大川小訴訟判決確定 -被災原因はどこまで明らかになったのか-

投稿者: | 2019年12月8日

大川小訴訟判決確定
-被災原因はどこまで明らかになったのか-

林 衛(富山大学人間発達科学部、市民科学研究室会員)

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▶「大川小裁判の判決をどう読むか (その1)」はこちらから
▶「大川小裁判の判決をどう読むか (その2)」はこちらから

2019年10月11日,最高裁が大川小訴訟の被告による上告を棄却,2018年4月26日の仙台高裁判決(被告石巻市と宮城県に連帯して14億3617万4293円と遅延損害金の支払いを命じた)が確定した。高裁での大きな論点は,一審仙台地裁判決が認定した避難の遅れをもたらした原因のさらなる究明にあった。高裁では,大川小教員等(校長,教頭,教務主任,石巻市教育委員会)の組織的過失の有無が文書や証言,現地調査によって詳細に調べられた結果,今後30年間に99%の確率で発生すると予測されていた宮城県沖地震による津波への「事前の思慮」がなされていれば,児童や教員たちの命は救えたと結論されたのである。

では,宮城県と石巻市による対策はなぜ「事前の思慮」を欠いてしまったのか。本稿では,裁判を通して明らかになった事実に加え,「事前の思慮」を欠く被災の根本原因ともなった,宮城県による津波対策の不備と巨大歴史津波(869貞観,1611慶長)を想定外としていった過程を考察していく。

判決確定後,10月15日に石巻市亀山紘市長は宮城県村井嘉浩知事と面会し,20億円を越える賠償金総額の支払いへの応分の負担を宮城県に求めた。県と市が連携して実施してきた防災施策に不備があったと,過失責任が問われた裁判で,両者が敗訴したのである。ところが,村井知事は,宮城県は給与を負担しただけであり,賠償責任は一義的に石巻市にあるとして亀山市長の提案を拒否,全額を宮城県が原告に立替払いしたうえで石巻市が10年かけて宮城県に返す案を市長にのませた。宮城県議会,石巻市議会の議員たちからも強い反対意見が表明された全額石巻市負担というやり方の是非を再検討するためにも,宮城県が2度の巨大歴史津波(869貞観,1611慶長)を対策から外してしまった事実は大川小被災の根本原因として,記録・分析されるべきではないか。

確定した仙台高裁判決の到達点

2018年4月26日,仙台高等裁判所は1審(2016年10月26日仙台地裁判決)に続き,原告勝訴の判決を言い渡した。その日の法廷の原告席には原告団が3列になってズラリと並んだのと対照的に,被告席には代理人3名が着座するだけであった。

1審では四つの主要論点(事前の学校防災,当日の津波予見性,当日の学校の判断,事後対応)のうち「当日の津波予見性」が津波到来の少なくとも7分前というギリギリの段階で認めれたものの,事前学校防災,事後対応については原告の主張がしりぞけられ,損害賠償は認められたものの原告側が裁判で求めた問いに対しては実質的に原告側1勝3敗(あるいは1勝3分)ともいえる判決であった(大川小裁判をどう読むか(その2)参照)。

それでも納得できないと被告の石巻市と宮城県が先に控訴を表明,原告も続いて控訴して審理が進んだ2審では,2011年3月11日の判断の遅れをもたらした事前の学校防災の検証が進み,被告の組織的過失が認定されるに至った。当日の津波予見性については,大津波警報を告げるサイレンの鳴った地震発生直後の14時50分には逃げられたとはっきり認められた。事後対応については原告の訴えは斥けられたものの,四つの論点についていえば,原告側からみていわば3勝1敗だといえる。

マグニチュード9であった東日本太平洋沖地震への対策ではなく,今後30年間に99%の確率で発生すると宮城県が想定し,県民にも浸透していた宮城県沖地震(連動型でマグニチュード8)への対策を「事前の思慮」をもって実行しておけば,当日の避難は遅滞なく可能であったのに,それを懈怠していたために守れる命が守れなかった過失が認定されたのだ。宮城県が作成した浸水予測図では北上川河口から3.5kmもの津波遡上が示されていた。そのおよそ500m上流に位置する大川小は,2004年に内閣府が示した「津波・高潮ハザードマップ作成マニュアル」に従えば,浸水予測計算の誤差の範囲として明示すべきバッファーゾーン内に位置することになる。ゼロメートル地帯に位置する大川小一帯の沖積平野の低地では,平らな地上を津波が進んでいく。急斜面や崖で津波が減速する地形とは異なり,津波計算の誤差は大きいのだ。

内閣府のマニュアルどおり,津波浸水計算結果とバッファーゾーンとあわせた要避難区域が,石巻市が住民に配付,大川小でも職員室黒板のところに常置されていたというハザードマップに示されていれば,当然のこと,大川小では具体的な避難計画が立てられていたであろうし,そうなっているべきだったというのが高裁の判断だといってよいだろう。宮城県沖地震(連動型)では,震度6強の揺れが想定されると石巻市のハザードマップには明示されいたのだから,激しい地震動で堤防が損傷あるいは損壊したところに津波がやってくることによる浸水もありえる。そのような条件をとりいれた「事前の思慮」があれば,プロアクティブの原則によって安全第一に避難行動を開始できたし,すべきだったという判決だった。

この判決は学校現場にとって厳しすぎるといった反応もあった。しかし,大川小のような自然条件に立地し,校区の半分が浸水し,堤防機能が維持されたとしても学校のすぐ近くまで津波の遡上が示されるほどの悪条件があるのならば,バッファーゾーン明示を忘れるなど「事前の思慮」を欠いた組織的過失が認定されるのは当然だといえよう。逆にいえば,どのような悪条件があるのか「事前の思慮」をもって必要な対策を立てていれば,たとえ被災が生じたとしても過失が認定されることはないといえる。

高裁での証人尋問では,北上川堤防を津波が越える危険性を直観していた事実を大川小,大川中の元教員が証言した。現場には一定の危機感があったのだ。いっぽう,石巻市教育委員会の防災担当者は,大川小が立地する地区の津波ハザードマップはみたこともなかったと高裁で証言している。判決までに明らかになった事実をいかすためにも,大川小で児童,教員,住民の命を守れるはずだった学校と,学校を支えるべき行政がなぜ「事前の思慮」欠いてしまったのか,その背景原因までを詳細にみて共有,継承していく必要があるのではないだろうか。

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