ナノテクノロジーの何が問題か

投稿者: | 2007年12月2日

写図表あり
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ナノテクノロジーの何が問題か
上田昌文 (市民科学研究室)
●ナノテクノロジーの特性
 ナノテクノロジーを簡単に定義すると、「ナノスケールで物質を扱うことで現れる有用な特性を引き出し、利用できるようにする技術の全体」ということになるでしょう。その特徴は、(1)物理、化学、バイオ、情報科学、認知科学などが融合して”統合された物質科学”となりつつあること、(2)ナノサイズでの分子設計を究極の到達点とする「何でも作れる」万能性を発揮する可能性があること、(3)材料、デバイスの革新をふくむゆえの多方面への波及効果が期待できること、と要約することができるでしょう。機能的な素子を極微小のサイズにすることで実現する「超集積化」、量子効果や近接効果やサイズ効果 によって新機能を発現させる「超機能化」、そしてこれらの性質を生かして実現できる一つの汎用的な用途として「超高感度化」(分子1個に反応するような極限的なセンサーや検出器など)といった「超」の字を冠した特性が喧伝されています。
 ただ、ナノサイズの粒子そのものは強い凝集性を持ちますから、理論的に予測できる効果が必ずしも現実に簡単に得られるわけではない点も、知っておく必要があります。凝集性をどう制御していくかが、ナノテクノロジーの一つのポイントになっています。
 わかりやすい技術予測としてよく引用されますが、米国大統領のNNI教書(2000年)では次のような例が挙げられています。
・テラビットの何倍もの記憶容量を実現して連邦議会図書館の全蔵書を角砂糖の大きさに収める。
・原子や分子を1個ずつ操って物質や材料をボトムアップ方式で組み立てる。
・鉄より10倍も強い新材料を開発して全ての乗り物を軽くして燃費を下げる。
 (新素材とはカーボンナノチューブ(CNT)を用いたものですが、理論的には重量は鉄の6分の1で強さは100倍にできる、などと言われています。)
・コンピューターの計算速度などを100万倍以上あげる。
・がん細胞を検知してそこを狙い撃ちして遺伝子や薬物を送り込む(DDSと呼ばれるシステムで、フラーレン(C60)の応用も見込まれています)。
・空気や水から極微量の不純物さえ取り除く。
・太陽電池のエネルギー効率を2倍にする。
●ナノテクのリスクを考えるポイント
 こうしてみると、良いことずくめのように思えるかもしれませんが、微小サイズの繊維であるアスベスト(長さが数μm~数十μm、幅が0.02~0.03μm)が甚大な健康被害をもたらしたこと、ディーゼル車排ガスなどのPM2.5(大気中を浮遊する粒子径2.5μm以下の微粒子)が健康へのダメージが大きいことがわかってきたこともあって、ナノサイズの様々な新規の物質は人体や環境への新しい脅威になる恐れがあるのです。
 リスクを考える際に留意しておきたいことがいくつかあります。
 一つは、「生物影響がみられたからと言って健康影響が判明するわけではない」という点です。リスク評価を行う場合、(1)有害性の同定(毒性があるかどうか)、(2)曝露量評価(どれくらい曝露することになるか)、(3)用量反応関係の同定(どれくらい曝露したらどれくらい影響が出るか)が確定してはじめて、リスク評価が行えるという考え方が原則になっています。分子細胞レベルの実験や動物実験でリスク評価ができたからといっても、ヒトの場合で(2)や(3)が未確定では、定量的なリスク評価はできない、という論理になっているのです。現実的には、リスク論のこのあたりの限界をどうのりこえて、必要だと考えられる対応策を講じていくかが求められるわけです。動物実験での毒性データをどう解釈し健康対策につなげるかの一般解はなく、例えばカーボンナノチューブのリスクを示す事例として報告されている、マウスの肺への吸引による死亡例や淡水魚での脳の損傷の事例も、たとえその実験結果自体が確かなものだとしても、そこからヒトへの影響を類推することは、基本的にはできないのです。
 しかし一方、「健康影響が判明しないうちに普及が進み、後に懸念が高まる例は数多い」ということも知っておかねばなりません。2006年でみても、携帯電話と脳腫瘍との関連(Hardell 2006) 、テフロン加工からのPFOA(パーフルオロオクタン酸)の発ガン性の疑い(EPA 2006) 、コンピュータ製造業労働者の間での高いガン死亡率(Clapp 2006) など、大変気になる報告があります。この点を考えると、上記のリスク論の限界をふまえて、(1)ヒトへの安全性がある程度保証されるようにならない限り使用を認めない(あるいは何らかの適切な使用制限を設ける)[慎重なる回避]、あるいは、(2)ある程度の使用を認めつつ、予備的な疫学的調査を先行的に実施して危険の兆候をできるだけ速やかに察知し対応できるようにする[危機管理]、というどちらかの選択が迫られることになるでしょう。
 「慎重なる回避」にしろ「危機管理」にしろ、ナノテクノロジー分野でまず優先されるべきは、すでに商品化され普及している消費財と、ナノ粒子などの曝露の恐れがある労働環境の調査ではないかと思われます。普及している消費財の代表例は化粧品ですが、残念ながら「慎重なる回避」はむしろそれ自体が回避されている状態です。「これまでに行われた動物実験では、含有しているナノ粒子が皮膚に浸透し、血流を通して様々な組織に取り込まれることを示す明確なデータはない」ということが言えるだけで、安全性が確定したわけではないので、今後なんらかの被害が出てくる恐れがあります。また、危機管理の点からしても、「化粧品にナノ粒子が含まれているか否かの表示は必要ない」という化粧品メーカーの姿勢は、大いに問題があると言わざるをえません。労働現場での曝露の問題では、ナノ粒子の生産工場などではすでに自主的な安全対策を講じているところが多いと思われますが、各メーカーの自主規制に任せるだけでは不十分であるのは言うまでもありません。世界的に統一のとれた(標準化された)微粒子の捕捉法や計測法が確立し、それに基づいた合理的で確実な安全対策が一日も早く導入されることが望まれます。
●健康・環境リスクに限らないリスク
 ナノテクノロジーは非常に広範で波及力の強い技術なので、その社会影響も様々な面に現れてくることが考えられます。
 一つは人間の能力増強(エンハンスメント)への応用です。例えばナノテクを用いた超高感度の光学センサーを使った、暗闇でもモノが見えるような眼鏡や埋め込み型のレンズが開発されれば、それを使ってみたいという人が必ず出てくると思われます。人工眼内レンズはすでにこの日本でも年間100万件以上の手術実績があります。これらは治療目的の技術ですが、治療とエンハンスメントの境界線を引くことは大変難しいことは、遺伝子診断や遺伝子治療を用いた”デザイナーベビー”の可能性が論じられたり、リタリンなどの向精神薬が米国において”スマートドラッグ”として200万人もの子どもが服用したりしている現実がはっきりと示しています。エンハンスメント技術は何をどこまで容認すべきなのか。ナノテクノロジーもエンハンスメントへの応用の可否をめぐって規制がなされるようになるかもしれません。
 エンハンスメントとも絡んで一番懸念されるのが、軍事技術への応用です。殺人ナノロボット(新種の生物工学兵器というべきか)、超強力な武器やパワードスーツ(サイボーグ兵士やロボット兵士を含む)、軍事衛星と結ばれた高性能の情報処理能力を持った兵器システムなど、SF映画まがいの様々な軍事技術の開発にはずみがつくものと思われます。兵器の開発が無制限に許されるべきでないとするなら、核査察と同じような「ナノ兵器査察」が必要になる事態も想定できますが、超小型化しているがゆえに査察自体がずっと困難になるでしょう。また、軍隊専用でなくても、一般市民が用いる道具の中にも、とんでもなく危ない”凶器”となり得る性能を備えた、しかも凶器であるか否かの線引きが困難な道具が出現するかもしれません。
 もう一つ心配されるのはプライバシーの問題です。食品のトレーサビリティ、人のセキュリティを高める手段として、ICタグの活用が重視されています。ナノテクを用いてその小型化がさらに進み、あらゆるあらゆるモノへ、あらゆる人へ装着されることになれば、ただちに生じてくるのが、このプライバシーの問題です。例えば「誰が何をどこでどう買ったか」がすべて記録されるなら、その情報に一番価値を見出すのは商品を開発し販売を促進しようとする側でしょう。そうした情報をどこまで保護すべきかを見定めることは、ICタグ技術が精巧なものになればなるほど、難しくなると思われます。
 さらには、技術発展は総体的には世界全体を豊かにする、と私たちはつい単純に考えがちですが、例えば貧富の差の拡大といった、グローバリゼーションに伴ってますますその想定を裏切るような事態が進行しているという現実を忘れるわけにはいきません。ナノテクノロジーの発展が、知的財産権による支配といったこととも絡んで、いわゆる先進国による途上国に対する経済支配を拡大させかねないという事態も、私たちは予測しておかねばなりません。
●なぜナノテクリスクを問題にするのか
 このように、ナノテクノロジーのリスクは、健康や環境にとどまらない広範な領域に及ぶ問題です。それらの全体を見通す作業が必要ですが、それを一部の専門家に委ねることにはそもそも無理があるでしょう。生成し出現しつつある多種多様な技術を見据えて、それこそ、生活者を交えたできる限り多様なステイクホルダーでの生産的な議論を重ねていくしかないのではないかと思われるのです。
 なぜ「生活者を交えた」なのか。それは、ナノテクノロジーが生活のあらゆる領域に影響を及ぼす可能性があり、そうであるなら、「どんな社会を望むか」「どんな生活を望むのか」といった価値の問い直しの問題と、技術開発の行方やあり方とを積極的に交わらせていかない限り、適正なテクノロジーアセスメントも技術開発の目標設定もできないと考えられるからです。産官学のそれぞれの、あるいは相互に連携した推進体制が現にあり、巨大な投資がなされている以上、そのことがもたらそうとするものを、市民が生活者の立場からとらえて意思表明していくことが重要になってくるのです。
 ナノテクノロジーは、空想的予測を含めて、どの専門家にも的確な予測を下しにくい広がりと波及性を持っています。自己複製する分子製造機械、テラフォーミングなどを含めた宇宙空間の利用拡大、人工知能や寿命延長などのエンハンスメント……これらも視野に入れた、想像力をたくましくしての考察が必要で、そうした想像力はユートピア的なものであれ、ディストピア的なものであれ、多くの人のナノテクへの関心が底上げされてこそ、より勢いよく育つものではないかと思うのです。
●では、どこから始めるか
 『市民科学』今号の特集は、まず白石靖による「ナノテクノロジーにおけるリスク評価の現状」でリスクに関する最新の情報の収集と整理を行っています。続いて、江間有沙による「ナノテクと”市民参加”の重要性」で市民参加(PI:Public Involvement, PE:Public Engagement)やTA(TechnologyAssessment)の試みの情報の収集と検討を加えています。そして、吉澤剛の「専門家との対話による”ナノテク未来地図”の作成」では専門家と市民の実りある対話の実践として、市民科学研究室が開発した手法を紹介しています。まだそれぞれの調査報告は十分に完成されたものではないけれど、それら三者を有機的に関連させてナノテクの行方を論じていくことが大切だという、私たちのメッセージをそこに感じていただければ幸いです。
 欧州を中心とする市民参加の実践に関しては江間論文がその概要を伝えていますが、英国のDemosが実施したような、1年に及ぶ、環境行政、研究行政、企業、技術移転国と市民の討議の場(テーマ事例「土壌の汚染除去にナノ粒子を用いるべきか?」)の創設と運営といった極めて注目すべき新しい試みもあります(2006年1月~2007年1月)。その報告書で強調されている「専門知識の有無の違いは議論の妨げにならない」という認識は、私たちを大いに励ますものです。
 英国の環境・食糧・農村地域省(Defra)がナノ物質に関する自主的な報告制度を開始したことは(2006年9月22日~)、各国に影響を及ぼすと思われます。欧州委員会はnanologueなどの”対話”の試みをふまえて、「責任あるナノ科学・ナノ技術研究についての行動規範づくり」のための意見募集を開始しました(2007年7月19日~)。また各国の主要なNGOが連合して、 ナノ技術・物質の監視強化を求める「ナノテク監視のための基本原則」を発表しています(2007年7月31日)。市民科学研究室は、このような国際的な動向に注視し学びながら、日本において実効性のある問題提起と”対話”の実践を仕掛けていきたいと考えています。■

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