妊娠はするんだけれども流産してしまったと悲しい思いをする人も増えてきます。流産て実はけっこう多くて、全体のお母さんでみると10人に1人くらいあるんですけれど、40歳近くなってきますとそれが2倍くらいになって5人に1人というか、5回に1回というか、それくらい非常に高い頻度で流産を経験する可能性が増えます。もうね、やっと出来たというところで流産を経験すると、ショックで、ショックでもうあきらめてしまう人もけっこういますね。今日いらしてる皆さんのなかにも流産を経験したかたがいらっしゃるかも知れないんですけど、かなりこたえるんですよね。
 妊娠って、妊娠したときからフワ~ンって世界にお花が飛び出した感じになって、胎児の存在ってあるので、それがある日火が消えてしまうようになくなるというのはすごく辛いんですよね。まあそんなこともあるので、出来るだけ妊娠力のある段階で産み始めたほうがいいと思いますし、そして子どもを持てる人数にもすごーく関係があるんですよね。40歳近くになって産み始めると、ようやく一人というかたがとても多いんですよね、なかなか二人三人というようにいかない。中には40歳過ぎてから産み始めて、3人産んだというかたもいるんですけれど、そういうかたは希望の星でいますけれども、やっぱり一人、そしてうーんとがんばってなんとか二人というふうになってしまうことが高齢出産のかたには多い。逆に20代まんなかあたりで産み始めた人は、ボヤ~っとしてても3人産んだりとかね、私がそうだったりするんですけど(笑)
 私は「REBORN(リボーン)」っていう出産のネットワークを仲間と作ってるんですけれども、何も考えずに出来ちゃったから20代に産んだみたいな人間がやたらと多くて、ほとんどみんな3人子どもがいるんですね。
【投影図⑩】
 まあ、こういうような知識を普及させようということで、今、いろんなところでいろんな人が活動しているという状況です。産婦人科医も、学校に出前の授業に行きたいな~と思っている人がたくさん出てきています。私にもこういう記事を作ってくれという依頼が本当にあっという間に増えまして、5年くらい前に初めてこういう依頼をファッション誌から受けた時はビックリしました、「えっ?ファッション誌で産むっていうことをやるの?」って。だいたい妊婦さんってダボッとゆったりしたものを着るようになりますし、助産院でも冬は毛糸のパンツはけ、みたいな感じでコロコロした服装になるので全然ファッション雑誌の世界とは違うというイメージがあったんですけれども、今はほとんどの女性誌で出産特集を年に一回は組みますよ。あと出産特集でなくても、女性の妊娠力をキープ出来るような婦人科系統の話しですとか、本当にたくさん記事として増えてきて、女性達もけっこうそれで学習するようになったかなと思います。
 身体系の雑誌でも、「排卵と書くと売れちゃうのよね」と言うような編集者のかたがいたぐらいです。女性達に、危機感を持つ人が増えてきたのか、こういう話の需要も増えていると思います。ヨガとか断食とかのブームがあったというのもやっぱりさすが女だなっていうか、産むことを引き伸ばしにしてる人が多いように見えて、やっぱり身体の無意識からの声があって、ちょっとなんか違うぞって思って、子宮のことをどこかで考えていたみたいなんですよね。
 ここにあるような発言【⑩】をする人を減らしたいなと私は思っています。「体外受精をすれば50代でも産めるんじゃないですか?産めるんでしょ?」とか。どんなことを知りたいですか?って聞くと、50代で産んだ人の子育て体験談を聞きたいと言うかたもあったりします。それから不妊症ということをまだ身近に感じられないかた。
 それから出産場所については、最近すごくいろんな問題が山積みになっていて、大きな病院で産まなければならない人がどんどん増えています。いろいろな事情で。でも、意外と高齢出産のかたというのは、助産院で産みたいかたが多いんですよね。さっき未妊婦さんというのは妊婦さんと同じ行動をするから、どんなお産をしたいか、どこで産みたいかとか、名前を考えるって言いましたけれども、情報を持ってるんですよね、お産にはいろんなお産があるんだって。そしたら私は体に優しい、自分の女としての力を実感できるような助産院でお産したいなって、すごく思うようになってくるかたがいる。でも、今、助産院って高齢出産をなかなか受けてくれないんです。経産婦さんならまだ受けてくれるけれども、初産婦さんで35歳以上だとなかなか受けてくれなくなっちゃう。だけど、そういうことを知らずに、私は妊娠したら助産院で産む!こんなお産をする!って強くイメージしながら40代で出産しようとしてるかたもいたりします。それからジャガー横田さんが大輪の花だったと思いますけれども、芸能人の高齢出産の話しがあると、ああ!やっぱり高齢でも全然平気だと思ってしまうということも起きているかもしれませんが、珍しいから話題になってるんだと知っていなければならない。もちろんそういうこともあるかもしれないから、望みは捨てることはないけれども、現実は知っていなければならないと思います。やっぱり血圧が上がりやすくなったりとか、高齢で妊娠するとやっぱり体はそのぶん無理します。
 妊娠っていうのは、自分が年をとったときの体を一時期体験するっていう経験なんですよ。心臓の負担とかすごく増えるんですね。血液が赤ちゃんのぶんすごく増える、1.5倍とか、とんでもなく血液が増える。そういうふうに体に負荷がかかるので、高齢状態にちょっとなる。で、そこに出てきた病気は高齢者に多い病気です。妊娠中に先取りしちゃって出てくるということもあります。その時の症状は、赤ちゃんが出て行くと終わったりするんですけれども、そのかたは生き続けていけば老化をしていきます。そのときに、妊娠中に経験した高血圧などは、未来にも経験する可能性が高いので、産婦人科の先生達は、循環器の先生達と組んで、未来の健康対策に妊娠中を生かそうなんて話しをすることもあるみたいですよ。
上田
 ひとつ聞いていいですか?あの、助産院が高齢出産を避けるというのは出産で生じるリスクを自分のところで出来るだけ起こしたくないということですか?
河合
 ええ、受けきれないということなんですよ。それでですね、協定があるんですね、助産所というか、すべての出産施設は。大学病院でも、もしかしたら他のところに自分が手におえないケースを送らなければいけないかもしれないというのがあるんですね、ですから連携をしていくわけなんです。「どこにも絶対に送りません」という施設は、東京でもいくつかしかない。とくに多くの人を送らざるをえないところが助産所なんですね、その次に個人産院があります。
 そういうところはやっぱり「こういう条件で約束を守って送りますからお願いします」ということを言わなければいけない立場なんですよね。「私の考えで送るから受けて下さい」って言いますと、病院はそんな勝手なことは受け入れきれないって言うことになります。それで日本助産師会という組織と産科医の協力してくださるかたと厚生労働省で研究班を作って、こういうときには助産所は受けません、あるいは妊娠中こういうことが起きたら病院にもう転院してもらいます、私はそこからもう手を出しませんという協定、ガイドラインを作ったんですよ、
 で、これはすごく問題になりましたやっぱり。すごい厳しいガイドラインでしたので、今まで助産所で受けてた人が受けられなくなっちゃったんですね、それで助産所のほうでも、もっと私は出来るのに、もっと自然の力を信じてやりたいのに、なんかね、先生に気を遣って病院で産んでもらわなきゃいけないのは不本意だっていう助産師さんたちもたくさんいたし、どうしてダメなんですかっていう女性もいっぱい出ちゃったんですけれども、今の医療は、病院ではやっぱり「万に一つのケースでも助けなければ」という構えの医療をしています。非常に高い安全性を求められているので、そこでは自然を信じようっていう考えはなかなか受け入れられないんです。医療訴訟もありますしね。
 私がお産ライターの仕事を始めたころは、逆子とか、以前に帝王切開で子宮に大きな傷があるかたでも助産所で受けていました。そしてそういうかたの感動の体験談というのがに本になったりとか、非常に大声で語られていたんですね。「病院では帝王切開って言われました」と言われた方が、助産所で「お産は自然なものだから大丈夫よ」って言われて、勇気を出してやったらちゃんと産まれた!自然を信じてよかった!という話が出ていたんですけれど、今だったらその助産所の地域での信用問題に関わるような話なんです。本当に時代が変わった。まあそのあたりの話しはあとで質問の時間のときにいくらでもします。
【投影図⑪】
これ【⑪】で最後の未妊の話なんですけれども、今ね、「産まない」という理由の中には、実は「産めない」という話がすごく混じっていて、不妊治療をしているから産めないっていうかたも多いんです。けれども、不妊治療をしているという状態のなかにもいろいろあって、自然な妊娠がもうありえないような性生活を送ってらっしゃるかたもけっこういるわけですよ。やっぱり結婚生活が長くなると自然にそういうふうになってしまうということもあります。
 未妊の取材の最後として、アーユルヴェーダの先生に取材に行って、いろいろ性の関係のお話を聞いたんですけれども、インドでは結婚前というのは顔も見てはいけない、それでお見合いで一発勝負で決めるんですね、で、この人と結婚するって決めたら、顔も見ないままその人との結婚生活に入り、そして離婚は許されない、そういう世界なんだそうです。だから、自分達の努力で絶対、結婚生活を楽しくしなければいけないんですね。その中に性もすごく大事なものとして入っていて、非常にまじめに家庭円満のために彼らは努力を続けるんですね。わりとアジアって実はそういう文化がありまして、ヴェトナムでも夫婦喧嘩をして離婚寸前でも子どもの前ではスキンシップをみせなきゃいけないということも聞いたことがあります。
 でも日本てわりと、子どもが一人でも産まれれば、「パパ、ママ」になって、なにを今さらって言い始め、でも二人目も欲しいからそこまでは頑張って、もう二人いたらいいことになってしまう。あとは「パパとママ」でいるという夫婦がけっこうたくさんいて、それで何が悪いの?って思う、そういう夫婦文化があると思うんです。ただそういう日本と、そうでない国とでは、当然出産率が違うんですよ。日本は世界のなかでもかなりあっさりした国だということがわかる有名な統計があって、ネットの調査なんですけれども、有名な調査なんで皆さんもご存知だと思うんですけれどもね、イギリスのコンドームメーカーがネット調査を毎年やっていて、それのランキングで日本がいつも最下位だっていうデータです。フランスやラテンの国は強いです。あと内戦をやってる国が意外と強かったりします。日本は中国やアジアの国に比べてもずっと数字が低いんですね。
 やっぱりいったんすごい少子化になってから盛りかえした欧米は、すごく夫婦が性生活を大事にしているので、年齢がいっても、あるいは結婚後の年数がすごくいっても、ちゃんと出産力を保っているっていうところが違うと思います。フランス人なんかはすごく仲がよくて子どもも一緒に育てているんだけれども離婚していた、という夫婦が割といるらしくて、それは「性的にもう終わったから」といって離婚している。日本人にはその離婚理由ってよくわからないですけれども、そういうことも日本の妊娠事情の大きい特徴かなと思いました。こんなところで、未妊の話しは一度終わりにして、休憩に入りたいと思います。■
<休憩>
上田
 それでは再開したいと思います。この人数ですので、みなさん遠慮なくレジュメを見ながらでもかまいませんし、自分の普段思ってることをそのまま出していただいても構わないと思うので、ご発言いただけたら幸いです。まずなにか事実確認とか、河合さんの話が自分の思っていたこととちょっと違うんじゃないかなというようなことでも構わないと思うんですけれどもいかかでしょうか。
質問者
 未妊婦さんてすっごくよくわかるんですけれども、他の国の人たちにこういう人っているんだろうか?それから日本では血統といいますか、自分の血をわけた子どもが欲しいということで、不妊治療をものすごいプレッシャーのなかでやっているし、未妊婦さんはやっぱり自分の子どもが欲しい。養子とかじゃダメというのは、日本のこの社会が作っているんじゃないかなという気もするんですけれども、それについていかがでしょうか?
河合
 養子を迎えるっていうことは、日本ではまだまだすごくそういう気持ちになれる人は少ないですよね、それは鈴木さんにお話ししていただいたほうが圧倒的にいいような気がするんですけども、養子は日本では斡旋していただくのに年齢制限があったりして、不妊治療をギリギリまで頑張って、さあ養子ってなったときにそっちからも年齢で締め出されてしまったりとか、そうやって養子をもらえないかたもいらっしゃるようですし、それから自分が養子をもらったときにも、そのことをオープンにして育てるということがなかなか出来ない、カミングアウトできないとか、社会が養子のためにできていない社会なので、日本で養子を育てていくのってすごく大変なことかなっていう気はしますよね。
質問者
 それをもうちょっと育てやすく、授かりものを大切にするとともに、社会の宝なんだから、たまたま自分の血がつながった子どもであろうとつながってない子どもであろうと社会の子どもとしてみんなで育てていこうっていうのが浸透していかないと、日本の社会に未来はないんじゃないかと、不妊治療と未妊婦さんが増えていくのはおかしいんじゃないかって。
河合
 養子と未妊ってつながらないようでいて、つながるかなって私も思うのは、なんかキチンと籍をいれるということからして、子どもに対して敷居が高いんですよね、日本はね。
 シングルで産むことさえクリアしていません。出来ちゃった婚というのは日本独特のものだっていうことを言われていますよね。海外では産むけれどもそこで籍は入れないわけですから、婚はないんですよね。できちゃった出産はあっても、できちゃった結婚っていうのはすごく日本的なものなわけです。だから婚姻というものにいつまでもこだわっている限り、私は少子化回復は難しいかなっていう感覚はありますね。
 盛りかえしてきたフランスとか北欧とか、フランスなんてベビーブームといわれるぐらい今バンバン産んでるんですけれど、日本と際立って違うところがいくつもありますね。ひとつはフランスは国が産んだ家庭にものすごいお金をあげている。子育て費用の心配はこれだけ貰えれば要らないだろうなっていうぐらい入ってきます。それで素晴らしいなと思うのは、子どもが大きくなるほどもらえる費用が増える、実は子どもというのは大きくなるほどお金がかかるのに、日本は紙おむつをあげようとか、3歳までタダにしてやろうとかですね、そこはお金かからないよっていうのに、目の前に見える赤ん坊がいたらそこら辺にエサをまくというやり方が私はすごく腹が立つんですけれども、まあお金がひとつ違います。あとひとつすごく違うのは、結婚の形態が違うんですね。フランスは一緒に住んでたりするんです。けれども、籍が入ってないで産んだ子どもっていうのはすごい多いですよ確か、ご存知のかたいます?半分ぐらいですか?
鈴木賀世子(babycom代表)
 確か四十五パーセントぐらいと聞いたことがあります。
河合
 ええ、ものすごく多くて、それでべつに籍を入れていないことによる不利益が無いんですよ。社会からの支援も同じように受けられる、逆にいえば籍を入れる理由がない。なかには、「私たち子どもを育てて何周年だから入れよう」というかたもいるみたいですけれども(笑)なにせカソリックの国なんで、一度入れたが最後、もう離婚できないっていう、そういう理由もあるみたいですけれども。まあでも、すっと昔からそうじゃなくて、だんだんそうなってきたと、おじいちゃんおばあちゃんは籍を入れろってガンガン言うっていうのはあるらしいんですけれども。今産んでいる年齢の人たちは本当に解放されて産んでいるし、ステップファミリーなんかもチャレンジしてますよね。
籍を入れ一人の人と生涯連れ添っていけたらそれは一番いいけれども、それだけじゃないっていうほうが私はいいような気がするんですよね。でもほんとに日本ではシングルのお母さんの育児支援なんかも、今いろんな矛盾がいっぱいあってね、就職ひとつするにもすごく大変。あと父子家庭だとお金が違うんですね、満足な支援は受けられないそうで、子どもを育ててるんだったら母でも父でも同じであろうに、そんな差別もあるらしくて、そこをきちんと取り組まなければ本気の少子化対策じゃあないだろうと思うんですけどね。なんかもっと社会全体で、「えっ!妊娠したの!?いいじゃん、それ素晴らしいことじゃない!」ってなるといいなって思います。
 アメリカに行ってたシングルマザーの人が言ってたんですけれども、アメリカに暮らしたらゲイカップルでもレズビアンカップルでも、みんな赤ちゃん欲しいよっていっていろんな手段を使って子どもを得て育てて嬉しいって言ってる、世間もそれを認めている。子どもを育てるっていうことは素晴らしいことじゃない、嬉しいことじゃないってみんながおめでとうと言う。どんな形であってもね、言えたらいいなあって思うんですね。産まないなら産まないで、向こうはほんとに人は人なので、同性同士で結婚して子どもを持つも良し、持たないも良し。でも産むっていう人がいたらどんな形でもおめでとうなんです。出生前診断なんかも、そういう点では日本ってどっちかに決めなくちゃいけなーいっていう風潮が大変だなって思いますね。それはたぶん日本人の特性で、で、検査が無料で受けられるような国ってダウン症の子はいないのかなって思うんですけれど、いるんですよね。ダウン症の子でも本人が欲しいって言えば、それを社会は否定しない、そういうリスクを承知のうえで本人がその子を授かることにしたんだったら、それはそれで応援できるんです。日本よりいい支援があるくらいなんですよ。
 そういうやわらかさっていうのがあるといいなあと思いますね。日本だったら子持ちだったらこうしなきゃいけないとか、子ども産んでから職場復帰したら、「あの人の子どもかわいそうじゃない、まだ残業してるわよ」と言われたりとか、母親であることによってこうでなければならないということがたくさんいろんな場面であって、それがやっぱり産むということの敷居の高さにつながるのかなと感じます。
上田
 敷居の高い社会になってしまったということなんですけれども、振り返ってみれば私が生まれた40年とか50年ぐらい前をみますと、ほんとに3人4人あたりまえに産んでた社会があるわけですよね、それで、貧しい家庭の人は子どもを持てなかったかというと逆みたいな気がしてて、貧しい家の子だくさんというのが当たり前の社会だったというのが昭和の10年代20年代というのは特にそうだったという気がするんですね。その転換はいつごろ起こって、今のような私たちの意識になってしまったのか、そのあたりはいかがですか?
河合
 いつごろなんでしょうね?私もね、お金が無いから産めないというのを聞くたびに「貧乏人の子だくさん」というフレーズをいつも思い出していたんですよね。確かに低い所得層が子どもを持つというのは今の日本だとまだあまりないですけれども、それは海外だと今もあるんですよね。それがいつ変わってきたか、いつごろなんでしょうね、わたし今年50歳になるのですが、けっこう一人っ子多かったです。私は東京出身ですけど、3人ってすごくいめずらしかった。いいなあと思ってあこがれていました。私が3人欲しいなと思ったのはそこからきてるかな。私は一人っ子なので、家に帰るとシーンとしててすごい暗い家庭のような気がしたんで、なんかごちゃごちゃいっぱい人がいる家庭にあこがれて、今疲れているんですけど(笑)
参加者
 高度経済成長と核家族化がやっぱりそのへんの世代じゃないですか?
河合さん
 私は34年生まれですけど、子どもが少なくなってきたのはそのあたりだったような気もしますね。
参加者
 専業主婦が誕生した世代ですよね。
河合
そうですね。
参加者
 貧乏人の子だくさんだと、そのお母さんが専業主婦だけじゃなく働いている人が多かった。専業主婦が誕生した世代になると、団地の主婦ってやっぱり一人かせいぜい二人産むという時代だったと思います。
鈴木
 そうですよね、だいたい高度経済成長期あたりに、今における普通っていわれる家庭のパターンができたんですよ。お父さんとお母さんがいて子ども二人の核家族で、文化住宅じゃないけどダイニングキッチンのある家に住んで、それが今でも普通の家族のイメージとして続いているんじゃないですか。もう今は全然時代も考え方も変わってきているのに、そのへんがもうそぐわないのかなって感じますね。
河合
 そこから自由になれるかなれないかっていうので産めるか産めないかっていうのが変わるっていう感覚は、取材をしていてありました。今産んでいる人のことを、まだ産まない人はよくわからなくって、産まない人は産まない人の世界に生きていますね。だから子どもがいる家庭というと、イメージは、その文化住宅の専業主婦なんです。おやつ作って待っているお母さんでなければいけない。そうすると「私はそんなこと出来ない」って言い出すのですが、それって何年前のお話ですか?って。
鈴木
 アメリカだと50年代ですよね、アメリカはそこからすごく変わってきたのに、日本は意外にそのイメージからまだ全然抜けられないでいますよね。
河合
 自分が育った家庭と違う家庭を作ればいいのに、なんかこうやっぱりいつも同じことをしたいという、自分の家がそれだけ居心地が良かったのかもしれませんけれどね。うーん。
鈴木
 それで、そういう方たちのお子さんは今、団塊二世ぐらいでしょうか、そうすると団塊二世を産んだお母さん達は自分の生活に満足してなかったわけで、いろんな可能性を捨てて専業主婦になって子どもを育ててきたけど旦那さんは全然帰ってこない、企業戦士だったから。それで娘には自分のような人生を奨励しないというのがバックボーンにあるんじゃないでしょうか、だからあなたはもう自由にキャリアをつんで好きなことをしてと。自分の出来なかった自由を子どもにたくしてるところがあるみたい、だから今、団塊二世の人たちは産み時なのに(全体としての出生率は若干あがってるんですが)産み時の割にはあがってないんですよね。つまり団塊二世の人たちはそんなに産んでないという。
河合
 数の割にはということですよね。
鈴木さん
 ええ、人数がいる割には団塊二世の赤ちゃんたちは生まれてきていないという。
河合
 出生数、2年続けてあがりましたけれども、どうなのかな~って、国は団塊ジュニアの世代で回復しないともう望みは無いというふうに思って頑張っているつもりらしいんですけど…
 あの、おばあちゃん問題っていうのを今日話さなかったなと休み時間に思ってたんですけれども、これもすごい大きいと思いますよ、まだ元気だしね、産むっていう問題は、おばあちゃんと娘のセットで考えないといけないのかなって思うことがすごくあります。共依存とかね、ああいう本なんかもすごく売れていて、私なんかも取材したらすごく反響があったんですね、お母さんがいつまでもこの人と結婚しなさいとかしたらダメよとか、娘のことや家庭に口出して。
 お産でもそうなんですよ。どっちが妊婦さん?って思うようなおばあちゃんがいつもついてくると、がひいている場合もあるし、逆に娘がすごくお母さんに頼っちゃって、「お母さん赤ちゃん泣いてるわよ」とかおばあちゃんに全部やってもらって、おばあちゃんも一緒に入院してるみたいな、そういう親子の組み合わせもあるんです。
 里帰り出産っていう風習が昔から日本にはあって、いまだに全然廃れずにあるんですけど、私はあれが母娘関係を強めてしまうものになっているのではないかと。依存し合っている母娘であればあるほど、なるべくそこに夫が割って入った方がよくて、子どもを産んだときは自立のチャンスだと思うのです。そこで実家に頼りたいところをぐっとこらえて、「夫と妻」という新しいステージを築いて欲しいなと思うので。だから「里帰り出産ってどうなんですか?」って聞かれると、あまり薦めないようなニュアンスの話をします(笑)ただ「じゃあ夫が会社休めるの?」っていうとそっちが出来ていないので、現実には、里帰り出産良くないですよ、なんてまだ言えないんですけれども。
参加者
 里帰り出産の話しを聞くと、明治とか大正の嫁姑問題がすごい厳しかった時代に、お産のときぐらいは逃がしてあげようというのがまだ脈々と残っているのかなっていう気もしますし、
河合
 姑に対する実母って感じですね。
参加者
 私が今話しに出てた団塊世代の二代目なんですけど、自分が産むときのことを考えてみると、やっぱ学校を卒業する、何かを卒業する、それからバブルの崩壊や景気の低迷だというのが絶対かかってきてるんですよね。なので結局、私のまわりの友だちをみてても結婚はするんだけど、やっぱり子どもを持てない。正社員で働いてるとしても、今はもう終身雇用が廃れちゃった時代なんで、この先自分が定年までに子どもを自分と同じように大学4年まで出して、養育してっていうのを考えていくと無理、持ったとしても一人が限界というのが周りの人たちをみてると多いかなって感じます。子ども3人4人とかっているのは、医者か公務員!それか超一流企業の社員さんぐらいかな、まわりみてると。
河合
 私くらいの頃は、そういう計算ってしなかったんですよ、子どもひとりにいくらかかるかという、今の皆さんは知ってますよね、一人産んだら三千万円っていうのはねぇ、あれ最初誰が計算したんだろね?
 あ、お医者さん全然稼いでないですからね、大学病院の先生は子どもを医学部にやれないぐらいしかもらってませんからね。で、あの、そういう計算というのが無かったんですよ、貧乏人の子だくさんがでたのは、計算なんか誰もしないからですね、まあだいたい子どもにお金がかからなかった、もっと古い話しをすれば、子どもがお金を持ってきた、あるいは労働力となったということで、子どもは経済資源だったんですけど、いつの間にか子どもはお金を食べていく存在に変わったということ、社会がそうなったというベースがあるし、またその額が半端でなくなってきた、で、今の人はそれに気付いた!気付かなかった私の世代というのがあるんですけど、それはたしかにひとつの大きな敷居ですよね。
 それでお金がないから産めないっていう話しになってくるんでしょうけれども…でもね、じつはたぶん産めると思います私。というのはね、子どもを産むと収入が上がる人がけっこう多いんです。それはね、稼がなきゃならないから!夫婦二人でだったらこれぐらいのお金で済むから、それなりの馬力で働く。だけど、子どもができたら嫌でももっと稼げる仕事をしなけりゃならないとなるわけですね、そうやって子持ちになるといやおう無しに上がってくる。仕事はしんどくなるかもしれないけど。
 で、ファイナンシャルプランナーの方々が計算してみると、子どもを持とうと思ったときからコツコツとお金を貯めてれば、18歳とかのドカーンとかかるときまでにはある程度貯まるというのがあります。まあ貯金って大変だから、しなくてもよければしないんだけど、絶対にしないとこの子を学校にやれないと思うとやっぱりするんですよね。そういうこともあって、一人も産めないというのはねあんまりないと思います。だからまあともかく二人で400万円は目指さなきゃならない(⑧図参照)、これは国だってもっと本気になってもらわなきゃいけないし、ご本人たちもともかくそこら辺までは稼がないとと思いますけれども。
 子どもがあらわれたらいっぱい残業するようになりますよ(笑)これも問題ですけどね、残業しないと稼ぎが増えないってほんと問題ですけれども、ほんとにね、一日でも早く、子どもひとり産まれたらドカンとお金をいただけるようになったらいいなあとおもいますけれども。で、終身雇用制はもう永久に来ない。それはね、もうとっくに壊れました。私たちの世代が子育てを始めて早々に壊れました。収入は下がっていきます。うちの夫は終身雇用制の会社に入りましたけれども、そのシステムはあっという間になくなりまして、そこからある程度までは収入があがった時代もありましたけれども、バブルのときが最高で、以降下がってます。そのぶん私が稼がなきゃっていう構造になってますけどね(笑)
参加者
 これから目指すべきものは、ベーシックインカムじゃないかと、そのほうが安心して産める。
そうして、若い人が産みたいときに安心して産めるようにと、我々高齢者側がっていうこともないんですけど、本当にそういう社会にしていかなきゃ申し訳ないですよ、若い世代に対して。もう50歳過ぎて、出産年齢を過ぎた私たちが若い人のために社会を整えていかないと申し訳ないですよね。私たちは産めた世代ですから。
 で、男性で年収が200万円以下だとやっぱりひいちゃいますよね。
(会場に笑い声)
河合
 でもね、ちょっと若い世代を見てて私が思うのは、男性の収入に頼り過ぎ。
参加者
 だって格差が大きいんだもん!日本社会っておかしいじゃない、これだけ格差があって。
 公務員は格差がないから産めるんですよ。公務員は3人産めます。もっと格差を減らさなきゃいけないんですよ。
参加者
 友だち連中をみてると、奥さんと旦那で、旦那のほうが給料が低いとやっぱり子ども産むのを控えるんですよね、「旦那に子ども産んで欲しい!自分働くから」っていうのは結構多いですよね。まわりみてると。旦那のほうが給料が低いから、育児休暇とってもらってもそんなに家計に響かない。
河合
 女性のほうが収入が多いっていうのが日本でどうなのかですよね~、うちもたぶんそうだったのかなって思う家庭だったんですよ、父親のほうが家に長くいたんで、だからどうして逆じゃいけないのって思うんですけれども、私にとってはすごく自然なことなんです、女性のほうが稼ぐっていうのはね。
参加者
 なんていうんでしょうかね、今みてると、自分達の子どものときって、子どもがいっぱいいたから子ども中心の社会だったと思うんですよね、でも今はお年寄りのほうが子どもより多いからお年寄り中心の社会になってて、子どもを育てていこうと未来を見ていくよりも、未来を見ないでいこうという社会になってきているような気がするんですよね、だから子育てしても意味ないし、自分のこの先がどうなっているのか悲観してしまう、だから自殺率が高くなってきてる、それを考えてみると、日本自体が子どもを育てていこうという未来を見ていく環境じゃなくなってきたのかなという気がしますよね。政府の活動とか見てても。やっぱり子どもを育てにくい社会になってきてる。
河合
 ほんとに、子どもを産むっていうことが今はどれだけ大変なことかっていうことが、やっぱり年配の政治家の人たちにまだわかってもらえてなくて、「当たり前だと、男女が成長したら当然結婚するだろう、結婚したら当然産むだろう」ってまだ思ってるんじゃないかなって思いますよね、お産なんかも全然お金こないんですけど、それも「子どもを産むなんて当たり前のことじゃない、みんなころころ産んでたじゃないか」って思ってるんだと思うんですけれども、今は産婦人科医療を支えるためにものすごいお金がかかるわけで、もうちっちゃい赤ちゃんが生まれようものなら退院までに千万単位のお金がかかっちゃうんですね、国が払っていますけけどね、それは。そういうところはちゃんとやってくれてるんですけど、大部分のもっとふつうのお産の部分には本当にお金が足りないんです。産むということはもうここまで高度な社会になってきますと自然なことでは、当たり前のことではないという覚悟をもうちょっとくくるべきかなと思いますね…
 それから教育は高すぎですね、フランスなんか大学に入ったら、まあ誰でもかれでも大学に行く世界じゃないんですけど、大学に行くとお金がもらえる。お給料としてもらえるというその世界はいったいなんなんだろってほんとに思いますよね~。日本ではお金が続かなくなったから大学を去りますという人が私の娘や息子の同級生のなかに現れているんですよね。せっかく入ったのにね辞めざるをえなくなるんですよ。で、そういう相談を受けますよっていう広告も入ってくるし、奨学金いろいろ紹介しますよとかね。成績はいっつもトップで、夢がいっぱいあった子でも、家庭の事情が許さないので高校を出たらもう進学できないというようなケースもあるんです。
 まあ大学に行かなきゃいけないというのもおかしいけれども。なかには、すごく楽しみながら母一人で一生懸命子どもを育てて、皆、お母さん思いに育ったけれど、子どもには「私は高校まではなんとか出してあげるけれども、大学は出せないから、そこから先は自分でやりなさい」って小さいときから教えている人もいます。私は、その彼女はちょっと眩しいかなって感じています。私なんて子どもの学費稼がなきゃなって思ってるけれど、ああ、そのために仕事、仕事っていって子どもをみられなかったり向き合えなかった時間もあるし、なんかそういうやりかたもあったな、なんて思ったりもしますね。まあね、若い人が学校に行きたいっていうんだったら行けるような世の中じゃなきゃ絶対にいけないんだけれども、こんなひどい世の中でもそういうやりかたで過ごしている人もいます。
上田
 今の話はすごく象徴的だと思うんですけど、先ほどおっしゃった、子どもを産み育てることがいいことだよ楽しいことだよというふうにね、みんなが前向きになれるように社会の条件を整えていく、とくにお金関係はね、なんていうんでしょう、例えば日本とフランスの著しい対照があるようにね、日本はやっていかなければいけないことがいっぱいあるということがひとつですよね、それは社会的な条件ですけど、もう一方で日本て人があんまりたくましくなくなってるといいますか、例えば私なんかも決して高収入じゃないんですけど(苦笑)、それでも海外を旅行してアジアの人たちをみると、日本とんでもなく金もってるじゃんと、そういう生活に見えますよね。そうすると、そんなに金がないと生きていけないの?みたいな視点はありえるわけで、そうすると今の若い人が、自分の収入が低いから自分の人生が非常に駄目なんだと自己否定をしてしまうみたいなところがある意味ではたくましさが足りないんじゃないかなっていうふうに見えちゃうわけですよね、だから全部が社会のせいでもないし、自分で何かこう思い切ってやってみる、それは子どもを産むことも含めてね、やってみるということで何か次に開けてくるものがあるはずで、なんか全部条件が整ってですね、お金貯まってからでないとみたいな先々を設計する発想といいますかね、そういうのに縛られすぎてるんじゃないかなという気も一方でするわけです。
河合
 数字になっちゃうっていうのがね、う~ん(笑)貧乏人の子だくさんってどういう意味だったんでしょうね、お金がなくても子どもがいればハッピーだよっていう意味もあったのかな~って、何は無くてもみたいなね。本当に貧乏でも子ども産んでましたからね。
参加者
 なんか今の世代の人たちは、夢を持てって教わるから、夢を実現させるためには子どもがいたら大変だっていうイメージをどっかに持ってるんですよ、だからそれで結婚に踏み切れないし……だから、夢を持たせないほうがいいんですよね、
(会場に笑いとどよめき)
 なんかその、夢ってぶっちゃけまあ本当に叶える人は、何もかも捨てて叶えるかもしれないけど、確率的にいったらそう簡単にはいかない、まあ大変ですよね、だからあんまりスター選手かなんかが夢は絶対に叶うとかそういうことを煽ると、なんかねぇその気になってたぶん結果的に子どもを産めなくなるかなと思うんですよね。だから夢は叶わないというふうにむしろ、教えるべきではないかと。
河合
 その話しですごくお伝えしたい話しがあるんですけど、あの、希望学っていう学問をうち立てようとした先生がいたんですね、ニートって言う言葉を日本に広めた玄田先生なんですけど、その人が『未妊-「産む」と決められない』をすごく気に入ってくれて、希望学プロジェクトでインタビューを、と言われて出会ったんです。私も希望学ってなんだろうって思って、先生の本を読んだらね、すごくいい話が書いてあったんですね。
 希望を持つべきか持たないべきかっていうね、「夢」っていうのと近い希望といっていいと思うんですけれども、たくさんの人にアンケートをして、あなたは小さいときに希望を持っていたか?大リーガーになりたいとぃった夢をもっていたかということと、今幸せですか?という問いを投げかけたんです。そして、希望を持っていたけれども希望どおりにならなかったという人、希望を持っていて希望どおりになったという人、それから希望を持っていなかったという人にグループを分けてその人たちを比較してみたら、幸せ度が一番高かったのは、「希望を持っていてそして希望どおりにはならなかった」という人たちだったんですね。
 その人たちはなにをやっていたかというと、希望を調整したっていうんですよ。その本に書いてあった例は、サッカー選手になりたかった少年がサッカー選手にはなれなかったんだけれども、サッカーにまつわる仕事はなんかないかということで、芝生の仕事をするようになってそれなりの幸せを見つけてそれで満足しているそうです。その調整っていうことがすごく大事で、、そこが今話題になった強さなんだと思うんです。「白?黒?もう白じゃなきゃパキンといっちゃうわよ」みたいなことではなくてね、しなやかにね、ちょっと何かあっても折れないぞ、というしなやかな竹のようなね。
 私たちを幸せにするのは、結局しなやかな感性とか、アドバイスしてくれる人がいる人間関係であったりとか、いろんな可能性が考えられる柔らかな頭だとか、そういうものなんですよ。意外と希望があって希望どおりになったっていう人たちは幸せ度が低かったの。不思議ですよね~。その調整のなかで、いろんな豊かな人生経験が出来たんじゃないかな。
参加者
ハードルをすごく高く設定しているんだと思いますよね。
河合
 子どものときはやっぱりね、現実がわからないし、全体の中の自分の力も見えないからね、すごい高い突拍子もない夢や望みをもつってことありましたよね。まあ最近では「何にも夢ないです」って言う子もいたらしいですけど。で、希望ってなんだろう、ニートって言葉を作った先生ですから、若者が夢を持てないということを憂いて、希望がもてる人と持てない人ってなにが違うんだろうとか、希望ってなんだろうとか、希望は幸せにつながるんだろうか不幸につながるんだろうか、そういうことをいろいろ数値化して希望の条件みたいなものを出そうとしたのですね。
 うん。どうでしょう、まだ口を開いていらっしゃらないかた。
参加者(女)
 子どもを持てないな~っていうのが女性の側だと、今の状況ではそういうふうに思いがちかなってなんとなく共感できるんですけど、男性のほうは子どもっていてもいなくてもどちらでもいいなと思ったり、子ども欲しいなとか、なにか気持ちに変化ってあるんでしょうかね?昔に比べて。
河合
 男性で「子どもは要らない、結婚もしたくない」っていう人は増えてるという話をよく聞くんですね。この間、「草食系」を書いたかたと出会いがあって、やっぱり『未妊-「産む」と決められない』を読んで下さっていました。今、女性よりも男性のほうが子どもに対してひいているような気が私はするんですけど、
参加者
 それは結婚した後もですか?
河合
 うん、結婚してても。私、「未妊」で男性取材してないよってよく言われるんですけど、男性はいかがですか?
参加者(女)
 でも古今東西、男性っていうのは草食系じゃないにしても無責任な男っていうのはけっこう多かったと思うんですよね。結局女が引き受けてきたっていうのありますよね。
参加者(男)
 オレを見て言ってる。
(会場爆笑)
河合
 なんか女性はこう、頭で考えたらいろいろあるけど、「えぇーい産みたいわい!」ってそういう身体的欲求っていうのに襲われることがあります。男性はどうなんでしょうね?
上田
 あの、なんとなくの感じですけどね、ひとつは「子どもを持ちたい」というときのその持ちたいという動機が女性に比べて見出しにくいっていうのがあると思うんです。つまり自分の身体に直接関係のないことっていうイメージがありますよね、でも出来ちゃったら夫婦で支えあっていかなきゃいけないから、出来てから初めて子どもっていう存在がバンッて来る感じですよね、ところが来たとしてもそれ以前に子育てをした経験が当然ないので、しかも自分の母親が子育てをしていた時期に自分がそれに参加していたわけでもなんでもないので、子どもとどう接したらいいのかっていう感覚がほとんどゼロだと思うんですね。で、ゼロのなかで子どもが産まれて、一生懸命夫婦で協力してやっていけば、そこで初めて経験が出来るわけですけど、仕事がどうのこうので、もしそれが出来ないとすれば、「子ども」というのは単に出来ちゃって、自分とは違う存在だというふうに見ちゃうといいますか、やっぱり接触度とか寛容度というのが女性に比べてすごく低いんだろうなと
河合
 ウルトラビギナーみたいな感じですよね、女性に比べるとね(笑)
上田
 今、ファザリングジャパンという子育てをやってみようという活動をやってる友人もいるんですけど、父親であることの楽しさとかを再発見しようということをわざわざ言わなきゃいけないぐらいですよね。そういう意味ではホントに子供との関係が希薄というのが基本にまずあるのではないでしょうか。
河合
 このファザリングされた体験というのが今の世代は薄いわけじゃないですか。高度経済成長時代から日本のお父さんというのは家にはいなくて、お父さんが分からないからお父さんになりようがない、なれないみたいな不安を持ってるかたが多いという気がしますよね。
鈴木
 あともうひとつ、高齢出産が多くなってますよね、そうするとパートナーの年齢っていうのは女性の年齢プラスいくつか高いですので、こういう経済や雇用の状況とか、この先子どもが自立するまでの約20年間で定年を迎えてしまうっていうようなお金の問題もけっこうあるみたいで、女性が第二子、第三子を望んでも、男性のほうが経済的な自信がなくて諦めるケースは増えてきているみたいです。
河合
 やっぱり「男性が稼いで妻子を養わなきゃ」という意識が根強いのが日本ですよね。
鈴木
 真面目な方なんでしょうけどね、あと先ほども言ったように、もうすでに住宅ローンが組まれている、この歳になるともうみなさんローンしていますよね、そのローンの返済と自分の定年といろいろ「はかり」にかけていくとすごく難しい。
河合
 ただ私思うんですけどれど、それを計算しだしたらね、誰も産めないんじゃない?って(笑)確かに計算したらそういう結論になるんですよ。だけど人間計算じゃ生きてないっていう部分があって、そこで産むか産まないかっていうね。単純に考えるとそういう話なんですね、だって三千万円×3人!?みたいなね、そんなの誰が引き受けますか?
(会場爆笑)
 私、夫とよくそういう話ししますよ、私たちなんで3人産んだんだろうねって。それで、計算しない人間が産むんだね、って言ってるんです。世の中にはね、あんまり計算しない人間もいるんですよ。それよりも欲しいという欲望のほうがね、なんかふっと、ある日衝動的にそう思っちゃう。3人いてシングルマザーというような人に話を聞いても、本当にそうなんですよね。そういう女性たちは、もうやるっきゃないぞ!という感じで馬車馬のように働いてますよ。それで、そういう家庭の子どもはお料理も上手になっていい子ですよ。ま、そういう人間が世の中にはいるということです。
 確かに、そういう感じでしか、今の日本では子どもを持つという決心は考えられない。子どもにかかるお金がとんでもなく変な状態。ものすごいお金をかけなきゃ高等教育まで終わらないくせに、産む人たちもこんなに悩んでいるのに、ほんと、社会の仕組みとの乖離がどんどんどんどんひどくなっていく。だから、男性がひいてるとしたら、やっぱりお金的なことも大きいかなって思いますね。本当に、高齢出産したらあっという間に定年ですしね。
鈴木
 そうですね、だから高齢の女性でも、パートナーが若いとけっこう産んでるんですよね、
(会場「おー!なるほど~」)
 パートナーが10歳若いとか。逆にまだ若くて自信が無いから子どもは欲しくないっていうかたもいらっしゃるみたいなんですが、どちらも歳をとっていると、経済的なこととかがすごく入ってくる。
参加者(女)
 先ほどから、フッて子どもが欲しくなって子ども産んじゃったって話しなんですけど、親から子どもっていうのは所有物なんですか?それともオモチャなんですか?
河合さん
 オモチャに見えちゃいます?
参加者(女)
 お話しを聞いてるとなんかすごい軽い、自分が子どもの立場なので分からないんですけど、親にとって子どもっていうのはどういう存在なのかな?そんなフッて簡単に出来ちゃったから産んじゃえばいいんだというような簡単なもので、後から苦労が追いついてくるっていう、で、先ほど言ってた、女の子が親にベッタリというのもやはり精神的に離れられないっていう部分も考えてみると、親からみた子どもって言うのはやっぱりオモチャというか自分の所有物っていう感じなのかなって。
河合
 親っていろんな面があって、ものすごいドロドロしたところもあってね、昔から心理学ではお母さんというのは子どもを食べてしまう存在だとされています。そもそも子宮のなかに入れているから位置関係を見ても食べている状態でしょ? 自分の一部であって自分が支配しているって面も母性にはあると思うんですね。鬼子母神にはいろんなイメージがありますけど、自分がゼロでもいいと言って、自分の全てを差し出す面もある。お母さんって、「子どもが全て」から「自分が全て」までいろんな面があるんです。すっごい複雑なんですね。どの面もあると思う。
 赤ちゃんっていうのは、自分に快楽をくれるものでもありますよ。いきなりこんな話しをするのもなんなんですけど、育児の始まりはホルモン的に快楽を与えて育児行動をさせるというメカニズムなんですね。まず赤ちゃんは、さわったら柔らかくて気持ちがいい。で、母乳がたまっておっぱいが張ってくると乳腺が圧迫されるから痛いんですよ、出産当初は人によっては陣痛より痛いっていうくらい痛いんですけれど、それを吸ってウソのように楽にしてくれるのが赤ちゃんなんです。で、そういうところから、「あ、この子を触るといいことが一杯あって気持ちがいいんだな」って動物レベルで分かるところから子育てって始まるのです。自分のためっていうのもあるし、あとすごく古くから言われているのでもうみなさん知ってると思うんですけど、自分の遺伝子を乗り換える乗り物として子どもを持つというのも動物レベルですっごいあると思います。で、そういう意味では、まだ子どもの立場で聞いてるとっておっしゃるんでしたらば、お母さんの支配ですとか、オモチャ的な気持ちですとか、そういうものは親が死んでも、私の母は死にましたけれどまだ支配されてるような気がするし、そういう面はある。
 だけど実際に育てていると、絶対それだけでもないですね。私、すごい好きな詩があるんですけれど、ジブラル・カーンっていう詩人知ってます?死についてとか、いろいろ書いてるんですけども、子どもについてって書いてるとろがあって、「子どもっていうのはあなたを経ていくけれども、あなたのものではない」っていう詩なんですね、「あなた達は全身の力を振り絞り、自分は弓になってしぼられて、そしてあなた達から放たれていく矢、その矢である子ども達の命は子ども達自身のものであって、あなた達のものではない」。「命っていうのは命自身」っていう詩があって、私は分からなくなるとその詩を読んだみたいなことはあるし、それから助産所の感想文ノートでもその詩を書いてた人もいましたね。で、こういう気持ちで私は育てたい。それは自分の欲望を抑えるとかそういうことではなくて、というイメージにピッタリくるんですね。だってそうなんですよ、どっかから私のお腹のなかに入ったっていう感じも起きるんですよ。魂ってどっからきたのかわかんない、でしょ。卵子から発生したっていうけれども、なんでたまたまその一つの卵子と精子が合わさってここにいるの?あなた誰?どこからきたの?みたいな、まったく知らない人みたいな感覚もあるんです。
 お産やってると魂の話しというのも出てきて、全然今日の話と違うんですけど、「袖すりあうも他生の縁」っていう言い方があるじゃないですか、私は少しだけ縁があるという「多少」の意味かと思っていたら違うんですって、ご存知のかたもいらっしゃると思うんですけど、袖すりあう人というのはみんな、前世か、次の世かは分かりませんけど、他の生でも縁がある人なんだそうです。だから今日集まっちゃったということは何回生まれ変わっても会うっていう人たちだという考え方。で、その人生が違うと、間柄がかわって、例えば今お姉ちゃんだった人が今度は自分の子どもとか、すれ違っただけの人が今度はお姉ちゃんとか、組み合わせをかえてね、でもまた会うんだそうですと、で、たまたまこの人生で自分の子どもとして私のお腹の中に入った感覚もすごくピンときます。いろんな面がある。子どもってなんだろうな、私もよくわからない。とても一言では言えない、それが面白いんですよね、育てていて。子どもの立場はみんな経験するんだけれども、なんかそれを逆から見ていくというのも面白い。子育てが面白いことだとは私も思わなかったんですけれども、ただ、動物を育てるのが好きなんで、子どもがお腹に入ったときは育てたいなと思いました。すごくいろいろな面があるので、一生考えても分からない。
参加者(女)
 今そういうような状況があるにも関わらず、人工中絶も右肩上がりで伸びてますよね、これってどうでしょう?
河合
 中絶は十代で増えてるでしょう。
参加者
 20代でも増えてるし、高齢になっても増えてる。
河合
 そうですね、40代のかたも増えてますよね、でも高齢者ではもとから割と多いんですよ、真ん中の世代が少なくて、両端が多いんですけれども、やっぱり3人目は要らないという方たちですとか、あとね、高齢になるとまさか妊娠すると思わなくて、避妊の甘さっていうのがあるんですね、それから10代のほうは性交年齢がどんどん下がってきて、避妊の知識を学校でちゃんと教えてもらえない、教えようと思って専門家が学校に行くと、校長先生がそれは教えるなと、寝た子をおこすからと言って。だから子供たちが正しい知識を与えてもらえないんです。避妊の知識のテストとかやると、全然違う知識を持っている。友達同士での話しで「こうしたら大丈夫だったよ」って間違った情報を信じて妊娠してしまい中絶する若い子達が増えてる。でも産む子も増えてるんですよ。若い子のなかにも産むという選択が少し出てきている。
参加者
 せっかくお腹のなかに入ったのに、っていう感覚があるのに、中絶率が年々高くなっているというのは、やはり経済的な理由とかで産むのと産まないので選んだときに、産まないほうのコストのほうが経済的だったからっていう?
河合
 うん、そうですね、常に親と子は取引をしています。どっちが得かな~って絶対見てますよね、いろんな機会にその取引をやっていて、そして22週を迎えるともう後には戻れないです。でもそれまではいろんな場面がありますよね。シングルマザーになるリスクとね、子どもを選べるリスク、その人が40歳だったらたぶん産むかもしれない、18歳のシングルマザーと40歳のシングルマザーでは取引が違うと思うんですね。
 で、22週の寸前に今なにがあるかっていうと、出生前診断というのがあって、子どもに染色体異常がないかどうかが、少し高い検査ですけれど、そこでも中絶がある場合もあります。染色体異常自体の数が少ないので、ここでの中絶の数も少ないですけども、そういう検査があって、それを受ける人もいまはどんどん増えている。で、いま問題なのが超音波検査っていう、すべての妊婦さんが受ける検査で、すっごい画質が良くなっちゃって、見えるようになってきているんですね、そこでも問題が見つかって中絶って場合もあるし、今までは16週羊水検査っていって、ある程度赤ちゃんが大きくなってからでないと胎動があるかないかとかわからなかったのが、今はもっと早い、誰にも妊娠をしたって言わなくてもいいような時期にできる検査が安全になってきたんです。そういうことでも、今なら引き返せるっていう世界が実は拡大してきているんです。
参加者
 あの、今みたいなお話って世界的にはどうなんですか?まず出生前診断とか。
河合
 やっぱり日進月歩で技術がどんどんよくなってきてるんですね、で分かるようにはなってきてるんだけど、そこで治療が追いつくかっていえばそこは大して追いつかないんです。胎児治療といって、お母さんを開腹して子宮の中にいる赤ちゃんを手術するっていうのもあったりするんですけど、もう全然成績が悪くって、赤ちゃんの死亡率もすごい高いです。今、レーザーで、切らないで出来る手術のなかで有効なものが出てきている。でもそれが出来る病気は本当に少ない。染色体異常はもちろん、対症療法的なこと以外はなにも出来ない。
鈴木
 でも日本はすごく少ないですよね、検査を受ける方の件数自体は。
河合
 国際的にみればそうですね、日本は少ないけれども海外ではもう自分でお金使わなくても検査できる所もあって、すごく普及していますね。それはそれですごいテーマになってしまうんですけれども…子どもってなんかね軽いっておっしゃっていた方がいらっしゃいましたけど、私が話すと確かに軽くなっちゃうかもしれないんですけど、なんかのきっかけで持てたり持てなかったりですね、意外とそういうものかもしれないなって。中絶もそうかもしれない、
 けっこう男性側の一言で中絶するかどうかって決まることもありますよね。男性がフッとその時に、「自信がないよ」って言ったらもうそれで中絶することになるかもしれないけど、たまたまその日に男性がちょっと勇気の湧くような話しを聞いていたりして、「どんな子が産まれても頑張ろうよ」とか「オレ、今より働くよ」とかいう気持ちになっていたらその子が生まれるかもしれない。意外と命って始まりはね、そういうすごく壊れやすいもので偶然が支配するところがあるんです。
すっごい長い間、不妊治療を続けて生まれてくる命もあるんだけど、今、できちゃった婚で産まれる赤ちゃんが4人に1人いるんですけれど、そういう運命みたいなもので腕の中にきたり来なかったり、そんなものかもしれない。で、なかには最近面白いことを言う人もいて、「赤ちゃんが決めている」っていう人もいます。赤ちゃんがなんかメッセージを送ってきてね、お腹の中で「帰るよ~」って自分で決めて心臓止める子もいると、そういうことを言い出している先生もいます。胎内記憶の本とかもあります。お腹に来たからといって、なにがなんでも生まれる気でもないらしい。お腹のなかも立派な世界なのかもしれませんね。お母さんを選んで来るとかね、そういうこともものすごくよく言われて、別にそんな科学的根拠は何にもないんですけれども、そのフレーズがよく聞かれる。お腹の中に来てみた、だけどやっぱりまだママの準備は整ってないようだし、「僕また来るよ」みたいな感じでその子は帰ったかもしれない。で、お空に帰しちゃったなっていう体験をしたらね、その子のメッセージっていうのは、パパ役ママ役であった、その二人に残るんですよね、ああこういうことを今回経験したな、今度お腹に授かったらきっと産んであげられるように、そのときに自信をもって子どもを迎えられるように仕事を絶対頑張ろうとか。だから、生まれなかった赤ちゃんだけど、やっぱり出会いがあって、何かを残していくのかなとも思う。今、みんなすっごい頭で考えて悩んでいるようで、意外と選ばれているのは自分かもしれないということもあるかもしれないですよね。
 さっき休み時間に話したんですけど、先週、結婚は早いのに43歳で自然妊娠したっていうかたに会って、良かったねって言って、すごい欲しかったの?って聞いたら、「いやそうでもないんだけどなんかフッと出来た」みたいな感じだったんですけど、ずっと思い返してみて今が出来る時期だと思う?って聞いたら「ああ、そう思う」って言うんですよ。彼女は43歳が一番いい自然な産みどきで、べつにそんなに一生懸命急に何かを頑張ったわけではないのにフッとお腹に来た。そんな話しを聞きました。まあ選べないっていう話しだったんですけど、いろんな人の例を聞いていると本当に選べてるのかなと、すっごい欲しくても来ない人もいるし、手綱を緩めたらフッときたという不妊治療を止めたあとの妊娠ってすっごいよく聞く話ですしね。
 私なんかも3人目はなかなか授からなかったんですけど、その授からない時期っていうのはすっごくいろいろあって、引越したり同居したり、仕事も急に忙しくなったりとか、そうすると家庭の中もごちゃごちゃして、で、そしたらふと、なぜか夫が一生懸命趣味に走るようになって、家庭の中が落ち着いたその瞬間でしたね、これもあとから思い返すとすごく時期を選んで妊娠するもんだな、勝手に向こうから来るもんだなって感じはすごくありましたね。
上田
 面白いですね。
河合
 出産ていうのは選ぶものだ、作るものだっていうのが現代の出産でもあるんだけど、人間が勝手にそう思ってるだけかもしれないし。実際に産んで育ててみると、子育ては選べない。すっごくそれは身にしみることで、まあ選べないのもありだなーって、今までいろいろ選べてきたけれども、なんか「やらされる」のもありかな、「やろう」と思ったことでなくても体験できたら意外と楽しかったこともあります。そういう繰り返しをしていくうちに、自分が柔らかくなれるというか、「これはダメ」「これはいい」とか思ってきた基準が壊れる気持ちよさを覚えていくんですね。そうするとだんだん生きることが、悪く言えばちゃらんぽらんになっていくんですけど、それなりに豊かになります。こうして、楽しさを感じる力、幸せになる力ってついていくのかな、と思います。
上田
 いやーなんて言うんでしょうね、私たち科学ということを掲げて活動してるんですけど、例えば今日だったら妊娠とか子育てという話になってきますと、ぜったい割り切れないものとか、分からないものを引き受けていかなければならないということが多いですよね、その時にどこまで自分が柔軟になれたり、それを引き受けてやっていけるかみたいなとこら辺で、幸せになれるかなれないか決まるようなそんな感じも覚えるんですよね。で、今日お話頂いた、社会的状況に関しての日本がこれからやっぱり変わっていかなきゃ、いくらなんでも他の国と比べたときに条件としてはひど過ぎるよってところはいくつも見えてきたと思うんです。それ以外のところで、私たちがその社会にいながらも前向きにもっとやっていくためには、河合さんがおっしゃったようなね、あんまり計画に縛られないとか、計算に縛られないとか、そういうありかたも必要なんだろうな、それを子供たちや若い人たちにも雰囲気として伝えていける存在にならないとなんだかどんどん社会が息苦しくなってしまうんじゃないかなって気がするんですよね。そういう意味で、どうなんでしょうね、結論は今日の話にはべつにないわけですけど、みなさんもそういう思いを感じていただけたのかなと思います。どうも河合さん、皆さん、ありがとうございました。■

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