ナノテクノロジーのリスク 英国王立協会報告書 第5章翻訳

投稿者: | 2009年7月8日

写図表あり
市民研csij-journal 025 royal.pdf
英国 王立協会+王立工学アカデミー 報告書
『ナノサイエンスとナノテクノロジー:機会と不確実性』
(Nanoscience and nanotechnologies:opportunities and uncertainties)
第5章 健康と環境と安全性に対するありえるかもしれない悪影響
(Chapter 5 Possible adverse health, environmental and safety impacts)
翻訳:NPO法人市民科学研究室・ナノテクリスク研究会メンバー
5.1 はじめに
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第3章と第4章で、研究者や企業がナノ素材のユニークな性質を利用して、それを医療に応用するための製造プロセスを開発したり、環境面で役立てようとしたりしていることを概説した。ナノテクの医療面での応用で最近のものとしては、抗生物質の効果を伴った傷の治療があるが、将来的にはもっと耐久性も効率もよい組織補綴(ほてい)や新しい薬物送達の仕組みが生み出されるだろうと期待されている。ナノテクの応用分野の最近の研究には、製造工程で使う溶剤や他の有害な化学物質の量を減らしたり、エネルギー効率やエネルギーの蓄積能力を高めたり、土壌や水の中の残留性汚染物質を除去したりするといったものがある。これらは環境を改善し持続可能性を高めることになると期待されている。4章5節では、ナノテクを用いる製造プロセスやナノ製品を研究開発する場合には、資源の使用量が結果的に増加することがないように、ライフサイクルアセスメントを導入することが必要であると述べた。この章では、ナノテクノロジーがもたらす恐れのある健康と環境と安全性に対する悪影響を論じる。
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ナノテクノロジーが健康や環境面でもたらすだろう恩恵については歓迎できるものの、研究者や企業が開発しようとしているナノテクのまさにその特性(たとえば物質の表面での高い反応性や、細胞膜を出入りする能力)が、健康と環境への悪影響、とりわけより高い毒性をもたらすかもしれないと指摘されてもいる。我々が実施した市場調査によると、一般公衆は医療的応用が施された場合にずっと後になって現れるかもしれない副作用があるのか、あるいはナノ素材が生物分解性を持つのかどうか、といった点を懸念していた。プラスチックの例で比較するとよいかもしれない。かつて「未来はここにあり」と称賛されたプラスチックだが、今では健康影響や環境面での負荷を伴うものであることがはっきりしている。(BMRB2004)
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ナノテクノロジーに対する懸念は、証拠の形で示されたものであれ、健康と環境への影響に関するワークショップで取り上げらたものであれ、ほとんど全部、製造されたナノ粒子やナノチューブが健康と安全面でヒト、ヒト以外の生物、そして生態系に対していかなる潜在的な影響をもつか、という点に関連したものである。ナノ粒子の大きさが細胞内の区構成物(小器官)や巨大なタンパク質と同じスケールであるため、ヒトや動物に備わった防御機構を侵し、細胞を傷つけるかもしれないという推測がなされている。ただ、こうした懸念は、人類はこれまで常に何らかのナノ粒子に晒されてきたのだという点をあわせて考えることが大切である。すなわち、大気中の光化学反応や森林火災といった自然の現象に由来するものや、人類が火を使用し始めて以来、吸気に取り込まれてきた無数のナノサイズの汚染粒子があったわけである。
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工業生産されたナノ粒子やナノチューブは、初めて消費財として使われたナノスケールの技術であるという点で重要だが、表4.1に示したように、現在の生産規模はナノ技術が持つだろうと想定されている可能性のごくわずかな現れにすぎない。情報産業も、そこで用いられる技術において、あるいはデバイスの最小化のためにナノ技術を活用しているが、工業生産されたナノ粒子やナノチューブとは違って、そこにはなんら固有の危険性は見られない。次の2つのものの区別も重要である。一つはナノスケールよりも大きな物体の中においてナノスケールで機能する部分を含む応用物(例えば、トランジスター内にナノサイズの結合部位があるが、それが合わさってミリサイズのチップができる)、そしてもう一つは「ナノスケールで機能する部分」そのものが1個1個のナノ粒子やナノチューブとなっている化学製品や医薬品である。1億ものナノサイズの構成物を備えたコンピュータのチップは製造や廃棄やリサイクルの過程で何らかの危険をもたらしかねないのだが、それはむしろチップを作る素材(たとえばガリウム)そのものに関係した危険であって、チップの中に入っているナノサイズの構成物の問題ではない。ナノサイエンスやナノテクノロジーを扱う科学者や労働者は、試薬の扱いや物質の操作プロセスなどで健康を害する恐れのあるいろいろな局面に身をおくことがあるかもしれないが、ナノ粒子以外の物質や素材に曝露する場合については、これまでにその危険性が理解され規制が設けられてきているわけだから、この報告書では取り上げない。ただし、それらの物質や素材がナノサイズの粒子に形を変えて用いられる可能性がある場合は、言及することになる。
5.2 リスクの評価と制御
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一般的に、リスクを評価し制御するには、危害(ハザード)を同定すること(問題とする物質が危害をもたらす潜在的可能性がどれくらいあるか)、そしてその危害にさらされる確率とさらされた場合の結果を明確にするためにしっかりとした方法とが必要になる。もし可能なら危険性の高い物質をより低い物質におきかえていくのがリスク管理の第一の原則だが、たいていは実際に曝露する機会を減らすことによってリスクを減らすことになる。曝露をどの程度制御すべきかを知るためには、危害(例えば毒性とか爆発の可能性とか)をしっかりとらえる必要がある。問題となる物質や水や空気が漏れ出ることを防ぐこと、あるいは(/しかも)取り込んだ物質はレセプターに受容されることによって身体への作用をもたらすのだが(例えば臓器への作用)、その物質が受容体に至りつくまでの経路を遮断することで、リスクは制御される。したがって、曝露の経路や曝露量をはっきりさせていくことはリスク管理に不可欠となる。いかなる新技術の場合でも、ありえるかも知れないリスクを見通すには、生産された物質のライフサイクルを検討しなければならない。製造工程や用いられる素材、製造や生活の中での使用時にその製造物が人や環境との間でどんな相互のやり取りがあるか、さらにどんな方法で最終処理されるのかを把握しておくことも必要である。この章で用いる用語のいくつかを■Box5.1で大まかに説明しておく。
■Box5.1 定義
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 「危害(ハザード)」は損害をもたらす潜在的可能性として定義される。たとえば毒物学において、培養された細胞や分離された臓器(試験管内)への、あるいは実験動物や人体(生体内)への直接の損害可能性として、評価されるのがその典型である。もうひとつの危害としては、可燃性ナノ粒子粉塵の爆発可能性があげられる。
 「曝露」は、該当する媒体(大気・食物・水)内への特定物質の集中による影響が、接触の継続により増幅されることである。
 「用量」はここでは、特定の生物学的器官に到達する物質の量として定義される。ある個体のある物質への曝露の一部は、身体の自然な防御によって排除され、当該臓器には到達しないという事実を考慮するならば、用量は個体の曝露量の関数といえる。
 「危険(リスク)」は以上の損害をもたらす可能性を量的に評価したものである。曝露の可能性と用量、およびヒトその他の生物が曝露したときの固有毒性を考慮して、危険は評価される。すでに曝露がおこっている物質の場合には、疫学の方法を直接にもちいて危険が計測されることもある。
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ナノ粒子はいろいろな形で工業的に生産される。混ぜ合わされるもの(例えば、日焼け止めクリーム)、後に環境中に放出されるものとして構成物の一つになっているもの、ナノ物質の自己集合体(これも後に環境中に放出されることがある)、ナノ素材を破損した入り解体したりしてできるものなどがある。人やそれ以外の生物がナノ物質と直接接触するとか、ナノ物質が体内に入り細胞との間に作用を生じ、それが組織を損傷する作用を引き起こすとかのプロセスがあってはじめて身体的な損害が生じる。そうした物質が毒性を持ち、標的となる器官に十分な用量(■Box5.1の定義を参照)が取り込まれる場合は、起こりうる損傷は予測ができるかもしれない。ナノ粒子が環境中に放出されることで、現在および将来の曝露をもたらすどんな経路があり得るのかを図5.1に示した。ナノ粒子が空気中に放出されれば、それは肺に直接吸引されるだろう。これは人が工業生産されたナノ粒子を職場環境で被曝する場合の主たる経路である。ナノ粒子がたとえば燃焼によって放出されればどんな生物でも被曝することになる。呼吸器官による吸引に加えて、表面の接触(例えば皮膚に塗布する化粧品)や消化(例えば将来的に食物や飲み物にナノ粒子が添加されることになれば)といったケースも考えられる。将来は、医療的応用としてナノ粒子を注射するケースが出てくるかもしれない。細菌や原生生物などが細胞膜からナノ粒子を取り込めば、ナノ粒子が食物連鎖に入り込むことになることも考えられる。
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■図5.1
・現在と将来の応用から考慮されるナノ粒子およびナノチューブへの曝露の推定される経路。曝露経路については実際にはほとんど知られていないことに注意。(日本国立資源環境研究所、http://www.nire.go.jp/eco tec e/hyoka e.htm による。)
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この章では、まずナノ粒子の持つかもしれない危険性について調べ、その後に曝露の経路や程度、そして工業生産されるナノ粒子やナノチューブがもたらすリスクを軽減するためにいかなる管理が必要かを考察する。ナノ粒子が人ならびに環境にどう作用するのかについては科学的に重大な未解明点があり、不確実なことがらを減らしていくにはどんな研究が必要かについても述べる。遊離した(工業的に生産されるのではない)ナノ粒子がもたらす恐れのあるリスクを管理するのはいかなる規制が必要かについては第8章で扱う。
5.3 人間の健康
5.3.1 ナノ粒子とナノ繊維の毒性を知る
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ナノ粒子の人に対する潜在的なリスクを知るには、粒子に対する人体の防御機構の概要やその粒子がどんな性質を持っているときにその防御を無効にしてしまうのかを把握しなければならない。進化の過程で人はしばしば非常に高い濃度の微粒子にさらされてきたし、微生物に対する防御機構を発達させる中でそれが微粒子に対しても有効に働いてきた。人は肺と皮膚と消化管をとおして取り込むのだが、それぞれが外部からの微生物や微粒子の侵入を阻む防護壁にもなっている。■Box5.2に述べた防御機構がありはするもの、微生物の中にはさらに侵入して毒性を発揮するものがあるのと同様、微粒子の中にも毒性を示すものがある。一般的に言って、毒性がもたらされるのは、防護を越えて侵入してくるかあるいは防護機構そのものを損傷させてしまうかのどちらかの性質を微粒子が備えているためである。毒性が発揮されることのこうしたメカニズムを知ることが、ナノ粒子やナノチューブの毒性を推定するために重要である。ここで、すでに知られた3種類の粒子を取り上げるが、いずれもナノ粒子の毒性を考える上で手がかりを与えるだろう。その3種類とは、鉱物の石英(水晶)、アスベスト、そして大気汚染粒子である。
a) 石英への曝露から得られた証拠
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採掘や石造りなどで石英に曝露した労働者はこれまで何百万人もいる。大きさが1マイクロメートル、空気中の密度が1ミリグラム/立方メートルの規模の粒子を数年にわたって被曝すると致死性の肺繊維症になる恐れがある(Seaton 1995)。毒性学の研究によれば、マイクロメートル単位の石英の微粒子を比較的低濃度で浴びたラットで、重症の肺炎、細胞死、肺繊維症、肺がんが観察された(Vallyathan 1994)。この毒性は、石英の結晶の表面が非常に反応性が高いことのためにもたらされると分かった。石英はフリーラジカル(反応性の高い原子もしくは分子)の生成を促し、そのため防御にあたる細胞は石英粒子を取り込むとその酸化作用で損傷してしまうのである。粒子の毒性を考える上でその表面の反応性は最も基本的な要素だが、粒子の種類によって反応性は実に様々である。工業的に用いられている鉱物粒子としてたとえば石炭やいろいろな珪素があるが、石英と比較すると毒性は小さい。しかし高濃度で吸引すると同様の健康障害をもたらす恐れはある。吸引された微粒子は何であれ、たとえそれがもとから持っている毒性が低くても、肺の防御能力を圧迫するほどに大量に取り込まれた場合は、肺に何らかの障害をもたらし得るし、このことには吸引される粒子を全部あわせた場合の総表面積が効いてきているのではないか、と考えられている(Faux et al 2003)。鉱物粒子の研究によって明らかになったのは、毒性は吸引される粒子の表面部分によってもたらされ、表面の反応性が関係するという点である。リスクは吸引される量に左右される。
b) アスベストへの曝露から得られた証拠
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アスベストの人体影響についても詳細に調べられてきた(Mossman et al 1990)。この天然の鉱物繊維を吸引した労働者は、肺とその上皮の様々な疾患を発症し、その大半は致死性である。繊維とは、その長さが少なくとも直径の3倍以上ある粒子のことを言う。およそ3μメートルより細かい繊維は肺のガス交換部位に到達するという気体力学的特性を持ち、一方およそ15μメートルより長い繊維はその長さゆえにマクロファージが容易に捕捉して除去することができない(■図5.2)。アスベストがいったん肺の奥深くに入るとマクロファージをはじめとする防御をつかさどる細胞が動員されて炎症反応を引き起こすが、毒性はその炎症の程度で決まる。十分に広い範囲で炎症が起きれば、瘢痕(石綿肺症)や肺がんになったりする。数十年もかけて相当量の繊維が胸膜に達すると、致死性のがんである中皮腫を発症する。ラットを使った実験によると、アスベストであれ他の天然もしくは人工の繊維であれ、こうした疾患を起こすかどうかは、その繊維が溶解性を示すかどうかが決定的である。簡単に溶解する繊維は短い断片となってマクロファージが捕食するのも容易い。今述べた病気を引き起こすほど長くは停留していられないのだ(Mossman et al 1990)。この点はヒトの肺でも示されていて、種々のアスベスト関連の病気を発症した労働者を調べてみると、繊維の種類によってその持続性が違っていることが分かったのである(Wagner et al 1982)。アスベストは現在でも多くのビルの構造物に、多くの都市に残ったままである。そして私たちの誰もが自分の肺の中になにがしかのアスベストを取り込んでしまっている。一方アスベスト関連の疾患を持つ人々は、何ヶ月というよりむしろ何年にもわたる鉱山労働によって、1回の呼吸あたり数百本という濃度で繊維を吸引して、その累積として肺の組織1gあたり通常数百万本の繊維を取り込んでしまっていることがわかっている(Wagner et al 1982)。アスベストやそれ以外の繊維の研究によって、毒性を決めるのは、長さと直径という2つの物理因子、そして表面反応性と持続性(分解に抵抗する力)という化学的因子であることが分かった。ここでも、リスクは標的となる器官に到達する量に左右される。
■図5.2
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約80マイクロメートルのアスベスト繊維を消化しようとする4個のマクロファージ。(エジンバラ大学、ケン・ドナルドソン教授の許可をえて転載。)
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■Box5.2微粒子に対する人体の防御
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 肺においては、微粒子は、気道壁への沈着によって吸入された空気からこしとられ、顕微鏡的な突起(繊毛)の周期的な運動によって気道細胞から除去されてのどにはこばれるか、あるいはガス交換組織に到達したとしても、マイクロファイージという食細胞に捕食されるかする。ファージはそこで、気道をのぼってくるか、または肺をぬけてリンパ管をとおりリンパ節に達するかして、微粒子をはこぶ。これらのしくみはいずれも、害をなしうる場所から微粒子をとりのぞき、その毒性を無力化する性質をもっている。しかし用量が大きすぎれば、細菌性肺炎や石綿肺症などの職業病がしめすように、肺組織の過剰な炎症・恐慌・破壊がおこることがある。
皮膚
 皮膚は、疎水性の脂質層におおわれた、上皮とよばれる死んだ細胞の層によって保護されている。上皮の下には、神経と血管が通じている、真皮という生きた細胞の層がある。真皮のなかには、汗および、皮脂とよばれる保護分泌物を生成する腺がある。真皮には血液が供給されているので、皮膚が細菌類に攻撃されたり他の方法により損壊されたりしたときには、炎症細胞を補充して、防御的な炎症をおこして組織を修復することが可能である。ある種の化学物質あるいは日光によって誘発される、長期的ないしは反復された炎症は、皮膚の損傷または癌をひきおこしうる。真皮は通常は、微粒子や微生物を浸透させないが、(たとえば、切り傷や擦り傷によって)容易に損傷されるし、(たとえば、ある種の昆虫や治療のための注射によって)容易に穴をあけられる。アレルギーのようないくつかの皮膚病も、毒物に対する皮膚の耐性をそこないうる。

 腸の上皮は、物質を体内に吸収されるようにすることを主要な機能としているという点で、他の上皮とことなっている。しかし、病気にでもならないかぎり、腸の上皮もまた、最大で数十ナノメートルにもなる蛋白質(これは消化されるまえに分解されなくてはならない)のように大きな分子や、微粒子や微生物を浸透させることはない。胃液の強酸性は消化作用だけでなく重要な殺菌作用をももっており、ある種の微粒子を溶解したり、さまざまな方法で毒物にも作用したりするのかもしれない。小腸には、粘液と消化酵素を生成する、分泌と吸収に特化した上皮があり、また必要なときには、防御細胞を補充して侵入する微生物を排除できるように、血管やリンパ管が豊富につながっている。薬剤浸透過程の明確化をめざす研究では、ある種のナノ粒子はリンパ管に浸透することがあきらかにされた(Hussain et al. 2001) 。腸の病気の多くは、感染あるいは劣悪な食物に対する反応に関係している。腸の病気の、それ以外の環境的ないし職業的な原因はまれである。
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c) 大気汚染への曝露から得られた証拠
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鉱物のチリやアスベストの事例から、肺の疾患を引き起こすのに関係するのが粒子のサイズ、表面の反応性、曝露量であることが判明した。しかしナノ粒子に関する直接の情報をもたらしてくれているのは大気汚染の研究である。ガソリンを凝集させて燃焼させると非常に多数のナノ粒子が生成する。最初はたった直径10ナノメーターほどの粒子が、急速に凝集して、最終的には100ナノメーターほどの集合体を作り、それが大気中に数日もしくは数週間漂うことになる(■図5.3)。燃焼によってできるナノ粒子は、火山活動、森林火災、暖房や調理で火を使うこと、さらに近年においては工業や交通による汚染によって発生する(Dennekamp et al 2002)。大気汚染が科学の関心の対象になったのは1952年12月のロンドンのスモッグの事件がきっかけだが、その事件では2週間で4000人を超える死者が出た。
粒子の濃度は1立方メートルあたり数ミリグラムにも達し、そのうちの多くはナノサイズだった。この事件が契機になって、英国の都市で同じような深刻な被害が出ることを防止するために石炭の燃焼を規制する法律が定められ、その結果大気汚染の削減が実現した。しかしながら疫学調査によって1980年代から汚染大気中の粒子状物質への曝露が心臓ならびに肺の疾患と相関し、■Box5.3で示したような疾病に罹患したり、それが原因で死亡したりすることが見出されている(Brook et al 2004)。西洋の都市では汚染濃度は今や1平方メートルあたりわずか数十マイクログラムにしかならないのに、このことが当てはまるらしい。
■図5.3電場放出走査電子顕微鏡でみた煤煙ナノ粒子
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(カーディフ大学、ロイ・リチャーズ教授の許可をえて転載。)
(5マイクロメートル)(1マイクロメートル)(300ナノメートル)
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■Box5.3微粒子による大気汚染と健康とのあいだに観察された疫学的関連
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・素因のある人々の、心臓病の悪化およびそれによる死亡
・素因のある人々の、慢性肺炎の悪化およびそれによる死亡
・喘息の悪化
・心臓発作および肺癌による死亡の危険、長期的な増大
・おそらく、素因のある個人の、睡眠中突然死および卒中の発症
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大気汚染を引き起こしているのは粒子と気体の複雑な混合物ではあるが、微粒子への曝露と健康悪化とのあいだには一貫した関係があるらしいと、これまで一貫して考えられてきた。その成分が何なのかを探ろうとする試みは2つの障壁によって阻まれてきた。一つは、そうした成分はほんのわずかな濃度で存在するだけで、健康影響の兆候が集団的に現れてくるようになるという点だ。たとえば、濃度がたった10μg/m3上がるだけで心臓疾患による死亡率が約1%上昇するといった場合がある。もう一つは、問題となる粒子は普通、毒性がないとみなされている化学物質――炭素だとかアンモニウム塩だとか――からできているという点だ。24時間にわたって1ミリグラム以下の無毒性の粒子を吸引し続けたとしても(ヒトは1日で約20m3の空気を呼吸し、都市部の大気中の粒子の平均濃度は20~30μg/m3ほどである)、そのことで心臓発作が引き起こされはしないと考えられている。こうした考察から見えてくるのは、汚染物質の中に含まれるナノ粒子の振る舞いが心臓や肺の疾患をもたらしているのではいか、という仮説である。つまり、そのナノ粒子が石英の場合と同じような作用の仕方で感受性の高い個人に敏感に作用する――毒性の決め手となるのは全表面でのその粒子の活性――というわけである(Seaton et al 1995)。ナノ粒子の質量で見た場合の濃度が小さくても、粒子数で見た場合は都市部においてミリリットルあたり数万粒子にも達すことがある(■図5.4)。つまり、1回の呼吸で300mlの空気を吸引するとするなら、そのようなナノ粒子は数百万個取り込まれ、その半数以上が肺に残留することになる。調理や乗物の運転、そしてタバコの受動喫煙などの場合はさらにもっと多くの粒子が取り込まれる。誰もが取り込むことにはなるのだが病気で苦しむ人はほんのごくわずか、という点からすれば、大気汚染が襲いかかるのは、主にすでに病気を抱えているために感受性が高くなってしまっている人たちに対してだと、みなすことができる。
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このような大気汚染についての研究からわかるのは次の点だ。私たち皆が非常に多数のそして非常に小さな、無毒だと思われている粒子に日常的に曝されているわけだが、そのことのせいで病に伏す人はかなり稀であるということ、しかしながら、非常に低い濃度でも健康影響への影響が出ることがあるということ、である。汚染大気中のナノ粒子がこれまで観察されてきた疾患の原因かもしれないという予想は、毒性学研究に新たな関心を引き起こし、注目の輪はどんどん広がりつつある。生きた動物を用いた実験研究をレビューしてみると、毒性の低い粒子ではどのようなサイズの粒子であれ吸引された粒子の全表面積の大きさに関係する何らかの影響をもたらすことがある、という仮説が支持できるのである(Faux et al 1990)。さらに調べてみると、二酸化チタンやカーボンブラックなどの素材粒子を細かく粉砕して組織に取り込ませた場合、単位重量あたりで比較して、もとの粉砕しないままの粒子を取り込ませた場合よりも毒性が高くなった(Ferin et al 1990; Oberdorster 1996)。毒性が高まるのは主として、ある種のナノ粒子の表面にある遷移金属が生体組織と接触してフリーラジカルの放出を促進してしまうことのためだろう(Donaldson et al 2001)。しかし遷移金属を含まないナノ粒子でも、培養細胞や(試験管内にある)分離した器官に対して、粒子の大きな表面積を通じて酸化のストレスを与え、あるいは、あるいはまだよく分からないメカニズムによって直接(生きたままの)実験動物やヒトに働きかけて、毒性を発揮することがある(Brown et al 2000)。いずれにせよ、観察された生物影響は、取り込んだ粒子の総表面積、表面での化学反応性の高さ、取り込まれる量(すなわち、炎症や血液への二次的影響――結果的に感受性の高い人が肺や心臓の疾患のリスクを高めることになる――をもたらすことになるだけの量が肺へ取り込まれること)、といったことが関係している。
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どこにいても曝されるという大気汚染の性格のため、Box5.2に記した防御メカニズムがあるにもかかわらず、どんなサイズの粒子も実際には主として肺に吸引されることを通して身体に取り込まれる。そしてそれらの粒子はマクロファージに喰われるか、間質組織に送り込まれる。肺に残留するものもあれば、リンパ球によってリンパ節や集められたり血流に送りこまれたりして除去されるものもある。死後に死体を調べて、肺にそうした粒子を取り込んだ労働者の身体の中でどう移動したかを確かめることはできるが(Seaton et al 1981)、そうした時に肺以外の組織にわずかながらそうした粒子が集合した状態で見出せることもある。ナノ粒子はそれよりも若干大きな粒子に比べると肺からはいくらか容易に他へと移動するが、しかしながら動物の種の間では違いがあることが知られている(Churg and Brauer 1997; Bermudez et al 2004)。おそらくその移動の割合は血流によってきまるのだろう。
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試験管内や生体で行われた毒性研究によって実証された細胞の反応を、ヒトの集団自身を調べる疫学研究を特別に設計して調べようとしたものが、わずかだがいくつかある(Seaton et al 1999; Schwartz 2001)。しかしながら汚染大気中の1つか2つの因子に原因を絞り込んでいくことはなかなか難しい(Seaton and Dennekamp 2003)。また大気汚染粒子それ自身が、異なった化学構造を持つ複数の粒子から成るものだし、そこに毒性を左右する金属原子や分子が混ざり込んでいることもよくある。総じて言うなら、大気汚染の疫学研究は原因物質と成り得る粒子のうちのより細かな粒子に目を向けている。確かに窒素酸化物(これの性質はいくつの酸素原子が結合するかと密接な関連を持っている)のような気体が健康障害のいくつかに関連していることが疫学でわかってきたのではあるが(Seaton and Dennekamp 2003)。
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大気汚染は心臓の応答(Peters et al 2000)や心拍リズム、さらには時として血圧(Peters et al 1999)の悪化に何らかの関係があることが観察されてきたが、これが本当なら、短期間の神経性の応答や、血液起源の反応と同様に、大気汚染によって引き起こされるかもしれない、と推測できる。神経性の反応のメカニズムはまだ分かっていないが、現在この領域はさかんに研究されている。ナノ粒子は、神経的な反射の開始を引き起こすだろう因子の強力な候補なのである(もちろん唯一の候補ではない、気体ももしかしたらそうした作用を持っているかもしれないから)。ウイルスは神経細胞を使って自身の伝達を行っているかもしれず(Bodian and Howe 1941)、最近の研究では人工的なナノ粒子が神経軸索に浸透してそこを伝って脳内に入る可能性があることが分かってきている(Oberdorster et al 2004b)。また、大気汚染物質とみなし得る金属が都市部に生息する犬の脳にまで入っているらしいことを示す証拠が出てきたし(Calderron-Garciduenas et al 2003)、嗅覚に関連する神経細胞に沿って粒子が移動しているという事実を手がかりにしてその移動のメカニズムが解明されるかもしれない。ナノ粒子の神経に沿った伝達については、もっと多くの研究がなされねばならない。
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ナノ粒子の危険性を考える上で大気汚染粒子の研究から得られた最も重要な知見は、次の点である。細胞や器官は、たとえ一見無毒な物質であってもそれがナノサイズの粒子になって、十分な量のそれに曝されてしまうなら、ダメージを受ける。
d) ナノ粒子の医療的応用から得られた証拠
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ナノ粒子の人体への影響についてのさらなる情報は、製薬産業から得られる。薬学者は長年のあいだ、医薬品の新たなドラッグ・デリバリー(薬物送達)を目的に、ナノメートル・スケールの粒子の行方について研究してきた(3.5章参照)。こうした研究は球形粒子について行われ、吸入や経口摂取、注射、経皮送達など、異なる送達経路について探究されてきた。肺や腸、皮膚には粒子の摂取に対する関門があるため、ナノ素材の行方についての知識の多くは注入によるドラッグ・デリバリーの研究によって得られてきた。ナノ粒子はそうした投与ののち、肝臓と脾臓のマクロファージに取り込まれることが知られている。そして最終的に、溶解度と表面皮膜に応じて、腎臓によって排出される(Borm and Kreyling 2004)。一般に、すべての異物の排出の方法は、尿や息か、胆汁排泄により腸を通してか、あるいは体から落ちる死んだ細胞かである。表面皮膜の使用によって、一部の粒子が処理メカニズムに影響を及ぼし特定の器官や細胞に選択的に配置させることが可能になった(Illum et al 1987)。これは、表面皮膜によって一部のナノスケールの物質が特定の器官に向けられたであろうことと、毒性の試験ではこれらの皮膜を考慮に入れる必要があることを示している。加えて、あまり望ましくないナノ粒子が細胞に侵入したり、あるいは害への重要な防御になる血液と脳のあいだなどの自然の関門を通り抜けたりしうる可能性を示唆している。
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■図5.4
・アベルディン市中心部で4時間をすごしたときの微粒子への曝露。500ナノメートル未満のすべての粒子を計測するPトラック連続粒子計量器が使用されたが、大気中の粒子のほとんどは100ナノメートル未満である。(アベルディン大学、マーチン・デネカンプ氏により収集されたデータ。)
(1立方センチメートルあたり粒子数)(時間)
(店)(店)(主要道路を歩行)(ショッピングセンターで食事)
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5.3.2 人工的なナノ粒子とナノチューブ
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この節では、人工的なナノ粒子とナノチューブとの健康影響と、現在ありうる曝露の経路とレベルについて検討し、リスクの管理方法について議論する。
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大気汚染や鉱物粉塵、医薬の研究から得られる理解による一般的な結論としては、ナノ粒子の毒性を決定する主要なものは以下であるとされる。
・対象の器官に対する全表面領域
・表面の化学的反応性(遷移金属と皮膜などの表面成分を含む)と特にフリーラジカルを離す反応にかかわる能力
・器官や細胞に侵入させたり除去を妨げたりするような、粒子の物理的規模
・おそらく、塩類のような溶性の粒子は毒性反応の前に分散されるという意味で、溶解度
a) 吸入
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小型のナノ粒子だと、空中から吸入される多くが肺の深くまで届きそこに置かれることが確実になる。ナノ粒子の大きさは、細胞への取り込みに影響するようにみえる。組織マクロファージや血液中の白血球などの専門化した食細胞はより一般に大きな粒子を取り込む。これはありうる有害なバクテリアを除去するために高等動物で進化してきた機構で、単細胞生物の採食方法に類似している。対照的に、ナノ粒子は小さいため、バクテリアを取り出す運動性と能力など、細胞の重要な機能を妨げ、細胞膜を通じて直接細胞に入り込む可能性がある(et al 2001)。
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大きさが小さいことだけがナノ粒子の毒性の決定的な要素ではない。全体の数と全表面領域(そして当然のことながら投与量)も重要である。我々が検討した証拠に基づくと、ナノ粒子はその小さな大きさと単位質量あたりの大きな表面積のために毒性の危険が示唆されるにもかかわらず、どのような毒性も体内への非常に多量の吸入や吸収に依存しているとされている。表面の反応性が低いナノ粒子では、ヒトやおそらく他の動物に対する潜在的な毒性について、曝露のありそうな投与と経路とに関連して検討されなければならない。肺については、小数の粒子の吸入は重要なリスクを現わすことはないだろう。製造工程で起こりうるような、非常に大量の吸入は規制によって調整されなければならない。表面の反応性のより高い特定のナノ粒子の場合、おそらく遷移金属の高い割合や異なった結合のために、さらなる注意がうながされ、曝露は最小にされなければならない。人々が曝露しうるこうした物質の調査のために、生体内でも生体外でも毒性学の研究が必要とされる。
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現在、二酸化チタンやカーボンブラック、酸化亜鉛、酸化鉄など、人工的なナノ粒子のいくつかのタイプだけが工業生産されている(第4章参照)。しかし、治療や診断のために、体内への取り込みや自然の組織関門の通過、細胞への取り込みに関する特定の性質を与えるような化学的に被覆された金属を基本とするものをはじめ、ほかのナノ粒子が工業生産される見込みがある(Borm and Kreyling 2004)。また、ナノチューブの製造の可能性についても関心がよせられている。カーボンナノチューブ(CNT)の試験的な製造工場がいくつか存在し、炭素やほかの元素からつくられるナノチューブは、実験室で広く研究されている。よって、これからの数年間でいちばん曝露の可能性があるのは、職場、すなわち産業と大学である。
24
職場での曝露は製造技術(第4章で概説)による。たとえば液体中での製造と保管は、空気中の曝露を減らすが、蒸気または湿ったエアロゾルとしての一時的な放出が起こりうる。製造業者は、より大きな粒子とナノ粒子の毒性の可能性の違いを考慮すべきであり、ナノ粒子の毒性がさらに解明されるまで、有害であるとみなされるべきで、労働者は、偶発的な排出をきれいにし機械を修理する適切な手順とともに、個人の呼吸保護と適切な危険情報の供給などの産業衛生の通常の方法での防御を求めるべきである。いくつかの点で、さらなる研究が必要である。特に、産業や大学の研究室でのナノ粒子の空中濃度を管理するために、測定とモニタリングの標準的な有効な方法が必要で、またナノ粒子に対するさまざまなフィルタ素材とマスクカートリッジの効果を研究する必要がある。毒性研究は、新しく製造されたナノ粒子の危険性の評価、特に毒性を変える表面の特性の調査に向けられるべきである。
25
第3章2節で概説したように、ナノチューブは機械的に強く、柔軟性があり、電気を通すため、注目されている。これまで多くの研究ではCNTに注目してきたが、ほかの元素や分子から作られるナノチューブも開発されている。アスベストやほかの病気の原因となる繊維とのすでに認められている類似性によって、その安全性が懸念されている。すでに、直径数ナノメートル、長さ数マイクロメートルという、驚くべき大きさでありうるナノチューブを製造することのできる技術が存在している(現在は、単一のナノチューブではなく、塊としてのみ製造される)。それらは繊維状の形とナノメートルの大きさであることによって、危険を生じうる。また、そうしたチューブは肺での分解に耐えるくらい十分に強く、その大きさは個々の繊維として吸入されれば肺の深部に到達しうることを示唆する。また、製造過程で触媒として使われる鉄やほかの金属が中に存在することは、フリーラジカルを離し炎症を誘発する性質があることを示唆する。これは、培養された皮膚上皮細胞への単層ナノチューブの多くの用量(60-240マイクログラム、大きさは不特定)による影響を調査したひとつの研究からえられた(Shvedova et al 2003)。この事例では、影響はおそらく鉄によるもので、チューブは比較的短く一塊に凝集していたらしいと考えられる。空中での個別の繊維のような構造が保たれることは考えにくく、むしろ、静電気力によっておそらく一塊に凝集して、肺の深部までには簡単には吸入されにくくなるはずである。しかし、空気力学的な性質や、実は空気中にリスクになるほどの量が存在しうるかどうかも、わかっていない。
26
もし、ナノチューブがからみ合って「ロープ」として空中を漂うようになりうるとしたら、これまでの繊維と同じリスクをもたらすだろう。もし「ウールのボール」のように組み合わさるならば、空気力学的な直径が重要になる:直径10マイクロメーターよりも大きければ吸入されないが、それより小さければ大きめの粒子のようにふるまうことになる。しかし、現在の研究のひとつの目的は、ナノチューブがわかれたままにできる構造や被覆を見つけることだと考えられている。最終的な形態にかかわらず、もし吸入されるなら、毒性は少なくとも部分的には表面の活動で決まるだろう。チューブは当然個々の繊維としてよりももつれとしてしみ込む(自然に吸入されるよりも塊として気管に注入される)ので、肺の毒性に関する発表された哺乳類の研究は簡単には外挿できない。多くの塊がしみ込むと、気道の閉塞や内部気道繊維症が引き起こされた―状況からまったく予想外ではない(Maynard et al 2004)。いくつかの職場での予備研究では、単層ナノチューブはエアロゾルとして分散されにくく、大きな塊に凝集しやすいことが示唆されている(Warheit et al 2004)。それにもかかわらず、小さな塊の吸入でも、表面積のかなり大きい非繊維の粒子と同じように働いたり界面活性剤の作用によって繊維が別々になったりする可能性によって、通常の肺の防衛に問題を生じうるだろう。
27
もし(塊でなく)個別のナノチューブの製造の障害が越えられれば、電子装置などの多くの製品(第3章、第4章で概説)で使われることになり、工場労働者の曝露の可能性は増大するだろう。通常の研究室や工場の空気の背景に対してナノチューブのエアロゾルを測定するのは明らかに難しい。いまのところ分解しにくいという事実があるので、多くの個別の繊維が空気中にもれ出ることは、通常の過程ではおこりにくい。これまでのアスベストの経験から、わたしたちはナノチューブが特別な毒性学的な注目をあびるはずだと信じる;求められている研究の種類を囲み box 5.4にあげた。こうしたプログラムの目的は研究所や職場での人間への曝露の可能性の評価や、小さな哺乳類の生体内研究によって試験の有効性を評価ながらの試験管内での溶解性と毒性の単純な試験によって、できるかぎり、危険の生じる可能性を特徴づけることである。そのあいだも、ナノチューブの研究や初期の産業発展に携わる人々への危険の可能性について十分な懸念があると考えている。職場でのナノ粒子やナノチューブの管理についての規制の役割は、第8章で議論される。
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■Box5.4 ナノチューブその他新奇な繊維の、おこりうる健康上の危険の評価
曝露研究
・作業場に存在しうる繊維の大きさと集中度をみきわめるための、生産と使用・処理に関する職業衛生的研究
・繊維は、マクロファージによっては除去されない15マイクロメートルより大きいか?
・繊維は、3マイクロメートルより小さく、肺のガス交換をおこなう部位に到達するか?
試験管内の研究
・繊維は永続的か、つまり肺のなかに保存されるか?
・繊維は細胞を死滅させ、炎症を誘発し、遊離基を放出するか?
・金属の除去は毒性にどんな影響をおよぼすか?
小哺乳類をもちいた(生体内の)研究
・吸入・浸潤ののち、繊維はラットの肺内に保存されるか?
・吸入・浸潤ののち、繊維は炎症反応をおこすか?
・長期的な吸入ののち、繊維は肺繊維症や癌をおこすか?
・ラットの胸膜や腹膜に注入すると、繊維は中皮腫(一種の癌)をおこすか?
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b) 皮膚への接触
28 (皮膚への曝露)
現在、皮膚への曝露は、ナノ粒子を使った皮膚用製品を使う人に限られている。この研究が終わるまでに、美容目的でのナノ粒子(特に二酸化チタン)の使用についての懸念が高まってきた。二酸化チタンのナノ粒子は、紫外線は吸収、反射し、可視光には透明なので、一部の日焼け止めに使われている。酸化鉄は口紅などの製品のベースとして使われているが、ヨーロッパでは100ナノメートルより大きいもののみが使われている。ナノ粒子は同じ化学物質でも大きければ違った性質をもつことは明らかで、それぞれの毒性が長期的に肌にどう影響するかについては、個々の事例ごとに厳密な調査を必要とする。
29 (SCCNFPは安全性を宣言した)
日焼け止めの使用は激しい日焼けの危険を減らすが、それが人間の皮膚がんを防ぐという証拠はまだまだ確立されていない。それどころか、日焼け止めの使用は実は危険を増すかもしれないという主張さえある(IARC 2001)。有機化学物質や有機粒子など、日焼け止めとして使われている製品のいくつかは、ある条件で光活性がありうるので、人の肌への影響を評価するには特定の注意が必要である。われわれは、ナノ粒子が肌に貫通しうること、二酸化チタンに光活性があること、そしてもし肌を貫通するならDNAに害を及ぼすことがわかっている活性酸素を生成する可能性があることなど、寄せられた懸念を検討した。動物や人間の肌についてのこれまでの限られた毒性学によると、現在日焼け止めに使われている二酸化チタンのナノ粒子は表皮を貫通せず(SCCNFP 2000)、ナノ粒子よりも日焼け止めの有機成分のほうが肌を貫通しやすいことが示されるようだ。欧州委員会に助言をする、美容と非食物製品に関する科学委員会(SCCNFP2000)は紫外線のフィルターとして使われるときの二酸化チタンのナノ粒子の安全を考慮した。かれらは、どんな大きさでも、被覆加工のいかんにかかわらず、安全に使用できると宣言した(SCCNFP2000)。
30 (安全性情報の公開)
寄せられた懸念のひとつは、SCCNFPの最終意見には証拠が参照されているのに、委員会に提出された安全関係書類は提出した企業以外には公開されていないということだった。産業には商業的な守秘性に対する正当な懸念があることは認めるが、これによって化粧品の成分の安全試験のデータが、科学コミュニティや他の利害関係者がアクセスできないようになってはならないと考える。それぞれの製品の成分についての財産権的な情報を公開しないような方法でこれが可能になることを期待する。よって、査読文献での毒性学的な情報が不完全である、ナノテクノロジーなどの新しい新興の技術を利用した成分の安全を検討する科学諮問委員会 scientific advisory committees (SCCNFPやそれにかわるものなど)の調査事項には、安全評価に関するすべての関連するデータと、それらを得るために使われた方法論がふくまれるべきで、さらにそれは公共の領域におかれるべきである。
31 (ダメージのある肌については研究されていない)
化粧品(日焼け止めを含む)はダメージのない皮膚への使用を目的としており、大部分の皮膚貫通試験はこれを考慮して設計されてきたようだ。報告された研究のほとんどは、たとえば日光の曝露からの厳しい日焼けまたは湿疹のような病気などによって、以前ダメージをうけたかもしれない皮膚をナノ粒子が透過するか示していない。被覆加工されていないナノ粒子の二酸化チタンは光活性であるが、日焼け止めの二酸化チタンに塊になるのを防ぐための被覆加工も活性酸素の形成を減らす(Bennat and Müller-Goyman 2000);よって、たとえ日焼け止めで使われる二酸化チタンが皮膚を貫通することができたとしても、おそらく活性酸素の損害を悪化させることはないだろう。われわれは直感的には、ダメージのある肌で日焼け止めが使われることへの懸念に基づいて、日焼け止めを含むすべての製品が、アメリカでのように医薬品と同じように規制されることを推薦する。しかしこれに当てはまるのは、いくつの製品でどの製品なのかを決めるなど、難問があることを認める。ただ、イギリスは化粧用の製品と成分を動物で試験をすることを完全に禁止をしており、EUは2013年から効力をもつすべての動物実験の完全な禁止へと向かっていることを指摘しておく。人間の肌や、細胞の試験は可能だが、ナノ粒子の試験に動物以外の適当なモデルが2013年までにできるかどうかは明らかではない。
32 (酸化亜鉛)
SCCNFPは、化粧品の紫外線フィルターとして利用されるナノ粒子の酸化亜鉛の安全性について検討し、適正な安全評価のために製造業者からのさらなる情報が必要であるという意見を発表した(SCCNFP 2003a)。その際に、酸化亜鉛(200ナノメートル以下の超微粒子とよばれるもの)が、試験管内での培養された哺乳類の細胞とDNAへの光毒性影響をもつという証拠に注目した。そしてこの調査結果の妥当性を生体内での適切な調査によって明らかにすべきだと勧告した。加えて、皮膚を通しての酸化亜鉛の吸収に関する信頼できデータの不足について述べ、吸引によって吸収される恐れがある点が考慮されていないことを指摘した(SCCNFP 2003a)。アメリカ食品医薬品局(FDA)は、ナノスケールで性質が異なってくるのかどうかという点に考慮したかどうかを明確にはしないままに、粒子の大きさについての何ら規制を設けることなく酸化亜鉛の日焼け止めへの使用を承認した(FDA 1999)。SCCNFPは紫外線フィルターとして超微粒子の酸化亜鉛を使用することが安全かどうかはっきりしない点を指摘したが、この指摘は化粧品やほかの皮膚用製品での使用とも関連する。ヨーロッパでは、すべての化粧品が製造業者によって安全審査を通らなければならないが、使用を承認される前にSCCNFPによって審査されるのは特定の成分(紫外線フィルターなど)だけである。
33
遊離したナノ粒子を含む皮膚用製品に関連して懸念が生まれているが、それをどう規制すべきかという点については第8章で述べる。
c)その他の被曝経路
34
ナノ粒子を注射可能にし、病変した細胞にまで化学物質を運搬できるようにするための応用方法がいくつか、臨床的・試験的に開発されつつある。そのような応用がもし実現されるとすれば、生分解可能な少数の粒子が使用されることが予想される。治療用の物質であるので、それらは一般に使用される以前に厳格な安全性・毒性試験をへなければならず、またその試験では、化学的性質だけでなく粒子の大きさも考慮されなくてはならない。細胞の障壁を通過して病巣に到達する粒子の性質を研究する薬学者と、肺からはなれた臓器にも悪影響をおよぼす大気汚染粒子の性質を研究する毒物学者とのあいだには、あきらかにほとんど交流がない。たとえばナノ粒子は、薬学的応用のためには、抗体などの蛋白質を運搬するものとして研究されている。そのような結合能力は、粒子が一旦注入されれば、生体内の天然の蛋白質にも類似の影響をおよぼして、血液内あるいは細胞内でのその機能に介入しうるということをも意味する。そういう相互作用は、一部の重要な細胞機能を変更し、さらには意図されたナノ粒子の機能を無力化してしまうのではないかと推測されている(Borm and Kreyling 2004)。このようなありうる危害は、医療に応用されるナノ粒子が注射ないし吸入されたときにもっともよくおこりうるので、根本的は毒物学的研究がそこで要求されることになる。
35
このような対話の欠如が意味するところはふたつある。第一に、薬学者による研究は、他分野で開発されているナノ粒子の潜在的毒性と、それを減少させる方法について、非常に有益な情報をもたらすであろう。第二に、ナノ粒子の新奇な応用を探究するときには、薬学者は、おそらく目標とするもの以外の臓器あるいは細胞へのありうる毒性について知らなくてはならない。それぞれがえた知識を他とわけあうことは大切である。それを促進する方法については本章でもあとでのべる。
5.4 環境および他の種への影響
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汚染性ナノ粒子のヒトへの影響については多量の文献があるが、大気汚染の自然環境およびヒト以外の生物種への影響については、微粒子よりもむしろ二酸化硫黄やオゾンのような気体が注目されてきた。したがって、ヒトへの毒性に関連した実験動物の研究をのぞけば、ヒト以外の動物についてはナノ粒子の影響を考えるのに十分な文献はない。同様に、汚染性ナノ粒子の植物ないし微生物への影響についても、証拠はもしあるとしても不足している。
37
実験動物ではないヒト以外の生物種への、人工ナノ粒子の影響については、刊行された小規模な研究がひとつあるだけである。その研究においては、4匹から9匹という少数の弱齢オオクチバスが、溶解可能にされたフラーレン(C60)ナノ粒子に曝露させられた(Oberdorster 2004a) 。0.5ppmのフラーレンに48時間曝露された魚においては、脳内の脂質酸化の顕著な増加がみられたが、その増加は1ppmでは有意ではなかった。著者は水槽の水は清浄であったと明記しているが、ナノ粒子の微生物への影響の可能性についても示唆している。この先駆的な研究は、より大規模かつ詳細に追試される必要がある。
38
土中や水中の生物が、自然環境中の放出された人工ナノ粒子をとりこみ、それらの粒子が、表面活性に応じて、生体機能に介入するということもありうる。たとえば、ナノ粒子がマクロファージの運動性や食作用を阻害するという証拠があがっているが、これは土中の微生物にも類似の影響がありうることを示唆している。毒性をきめるにあたってはヒトへの毒性と同時に、微生物が曝露される用量も重要になると思われる。
39
ナノ粒子も他の化学物質と同様に、多様な環境的経路をたどって、ヒトやその他の生物に到達しうる。たとえば生物は、水圏にはいりこんだり、植生におかれたりした物質を摂取するかもしれない。環境に、あるいは環境を通じてヒトの健康に、損害をあたえる可能性が懸念される化学物質を特定するための基準は、残留性・生物蓄積性および毒性にもとづいている。例として、イギリス化学利害関者会合でもちいられた基準を、■Box5.5にあげる。3個の基準すべてで高得点を記録した化学物質には、特に注意する必要がある。一旦吸入ないし摂取されれば、物質は食物連鎖にはいりこみ、生物濃縮され、連鎖でより上位にある生物に摂取される可能性をもつ。したがって摂取による曝露は、その物質の残留性(すなわち環境中での寿命)と、通常は脂質中への蓄積可能性に依存する。残留性と生物蓄積性を測定することにより、特定物質がいつ環境中に蓄積されそうか、またその物質について問題が意識されたならば、その集中を以前の程度にもどすのはどれほど困難かがあきらかになる。生物蓄積性は、その物質が体内の脂肪組織・骨および蛋白質にとりこまれるかどうかを決定する、ナノ粒子の表面活性に依存する。たとえば、オオクチバスの研究(Oberdorster 2004a) で使用されたフラーレン粒子は親油性であって、脂肪組織にとりこまれる。残留性は、たとえば酸化によってその物質が分解されるか、あるいは、たとえば凝集または他物質への吸着によって環境中で変質させられるかして、その物質をナノ粒子として有害にしている特定の性質がうしなわれるかいなかに依存する。
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■Box5.5 イギリス化学利害関者会合における関心の基準
残留性
 残留性をもつ化学物質とは、環境中に放出されてから崩壊するまでに長期間を要するもの、あるいはまったく崩壊しないものである。本会合では、最初の量の半分だけ崩壊するのに、水中では2か月、土中もしくは沈殿物中では6か月かかる物質を、残留性と分類している。
生物蓄積性
 生物蓄積性をもつ化学物質は、溶液(たとえば、生物の消化器官のなかで、あるいは血液から)から摂取され、体内の脂肪組織に残留する強い傾向をもつ。ある化学物質は、水に対する脂肪組織への比較親和性の試験において、脂肪組織への親和性が1万倍以上強いとされたときに、生物蓄積性と分類される。脂肪組織への親和性が10万倍以上強いとされた物質は、特に強い懸念のたねと考えられる。骨に蓄積される物質や、蛋白質と結合する物質も、懸念のたねになる。
毒性
 毒性をもつ化学物質は、曝露した臓器に直接の損害をあたえる。本会合の毒性基準は、概して危険物質の関するEU指令(67/584/EEC)にしたがっている。その指令にくわえて、1リットル中0.1ミリグラム以下の濃度において、標本中の水中生物の50パーセント以上が死滅したときに、その物質は懸念すべきものと分類される。(イギリス化学利害関者会合(2003年)で採用された。)
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40
動物に対しては、残留性と生物蓄積性の簡単な試験が可能であり(Royal Commission on Environmental Pollution 2003)、その危険が懸念をもたらしうる化学物質を特定するための予備的な選別に利用可能である。それにくわえて毒性試験はいくつもある。そういう簡単な試験がナノ粒子やナノチューブに適用できるかどうかはみきわめられなくてはならず、もし適用できないのであれば、代替手段が開発されなければならない。より一般的にいえば、環境とヒトの健康の両方の文脈において、ナノ粒子状の物質の毒性を試験するための適切な方法を確立する必要がある。現在のところ、環境中のナノ粒子の挙動について、たとえば、それが凝集するのか、そのことが毒性にどう影響するのか、といったことについては、ほとんどわかっていない。土壌や水といった環境媒体を通じての粒子の移動に関するわずかな情報は、粒子の変質に関する初期の研究からきており、そこではたとえば、鉄のナノ粒子は地下水を通じて20メートル以上も移動し、4週間から8週間も反応性をたもつことなどが知られている(Zhang 2003)。
41
現在の環境的曝露の源泉は、工場や研究施設からの廃棄物である。ナノ粒子とナノチューブの環境への影響についてより多くのことが知られるまで、その放出をできるかぎりさけることによって、いかなる潜在的な危険をも管理したいものである。そこで、工場および研究施設が、人工のナノ粒子とナノチューブを有害なものとしてあつかい、廃棄物の流れからそれらをとりのぞくか、またはへらすことを勧告する。
42
人工ナノ粒子への環境およびヒトの将来の潜在的な曝露をきめるにあたっての困難のひとつは、それが製品にどの程度まで使用されるか、あるいは合成物などの製品から、環境や人体に有害な形態ないし量でそれが放出されることはどれほどありそうなのか、といったことに関する情報がないことである。ナノ粒子は通常は最終製品のごく一部を形成しており、粒子に依存する素材の性質は保持されるから、ナノ粒子やナノチューブをふくむ合成物からの曝露は少ないと予想されるが、この仮説は検定される必要がある。粒子やチューブを固定する方法には特許権がつくことがみこまれる。そこで、ナノ粒子ないしナノチューブをふくむ製品と素材の発明・設計の総合的な過程の一部として、産業界が、製品の全使用過程を通じた粒子・チューブの放出の危険を評価し、その情報を該当する公的監督機関がえられるようにすることを勧告する。
43
医薬品(もし粒子が生分解されるよりむしろ排出されるならば)や化粧品(洗い落とされるので)のような製品にナノ粒子が広く使用されるならば、それはたとえば下水道を通じて、環境に拡散されるナノ粒子の源泉となる。このことが環境への危険を意味するかどうかは、ほとんど知られていない生物への毒性と、拡散される量とに依存する。
44
近い将来におけるもっとも重要な集中的な環境的曝露の源泉はおそらく、3章2節で概説した、ナノ粒子の土壌あるいは水(そしておそらくは土壌安定化および肥料送達)への応用であろう。改良にもちいるナノ粒子は容器に入れられている場合も多いが、ある試験的な研究においては、鉄ナノ粒子の泥漿がアメリカの汚染された地下水に注入された(Zhang 2003)。化学物質や重金属に汚染された土地も多いので、その改善にナノ技術が貢献する潜在的な余地は大きい。しかしこの潜在的な使用法もまた、生態学的毒性に関する疑問をひきおこす。改善に利用されているナノ粒子の高い表面反応性は、植物・動物・微生物および生態学的機構にどのような影響をおよぼすのであろうか。改良にもちいられるような濃度では、生態系への悪影響よりも、汚染された水と土壌を浄化する利益の方が上回るということもありうるが、そのことは適切な調査によって証明されなくてはならないし、環境への故意の放出が許可される以前に、さらなる試験的な研究も必要である。イギリスでは、地下水その他の汚染された媒体の浄化へのナノ粒子の使用は、環境省によって許可されると思われる。遊離した、つまり容器に入れられていない、人工ナノ粒子の、改良のような環境目的の応用を、適切な研究がおこなわれ、潜在的利益が潜在的危険を上回ることが証明されるまで、禁止することを勧告する。
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ナノ粒子はまた、汚染物質を細菌が分解できるようにしたり、細菌が分散・希釈できるようにしたりするなどして、汚染物質の生物学的有用性を高めるのにも利用できるのではないかと、示唆されている。この例からすでにわかることであるが、研究者が利用しようとしているその性質は同時に、たとえば汚染物質の動植物への生物学的有用性の増加や、敏感な生態系への汚染物質の輸送など、意図されない潜在的な結果をもひきおこしうる。このことはあきらかに、改良方法の開発と同時により多くの研究が要求されている、もうひとつの領域である。
5.5 爆発の危険
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粉塵の爆発は、食品(砂糖・小麦粉・カスタード粉)や餌料の生産などの工業、あるいはおがくず・有機化合物・プラスチック・金属粉・石炭などをあつかう場所では、潜在的な危害となっている。金属などのナノ粉末の生産が増加したことにより、それらの粉塵の製造・輸送・貯蔵の過程において、より大きな爆発の危険はないのか、という疑問がわきあがってきた。乾燥したこまかい可燃性の粉末であればなんでも、自然発火によるものであれ放火によるものであれ、爆発あるいは燃焼の危険をかかえている。ナノ粒子は表面積がより大きいので、自然発火しやすいし放火もされやすいのかもしれない。それだけでなく、ナノ粒子は小さいので、空気中により長くとどまっているかもしれないし、検出されにくく、肉眼で見えないので気づかれにくいかもしれない。
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イギリス健康安全研究所(HSL)は最近この領域の文献を回顧して、マイクロメートル大粉末の爆発の危険については多くの文献があるが、ナノ粒子についてはなんの情報もないことをあきらかにした(HSL 2004)。マイクロメートル大粉末の研究では、爆発の危険は、一部の物質ではあてはまらないこともあるが、粒子が小さくなるにつれて大きくなることがわかっている。HSLの報告は、100ナノメートル未満の粒子では物理的・化学的性質がかわるので、マイクロメートル大での試験の結果は外挿できず、爆発の危険は大きくも小さくもなりうるとのべている。HSLは、典型的な大きさのナノ粒子について、爆発特性をきめるための研究が必要であるとしている。その研究は標準的な設備と、粉塵爆発の危険を評価するのに採用されてきた方法とをもちいることによって遂行されうると、同報告ではのべている。
48
可燃性のナノ粉末が液体中で製造・操作・貯蔵されるならば、爆発の危険はさけられる。対照的に、ナノ粉末をロータリー乾燥機で乾燥することには重大な懸念がつきまとう。現在のところ、粉塵爆発の危険をともなうほど大量に生産されているナノ粉末は、黒煤などごくわずかしかない。その他の特殊用途のナノ粉末は、グラム単位の極少量で生産され使用されており、爆発の危害を生じるようなものではない。爆発の危険が適切に評価されるまでは、この危険は、大量の可燃性ナノ粒子が空気中に浮遊するのをさけることによって管理されるであろう。
5.6 知識のみぞをうめる
49
人工ナノ粒子の生産量はまだ小さいので、その健康・安全および環境への影響について、知識が不足しているとしてもおどろくにはあたらない。いまのところ大気汚染と職業病に関する研究結果からの類推にたよるしかないが、イギリスではその方面の研究予算でさえかぎられている。新種ナノ粒子の毒性に関する研究は、特にアメリカですすんでいる(Service 2004)。たとえばアメリカ国立職業安全保健研究所は、ナノ粒子・ナノチューブへの職業的曝露に関連した毒性と健康への危険に関する、5年間の研究をはじめようとしているし、諸活動を調整するためのセンターも準備している。EU委員会もまた諸事業に拠出している。
50
保健局(DH)と環境食糧農村局(DEFRA)による大気汚染調査を例外とすれば、ナノ物質の健康と環境に対する危険に関する総合的な研究は、イギリスではおこなわれたことはなかった。イギリスの複数の研究審議会が、本報告でとりあげた問題に関して共同作業をはじめていることはよろこばしいし、工学物理科学研究審議会(EPSRC)が、ナノ安全の分野に関してふたつの「テーマ・ネットワーク」をつくろうとしていること(House of Commons 2004b)にも注目すべきである。研究審議会・DEFRA・環境省をふくむ、イギリスの主要な公的環境科学助成機関のあつまりである環境助成者会議の議題に、ナノ技術の環境的影響がふくまれていることも、つけくわえられよう。ナノ技術が進歩するなら、環境とヒトの健康に対する危害・危険も同時に研究されるべきであり、直接消費されるか、消費者の近くにある製品の研究が優先されるべきである。
51
関係の深い石炭・鉄鋼・アスベスト産業に雇用される労働者がへっていることもあり、粒子毒性の研究に従事する研究者の数はイギリスではへっている。しかし近年では大気汚染への関心もましているので、エジンバラやカーディフなどでは専門家の中核は維持された。粒子毒物学者は伝統的に、当該産業およびそれに関連する研究審議会と、非常に密接に協力してきた。いまではナノ工学・環境科学・薬学および毒物学のあいだにあらたな協力の機会があるし、現在おこなわれている大気汚染と繊維の専門家の協力はその基礎にもなるであろう。細胞やその小器官と粒子表面との相互作用に関する基本的な疑問も、おこりうる曝露やそれをへらす方法に関する実践的な疑問も、ともに追求されねばならない。ヒトやその他の哺乳類からえられる、マクロファージなどの細胞に対する毒物の影響と、環境中の微生物に対する類似の影響とのあいだには、密接な関係がみられることにも注意すべきである。製薬産業でのナノ粒子の利点を追求している者と、毒性を研究している者とのあいだにも、共通の関心があるのではないか。ヒト毒物学者・ナノ薬学者および環境毒物学者のあいだには、研究対話の余地がおおいにあると信じられる。
52
危害を計測することは危険評価の基本的な局面であり、そのことはさきにあげたすべての分野にあてはまる。ナノ粒子やナノチューブはあまりに小さいので、たとえば職場でもちいられる標準的な機器では計測されない。電子顕微鏡や走査可動粒子分析器のような機器は高価であり、高度な専門技術がないと操作もできないが、より安価で運搬可能な機器も入手可能になってきている。また、ナノ粒子のどの物理的性質が、毒性にもっとも深くかかわっているかということもわかっていない。化粧品や廃棄物などの混合物にふくまれるナノ粒子を、規制目的のために計測することには、特別の問題もある。職場および環境中でのナノ粒子・ナノチューブを計測する方法を発展・標準化・有効化することは、必要にして重要なことである。
53
本章で指摘された知識のみぞをうめ、ナノ粒子の生産・使用・処理の規制を支援するのに必要な方法論と計測法を開発するために、要求される研究を■Box5.6に要約した(8章4節の3でさらに議論される)。
54
必要な研究のほとんどは本質的に学際的な方法を要求するものである。当該研究のなかには、政府機関により、あるいは国際協力を通じておこなわれるべきものもあるであろうが、イギリスにとって重要なのは、情報データベースを維持し、その情報を発進する拠点となり、産業界と規制当局に助言することもできるような、自前の専門家の拠点をもつことである。
55
イギリス研究評議会連合(RUCK)が、人工ナノ粒子・ナノチューブの毒性・疫学・残留・生物蓄積および曝露経路について研究し、人工および自然の環境にあるそれらの物質を監視するための方法論と計測法を開発するための、学際的な拠点を(おそらく既存研究機関をふくむかたちで)設立することを勧告する。その主要な役割のひとつは規制当局と連絡をとることである。その研究センターが、研究結果のデータベースを維持し、同様の情報を収集しているヨーロッパのあるいは国際的な機関と協働することを勧告する。このセンターへ付託事項は■Box5.7に要約した。
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RUCKははじめに、■Box5.6に要約されたような専門研究と協力体制を、地域のなかでつくりあげ、最適なセンターをつくっていくために、競争入札などをよびかけるよりは、EPSRC量子情報加工学際研究協力計画などと同様に、地域社会と協力する必要がある。センターの顧問会議は、研究計画が広範囲にわたるように、産業界と規制当局の代表や、国内外の科学者をふくむべきである。センターへの出資も、人工ナノ粒子の開発におくれずになされるべきである。ここで要約された職務を実行するためには、1年に500万から600万ポンドが、10年にわたり出資されねばならないと思われる。主要な出資はイギリス政府によってなされるべきであるが、EUあるいは国際社会に出資される協同研究にセンターが参加することも期待される。方法論が確立されれば、センターはナノ粒子・ナノチューブの試験拠点としてみとめられ、およそ10年以内に持続的な資金源をえることになろう。ナノ粒子・ナノチューブにかかわるすべての研究領域をセンターがおさえることはできないので、センターではとりあつかっていないが重要であると顧問会議が認定した領域の研究を推進するために、資金の一部が外部の研究者に配分されるようにすることを勧告する。
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■Box5.6 推進されるべき研究領域
・表面活性や遊離基生成など、毒性によく反映されるとみられる性質もふくめて、大気その他の媒体中の人工ナノ粒子・ナノチューブを計測するための、最適かつ実践的な方法を開発すること。
・現在の研究施設および製造過程における、労働者のナノ粒子・ナノチューブへの曝露を計測する方法を、研究すること。
・計測方法の標準化について国際的な合意を形成すること。
・自然環境にナノ粒子が接触するか、するとしたらどのように、どの程度までするのか、といったことをみきわめるために、それをふくむ製品が市場にだされてからの、粒子の長期的な命運を調査するための、研究原案を確立すること。
・環境改良の研究とも関連して、他の化学物質との相互作用もふくめた、大気・水・土壌中のナノ粒子・ナノチューブの、運搬・挙動についての理解を促進すること。
・溶接や黒煤・酸化チタンの製造など、ナノ粒子への曝露がときにおこっていることが知られている工業過程における、曝露と健康への影響との関係の疫学的研究。
・生物蓄積の研究もふくめて、室内および屋内の環境中での、ナノ粒子・ナノチューブのヒトおよびそれ以外の生物への曝露経路と毒性を研究するための、国際的に合意された原案およびモデルを作成すること。大きさや、被覆のありかたがことなる粒子の影響を理解することも、それにふくまれる。
・ナノ薬学者および大気汚染毒物学者と協力しての、ナノ粒子と細胞ないしその小器官との相互作用の機序、特に血管・皮膚・心臓・神経系への影響の、基本的研究。
・大量生産がみこまれ人々や自然環境に影響をあたえうる、あらたなナノ粒子・ナノチューブの、試験管内および生体内での毒物学的研究のための、原案の作成。
・スキンケア商品にふくまれる各種ナノ粒子の経皮吸収、特に使用前に皮膚が損傷されていた場合の変化について、さらに研究すること。
・代表的なナノ粉末について爆発の危険を評価すること。(HSLがまだこの研究について資金をえていない場合。)
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■Box5.7 提案されている学際的研究センターへの付託事項
・■Box5.6で要約されている研究計画を遂行すること。
・ナノ物質の健康・安全・環境への潜在的影響について助言をする、イギリスでの拠点として活動すること。
・規制当局の要請と研究結果について情報を交換するために、規制当局と定期的な対話をおこなうこと。
・以下の諸研究を統合するためにネットワークを維持すること。
 ・人工ナノ粒子・ナノチューブの疫学・毒物学・残留・生物蓄積・曝露経路・計測。
 ・ナノ粒子・ナノチューブの医学的応用。
 ・大気汚染ナノ粒子の疫学・毒性・曝露経路・計測。
・ナノ粒子・ナノチューブの毒性に関して、公的資金を出資されてセンター内でおこなわれた研究の結果について、閲覧可能なデータベースを維持し、また、同様な情報を収集している、ヨーロッパやその他の地域の研究機関と交流すること。
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5.7 結論
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コンピュータ・チップのノードだとか、ハードディスクのようなデータ貯蔵用のうすいフィルムなど、健康・安全・環境上のあらたな問題をなんらひきおこさないナノ技術の応用も多い。遊離したナノメートル大の粒子は健康・安全・環境への懸念をもよおさせるが、その毒性は成分が同じで大きさだけがちがう粒子からは類推できない。その相違は主として大きさに依存するふたつの要因からくる。質量が同じなら小さな粒子の方が表面積が大きくなるということと、ナノ粒子は大きな粒子とはちがった方法でより容易に細胞に侵入するということである。天然ないし汚染に由来するナノ粒子への曝露は野外では普通のことであり、産業労働者や一般人の大多数は、重大な被害をこうむることもなく高濃度の粒子に曝露している。しかしここ数十年のあいだ、そのような曝露は、大気汚染や病気、とりわけ敏感な個人の心臓や肺の病気の原因になっているのではないかと、証明されているわけではないがいわれている。
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溶解度も表面反応性も低いナノ粒子に大きく依存した毒物学的研究では、粒子が肺
に炎症をおこすのは、大きな総表面積と細胞との相互作用(おそらく金属その他反応性にとむ物質の運搬)によることではないかといわれてきた。新種のナノ粒子が、大気汚染をおこすのに十分な用量で人類にもたらされることはありそうもないが、製造工場や研究施設では曝露の危険を制限すべく警戒がなされている、という事実は重要である。
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また、産業界の要求がさまざまにことなる性質をもつナノ粒子をつくりだし、そのなかには、表面の反応性が高いものや、細胞を通過したり血液にうかんだり組織をきずつけたりするものもふくまれる、というのもありそうなことである。したがって、溶解度や毒性が低い従来のものとはちがう新種のナノ粒子は注意してあつかわなくてはならない。それらが大量生産されるのであれば、その危険を最小化するために、危害が試験され、あらゆるありうるヒトの曝露が評価されなくてはならない。
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職業的なアスベスト繊維への曝露は、癌をふくむ深刻な病気の原因としてよく知られている。この繊維の毒性は、肺に深く吸入されるほど十分に小さい直径、マクロファージによる除去を不可能にする長さ、組織液への不溶性および活性酸素の害をなすのに十分な表面積に依存している。しかし病気を引き起こすアスベストの用量は、1回の呼吸で数百片を吸入する職場に数か月から数年という、相当に大きなものである。同様の性質をもつ新種の繊維もまた、肺に負担をあたえるほど十分な量が吸入されれば、類似の問題をおこすと思われる。炭素その他のナノチューブも、繊維の形態で大気中に放出されることは容易でないとも予備研究では指摘されているが、類似の毒性を生じさせうる物理的性質をもっている。そのような繊維は、毒性を慎重に評価され、研究施設や工場では特に注意深くとりあつかわれなくてはならない。
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いまでは数種類のナノ粒子が化粧品や日焼け止めにももちいられている。そういう浸透する粒子を皮膚に、とりわけ日光や湿疹などの病気により損傷された皮膚に、使用したときの毒物学的な影響に関して発表されている証拠は、まだ不十分なものと思われる。使用が検討されているナノ粒子の皮膚への浸透と、遊離基を活性化するその種の粒子の傾向については、さらなる慎重な研究がのぞまれる。
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ナノ粒子や、とりわけナノチューブを計量する方法については、現在深刻な問題が提起されている。ことなる大きさの粒子の規制に指針をしめすためには、産業衛生上・疫学上の証拠がさらに必要とされており、そのためには計測のための適切な機器設置と標準化の研究ものぞまれている。
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研究が遂行され査読つき文献に発表されるまでは、ナノ粒子の潜在的な環境への影響や環境媒体内での挙動について、評価するのは不可能である。「ナノ粒子とナノチューブの環境への影響についてより多くが知られるまで、人工の粒子とチューブの環境中への放出をできるかぎりさけることを勧告する。」5章4節では特に、ナノ粒子とナノチューブの廃棄物中への放出と、ナノ粒子の自由な散布をともなう(土壌の改善・安定化など)環境への応用とを、へらすことを勧告した。
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ここでの結論は、ナノ粒子の毒性学と疫学、および爆発の危険をふくむ、大気・水・土壌中の挙動に関する、不完全な情報に依拠している。ナノ技術が拡大し、ナノ物質が人間と自然の環境において普通のものになるというのなら、その健康・安全・環境への影響の研究が、予想される技術開発におくれないことが重要である。本章ではRCUKが、(おそらく既存の研究機関もふくむ)学際的な拠点を設置して、人工ナノ粒子の毒性・疫学・生物残留・生物蓄積や曝露経路、および環境中の粒子を監視するための方法と計測について研究することを勧告した。規制当局との連携はその重要な役割のひとつである。研究センターが、研究結果のデータベースを維持し、同様の情報を収集しているヨーロッパその他の機関と連携することを勧告する。
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本章ではナノ粒子とナノチューブの危険を管理する方法を提示した。この危険管理を、労働者や消費者の安全などに関連する規制の体制にくみこんでいく方法については、第8章で考察する。

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