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連載「科学技術コミュニケーションを問う」第7回
ナノテクノロジーの光と影-その1-
伝わらないナノテクノロジー
五島 綾子(サイエンス・ライター)
1.はじめに
近年,新しい科学の知識が爆発的に増加し,技術が驚異的に進んでいく。そのために次々と登場する先端科学技術を要領よく適切に伝えることはむずかしい時代である。その上,科学技術と経済活動は切っても切れない関係となってしまった。そのためであろうか,メディアを通してある科学技術を見当違いにあるいは誇大に語られてしまうケースが目立ってきた。事実,科学技術政策に莫大な予算が投入されると,産業界や投資家はイノベーションを期待して盛りあげようとし,政策立案者は納税者である市民に躍起に納得させようとし,科学者は研究費を獲得するためにずっと先の未来の可能性を熱く語る。その典型的な例がナノテクノロジー(ナノテク)であった。呼称も耳慣れない,しかも目で確かめることができないが,革命的だといわれるナノテクへの期待が妄想のように膨らんだ。ところがわが国では,市民も産業界もナノ材料のリスクの可能性が報道されるとたちまち背を向ける傾向がある。
世界に目を転じてみると,ナノテクの研究開発は米国が一歩先んじているものの,EU各国,中国,韓国などのアジア各国においても日本と同様に着実に進んでいる。先進国が新しい時代のものづくりの先頭に立とうとする熾烈な戦いでもあるからだ。だからこそナノテクに期待される光とナノ材料がもつリスクの可能性をどのようにバランスをとって管理するのか,今,世界中が問われている。しかし専門家はナノテクがどのような価値を生み出すのか,どのような問題を解決するのかを丁寧に伝えることをおろそかにしてきたようだ。
解釈も定義もゆらぐ変幻自在のナノテクをいかにして捉えたらよいのかという問いを抱きながら,ナノテクの光と影を2回にわたって私なりに語っていきたい。今回はナノテクの由来から入り,ナノテクの解釈がゆらいで誇大に宣伝され,市民にうまく伝わらないプロセスを述べる。
2.ナノテクの始まり
20世紀半ば,米国政府はかって国家的な科学技術の目標を立てて国民を高揚させた。それは旧ソ連による勢いを増す宇宙探査に対抗して「人類を月面に立たせる」というわかりやすいメッセージであったからだ。ところが未知の宇宙への挑戦が進むにつれて,私たちは月が不毛の地であることに気づかされ,その上,火星までもが生物が住める世界ではないことが伝えられた。宇宙探査が進めば進むほど,宇宙探検家たちは宇宙から水色の地球を眺め皮肉なことに果てしない孤独と地球が生命を育む奇跡の水の惑星であることを思い知らされたのだ。
では科学者は科学のロマンを求めて広大な宇宙とともにさらにどこに向かうのであろうか。P.フォーブズ1)によると,成人した人間の身長にあわせてわたしたちは自分よりはるかに小さなものやとてつもなく大きなものは,自分の世界からは遠く離れた存在だと感じずにおられない習性があるという。そのために科学者ははるかかなたの宇宙へと,あるいは反対に肉眼では見えない極微小な世界に,未知なる物を求めているのかもしれない。
物質科学の歴史はこの極微小の未知の世界を探る旅であった。18世紀以降,物質を構成する原子の存在を間接的に仮説を立てては探し求めてきた。そして1928年表1に示すように飛躍的に発展する物理学を背景に電子顕微鏡が発明され,人類は原子に一層近づいていったのだ。
表1米国におけるナノテクノロジーが国家戦略に至るまでの経緯
1928
1959
1974
1981
1986
1990
2000 ベルリン工科大学でルスカ(E.Ruska, 1906-)らが電子顕微鏡の原型完成
ノーベル物理学受賞者のファイマンのナノテクノロジーの予言
谷口紀男が国際生産技術会議において「ナノテクノロジー」という言葉とその概念を提唱した
IBMチューリッヒ研究所のビニッヒとローラーらによって走査型プローブ顕微鏡の開発
ドレクスラーが『創造する機械』を発表
ゲラルド・ビニッヒ博士によりAFM(原子間力顕微鏡)発明
Natureにキセノン原子による原子操作掲載
米国大統領クリントンによるNNI宣言
ノーベル物理学賞受賞者R.ファイマンは1959年に米国物理学会で行った講演の中でナノテクを予言した。彼は1mの10億分の1のナノの領域では,人間の精神が闊歩(かっぽ)できる広大な領域が手づかずに残っており,人間が見ることができさえすれば,生命はすでにこの領域でいろいろなことを成し遂げているのがわかるはずだと主張したのである。そして「原子1個1個を積み上げてナノメートルの大きさの極限のデバイスをつくることが将来可能である」とし,ナノテクの原型を示唆した。
3.ナノメートルとは
ここで1nm(ナノメートル)とは1mの10億分の1,すなわち10-9 mの意味である。この長さが気の遠くなるような極微の世界であることは,地球の直径を1mとすると,1nmはビー玉ほどの直径に相当することからも想像できるであろう。この1nmは小さな分子が3個から10個程度つながったものといわれる。
4.ドレクスラーとナノマシン
それを世間にわかりやすくイメージ化して知らせたのが1986年に33歳のK.E.ドレクスラーが出版した『創造する機械』2)であった。彼の発想は米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)の大学院生時代に立ち上げた未来の科学技術研究ゼミから生まれたものであった。未来の科学技術を見据えようとした恐るべき大学院生だった。この著作は単なるユートピア的科学物語ではない。いたる所にドレクスラーの科学哲学が明快に語られている。カーソンの『沈黙の春』も科学書として大変レベルの高い著作であるが,これらの書物が市民に受け入れられたことは,米国における科学・技術に関心のある人々の層が伝統的に厚いことを示している。
ドレクスラーの表現は説得力があり,魅力的だ。例えば,「石炭とダイヤモンド,砂とコンピュータチップ,そして癌組織と正常組織のように,原子の配列次第でどうでもいいものが大変価値あるものになり,病気が治って健康になってしまうことは,過去の歴史がはっきりと示している。ある配列では,原子が土,空気,そして水となり,配列が変われば熟したイチゴにもなれる.......。 だからテクノロジーのもっとも基本は原子をならべるところにあるともいえる」と。
本書の核心はアセンブラー(分子製造機械)とレプリケータ(複製装置)からなるナノマシンである。空気や水や炭素などのありふれた材料を入れただけで大したエネルギーも使わずに飛行機でも自動車でも肉でもパンでも飛び出してくる<分子打出の小槌>である。アセンブラーは分子デバイスを構築するようにプログラムされており,レプリケータとは複製物をつくる装置のことである。しかもナノマシンの手本は,実際,我々の細胞の中にあるというのだ。ナノサイズの領域でDNA,蛋白質,その他無数の分子が支える複雑な構造で営まれ,DNA複製,細胞分裂・増殖によりコピーが見事につくられていくからである。
5.ナノテクの解釈は変化していく
『創造する機械』は,出版当初,学界では単なる空想として扱われ,極めて評判が悪かった。けれども1990年の『ネイチャー』3)の表紙を飾った35個のキセノン原子で走査型顕微鏡により綴られた”IBM”の文字により,科学者たちはナノの世界に目を向け始めた。表1の年表に示すように1981年のIBM研究員らによる走査型顕微鏡の発明が極微小の原子の世界に科学者を導き,原子や分子を操作し,思いのままのものをつくることが現実味を帯びてきたと考えたのである4)。
しかしドレクスラーの主張に対して米国では支持する科学者とSF的で遠い未来の話と受け止める科学者との間で激しい論争が沸いた。実際,分子や原子を走査型顕微鏡で観察し操作してナノマシンができたとしても現実のものづくりにはつながらないからだ。1996年にフラーレンの発見でノーベル化学賞受賞者の一人であったR.E.スモーリーは猛烈に働くアセンブラーができたとしても,ナノ工場をつくって大量生産するには気の遠くなるような時間が必要だと自ら時間を試算した。ではナノロボットの自己増殖の可能性はどうであろう5)。しかしそれもスモーリーは”太いくっつきやすい指”という比喩によって不可能であると反論した。しかしドレクスラーの自己増殖型ナノロボットは際限なく増殖するグレイグー(灰色の得体の知れない物質で,自己増殖を続けるナノロボット)が地球を覆うという恐怖を米国市民に連想させてしまった。
こうしてドレクスラーのナノテクはジレンマに陥ったが,このような科学者たちの論争は米国では結果的にナノテクを盛り上げることにもなった。特にスモーリーはナノ材料にこそ新しい性質があるのだと,自らベンチャーをつくりナノ炭素材料の研究開発の先頭に立っていった。ナノテクの解釈は原子・分子の操作からナノスケールの物質を扱うことに変化していったのである。
6.クリントン大統領のNNI宣言
こうして1990年代からナノテク研究開発が本格的にはじまった。2000年にはクリントン大統領のNNI(国家ナノテク・イニシアティブ)宣言がなされた。それを受けて2001年に徹底した研究開発の支援システムがスタートした。ナノテクを経済成長と雇用に結びつけようとしたのだ。クリントン大統領の具体的な目標には,例えば,鋼鉄より強靭で軽い材料の開発,空気や水から汚染物質の除去,国会図書館すべての情報が角砂糖サイズのメモリに収容できる記憶装置,さらにがん細胞狙い撃ちの医療技術などが掲げられた。現在,これらのうちかなりのものの研究開発が着実に進んでいる。テレビ画面に映し出されたクリントン大統領の力強い演説を思い出す人も多いであろう。彼はナノテクが目指す技術目標をたちまち理解できる頭の切れる人であったという。
7.米国のナノテクの誇大宣伝(ナノ・ハイプ)
ナノテクが誇大宣伝されることをナノ・ハイプという。米国におけるナノ・ハイプは莫大な研究開発の予算がついたNNIがスタートした時点からのようである。発端は科学者が政策立案者や市民に税金の目的をわかりやすく説明するために複雑な科学分野を単純化して伝えたことにあったが,莫大な”カネ”が飛び交う科学技術にハイプが広がることは避けようがない。
ナノ・ハイプはナノテクの光と影の両方の誇張につながった。光の面の誇張は,”ナノテクはすべてを解決できるという見当違いの約束”となり,影の面の誇張は,SFの世界にまで入り込んで専門家以外の人々に”漠然とした不安”を与えた。B.ジョイがインターネットで滅亡のシナリオ,”グレイ・グー”を広め,2002年には日本でもお馴染みのM.クライトンが『プレイ』を出版し,一層不安を煽ったからである6)。こうして米国ではナノテクはゆがめられ,誤解されて伝えられていった。次回で紹介するが,米国ではこのような状況に対し,有力な科学者たちがナノテクの方向性,未来の可能性,リスクについて社会に向けて積極的に議論し続けていた。
8.日本のナノテクの導入
我が国でもナノテクはナノスケールでの製造技術という意味を担い,超微細加工技術と訳される場合が多かった。1990年代から一部の科学者がナノサイズの範囲で示す特異な現象に注目していた。日本が最も得意とする半導体デバイスの分野ですでにこの点が理解されていた。NNI立ち上げに刺激を受けて最初に行動したのは経団連であった。バブル崩壊後の産業構造の閉塞感を突破したいと模索していたからである。
日本政府はこれを受けて2001年第2期科学技術基本計画(2001-05年)の中で,「ナノテク・材料」を重点分野にした。わが国の材料分野の研究が世界で一流であり,20世紀の高分子・セラミックス・半導体などの輝かしい歴史があった。すでに材料こそイノベーションの原動力という気運があったのである。そこでナノテクと材料をセットにして研究投資の効率性を図り,その中心にナノ炭素材料を据えた。これは経済成長を牽引する材料として日本の素材とエレクトロニクス産業の強みを生かす実利的な戦略であった7)。
ところが,メディアが煽る期待と裏腹に目に見える成果がなかなか上がらない。そのために本来のナノテクとは何かという批判に答える形で2005年に総合科学技術会議で『True Nano』という概念が提案された。日本語にすると「真実のナノ」といわれるものであろうか。ナノスケールで原子や分子を操作して新しい機能を発現させる研究開発や大きな産業応用が見通せる研究開発を目指すというものであり,欧米のナノに近い解釈となった。しかしメディアもナノテクから引いていく中で,米国に比べ社会に向けて科学者が積極的に説明する姿勢があまりみられなかった。
9.日本のナノ・ハイプの特徴
我が国でもナノ・ハイプはあった。しかしその様相はアメリカのそれと異なっていた。B・ジョイのIT記事が派手に掲載され,グレイ・グーには多少注目が集まったが,我が国では恐竜以外はSFものに人気がないこともあって,ナノテクに対するSF的な期待感も恐怖も生まれなかった。
しかし2001年1月に日本政府がナノテク推進のための500億円以上の予算を計上したことから過熱報道が始まった。筆者が調査してきた日経新聞および朝日新聞のナノテクノロジーのキーワード検索からも読み取れる(2009年11月科学技術社会論学会で発表予定)。日本のナノ・ハイプの引き金も日本政府のようである。2002年7月ごろに過熱報道はピークとなった。産業界,科学界の専門家が「ナノテクは魔法の杖」,「果実を手にしようとして企業が走る」などとナノテクを煽動する表現も目立った。
ナノ過熱報道の最中,中小の製造業は消費者の動向に敏感であった。ナノは新しくて,風変わりで,語呂が良く,ハイテクの響きがある。日本人はハイテクであれば優れているというイメージをもっていた。これをマーケティング手段として利用し,日本では科学的根拠のないナノ商品が次々市場に投入された。いわば日本のナノ・ハイプはアメリカのように期待と不安を煽る現象ではなく,ナノの名称をつけた製品が市場に溢れる現象だったのだ8)。このような現象はマイナスイオンや磁化水などに通じることだったのかもしれない。
しかしやがて科学的根拠のないナノ製品により,大衆のナノテクに対する期待は失望に変わり,ナノテク専門家は研究資金が抑えられるのではと危機感を抱くようになった。一方,大企業である電子・大企業メーカーや商社も同様に加熱したが,リスク情報が欧米を中心に危惧されると,驚くほどナノテクに対して変貌していった。
10.ナノテクの定義とは
では現在のナノテクの定義はどのようになっているであろう。「ナノ材料」(ナノマテリアル)は,「元素等を原材料として製造された固体状の材料であって,大きさを示す少なくとも一次元が約1nm~100nmである物質およびナノ物質により構成されるナノ構造体(ナノ物質の凝集した物体を含む)」9)とISOなどの国際機関で定義されようと検討中である。しかしなかなかイメージしにくい表現である。
ナノ材料は粒子ばかりでなくカーボンナノチューブのように長さが数mmぐらいにも及ぶ細長い形の棒状のものも含む。そのため直系が100nm以下のものであれば,長さがそれをこえても,ナノ材料と定義したのである。すなわちナノ材料はその立体の一辺がナノレベルの固体物質であって,それ以上でもそれ以下でもないということである。
しかしナノ粒子は比表面積(表面積/質量)が大きいために特異な性質が現れる。またナノ構造では特異な電子状態を示す量子効果も生まれる。そのために全く新しい機能を生み出す可能性があり,応用が広がることが期待されるようになったのである。
ナノテクの定義はnm(ナノメートル)のサイズの物質を製造し,利用し,加工する技術の総称である。言い方を変えるとナノテクの魅力は,分子や原子を操作し人工的にナノサイズの構造を作りそれを組み立て,新たなシステムをつくる技術として解釈されている。しかし今後もナノテクの定義や解釈は少しずつ変わっていくであろう。最近,注目したい点は,産業技術総合研究所(独)ナノテク研究部門長の南信次が新しい基盤研究とする考え方〔コンセプト〕を提示したことである。これは次回に紹介するが,わが国においても現場の専門家がナノテクをいかにとらえ,社会にわかりやすく発信する試みが始まっている。
11.おわりに
以上,ナノテクの誕生から現在に至るまでに駆け足ではあるが,眺めてきた。ナノテクの解釈は国によってあるいはその社会状況によりダイナミックに変化してきた。しかし有力な科学者たちがわが国ではナノテクにはどんな価値があり,それがどんな問題を解決できるかを社会に十分伝えてこなかった。次回は社会の中でのナノテクの誤解を読み解く試みをしよう。さらにわが国のナノテクの研究開発とリスク研究の状況を述べ,光と影をもつナノテクについての未来を考えてみたい。
引用文献
1)ピーター・フォーブズ著,『ヤモリの指』吉田三知世訳,早川書房,2007年
2)K.E.ドレクスラー著,『創造する機械』相澤益男訳,パーソナルメディア,1992.: Drexler K.E., Engines of Creation, John Brockman Associates Inc.,1986
3)D.M.Eigler,and E.K.Schweizer, Nature, 344,524-526(1990)
4)五島綾子,中垣正幸著『ナノの世界が開かれるまで』2004年,海鳴社
5)R.E.スモーリー, ナノロボットの幻想,p80-82,別冊日経サイエンス『ここまできたナノテク』2002年
6)D.M.ベルーべ著『ナノ・ハイプ狂騒―アメリカのナノテク戦略―』,五島綾子監訳・熊井ひろみ翻訳,みすず書房,2009年
7)五島綾子,竹中厚雄,栁下皓男,『科学技術社会論研究』,6号,38-54(2008)
8)五島綾子,ナノテクブームの日米比較, D.M.ベルーべ著『ナノ・ハイプ狂騒―アメリカのナノテク戦略―』の解説文,五島綾子監訳・熊井ひろみ翻訳,みすず書房,2009年
9)中西準子,中間報告書版ナノ材料リスク評価書策定に際しての考え方(2009.10.16)
参考文献
1)F.ダイソン著『科学の未来』はやしはじめ・はやしまさる共訳,みすず書房,2006年.
2)A.Goto, T.Yagishita, and A.Takenaka, Study of R&D Progress of CNTs in Japan: Viewpoints of Nanotechnology Boom and Risk Perception,NSTI-Nanotech,1,597-600(2007)
3)五島綾子,ナノテクノロジーブームの実像,『学際』,No12,July,79-85 (2004).
4)五島綾子,栁下皓男,『化学経済』10,2009,20‐28.