「子どもと携帯電話に関するアンケート」を手がかりに

投稿者: | 2007年7月2日

写図表あり
csij-journal 007 ueda.pdf
第18回市民科学講座
「ITで子どもは守れるか? ~携帯電話とICタグから考える」
[発表その1]
「子どもと携帯電話に関するアンケート」を手がかりに
上田昌文
●携帯電話という技術の特性
携帯電話は20世紀の末に登場し、瞬く間に社会に浸透した。爆発的に普及しているのは何も先進国に限らない。有線に比べて通信インフラのコストを低減できる携帯電話は、中国をはじめ途上国でも普及が著しい。日本では2007年5月時点で、契約者数は1億人を突破していて(携帯電話97,580,300+PHS 5,028,200 =1億260万8500件)、9割の世帯が所有していることになる。これほど短期間にあらゆる人々が買い求めるようになった技術もめずらしいだろう。携帯電話には、便利さをはじめとする何かとてつもない魅力があるのだろうか? それとも、ある一線を超えて普及がすすんだせいで、持たないでいるだけで様々なデメリットを被るような事態となってしまっているのだろうか?
便利さ故に爆発的に普及した携帯電話だが、電磁波の健康影響、廃棄端末の環境負荷、電車内など公共空間での私的使用がひきおこすトラブル、通話料金の負担、基地局設置をめぐる周辺住民と事業者のトラブル、ネットがからむ犯罪など、じつに様々な問題を社会にもたらしているのも事実である。多くの問題をかかえつつも、一旦携帯を手にした人々は容易なことではそれを手離さないだろうことも明白で、その技術と自分との”一体感”こそが、この技術の本質ではなかろうか、という気がする。
携帯電話がこれからどう”進化”していくかがしばしば語られるが、そこに端的に顔を出すのが、この機械と人間とが融合するといった側面だ。モバイル性という携帯の最大の特性は、小型化と(端末と人間の間の)インターフェイスの親和性が極端にすすめば、当然、身体への埋め込みという発想が出てくるだろう。すでに発揮されつつある、端末の情報万能特性とも言うべき性質(インターネット、PC、カメラ、GPSなど、情報に関するありとあらゆる機能を備えること)は、”第二の脳””私的電脳”にまでいずれ拡張されるだろう。「私とは、私を構成する”情報”の束である」という傾向が強くなる社会では、携帯電話に自己の情報のすべてが集約され、「私」を「私の携帯電話に取り込まれた情報」によって同定することが避けられなくなるだろう。携帯電話というネットワーク上で、個々の結節点としての端末が「自己」となり、「自己」であるが故に必要とされる私的情報の隠匿性も、何かしらの方法で常に確保しておかねばならず、そこがまた逆に、サイバー犯罪を誘発するネックになる……といったどこか薄ら寒い未来図が脳裏に浮かびはしまいか。

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